1章50 『神なる意を執り行う者』 ①
夜が深まり朝へと向かう折り返しとなる深夜零時。
美景台学園の時計塔前の広場にて魔法少女と悪の幹部が対峙する。
ボラフの傍らには串刺しにされ晒されたネコのゴミクズーが。
お互いに仲間をやられた格好で、今日この時に限っては最早戦う理由を探す必要もなければ、確かめる必要もない。
自らの守るもの、自らが勝ち取りたいものの為に、ただ必要なことをするだけだ。
「弥堂くんっ!」
水無瀬は振り返り倒れる弥堂の横で膝をつく。
「ひ、ひどい……っ」
そして、まるでトラックに撥ね飛ばされたかのようなその様相に息を呑む。
ここまで酷い怪我を負った人間を直接目にするのは水無瀬はこれが初めてだった。
水無瀬から見た弥堂 優輝という人物の印象の一つに頑強さがある。
そんな彼がグッタリとして力なく地面に横たわっている光景は、彼女にとってはとてもショッキングな映像だった。
思わず取り縋り取り乱して泣き叫びそうになるのを、強烈な罪悪感が押し留める。
先週に彼に初めて魔法少女の姿を見られてしまって以降、それからは毎日のように放課後に彼と偶然会ってしまい、ゴミクズーとの戦いに巻き込んでしまっている。
魔法が使えるわけでもない彼を毎回のように戦わせてしまって、そしてその度に彼が負う怪我は回を重ねるごとに酷くなっていたのを自分の目で見ていた。
いつかはこういうことになると、もっと早く、もっとリアルに想像して実感出来ていれば、きっと違った今に辿り着けていたはずだ。
守るということ。
そして戦うということ。
そのことについての水無瀬の認識は弥堂と戦場を共にすることで日々少しずつシビアなものに近づいてきていた。
それを教えてくれた彼が10秒後には死体になっていても不思議はないような姿になっているのを見たことで、皮肉にも今までよりも数段階リアリティを深めることとなった。
しかし、そんな慣れも成長も、ここで彼を死なせてしまっては意味がない。
『――やるならやれ。やらないのなら消えろ』
そう言ったのは弥堂だ。
彼らしいシンプルで強い言葉。
水無瀬は瞳に確かな意思を宿す。
ここですべきは泣くことでもなければ、後悔することでも、謝ることでもない。
逡巡する暇はなく、迷いも躊躇いも振り切らなければならない。
自分の願いは彼を守り救うこと。
その為に、彼の生命を救うために一番良い方法を選ばなければならない。
「――【
小さく魔法の名を呟くと、彼女のショートブーツに小さな光の羽が顕れる。
水無瀬は弥堂を抱きかかえようと彼の肩へ手を伸ばした。
「――どこに行くつもりだ?」
彼女の行動を咎めるボラフの声が背中にかけられた。
水無瀬は目線だけで振り返る。
「弥堂くんを病院に連れていきます! 邪魔をしないでください……!」
水無瀬が選んだ道筋はそれだった。
救急車を呼んでいたのでは間に合わないかもしれない。
自分が彼を抱えて魔法で病院まで飛んだ方がきっと速い。
もしかしたら、そのことで魔法と魔法少女が多くの人にバレてしまって大騒ぎになるかもしれないが、そんなことよりも重要なことが彼女にはある。
何よりも優先するものは彼の生命だ。
命よりも大事なものなんて他にはないと彼女は考えている。
魔法少女の秘密を守ることよりも、ゴミクズーと戦うことよりも――
――人を守りたい、救いたい。
それこそが最も純粋な水無瀬 愛苗の願いとなる。
しかし――
「――そうはいかねえよ」
当然敵であるボラフがそれを許すはずがなく、そしてそれを許さないからこそ彼らは敵と為るのだ。
「弥堂くんが死んじゃいます……っ! おねがい……っ!」
水無瀬が切実に訴えようとも、敵の彼らにはそれを聞く理由もなく、むしろそれどころか――
「――はいどうぞ、とはいかねェよ。昨日も言ったなァ……?」
「どうして……っ⁉」
それを妨害することの方が自然だ。
「……そいつはタダのニンゲンのくせにやり過ぎた。警告は何度もしたぜ? 首突っ込むなってな。その上でここまでやりやがったんだ。見ろよこれ。こっちだって手下やられてんだ。そんなもんケジメとるに決まってんだろ」
(そりゃそうだ)
心中で同意したのは弥堂だ。
ぼやけた意識のまま二人の会話をうっすらと聴いていたが、敵方の言い分の方に『ごもっとも』だと共感する。
向こうの立場としては当然のことであるし、弥堂でもそうするからだ。
「よく。わかりません……、でも――」
この場でそれに納得できないのは水無瀬だけである。
しかし――
「――ダメって言われても、無理にでも行きます……っ!」
