1章44 『Lacryma BASTA!』 ⑥


 右手を開いて握る。



 自分の手が適切に稼働するのを視ながら同じ動作を何度か繰り返し、弥堂は眉根を寄せた。



(何故、生きている……?)



 つい数秒前に自身は水無瀬が放った破壊光線に灼かれたはずだ。



 右手どころの話ではなく、身体の右半分を失い内臓をぶちまけながら地面に転がっていなければおかしい。



 チラリと背後に視線を遣れば、自分を貫通していった破壊光線の通り道にあった巨大化したゴミクズーの躰には大穴が空いていた。


 それはつまり、直前で水無瀬が魔法を消したとかそういうわけでもなく、彼女の言う『バスター』という魔法は最後までその効力を発揮したことになる。



 そのついでで髪が千切れたのか左手の拘束も無くなり、自由になったその手首を回して調子を確かめながら上空の水無瀬へと眼を向けた。



 視れば彼女自身も驚いた顔をしている。


 その顔はすぐに涙を浮かべたままの目が細められ安堵の笑顔となって弥堂へ向けられた。



「弥堂くんっ、よかった、私……」



 やった本人にもわかっていないなら考えても無駄だと、弥堂は周囲に眼を走らせる。



 足元に転がっていた肉人形は先程の魔法で消滅したようだ。


 現在弥堂が足場にしているゴミクズーの――本体、胴体、どう呼称していいかわからないが――巨大な躰の体表には大穴が空いていて、そこいらの人面からは苦悶の声があがっている。


 弱点だと見当を付けて捕らえていた肉の頭は取り逃がしたきりで、今も姿は視えない。



(さて、どうするか)



 理由はわからずとも、生き延びてしまった以上は続きをやらなければならない。


 巨大化した化け物を殺しきるためには、やはり水無瀬の力が必要になる。


 とはいえ、彼女が問答無用に攻撃を放てるようになったとも考え難い。


 拘束から解放されたばかりだが、また彼女を攻撃せざるをえない状況に追い込むべきかもしれない。



(もう一度人質になってみるか……?)



 次は死ぬかもしれないが、今一度死んだようなものなので、そうなったらそうなったで別に構わないだろう。



 そんなことを考えていると、荒れ地に生えた雑草のようにそこらから白い髪の毛が伸びてきて弥堂の身体に巻き付き、再び囚われの身となった。



「なかなか気が利くじゃないか」



 ちょうど今それを考慮していたところだったので、都合がいいと適当な褒め言葉を述べると、体表の一部から肉の触手が生え先端に少女の顏が顕れる。



「……ユルサナイ」



 弥堂の言葉に答えたわけではないだろうが、憎しみの目を向けられる。


 弥堂はそれを無視して水無瀬へ声をかけた。



「おい、水無瀬」


「弥堂くんっ! わたし――」


「――うるさい。よく見ろ。俺がまたピンチだぞ。さっさと助けろ」


「えぇっ⁉」



 非常に尊大な態度で救助を命じてくる男に愛苗ちゃんはびっくり仰天した。



「さっきのやつだ。もう一回撃て」


「で、でも弥堂くん。私さっきのどうやったのかわかんないの……」


「大丈夫だ。なんかいい感じに撃て」


「い、いい感じ……?」


「早くしろ。俺が死んでもいいのか? 七海ちゃんに嫌われるぞ」


「えっ? えっ……? 七海ちゃん……?」


(あいつは喜ぶかもしれんがな)



