1章48 『周到な執着』 ①

「――忘れただなんて言わせないよ、弥堂君っ!」



 放課後のサバイバル部の部室内にて、部屋の中央にある長机にずんぐりとした手指を置き、そんな大きな声をあげながらドスンと音でわかる程の重い体重をかけて立ちあがったのは、この部屋の主であり、この部活動の長でもある廻夜朝次めぐりや あさつぐだ。



「恐縮です」



 放課後の部活動が始まるなり、そんな叱責を受けた形となる平部員風情の弥堂 優輝びとう ゆうきは、自らの上司が一体に何に対してそんなに憤っているのかについて皆目見当がつかなかったが、目上の方が怒っているのでとりあえず恐れ入る姿勢を見せた。



「あ、でた。出たね。いつもの恐縮対応。あのね弥堂君。キミはいっつもさ――」


「――部長」


「んんっ、ごめんごめん。これはもう前に言ったことがあったね。どうも僕は忘れっぽくていけないね。でもね弥堂君。僕もおっちょこちょいだけれど、キミも大概だと思うんだよ。キミは記憶力がいい。なのにどうしてこんなことが起きるんだい。覚えている。忘れていない。思い出せる。だというのにこんなことになってしまうのは、ある特定の一つの事項に関して僕とキミの認識に相違があるのかもしれない。例えば今、この机の上、キミと僕との間にリンゴが置かれていたとする。僕は『美味しそうなリンゴだね弥堂君。はんぶんこしようか』と言う。するとキミは『これはミカンです』とこう言うわけさ。お互い『え?』ってなるでしょ? それが現状だよ。僕がリンゴだと思っているものをキミはミカンだと思っている。そんな認識の相違が僕たちの間にあるかもしれない。あぁ、待って。ただ誤解はしないで欲しい。リンゴだと思っている僕が正しくて、ミカンだと思っているキミが間違っている。そんな一方的に決めつけた理不尽な話がしたいわけじゃあない。そんな乱暴なことは言わないよ。もしかしたら僕がミカンをリンゴだと思い込んでいるのかもしれないからね。だから話し合おうってことさ。お互いの認識を共有して擦り合わせて共通のものと為るようにね。そしてより良い未来へ一緒に進んでいこうよ。僕はそんな風に考えているんだけど、キミはどう考えているかな?」


「リンゴはリンゴでミカンはミカンかと。見た目や味だけでなくその存在カタチを構成する何もかもが違い過ぎます。その二つを間違うことはまずありえないかと」


「んんっ、おしい……っ! 惜しいよ弥堂君。でもね、今の話の論点はリンゴかミカンかって争うことじゃないんだ。お互いの勘違いがないように仲良くやってこうぜって話なんだよ。僕はキミと仲良くしたいからね。ここはひとつ頼むよ」


「恐縮です」


「……とは言ったものの。リンゴをミカンだと。もしくは逆にミカンをリンゴだと、そう認識させることは実は出来るんだぜ? 自分以外の全員がリンゴをミカンだと呼んだなら、いくら自分が正しかったとしてもそれに倣うしかなくなるのさ。生まれ育った環境で周囲の人間がみんなリンゴのことをミカンって言ってたら、それはミカンだと覚えて生きていくだろ? 屁理屈だけどさ、でも人間の認識なんてこんなもんさ。例えリンゴ自身が自分はリンゴだと必死に訴えたところで、リンゴのことをリンゴと呼んでくれる人がこの世界に一人もいなかったら、そいつはもうリンゴでは居続けられないんだ。別にミカンだと言わなくたっていい。もしもこの『世界』からリンゴという意味そのものが消えてなくなってしまったら。その時はもうリンゴはリンゴではなくなるし、他の人もそれを見ても誰もリンゴだとは思わないし呼ばなくなるのさ。それは別のナニカに為り変わってしまったことに、別の存在に生まれ直してしまったことと同義だよね。たとえ生まれ直したそれが新たに認識され直したとして、それでまたリンゴと呼ばれたとしても、もう元々のリンゴという意味はこの世のどこにも存在していない。もう全く同じものには返れないのさ。違うものに孵ってしまったからね。ところでさ、弥堂君。実は話が本題から目茶苦茶逸れてしまっているんだけれど、どうしたらいいと思うかな?」


