1章40 『生徒会』⑦


 放課後の帰り道を踏む。



 生徒会室を辞した後、弥堂 優輝はそのまま学園を後にしていた。



 結局のところメイド長の――正確には生徒会長の言う『お願い』とやらに答える言葉は出てこなかった。



 思い出しても陰鬱な気分にしかならないが、思いついてしまえば勝手に記録の中から正確に想起させられる。





「――どうでしょうか? どうにかお力を貸しては頂けませんでしょうか?」



 ついひとつ前に読み上げた郭宮くるわみや会長の言葉では『出来れば』という言い方だった。


 それよりも少しだけ言葉が強くなったこの要請は、彼女の配下である御影理事長の本音が色濃く反映されたのだろう。



 答えを返さない弥堂に焦れたのかもしれない。



(無駄なことを)



 心中でそう独り言ち声には出さなかった。



 周囲に眼を遣れば、生徒会長は物憂げに目を伏せるだけで、“うきこ”は感心が無さそうにしており、“まきえ”は責めるようにこちらを睨んでいる。



 弥堂は嘆息をした。



「……頼みがあるんだが」



 そしてようやく口を開く。



 弥堂の言葉にいち早く反応したのは“まきえ”だった。



「こっちがお願いって言ってんのにそれ無視して自分の頼みを喋り出すとか、“ふーきいん”、テメェコミュニケーション能力ぶっ壊れてんじゃねーのか……?」



 静かにしているようにと命じられていたはずだが、あんまりな弥堂の態度に思わず口を挟んでしまったようだ。



「下がっていなさい、“まきえ”」



 案の定、上司であるメイド長の御影に注意をされ、彼女は悔しそうに口を噤んだ。



「『頼み』、ですか? なんでしょう?」



 御影としては自身の――ひいては主の要望を無碍にされたような恰好だが、何故か彼女の表情は憂いごとが晴れたかのようだ。快く弥堂の『頼みごと』の詳細を伺う。



「……部屋を一室貸して欲しい」


「部屋、ですか……?」



 しかし、その弥堂の要請には見当がついていなかったようで眉を寄せる。



「あぁ。そうだな……、部室棟の一階の空き部屋でいい。出来れば周囲の部屋も空き部屋になっていることが望ましいが条件に合う部屋はあるか?」


「どうせなら二階使えよ。テメェがガラス割った部屋があるだろ。どうせまた壊すんだからあれにしろよ」


「ちょっと何を言ってるのかわからないな」


「“まきえ”、控えなさい」



 その壊した部屋とやらの修繕担当は“うきこ”だったのだが、そういった作業が苦手な彼女ではロクな仕事が出来ず、結局は“まきえ”が後片付けをさせられたため彼女は不満を露わにした。


 なのにメイド長には自分が注意されるという理不尽な目にあい唇を尖らせた。



「……何に使用するか、お伺いしても……?」


「別に。大したことじゃない」



 真意を計る様に尋ねるメイド長に弥堂は軽く肩を竦めてみせ、心配するようなことではないと示唆した。



「ずっと使いたいというわけでもない。仮の物置として一時的に貸して欲しいだけだ」


「…………」



 控えめな弥堂の言葉にメイド長の警戒心は上がる。


 いつも横柄な態度をとる彼なら『うるさい。つべこべ抜かさずに寄こせ』くらいは言ってもおかしくはない。



 彼がこの学園に入学してから結構な回数結構な目に合わされてきた経験から、その彼が強い態度をとってこないことで逆に猜疑心を抱いてしまうようになってしまっていた。



 約一年間の出来事の積み重ねと苦い経験と弥堂の実績が、理事長である彼女をそうさせていた。


 ちなみに同級生の希咲さんは不憫にもたった数時間彼と行動を共にしただけで同じ境地に辿り着いてしまっていた。



「疑うな。お前らに不都合はさせない」


「……本当ですか?」


「ちょっと予想外に物が届きすぎてな。近いうちに使うつもりなんだが置き場に困っている」


「届き物……? まさか――今日の昼にトラックで何か運び込まれましたね? 随分と物々しい入れ物だったと聞きましたが……」


「あぁ、先日偶然医療関係者と知り合う機会があってな。意気投合して仲良くなったら先方が是非とも学園に寄付をしたいと、そう言って聞かなくてな。善意を無碍にするのも申し訳ないので受け取ることにしたんだ」