 適当なことを言って彼女を混乱させながら、また追い詰めて誤射を誘おうと弥堂は画策する。



「ど、どうしよう……」



 当然のことながら水無瀬は迷う。



 切羽詰まった状況で判断を誤って撃ってしまったばかりで、もう一度今度は自分の意思で同じことをする決断など下せるわけがない。


 だが、だからといって指を咥えて見ていられる状況でもないのも、先程と同じだ。



 先程と同じ現象を起こせと弥堂は言うが、どうしてこうなったのかは魔法を使った水無瀬自身にもわかっていない。



「どうすれば……」



 魔法が当たっても、弥堂のことは傷つけず、ゴミクズーにだけ効力を発揮する。



 そんな都合のいいことなど――



『――何故出来ないと思うんです?』



「――えっ?」



 突如聴こえたその言葉に思考が止まる。



 その声は記憶の中から喚び起こされたものだ。



 それは近い記憶。つい昨日のもの。



『――何故直線にしか動けないと思うんです? 何故、速度を落とさないと曲がれないと考えるんです? アナタは、魔法は、何でもできますよ』



 今日ここには来ていないが、悪の幹部ボラフの上司であるアス。


 彼が昨日中美景公園での戦いで、魔法のレクチャーと称して水無瀬に言ったことの一つだ。



 人間の持つ常識の範囲内に可能性を限定させてはいけないという教えだ。



「……魔法は、願い……、みんなのキラキラ……、仲良くなって、お願いをきいてもらって……、許してもらって、叶えてもらう……」



 自身の体内で生成される魔素と大気から取り込んだ魔素を混ぜ合わせ自身の魔力とする。それを用いて周囲の魔素に干渉し影響を及ぼし『世界』が許す限りで世界を創り変える。


 それがアスが語った『魔法』というもの。



 キッと目つきを真剣なものにして水無瀬は魔法のステッキを巨大化したゴミクズーへと向けた。



「へぇ」



 撃てるのかと弥堂は薄く感嘆の声を漏らす。



 ここに至っても他人事のような態度を変えない弥堂に対して、水無瀬は真っ直ぐな瞳を向けた。



「弥堂くん……、私を信じて……っ!」


「あ?」


「私は弥堂くんを傷つけない……、傷つけたくない……っ。それが私の願い……」


「……? お前、なにを言っている……?」



 ようやく水無瀬の様子が違うことに気が付き、弥堂は怪訝に眉を歪める。



 何か誓いのような言葉を投げかけてきた水無瀬だが、弥堂からの疑問の言葉は聞こえてはいないようだった。


 音が届いていないのではなく、彼女は深く集中している。




「同じようにバスターを撃っちゃダメ……! フローラル・バスターは私の魔法じゃない……。全部をやっつけるプリメロの魔法……。でもそれじゃ弥堂くんを傷つけちゃう……」