「はっ。本題に入ればいいと愚行致します」


「ありがとう。じゃあ、話を戻すけども。弥堂君、キミは前回の活動内容を覚えているかな?」


「はい」


「うん、流石だね。キミは記憶力がいい。忘れるわけがないよね。じゃあ覚えていると思うけども、前回の活動で僕はキミに宿題を出したよね? 今日の活動までにやってくるようにと言い付けたはずだ。それは確かなことだよね? キミの認識でも相違がないかい?」


「はい」


「それはよかった。じゃあ、そもそもの話。なんでそんな宿題が出たかって話なんだけど、それは覚えているかな? 月曜の話だよ? もちろんキミが忘れるわけがないよね」


「はい」


「OK。じゃあ、その時に僕がなんて言っていたか、それを言ってみなよ」


「はっ。それ――じゃあ遠慮なく言うけどさ。キミさ、朝のあのレポートは一体全体――」


「――すとおおおっぷ! ストップだよ弥堂君! 一旦ストップしてみよう!」


「はっ」



 恐らく前回の話を復唱するようにと命令されるだろうなと見当をつけていた弥堂は、予め4月20日の放課後の部活動での出来事――記憶の中に記録された該当する箇所を思い出しておいたのだ。


 準備していた答弁を遮られた形だが、特にそれについてどうとも思わず、弥堂はそののっぺりとした乾いた絵具のような黒い瞳を廻夜へと向ける。



「まったく、危ないところだったぜ。そうはいかないよ? 弥堂君」


「恐縮です」


「……僕だってね、持ちネタを自粛させられたところなんだ。キミにもそれは自粛してもらうよ? そうじゃなければフェアじゃないだろ?」


「はい」


「というわけで弥堂君。僕のセリフの完コピじゃなくって簡潔に言ってごらんよ」


「はっ。レポートのやり直しです」


「そう。どうしてやり直しになったのかな?」


「はっ。魔法少女と敵対してはいけないから、です」


「その通りっ! だのに、一体全体なんなんだいこれは?」



 そう言って廻夜は椅子に座り直して踏ん反り返ると手に持った紙の束をパンパンと叩いてみせる。


 彼の制服の上着の前ボタンが締められない原因となっている、丸まると膨らんだ腹がブルンっと震えたのを視認してから弥堂は答える。



「と、言いますと……?」


「キミが提出してくれたこの修正版のレポートだよ。この内容について僕は納得がいっていないんだよ。何か申し開きはあるかい?」


「申し訳ありません。自分としては改善案を出せたと、そう認識しておりました。どこか問題が?」


「大ありさ! だってね、弥堂君。前回に魔法少女と敵対してはいけないということになった。なのに、これにはこう書いてあるじゃないか。『魔法少女を溺死させる』と!」



 ばばーんっと、真犯人を追い詰めるような大仰な仕草で廻夜が指を突き付けてくる。


 その指先に喉元を晒しながらも弥堂はどうというわけもなく答える。



「それがどうかしましたか?」


「どうもこうもないぜ。どうしてこうなっちゃったんだい?」


「前回お話したとおり、やはり外傷を与えることは非常に困難です。しかしイジメは禁止とのことでしたので別の方法を考えてみました」


「でもね弥堂君。考えてみてもおくれよ。殺害方法を変えようって趣旨じゃなかっただろ?」


「実はその後の調査で、奴らには溺死は有効であることが発覚しました。これは使わない手はないな、と」


「……うん。キミが熱心に魔法少女に関しての研究を続けてくれていたのは嬉しいよ。でもさ弥堂君。前提を忘れてはいやしないかい? キミともあろうものが。魔法少女と敵対してはいけない、だよ」


「はい。なので、レポートにも記載しましたが、敵対関係になる前に先んじて殺害してしまおうという方針です。奴らに敵だと認識される前に拙速であろうとも問答無用で仕留めてしまうべきだと考えます」