「…………っ」



『何故お前が勝手に学園への寄付を受け取るんだ』とツッコミたかったが他にもツッコミどころが多く、聡明なメイド長でも咄嗟には言葉が出てこなかった。



「……ちなみにどなたから?」


「それは言えない。そういう約束になっている」


「怪しすぎるんですけど⁉」



 早速不審な話になってきて思わず声を荒げた。



「あの……、何が届いたんですか……? まさかモルヒネやニトロとかじゃ……? そんな物を学園に持ち込まれては困りますよ?」


「勘弁してくれ。そんな物騒な物ではない」


「……本当ですか?」



 メイド長は不審な目を弥堂へ向ける。


『どうかお力を貸して下さい』などと言っていたが、彼女は割と弥堂を信用していなかった。



「あぁ、もちろんだ」


「……では何が届いたんです?」


「なに、ただの硫酸だ」


「硫酸っ⁉」



 信用をされないのには十分な理由があった。



 弥堂+硫酸。一気に事件性が高くなった組み合わせにメイド長の警戒心が跳ね上がる。



「なにを大袈裟な。硫酸くらい実験室にすでにあるだろう? 寄付品でそれを補充する。なにもおかしな話ではないだろう?」


「そう、ですが……、いや、待ってください。あの、先程『使う』と言いましたよね? 貴方が? 硫酸を? 何に?」


「もちろん、学園の風紀を守るためにだ。俺は忠実で優秀な風紀委員だからな」


「硫酸が必要になる風紀委員の活動なんて聞いたことがありませんけど……。あの、まさか人間にかけたりしませんよね……?」


「なにを馬鹿な」



 メイド長がつい思い浮かべた最悪の想像を恐る恐る尋ねると、弥堂はいかにも心外だといった態度をとった。しかしYESともNOとも明言はしない。



「あまり恐ろしいことを言わないでくれ」


「それは、すみません。まさか不良生徒にかけるつもりなのではと、貴方ならやりかねないとつい……」


「そんなわけがないだろう」


「そ、そうですよね……?」


「そんなことをしたら目立つ傷が残るだろ。それは三流の仕事だ。傷を残すのは身体ではなく精神にだ。その方が長期的には都合がよくなる」


「そういうことを真顔で言うから私も疑ってしまうんですよ……」



 結局疑いが晴れるような証言はとれず、メイド長は疲れたように溜め息をつく。



「それはお前の問題だ。俺には関係ない。そんなことより部屋を貸すのか貸さないのか、さっさと答えろ。ちなみに貸さなかった場合は安全性の保障されない場所で、誰でもいつでも持ち出せるような環境で、大量の硫酸が保管されることになる。決めるのはお前だ。当然責任もお前にある」


「あ、あなたって人は……っ」



 結局最終的に脅迫でゴリ押ししてきた生徒にメイド長は頭痛を堪えながら眉間を揉み解し、しばし考える。



 そして――



「――わかりました」


「いいのか」



 彼女は了承をした。



「白々しいですね。私どもとしてはその要求は呑むしかないじゃないですか」


「そんなことはないんじゃないか」


「そうしなければ交換条件として成立しないじゃないですか」


「なんのことだ」


「はぁ……、まぁ、そういうことにしておきます。部屋は“まきえ”に準備させます。職員室の方で鍵を受け取れるよう手配しておきましょう」


「それは助かる」



 諦めたように受け入れた彼女だったが、弥堂にジト目を向けてくる。



「念のため、確認ですが。倉庫にするだけ、ですよね? 人間を監禁したりしませんよね?」


「そんなことをする必要はないからな」


「本当ですね? 信じますよ?」


「あぁ。安心してくれ。倉庫に人間を仕舞わない。約束しよう」


(もうすぐ地下牢が出来るのにするわけがないだろう)