 ステッキを握る手に力をこめ、自身の裡を探る。


 奥底に秘められた瞬く自分という存在としての原初、根源。


 本当の自分の願い。



「……私の、願い……。私だけの魔法……。私は弥堂くんを傷つけない。誰も傷つけたくない、守りたい。みんなを助ける……、一緒に救う、強い力……」



 呪文のように列ねられていく、断片的な願い。


 それらの根底にあるものはたった一つで同じ。


 集約されステッキの先に灯る光が輝いていく。



「みんなの涙を全部止める、優しい力……。あったかい光……、聖なる――」



 その魔力の輝きに危険を感じたのか、肉塊の顔が叫びをあげる。


 無数の髪が針を生成し弥堂へ狙いをつけ、同時に水無瀬へ向けて水砲が発射された。



「――BASTAだめぇーーっ!」



 咄嗟に――しかし今度は確かな意思と意図をもって、水無瀬の魔法も放たれる。



 先程とは比べものにならない規模と密度の魔法光線がアイヴィ=ミザリィの水砲を呑み込んで掻き消しながら進む。



 見た目上の違いは今までのフローラル・バスターとそれほどない。


 真ピンク色だった光線の表面に薄く白色の膜のようなものがかかり、桜の花びらのような色に見えるようになったくらいの違いだ。



 新たな魔法の光は弥堂も、彼を狙う針も、肉の顔も、全てを範囲に収めて呑みこむ。


 そして巨大な肉玉のボディに大きな風穴を空けた。



 拘束も足場も消え去って弥堂は宙に身を投げ出される。



「バカな……」



 地上から十数メートルほどの高さからの落下中だ。


 当然このまま地面まで落下すれば無事では済まない。


 どうリカバリーをするか、それを考えるべきだ。



 しかし、そんな考えて当然のことが、この時の弥堂の頭には少しも過ぎらなかった。



 水無瀬の魔法に触れた部分のゴミクズーの体組織は消滅している。


 なのに同じ魔法に触れた自分の身体には僅かな損傷すらない。



 同じ火に焼べられたのに、焼かれた者と焼かれなかった者がいる。



 そんなことがありえるのかと自失した。



 ガクッと何かに受け止められ、急に身体の落下が止まったことで弥堂は我にかえる。



 空中で水無瀬に抱き留められていた。



 いつのまに接近したのか。


 それに気付かなかったのは思考を手離していたせいだろう。



 自身よりも小さな身体の水無瀬に、物語の中の王子様がお姫様にするように、身体を横抱きにされている。


 そんな自分の無様さに屈辱を感じることもない。



 こいつは一体ナニモノだと。


 不可思議で圧倒的で理不尽な存在へ、その真実を覗き視ようと見開いた眼を向ける。



「えへへ……、弥堂くん、よかったぁ……」



 きっと怪物でも見るような目をしていただろう。


 そんな弥堂の感情や思惑に気づかず――或いはそんな小さきモノの気分など気にも留めていないのか――水無瀬は嬉しそうに笑った。



「助けるの遅くなっちゃってごめんね……、もう大丈夫だからね」



 まるで母親が子供に向けるように、庇護対象を安心させるように、柔らかな笑みを、言葉を、戦場において、弥堂へと向ける。



「お前いったい――」



「「「――ギィエェェェェェェッ!」」」



『――なんなんだ』と口にしそうになった、そんな馬鹿丸出しの問いは幾重にも重なった化け物の絶叫に掻き消された。



 水無瀬の魔法をくらって空けられた大きな風穴から捲れて裂けて、形状を保てなくなったのかゴミクズーは蠢いて暴れている。



 しかし、それで滅んでいくようには見えない。



 むしろさらにその巨体が肥大化していっている。



 体表に散りばめられていた無数の別人たちの顔がキノコのように躰から生えて頭になり伸びていく。



 先程まで見ていた肉の触手に生えた少女の頭と同じように、それぞれが思い思いに蠢き、それぞれが別々の怨み言を吠えている。


 まるでリソースか何かを奪い合っているように、キノコで謂えば柄にあたる触手部分が、ある者のモノがボコッと膨らめば他の人面の触手が瘦せ細り、かと思えば別の者の触手が肥大化すると今しがた肥えていた者のそれが痩せ細る。



 無数の人面全てが競合し争っているかのように口汚く罵りあっているように弥堂には視えた。



 やがて人面の内の一人が奪い合いに勝利したのか、他の人面たちの触手は枯れたように瘦せ衰えダラリと首を垂れた。



 勝ち残った人面が大きく吠えると、川に突き立った肉の根が激しく水を汲み上げた。



 みるみる川の水が減っていき、周囲の大地は乾いて罅割れて草花は枯れる。


 それに比例してゴミクズーの躰はさらに巨大化した。



 最早なんの形状なのかもわからない、ただただ巨大な肉の塊はギチギチと音を立てて絡まり合う。


 そして最終的に巨大な砲塔のようなカタチに為り、そのクチを弥堂と水無瀬へと向けた。



 弥堂は下へ眼を遣る。



 中美景川は完全に干上がっている。


 そこにあった水の全てがもはやアイヴィ=ミザリィとは呼べない巨大なゴミクズーに吸い取られ、そのエネルギーとされた。



 そしてその全てが恐らくあの砲塔から撃ち出されるのだろう。



 矮小な人間の弥堂にその威力を想像することは難しい。



 というか、意味がない。



 とても抗えるものではないからだ。



 しかし――




「――だいじょうぶ」




――彼女は違う。




 ゴミクズーの砲台――いや、砲台のゴミクズーの砲口に力が集まっていく。



「……ごめんね。私、びっくりしちゃって、混乱しちゃって……。恐がったりなんかしちゃだめなのに……」



 水無瀬は杖を向けず、穏やかな声音で労わるような慈しむような瞳で、優し気に語り掛ける。



「わかってたのに……。本当はずっと、最初から聴こえてたのに……。助けてって……、痛いって、苦しいって、それが聴こえたから、そう言ってくれてたから私はここに来れたのに……」



 それは水の塊なのか、魔力の塊なのか、定かではないが大きな力が砲弾となりゴミクズーに装填され大きくなり続ける。


 水無瀬はそれを目にしていても慌てることも、敵意を向けることもない。



「……そうだよね? ただお家に帰りたかったんだよね……? だいじょうぶ。その願い、私が叶えてあげるっ……!」



 ここでようやく水無瀬は動く。



amaアーマ i fioreフィオーレ!」



 水無瀬は左手で弥堂の身体を支えながら、右手に握った魔法のステッキを振った。



 すると、『世界』に彩が戻る。



 色が抜けモノクロになりかけていた空と風景に色取りが返っていき、干上がった川には水が湧いて流れ、痩せた大地は瑞々しく、枯れた草花は生き返り再び立ち上がった。



 それでは足りないとばかりに、ポンッポンッと音をたてながらまるで冗談のようにそこかしこに花が生まれ咲き乱れ、見渡す限りの花畑と為った。



「バカなっ⁉ 支配権を全部持ってかれた……っ⁉」



 驚愕に満ちたボラフの叫びが聴こえる。


 きっとそれが答えなのだろうが耳には入ってこなかった。




 水無瀬は魔法のステッキ――Blue Wishをゴミクズーへと向ける。


 そのステッキの先端に魔力の輝きが集束し光の球体となって収束していく。



 弥堂はゴミクズーの砲弾でもなく、水無瀬の魔法の力でもなく、ただ彼女自身を呆然と視ていた。


 彼女の胸元の青い宝石の装飾が眼に入る。




「どうしたらいいかわからなくって……、なにが『いいこと』なのかわかんなくって迷っちゃったけど。弥堂くんががんばってくれて、それで私少しだけわかった気がする。本当にがんばるってどういうことなのか……」