「だからそもそも戦っちゃダメなんだってば! どうしてキミはそんなにも周到な執着心を以て魔法少女を殺そうとするんだい? もしもそういう性癖だと言うんなら僕にも一考と尊重の覚悟はあるけれども。そのあたりはどうなんだい?」


「性癖ではなく戦術です」


「じゃあダメだね! 僕は認めないよ!」


「ヤツらは危険です」


「キミもなかなかに頑固だねぇ……」



 あくまでも頑なな姿勢の部下に廻夜は苦笑いを浮かべる。


 呆れがちながらも、その目にはどこかこの会話自体を楽しむような色が見えた気がしたが、彼は今日も室内且つ学園内であるにも関わらずトレードマークの色の濃い大きなサングラスをかけている。その為正確に表情からその心の裡を探ることは難しかった。



 廻夜は改めて弥堂から受け取ったレポートに目を落として、その内容について言及する。



「でもさ弥堂君。仮に魔法少女を溺死させるにもさ。これって結構無理筋じゃないかな? だって彼女たち飛べるもの。簡単に逃げられてしまわないかい?」


「はい。仰るとおりです。そこで――ですが、口の中にホースを突っこんで胃袋の中に直接放水をして溺れさせることにしようと考えています。無論、拘束をすることが最低条件になりそうですが、そこはヤク漬けにするというのはどうでしょうか?」


「あうとーーっ! アウトだよ弥堂君。僕は清廉潔白な男だ。薬物の取り扱いについては人一倍厳しい男だよ。でもキメセクものに関しては一定の理解は持っている。ストライクではないけどね。たまたまそういう気分の時にいいタイミングでセールをしていてワンコインくらいの値段だったら月イチくらいは使用するかもしれない。それくらいの熱感だ。詳細に言及することは難しい。だからニュアンスで掴んでくれ。明言してしまうのは危険なんだ。それはどうかわかってほしい」


「わかりました」


「ありがとう。感謝するよ。というか全般的にグロイよ。ゴムなしゴムホースを食道に挿入してからの無慈悲で無許可な胃内射水により胃袋たぷたぷとか、こんなものが公共の電波にのってお茶の間に届いてしまったら、僕は親御さんたちになんて申し開きすればいいのさ。こんなことはね弥堂君。僕も許さないし世間も許さないよ」


「無念です」



 言葉とは裏腹に弥堂の表情に変化はない。


 廻夜は言い聞かせるように人差し指をたてて話を続ける。



「いいかい、弥堂君。普通の高校生はね、魔法少女を敵視したりしない」


「はぁ、ですが――」


「――とりわけ男子高校生たるもの、もしも魔法少女に出逢ってしまったのなら。さらにその正体を知ってしまったら。その場合はね弥堂君。お助けキャラルートに入ったということなんだよ。キミの方針では悪の幹部ルートまっしぐらさ。仮に18禁であれば一考に値する。でもね、全年齢でそれは何にもメリットがないんだよ。わかるかな?」


「……お助けキャラ、というのは何の役にも立たないのに魔法少女に引っ付いて戦場を彷徨うろつくボンクラどものことですか?」


「キミは相変わらず彼らに辛辣だねぇ。やっぱり男キャラは許さないというのがキミの信念なのかな? 気持ちはわかるよ?」


「いえ、男女はどちらでもいいんですが、素人が戦場をフラフラするのは目障りだなと、そう思っています」


「なるほど。でもね弥堂君。キミも観たはずさ。魔法少女がピンチに陥った時に、彼らの思わぬ助言や行動で事態が好転したケースを」


「それは甘く考えるべきではありません」


「おや? 珍しいね。キミがこんなにも真面目に反対意見を述べるなんて」


「ですが……いえ、申し訳ありません」


「いや、いいんだよ。責めてるわけじゃあないのさ。むしろ僕は望ましいことだと思っているよ。何故ならね弥堂君。いずれ僕が卒業した後、この伝統あるサバイバル部の次期部長にはキミを、と。僕はそう考えているんだよ。僕はキミにはとても期待をしているんだ」


「恐縮です」



 去年廻夜が設立したばかりのサバイバル部に伝統などというものはないし、他に部室に現れる部員もいないので次代もなにもあったものではないと弥堂は思ったが、もしかしたら不敬にあたるかもしれないので大人しく恐縮しておいた。



