1章46 『4月22日』 ①

 目を開ける。



 喧騒だらけの周囲に目線を動かして、認識と現状との整合性をとる。



 ここは2年B組の教室。


 朝のHR開始前の時間。



 登校してきた生徒たちがある程度出揃い、一日の開始を報せる時計塔の鐘が鳴るまでの残り数分を惜しんで、それぞれが好き勝手にお喋りをしている。



 自身の想定・把握と現実の風景に相違がないことを確認し、弥堂 優輝びとう ゆうきは周囲には悟らせぬよう僅かに身動ぎをし、自席に座る姿勢を調整した。




 4月22日、水曜日。



 本日の弥堂は普段の登校時間よりも、さらに所属する部活動の朝練がある日の登校時間よりも早くから、ここ私立美景台学園へと来ていた。



 元々本日はサバイバル部の朝練がある予定だったのだが、弥堂の方の用事の関係で活動を放課後に変更してもらったのだ。


 学園内で色々と仕込みの作業をする必要があり、昨日揃えた物資を学園へと運びこみ、必要な場所へと配備していたのだ。



 急なこちらの都合で上司の予定を変えさせるのは不敬なことだとは思ったが、寛容な部長である廻夜 朝次めぐりや あさつぐは快く承諾してくれた。



 だが、もしかしたら彼は朝練を楽しみにしていたのか、心なしか残念そうな雰囲気が感じられた。


 とはいえ、実際に顔を会わせて話し合ったわけではない。ショートメールの文面から彼の心情を正確に察知することは不可能だ。



 そういえば先日から、廻夜との連絡手段が従来の“edge”のチャットから電話番号に紐づいたショートメールサービスに変更されていた。



 理由としては“edge”のSNS投稿で廻夜が炎上した為だ。


 正確にはその炎上の結果、彼のアカウントが“鍵垢”というものに変わった為だ。



 少なくともその騒ぎが落ち着くまでは、携帯キャリアの提供するショートメールサービスに連絡ツールを変更することにしていた。




 何故炎上するようなことになったかというと、とある動画CHと揉めたことが発端だ。



 “edge”には動画を投稿する機能があり、そこからさらにユーザー独自の動画CHを作成して他のユーザーへ向けて配信するサービスがある。


 数多く存在するCHの中の一つのとある『アニメ紹介CH』で、ある日、廻夜がこよなく愛する『魔法少女プリティメロディ☆フローラルスパーク』に関する紹介動画がアップロードされた。


 どうもその内容が彼の意にそぐわぬものであったようだ。



 その紹介の何がどう間違っているのかと、詳細な内容を廻夜は唾を飛ばしながら弥堂に語って聞かせた。


 正直彼が何を言っているのかは弥堂にはまるで理解が出来なかったが、そもそも理解をする必要はない。



 頭脳明晰、深謀遠慮、神算鬼謀。


 その体現者たる廻夜 朝次が間違っていると言えば、それは間違っているのだ。



 すぐに件のCH主の首を取ってくると申し出た弥堂を廻夜はやんわりと窘めた。


 自分は清廉潔白な男であると主張する廻夜は正々堂々と真正面から、CH登録者数9.7万人の投稿主に、『解釈違いである』と勇ましいクソリプを送り斬りこんでいった。


 そしてすぐさま、そのCHのリスナーたちに袋叩きにされた。



 数万の大軍を向こうにして、廻夜はたった一人で抗った。


 連日100を超える人数に、磔にされた過去の廻夜の発言とともにお気持ちを表明された。


 不屈の男である彼はそれでも抵抗をやめなかった。



 だが、数年前に細々と投稿していた自作のオサレな魔法詠唱文を発掘され、それを晒された上に『大魔導士さま』という仇名を付けられては、さしもの彼も撤退を余儀なくされた。