 宝石の中には種。


 日を経ながらその種は開き、芽が出て、今日つぼみと成った。



「……逃げちゃダメだった。でも戦いたくない。敵対したいわけじゃない……」



 水無瀬の魔法はその大きさも輝きもどんどんと強めていく。


 ゴミクズーの砲弾は水無瀬に『世界』を塗り替えられてからその力の増大は止まっていた。



 言葉どおり水無瀬の瞳に敵意はない。戦場の最中に在って圧倒的な力を以て、そこにあるのは慈愛と優しさ、それを表現したいという願い。



「……私はあなたを殺したりなんかしない。やっつけるんじゃなくって、救ってあげたい……っ! それが私の願いで、私の魔法……っ!」



 膨大な魔力が集約され強く光り輝く。


 ステッキの先端の魔法だけでなく水無瀬自身も溢れだしたピンク色の魔力を纏い、その光と輝きは弥堂をも包み込んだ。



 宝石の中のつぼみが動き僅かにほころぶ。




 男の蛮勇が戦場に血の花を咲かせ、その種子は少女の胸に宿り、そして今――勇気のつぼみが開いた。




 強いとは――強者とはなにか。



 それには三つの条件があると弥堂は言った。




 ひとつ、才能があること


 ふたつ、その才能を扱えること


 みっつ、それによって生まれる力を躊躇いなく行使できること



 仮に彼のあげたその三つの条件が正しいとして――




 弥堂 優輝という凡人には“一”も“二”も乏しく。


 ただ“三”に特化することによって才ある者たちに対抗してきた。



 水無瀬 愛苗は“一”と“二”に恵まれ。


 しかし“三”を出来ないが為に格下に後れをとる。



 それがここまでの出来事だった。



 しかし、その事実は願いによって塗り替わった。




 強者の条件――弥堂が“三”だけを徹底することで敵と『世界』を騙し、瞬間的に優劣を覆してきたように。



 水無瀬は“一”と“二”を突き抜けさせることで今、生殺与奪の権利を手に入れた。



 殺すモノと殺さないモノを選別する特権。



 これにより彼女は誰が相手であろうとその力を振るえるように為り、金輪際躊躇する必要はない。



 その結果、ここに全ての条件が満たされ、水無瀬 愛苗は――魔法少女ステラ・フィオーレはこの戦場における絶対的な強者として君臨した。



「ギィエェェェェェェッ!」



 彼我の差に堪りかねたのだろう、絶望にも似た叫びをあげ名も亡くなったゴミクズーは力を放つ。


 それは存在の全てを注ぎ込んだ一撃。


 これまでの水砲とは比べるべくもない強い一撃。



 だが――




Lacrymaラクリマ BASTAバスターーーーッ‼‼」




 それすらも上回る魔法が撃ち返される。



 二つの光線はぶつかり合うと僅かに拮抗することすらなく、水無瀬の魔法が凌駕した。



 その圧倒的な光の奔流は、何の障害すらなかったかのように突き進みゴミクズーの巨体をぶち抜く。



 巨大光線が貫通して一つ間を置き、ゴミクズーの躰が爆発四散した。



 何十メートルほどもあった大きな存在はその『魂の設計図』が解かれ、細かな光の粒子となり舞い散る花びらのように周囲を輝かせながら『世界』へと還っていった。



 あれだけの巨大な存在が跡形もない。



 もはや再生することはないだろう。




 キラキラと輝きに包まれながら彼女とともにゆっくりと降りていく。



 やがて川の水面に辿り着く。



 身長差の関係で弥堂の足が先に着くと、それでバランスを崩した彼女が転びそうになり、今度は弥堂が彼女の身体を支えてやる。


 水無瀬は照れ臭そうに「えへへ」笑いかけてきて、それから「ありがとう」と礼を言った。



 周囲を舞う桜のような光の欠片たちが彼女の笑顔を余計に輝かせているような気がした。



 光はまだ降り止まない。



 少しずつ周囲に溶けて消え、或いは水無瀬の元へと還っていく。



 こちらの顔を見上げながらニコニコとしている彼女に何か言うべきかと考えると、パチャっと水を鳴らし、近くに何かが落ちてきた。



「――あっ……⁉」



 弥堂の手から身体を離し、水無瀬がそれへ駆け寄っていく。



 しゃがみこんで掬い上げたその両手の上にあったのは革靴だ。


 女生徒用の右足のローファー。



 その靴はパラパラと解けて光の粒に変わっていく。



 やがて周囲を舞う光の粒子に混ざり、風に舞う桜の花びらのように、あるいは流され『世界』へ還り、そして或いは水無瀬の胸元の宝石の中へと吸い込まれていった。



 それを弥堂は視ていた。

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