そうする権利が彼女にはある。
全員に反意をし押し通すことが許されている。
それはボラフにもわかっていて、そして弥堂にもわかっている。
だから――
「……逃げる、な……、たたかえ……」
「弥堂くんっ……!」
だから、彼女を止める。
もう意識がないと思っていた弥堂が喋ったことで水無瀬はほんの少しの安堵を得る。
しかし、自分へ向けられた彼の声は聞いたことがないくらいに力のないものだった。
「弥堂くん、待ってて。私っ……!」
「いい、から……、敵をみ、ろ……」
「だけど……っ!」
「あいつを……、ころ、せ……っ」
鈍重な動作で腕をあげて指差す。
その行動に水無瀬は息を呑んだ。
おそらくオブジェに串刺しになったゴミクズーを指しているのだろうが、彼の右腕は手首から先が明後日の方向に折れ曲がっており、その手の指が向く方向には何もない。
水無瀬が絶句している間に、弥堂は途切れ途切れに言葉を継ぐ。
「……あの、ネコ……、まだ死んで、いない……っ。逃がせ、ば……、めん、どう……だ……っ。家畜を、殺した……、つぎ、は……、人を喰う……、ここ、で……ころせ……っ」
「で、でも――」
「――そいつの言うとおりだぜ」
戦うように水無瀬を説得する弥堂の言葉に敵であるボラフが同調する。
「オレたちが用があるのはそのガキだけじゃあねえ。オマエもだ。ステラ・フィオーレ」
「ボラフさん、私は……っ」
「言いあったところで無駄だ。オレもオマエも譲らねえ。だからオレたちは敵同士なんだ」
「そんなの……っ」
言いかけて、水無瀬は言葉を飲み込む。
代わりに瞳に戦意を灯した。
「……そうだ。それでいい。オレたちは、それが正しい」
それを受けてボラフは動き出す。
昨日も見たゴミクズーを強化する液体、それが入った試験管を取り出した。
「やら、せる……なっ……」
「は、はいっ! 【
弥堂が妨害するよう指示を出すと、水無瀬は瞬時に魔法弾を放つ。
「遅ェよッ!」
しかし、ボラフが身を翻しながら鎌を振ると、一振りで全てが斬り払われる。
そして試験管の内容液をゴミクズーの傷口に流し込んだ。
空になった試験管を投げ捨ててから数秒置いて、力無く垂れ下がっていたゴミクズーの四肢が暴れ出す。
藻掻き苦しむ叫びは喉が黒棘に埋め尽くされていることであがらない。
ただ虫のように蠢かすその手足の動きを弥堂も水無瀬も見守るしかなかった。
やがてゴミクズーの脇腹――牛と豚の生首が捥ぎ取られた痕の傷から肉が隆起する。
盛り上がり段々と膨れ上がったそれは元のネコの躰よりも肥大化するとボトリと千切れて、まるで産まれ落ちるように地上へ降り立った。
その姿は牙の生えた大猪と、顔の両サイドから湾曲した大きな角が突き出た水牛。
そして次にネコ型ゴミクズーの目玉のない眼窩からも肉がひり出される。
細長い肉が地に堕ちながら蜷局を巻き、やがてブチンっと眼窩から千切れると鎌首を擡げた大蛇と為った。
「チッ、そっちに持ってかれたのかよ……。まぁいい。やれっ、オマエらっ!」
「さ、三人も……っ⁉」
ボラフの号令に従い、驚愕する水無瀬と動けない弥堂の方へ新たに生まれた――或いは生まれ直した三体のゴミクズーが突撃する。
しかし、水無瀬の判断も速かった。
今日までの戦いの経験が確かに彼女の中で活きている。
「【
三体の大型の動物を一纏めに受け止められるくらいの大盾を創り出し――
「――あっちに、いって……っ!」
気合一つ、まとめて弾き返した。
「【
そして続けざまに弾幕を形成し一斉に放った。
それは仕留める攻撃ではなく牽制。
ゴミクズーたちの足元を狙って地面を穿つ。
すると獣たちは後退を余儀なくされた。
「【
すぐさま飛行魔法を展開し、距離を空けようと逃げる敵を水無瀬は追う。
重傷を負って動けない弥堂を巻き込まぬよう、出来るだけ離れて戦おうという心づもりだ。
「待ってて、弥堂くん……っ! 私、がんばってどうにか……、絶対にすぐ戻ってくるから、だから――」
振り返りざま悲壮な覚悟の瞳を弥堂へ向ける。
「――だから、自分を諦めないで……っ! 私も絶対に諦めないからっ!」
そして迷いを振り切り多勢に無勢の戦場へ一直線に翔んで行った。
弥堂は離れていく彼女の、その魂の輝きを視る。
「そう簡単にいくかよッ!」
(勘違いだ)
毒づくボラフの声を聞き流し、答えを聞くことなく戦いに赴いた彼女へ、伝える必要も意味もない言葉を心中で呟き瞼を閉じた。
これ以上はもう視る必要がないと。
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