「だからね弥堂君。きたるべきその時は、キミ自身が進むべき先を見出して、どんな道を辿って進んでいくのかをキミ自身で決めなければならない。他の部員たちを率いてね。今はその時のための練習みたいなもんだし、気楽にやれるのも今の内さ。思ったことは何でも気軽にこの僕に聞かせておくれよ」


「では、魔法少女に投与する薬品についてですが――」


「――おっとぉ⁉ 味方っ! 弥堂君、魔法少女は味方という前提でいこう。とりあえずさっき言いかけたことを言ってごらんよ」


「はっ。恐れながら、実際の戦場では素人の意見が役に立つことなどありません」


「なるほどね」


「もしかしたら運よく、一度くらいならばそれで事態を切り抜けられることもあるかもしれません。ですが、毎回同じだけの効果を発揮することを期待できる戦力として見做すことは不可能です。そんなものは最初からいない方がいい」


「キミはそう考えるんだね」


「結局、どんなアドバイスをしたところで、敵の戦力が魔法少女を圧倒的に上回っていた場合はそんな素人の小手先・口先ではどうしようも出来ない。機転を利かせて状況を引っ繰り返す。物語ならばそれでいい。しかしそれは物語上そういう結末になることが予め決まっていて、その結末に繋げるために必要な演出としてそういった戦闘が描かれているだけだ。現実には用意された勝利などないし、生存も約束されてなどいない。実際には純粋な自力の差を覆すことは本当に難しい。ましてや、何の技術も経験も培っていない、覚悟もなく戦場にノコノコとやってきたようなボンクラの口先一つで勝敗を覆すなど……。そんなことはありえない」


「そうかい。キミの話はよくわかったよ。それじゃあ次は僕の話を聞いてくれるかい?」


「はい」



 弥堂の反論を受けた廻夜は特に気分を害することもなく、鷹揚に、しかし温厚に慮って話し出す。



「弥堂君。キミは一つ、大きな勘違いをしているよ」


「勘違い……?」


「そうさ。大抵の物語は結末ありき。それは確かにそのとおりさ。でもね、弥堂君。実はね。これはここだけの話。この現実ってやつも、実は結末ありきなのさ」


「……どういうことです?」



 言われた意味が理解出来ず弥堂は眉を寄せる。


 廻夜は変わらぬ調子で飄々と続ける。



「俄かには信じられないかもしれないけどね、未来ってやつは決まっているのさ。ただ、これだけだと少し正確じゃあない。ちゃんと表現すると、どっちの可能性も必ず存在している、そういう話さ」


「可能性……」


「そう。例えば――魔法少女が敵と出遭いました。そうだね、姿が透明な敵だ。バトルフィールドは屋外。開けた場所。相手の存在に全く気が付くことなく負けてしまいました。これが一つの可能性」


「…………」


「だけどこれがね、学校の帰り道で突然野良犬に追いかけられて偶然廃ビルの中に逃げ込み、偶然野良猫を追いかけていたお助け男子がそこに現れて、何故かまだ生きていたスプリンクラーを作動させてしまい、降り注ぐシャワーが当たったことで透明な敵の姿が見えて、そして幸運にも勝利を掴む。こういう結末に辿り着く可能性――そんな道筋もあるのさ」


「そんな都合のいいことが……」


「そうさ。キミの言う通り都合がいいんだ。でもさ、考えてみてもおくれよ、弥堂君。自分にとって都合のいい未来に辿り着く。勝つってのは要はそういうことだろう? そんな都合のいい現実を作るために戦って、そして勝つ必要があるわけなんだからさ。だったら、そこまでの道中では如何に自分にとって都合のいい状況を作り続けることが出来るかって、そういうことになるよね? 違うかい?」


「それは、そうですが……」


「肝心なのはね、弥堂君。そんな都合のいい未来が、結末が、自分にも必ずあるって知ることだ。まずは知らなきゃ、信じるものも信じられないからね。そして、必ずあるって知っているその未来へと続く適切な道筋を選ぶのさ」