 以上が廻夜のアカウントに鍵がかかった理由である。



 当然、自らの将に矢を射かけられて黙っている弥堂ではない。


 件の動画投稿者は既に特定済みであるし、廻夜部長を『大魔導士さま』呼ばわりした連中の個人情報も着々と集めている。



 一度、作成途中の抹殺リストを廻夜に提出し、見せしめのために何人かを晒し首にしてSNSに投稿することを提案したが、やんわりと彼に窘められた。


 まるで聖人の如き寛容さだが、これは違うと、弥堂は読み取った。



 全ての罪人のヤサを押さえる前に中途半端に事を始め、それを公にすれば残党を取り逃がすことを懸念したのだろう。


 己の上司は民族浄化を望んでいる。


 そういうことだ。



 きちんと1人も余すことなく全ての罪人の情報を揃えてから一気呵成に根絶やしにしろと、彼がそう命じていると弥堂は判断した。



 やるなら徹底的に、そしてその為なら敗北を装うことすら厭わない。



 目的の為なら手段を選ばない上司に弥堂が身震いを堪えつつ心中で敬意を表していると、廻夜から別の提案をされた。


 それは“edge”の相互フォローをしようという内容だった。



 鍵をかけているアカウントとはお互いにフォローをしていないと、チャットやDMでのやり取りが出来ないというのが“edge”の仕様だったためだ。


 しかし弥堂はその要請に丁重にお断りを申し上げた。



 ネット上のこととはいえ現在の彼は身を隠している状態だ。


 そこに不必要に外部との繋がりを増やすことは情報漏洩のリスクが増えると、そのように彼を説得した。



 代案としてお互いに日替わりでメールアドレスを使い捨てにして連絡をとることを提言したが、『間をとって』という彼の案を採用し、当面はショートメールを利用する運びとなった。



 弥堂としては連絡をとるという目的が果たされればプラットフォームは何でも構わないと考えているが、その時の彼はどこか寂しそうにしている気がした。


 だが、彼はトレードマークでもある色の濃い大きめのサングラスを室内でも外さない為その表情は読みづらい。まさか数万の軍勢に一騎駆けをする彼ほどの豪傑が、ただ単にFF関係になりたかっただのと、そんなことがありえるはずがない。


 きっと気がしただけで気のせいだ。




 そういうわけで、本来朝練の行われる時間で必要な作業を済ませることが出来た。


 今日の日中に依頼した物資が追加で学園に届くはずなので、授業の合間の時間を使ってそれらも運搬して配備する必要がある。


 それが本日の弥堂の最優先任務だ。



 パタパタパタと――



 弥堂が自身のタスクを確認していると、そんな気の抜けるような音が廊下から近付いてくる。



 2年B組に配置されてもう半月ほど。


 その音だけでこの後何が起きるかを予測するのは容易なことだ。



 ガラガラっと教室の戸が開かれ――



「――みんなぁ、おはようっ!」




「……おはよう」


「……はろはろー」


「……?」


「……お? おぉっす……?」


「おはよー」


「おはよう」


「おはようございます……、水無瀬さん」


「おはよう」


「うーっす……」




――教室中に蔓延っていたざわつきが一瞬で止み、入口の方に視線を向けた順番から戸惑いのようなものが伝播していく。



 それは元々教室内に居た生徒たちだけでなく――



「――えっ……?」



 今しがた教室に現れ、元気いっぱいに挨拶の声を張り上げた水無瀬 愛苗みなせ まなも同様に戸惑っていた。



(やはりな……)



 ただ一人弥堂だけがそんな風景をつまらなさそうに見ていた。


 こうなることは容易に予測出来ていたからだ。



 水無瀬は居心地悪そうに身動ぎをしてから、恐る恐るといった歩調で弥堂の隣にある彼女の自席へと歩きだす。



(さすがに気付くか)



 希咲 七海きさき ななみが居なくなって以降、日に日に水無瀬へ挨拶を返す人数が減ってきていた。


 初日である20日の月曜日は『紅月ハーレム』と呼ばれるグループ(元々停学中であった蛭子 蛮ひるこ ばんを除けば)を構成する4人が一気に減ったので、特別注意を向けていなければ気が付かなくても仕方のないことかもしれない。