「ですが――」


「――あぁ、そのとおりだよ。キミの言う通りだよ、弥堂君。戦いである以上は相手がいる。だったら相手にも自分と同じように勝ちの目がある。ならば当然、力の強い者が勝つ。キミの言う通りさ。それは否定できない」


「だから――」


「――いや、そうじゃないんだよ弥堂君。力比べじゃあないんだ。その勝負を受けてしまったら必ず強い者に負ける。何故ならこの世はそういう仕組みで出来ているからね。なんていうか、純粋な力だけじゃなくってさ、存在そのもの……? 単純にそれが強いヤツがいる。そういうヤツは特に意識していなくても大抵無意識で勝手に勝ち続けているものさ。世の成功者は大抵そんなもんだよ。なんか賢しげに成功した後で成功論とか言ってドヤってるけどさ、勘違いも甚だしいよ。でもそんなムーブしててもそれが金になっちまうんだ。そういう風に出来ているから仕方ない。生まれながらに他を凌駕することが約束されている存在。誠に遺憾なことに、業腹なことに、心の底から気に食わないことに。いるんだよ。そういう連中が。まるで神かなにかに愛されているかのようなね。神に愛されている。だからヤツらのすることは神の意思。だから通る。この世ではその資格を持つ者が優遇される。キミにならそれがわかるよね? 弥堂君」


神意執行者ディードパニッシャー……」



 思わず弥堂が口から出したその言葉に廻夜はニヤッと満足げに頬を吊り上げてみせた。



「いいね。香ばしくて僕好みだ」


「恐縮です」


「まぁ、そんなわけで、僕らのようなボンクラはね、世に何人かいる特別な存在であるその『神意執行者ディードパニッシャー』の内の誰に味方するかを選んで生きなければならない。上手くやりたいんならね。なるべく勝ち馬に乗るのさ。それが人間として賢い生き方ってもんさ。そこで魔法少女だよ。何故彼女らに敵対してはいけないのか」


「…………」


「彼女たちは勿論その選ばれた存在だよ。そしてその彼女たちと敵対している相手もそうである可能性が高い。まぁ、そりゃ当たり前だよね。じゃなきゃ対抗できないもの。そんな二つの特別な存在の戦いに行き遭ってしまったら。僕たちはそのどっちに味方をするのかって選択を強いられる。だけどね、これは考えるまでもないことなんだ。僕たち男子高校生はね、魔法少女に出逢ってしまったら即座に彼女たちに味方することを選ばなければならない。何故だかわかるかい?」


「わかりません」


「気持ちのいい即答だ。僕も負けずに即答しよう。それはね、彼女たちが正義だからさ。おっと、キミの言いたいことはわかるよ弥堂君。でもね、その正義じゃないんだ。人間の自称する肩書のことじゃあない。そういう俗物的な椅子取りゲームやマネーゲームの話じゃあないんだ。もっと根源的な正義。そういう次元の話だ。どういう意味かわかるかい?」


「そんなものは――」


「――可愛いは正義、だぜ? 弥堂君」


「……そんな馬鹿な」



 不快感露わに眉根を寄せる弥堂に対して、廻夜は変わらず男臭い笑みを浮かべたままだ。



「そんな馬鹿な話なのさ。魔法少女は可愛い。愛される存在であり、愛されるべき存在だ。そういう風にデザインされている。ならば僕たちは愛さなければならない。それが『世界』の理だよ」


「『世界』……」


「シンプルに考えようぜ、弥堂君。どっちかに味方しなきゃいけないんなら、そりゃ可愛い方に味方するに決まってるだろ。だって僕たち男子高校生ってのはそういう風にデザインされているからね」


「しかし――」


「――こう考えてみてよ、弥堂君。喧しくて乱暴で生意気で頼んでもいないのに口煩く色々ダメ出ししてきてでも邪険にするとこれ見よがしに落ち込んでみせるメンヘラギャルと、基本的に大人しくて素直でとりあえず言えば言うこと聞いてくれる上に魔法も使えちゃう美少女、さらにこれはおまけだ、おっぱいもおっきい。さぁ、どっちに味方する?」


「その条件であれば後者ですが――」


「――あ、言った! 言ったね? とったよ? 言質を」


「ですが――」


「――かぁーーっ! もうっ! 水くさいよ弥堂君。ここには僕しかいないんだ。そんなに恥ずかしがらずにもっと己を解放すればいいじゃない!」


「ですが、勝てないものは勝てない。必勝などなく、最強などというものもありえない」


「確かにね。そうかもしれない。弥堂君、キミの言う通り戦いの中で、可愛い魔法少女が勝てない。ボンクラ軍師様のアドバイスも通じない。そんなことが、そんな結末に辿り着く可能性も当然ある。そんなことになったら普通の高校生には為す術もないよね。いい感じにやれてるって思ってたら実はお助けキャラルートではなかったのさ」


「それなら、普通の高校生はそんなものに関わるべきではないのでは」


「違うぜ、弥堂君。普通の高校生はそもそもそんなものに出逢わないのさ。出会っちまった時点で普通は終わりなんだよ」


「運がなかったということですか」


「そうじゃない。普通に高校生活を送っていたら、奇怪な化け物とそれと戦う魔法少女に出遭い、成り行きで魔法少女の味方をしていたらどうにもならないような強敵が出てきてしまって、助言も虚しく魔法少女が負けてしまいそうだ。もしもこのまま彼女が敗北してしまったらこの世界は滅茶苦茶になってしまう。そんな状況をなんて言うんだい?」


「ピンチ、ですか……?」


「NOだよ! これはチャンスさ、弥堂君。掛け値なしの決定的チャンスだよ」


「わかりません」


「さっき言ったよね? ルートが違うって。適切に助言をしていて、それで魔法少女が勝てないのなら。その場合はね、弥堂君。キミはお助けキャラではなかったってことさ」


「ですから――」


「――サポートじゃない。脇役じゃない。キミ自身が主人公だ。ヒロインのピンチを颯爽と救うヒーローになるのさ」


「そんなことは――」


「――無理かい? いいや、無理じゃあないね。そんな力はない? 無ければ目覚めればいい。その場で。根拠も脈絡も伏線すら要らない。必然であればそれでいい。もうどうにもならないってとこまで追い詰められたのなら、ただ覚醒しさえすればいいじゃないか。都合がいい? そうだよ? ご都合主義、結構なことじゃあないか。さっきも言っただろ? 自分にとって都合のいい未来へたどり着くのなら、その過程でいくらでも都合のいいことがあったっていいじゃないか。なにがダメなんだい? 結果さえよければ過程はどうでもいい。それがキミの信条だろ? 何ひとつ問題なんてないじゃないか。都合のいいことが起きなければ勝てないってんなら、都合のいいことを起こすしかないじゃないか。大丈夫。その都合のいい結末は必ずある。『ある』と。それさえ理解していればいい。信じるのでも願うのでもない。その前にまず『ある』ということを知って、認めて、理解するんだ。あとは如何にしてその場所へ辿り着ける道筋を見つけて選べるかだ。どんなに薄氷を踏むような細く薄く脆いルートだろうと、『ある』以上は『いける』。僕は今とても重要なことを言ったぜ? だからね、弥堂君。普通の高校生が魔法少女に出逢って、彼女をサポートして、だけどそれでも、それだけじゃあ絶対に敵わない強敵に出遭ってしまったら。魔法少女と同様に『世界』に選ばれ、許された、なんなら魔法少女以上に優遇された存在に出遭ってしまったのなら。その時は終わりなんかじゃあない。不運でもなければピンチですらない。それはヒーロールートであり、覚醒フラグだ。迫りくる強大な敵を根こそぎぶちのめしてヒロインを救う。ついでに惚れられる。まさに無双さ。もしも普通の男子高校生がそういう状況に陥ったら、そうなるのが当たり前のことで、今度はそれが普通になる。無双は義務だよ、弥堂君。それが『世界』の意思であり、神の思し召しってやつさ。僕は大嫌いな言葉だけれどね。だから、キミがヒーローだ。やるしかないんだよ。やらなければ当然BAD ENDまっしぐらさ。CONTINUEを要求されちまうぜ? やり直せってさ。キミは僕の課した数々のクソゲーを乗り越えてきた猛者だけれども、だからこそ、そんなのはもううんざりしているだろ? だったらやるしかないぜ、弥堂君。無双を。まぁ、でも。あくまでも。もしもそんな状況に陥ってしまったのなら。もしも、普通の高校生である弥堂 優輝が、ある日偶然に、ひょんなことから、魔法少女に出逢ってしまったのなら――の話だけどね」