 だが、見聞きした出来事を正確に記憶に記録しておける弥堂はすぐに違和感に気が付いた。



 そう人数の多いクラスでもない、数日もすれば誰にでもわかるだろう。


 一昨日と比べれば半数近く、昨日と比べても4人ほど減っている。


 このペースでいけば、明日には挨拶を返す者は数人になり、週末には誰もいなくなるかもしれない。



 ただ、こうなることはわかっていたが、やはり何故こうなっているのかということは弥堂にもわからないままだった。



 そしてそれは弥堂だけでなく、他の生徒たち自身にもわかっていないようだった。



 通常、人が人に他所他所しくなる時は、嫌い、憎い、恐い、そういった理由が主なところだろう。


 普段弥堂が登校してきた時にはそういった悪意や畏怖がわかりやすく可視化されている。



 しかし、水無瀬のケースに於いてはそういった様子は見受けられない。



 とはいえ、弥堂は人の感情の機微には鈍いと自認している。


 悪意には敏感なつもりではいるが、自分自身を信用してはいない。



(まさか――)



――一つ、可能性を考える。



(魔法少女であることがバレた……?)



 嫌われ者の弥堂にはその情報が回ってきていないだけで、実はクラス中で共有・周知されているのだとしたら、こうなってもおかしくはないかもしれない。



 だが――



(恐らく、違う)



 そうであれば、誰よりも先に希咲が大騒ぎをしているはずだ。


 最近、大変遺憾なことに彼女とは連絡をとることになってしまっているが、あの女からはそんなことは一言も聞いていない。



(そういえば――)



 昨夜彼女からなにかメッセージが届いていたことを思い出す。


 結局あのまま内容を確認していなかった。



 忘れていたわけではなかったのだが、朝の忙しい時間を僅かでもあの女のことに割くのは癪だったので、重要な用件があればまた何か送ってくるだろうと放置していた。


 もしも、今も未読のままスマホの中に仕舞ってある彼女のメッセージが、その魔法少女の件であったらとんだ笑い種だと他人事のように嘲った。



 だが、おそらくそうではないだろうから問題はないだろう。



 弥堂の予想では、魔法少女姿の水無瀬を目撃したところで、生徒たちにはそれが水無瀬だとは認識できないだろうと見立てていた。


 目の前で普段の姿から魔法少女に変身をすればどうなるかわからないが、恐らくそのはずだと予想している。



 魔法少女のサポート役のネコ妖精を名乗るメロが、なにか一般人の認識を誤魔化す魔法がかけられているようなことを証言していた。


 だから彼女自身が自分でバラしでもしない限りは魔法少女のことが発覚することはないだろう。



(……そういや、こいつ)