「ですが部長――」



 その反意の声は遮られなかった。


 また言葉を被されて廻夜が喋り続けるものだとばかり思っていて、反論を口にしながらも弥堂はそこで言葉を切ってしまった。



 廻夜は喋らない。


 黙って弥堂を見ている。



 その視線にはどこか慈愛のようなものがこめられているような気がした。


 しかし、彼はトレードマークのサングラスをしているせいで、その目を覗き視ることは叶わない。だから気がしただけで、きっと気のせいだ。



 しばし無言で見つめ合う。



 廻夜は、お喋りなはずの彼は口を開かない。



 だから弥堂は続きを言わなければならない。



「……力には目覚めない。無い者に無い物は顕れない。どんな状況だろうと。たとえ大事な物が焼かれ踏み躙られても、大事な者が殺されても、大事な者を殺したとしても。突然の都合のいい力の覚醒なんて、ない。なかった。そんなものはあってはならない」


「そうかい? 本当にそうかな?」


「仮に偶々一回だけ奇跡が起きたとしても、それは運がよかっただけで再現性はない」


「ちがうぜ。運が悪かっただなんて、そうやって割り切って諦めて言い聞かせるもんじゃないぜ。弥堂君。ヒントだ。目の前の敵に打ち勝つんじゃない。敵を倒す方法の有無じゃあないんだ。あくまでも勝利の後の結末の有無。その可能性の有無。『ある』ということを自分がわかっているか。そして、そのルートを選べるか、だ。理屈じゃあない。ニュアンスで掴んで雰囲気で熟すんだ。何を言っているかちょっとわからないだろうけれど、でもね弥堂君。これは、そういうものなんだ」


「……俺には、出来ない」


「そうかい。だから、キミは――?」


「――俺は普通の高校生なので、魔法少女には出逢わない」



 会話が途切れる。



 部活中のサバイバル部の部室には珍しく、部屋に静寂が行き渡る。



 部長である廻夜の言うことに真っ向から反意を示した形だが、やはり廻夜の様子は変わらない。


 苛立つでも失望するでもなく、鷹揚なまま温厚なまま、不敵な笑みを浮かべている。



 そして終に彼が話しだす。



「……なるほどね。やっぱりキミはそう思うんだね。だけどね弥堂君。こればっかしは僕も譲らないよ。だから勝負をしようじゃないか。あと一回。次に発言するたったの一言で、僕はキミを完膚なきまでに痛快に論破してみせるよ。もしも、それを聞いたキミが反論を出来なかったら。どうか一回だけでもいい。今、ここで伝えたとおりに挑戦することを考えてみてはくれないかい? あと一言でキミが“納得”をしなかったら、その時は僕も男だ。スッパリと諦めるよ。それでどうかな?」


「構いません」


「じゃあ、いくよ――?」



 そう言って、廻夜から向けられる挑戦的な視線を弥堂は泰然と受け止める。



 そこには期待も畏れも焦りも希望もない。


 たとえ何を言われたとしても、どんなに正しいことを聞かされたとしても。


 頭の硬い自身がその一言で、たったの一発で理解をすることも、考えを変えることも絶対にありえるわけがない。




「――命令だ」


「――了解しました」




 その一言はスッと耳を通って頭の中に入ってきて、統一された意思を全身に一瞬で行き渡らせる。


 敗北者のはずの男は、常に在る様に、冷たく研ぎ澄まされた心持ちへと変わる。



 そんな弥堂の様子に、たったの一言で納得をさせてみせたはずの勝利者は、ここまでの悠然とした挑戦的ですらあった余裕の表情を崩し、浮かべる笑みも苦笑いへと変わった。



 ここまでの論争などなかったかのように、それだけで全てが片付いてしまった。


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