 弥堂の目の前でベラベラと内情を暴露してから変身を解除し、敵である闇の秘密結社のモノたちにも本名を名乗って挨拶をしていたことを思い出した。



 だが、それでも、今回のケースは魔法少女のことではないはずだ。




 その裏付けとして――



「……ん? あっ……、よぉ、水無瀬さん」


「……あっ、はろぉー愛苗っち!」


「……え? あ……、み、水無瀬さんおはよー」



 自席へと向かう水無瀬が近付き、彼女とすれ違った生徒たちから個別の挨拶が掛けられている。



 その声や表情には悪意などはないし、現在教室に蔓延している戸惑いや不審さなども垣間見えない。


 代わりに別種の困惑が表れている。



 それは水無瀬への戸惑いではなく、自分自身への戸惑い。


 それに変わっていっている。



 そんな風に弥堂には感じられた。



 教室の後方へ視線を遣ってみれば、暫定的な敵性存在と認定していた結音 樹里ゆいね じゅり寝室 香奈ねむろ かなの二名も似たような様子だ。



 さて、全くを以てわけのわからない状況になってきたぞと、思考を澄ませる。



 ここのところ学園内でも学園外でも混沌めいた出来事だらけだ。



「あ、あの――」



 そのことについての考察を始めようとすると、その前に声をかけられる。



 声の主はもちろん水無瀬だ。



 水無瀬 愛苗という人物にしてはあまり見ない、オドオドと怯えるような不安そうな態度だ。



 ここでいつも通りの対応をしてやれば彼女はどんな反応をするんだろうと、そんな下らないことを思いついた瞬間――



――一人の女の顔が浮かぶ。



「……おはよう、水無瀬」


「あっ……⁉ お、おはよー! 弥堂くんっ……!」



 水無瀬は嬉しそうな、ほっとしたような表情で顔を僅かに輝かせ、自分の席に着いた。



 ここ数日は水無瀬にちゃんと挨拶を返すようにしていた。


 だからこれがいつも通りの対応だ。


 別にあいつのことを慮ったわけではない。



 そんな言い訳じみたことで脳内を埋めていると、隣に着席した水無瀬に再び呼びかけられる。



「ね、ねぇ弥堂くんっ。あのね――」


「――時間だ」



 彼女へ向けて左腕に巻き付けた腕時計を突きつけることで続きの言葉を遮る。



 彼女のまんまるな目が驚きでさらに大きく見開かれるとほぼ同時に、始業を報せる時計塔の鐘の音が大音量で鳴り響いた。



「あとでな」


「う、うん……。ごめんね」



 彼女にそう告げて担任教師の登壇を待つ。



 彼女が何を言ってくるか、何を自分に聞こうとしているのかは容易に予測が出来る。



 当然教室内の様子についてだろう。



 惚けることも出来るが、いい加減彼女もはっきりと違和感に気が付いたことだし、状況を先に進めるためにも少し付き合ってやるかと考える。



 学級委員である野崎さんの号令に従って立ち上がり、担任教師の木ノ下に頭を下げ、再び着席をする。



 問題は弥堂にも水無瀬の疑問に対する答えがないことだ。



 不可解で不思議で非常に混沌めいた状況だ。


 何もない平和な日常というものは学園の中からも消えた。



 HRの時間を利用して現状について考えを巡らせる。



 そんな朝に弥堂はどこか居心地のよさを感じていた。




 やがて、何の役にも立たない話をした何の役にも立たない女が教室を出ていき、HRの時間が終わる。



 案の定、いの一番に水無瀬が話しかけてきた。



 それも無理はない。


 彼女は渦中の人物だ。



 抱えた疑問は弥堂よりも大きいだろうし、だからこそ不安も大きい。



「弥堂くんっ、あの、ごめんね? ちょっといい……?」


「なんだ」



 乾いた絵具のような黒、揺れない瞳で彼女を映す。


 磨かれていない何も写さない黒鉄に彼女は自分の顔が見えているだろうか。


 その奥の弥堂の思うことも見えてはいないだろう。



 核心めいたことは何もわからなかったが、彼女を煙に巻き、逆に彼女から話を聞きだす準備は出来た。


 それを進める為にはまず質問をされる必要がある。



 だから、予測済みの問いかけを義務感だけで待ち、つまらさそうに彼女を視る。



 水無瀬はじっと真っ直ぐに弥堂へ目を向ける。



 何を言われるかはわかっている。



(さっさとしろ)



 しかし――




「――弥堂くん。だいじょうぶ?」


「…………あ?」



 何を聞かれたかわからずに、間抜けにも問い返す羽目になった。



「昨日のケガ……、だいじょうぶ?」


「…………」



 だが、言い直した彼女の言葉にさらに間抜けに目を見開くことになった。



(なに、言ってんだ……、こいつ……)



 他人の心配をしている場合かと、呆れたような、唖然としたような、そんな心持ちになる。


 思わず準備していた返答スキームがどこかへ飛んでいってしまった。



 最も不可思議で理解の及ばないものは、闇の秘密結社でも、麻薬売買組織でも、2年B組でもなく――



――水無瀬 愛苗という少女だ。



 この不思議が彼女の魔法なのだろうか。



 その不思議には、先程感じた居心地のよさはなく、弥堂は苛立ちを感じた。


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