 弥堂なりに真摯な眼を彼女へ向けながら、そう心中で嘲った。



「ところどころ言い回しが引っ掛かりますが、とりあえず信じることにします」


「それは助かる。あぁ、ついでになんだが他の物を仕舞うのにも使うが構わんな? 生き物ではない」


「……何を?」


「超音波発生装置だ」


「ほらっ! 言った! 早速意味のわからないこと言った!」



 まるで想定をしていなかった物品の名前が出てきて、興奮したメイド長は弥堂を指差しながら叫ぶ。



「あの、本当に何に使うんですか? そんなもの」


「学園の敷地内に猫が這入りこんでいるようだからな。なぁなぁにしているようだが、被害が出ないうちに追い払う装置をしかけておく」


「それは……確かに……」



 弥堂を責め立てようとしていた彼女だったが、逆にバツの悪そうな顔をする。



「生徒たちが野良猫を餌付けしているのは知っていました。可哀想だからと見て見ぬふりをしていましたが、本来は我々が毅然と対応すべきことでしたね……」


「もっと可哀想なことをしなくて済むように適切に対応をするだけだ」


「……嫌なことをさせてしまってすみません」


「別に。仕事のうちだ」



 なんでもないことのように言い放つとメイド長はシュンと肩を縮めた。


 ふと生徒会長の方へ眼を遣ると、彼女は何故かクワッと目を見開いていた。



 その顔をジッと視るが、彼女が何を考えているのか弥堂にはわからなかった。



 やがて自分を見ている弥堂に気が付くと郭宮会長は再び目を伏せた。




「話はついた――そういうことでよろしいですね?」


「さぁ? 俺にはわからないが、お前がそう思うのならそういうことなんじゃないか?」


「では、そういうことにしておきます」



 機嫌よさそうに笑みを漏らすメイド長に弥堂は適当に肩を竦めてみせた。



(無駄なことを)



 今度の嘲りは自分自身へ向けたものだった――





――記録を切る。



 その後、今すぐに空き部屋を用意しろと急かして無理矢理鍵を受け取り、案内役として着いてきた“まきえ”に手伝わせ、硫酸の入った瓶がいくつも詰められた頑丈な木箱を運び込ませ自分の要求を叶えることには成功した。



 結局最後まで、彼女らの要求にはイエスともノーとも明確には答えを口にしなかった。




 チラリと視線を横に振る。



 学園を出て国道沿いを歩き旧住宅街を駅方面へ向かっている。



 思考をしている間に少し進んでおり、横目で視た河川沿いには先日希咲が帰宅するために渡っていった中美景新橋という名の橋が視える。



 弥堂は一瞬立ち止まり、その橋を鋭く睨みつけた。



 しかし、すぐにまた歩き出す。元々の進行方向へ。




(俺には関係ない)




 自分はスパイとして風紀委員になり、学園の生徒会や理事ともその活動の一環として関係を作っている。


 それ以前にも学園に編入する際に一つ関わりと呼べるような事件はあったのだが、それを加味したとしても個人的に彼女らに肩入れする理由にも、深入りする理由にもならない。



 出来ればあまり関わりたくないとも思っている。



 その理由となるのは、やはり彼女らからの要請に答えられないからだ。



 応えられない――ではなく、答えられない。



 NOと言いたいその答えを口に出せない。



 答えられない。




 命令も、要請も、願いも――



 それら総てを突っぱねたいと思っていても、ああいった境遇の身分の高い女の言うことをほぼ無条件に聞いてしまう。



 そのことに嫌悪感と憎しみが沸く。



 そしてその感情の向き先は郭宮 京子にはなく、以前の雇い主だ。



 あの女が弥堂をどうしようもなくこのように仕立てた。



 認めたくないその事実を何度も確認させられるため、弥堂は会長たちとはあまり関りになりたくないとそう考えているのである。



 無駄なことを――と嘲った。



 ただ一言、「やれ」と命じればいいだけのことを、いちいちこちらの顔色を窺いながら頼んでくることは無駄なことだ。


 それに反骨心を抱いて返答を遅らせることも無駄なことだ。


 もう会えない――この世界に存在しない女に殺意を抱くことも無駄なことだ。


 こうして考えても意味のないこと――考えても答えの出ないこと、答えの変わらないことを考えるのも無駄なことだ。


 だから考えないようにしたとしても、何かきっかけとなる出来事があってそれがトリガーとなれば記録は勝手に再生され、思考は勝手に廻るので、それすらも無駄なことだ。



 では、何も出来ないのかというとそうでもない。


 解決策は一つある。



 何も感じなければいい。



 痛み、苦しみ、怒り、憎しみ。


 それらは反射で沸き上がり身体が脳に情報を送ってくる。


 その総ての情報を受け取らずに無視すればいい。



 痛んでも、苦しんでも、それを見て見ぬ振りをして認めなければ怒ることもなく、だから憎む必要もなくなる。



 心なんていうものは存在しなく、ただ身体に発生した負荷や快楽を自分にとって望ましいかそうではないかと脳が処理するだけのことだ。


 だから自分などというものは何処にも存在しない。



 ただ、やると決めたこと、やれと言われたことを、やる。


 弥堂 優輝というのはただそれだけの装置であり、そうであればいい。



 それをする為に、それをした後に、身体にかかる負荷は無視すればいい。


 負荷がある状態が通常で、負荷があることが正常だと、そういうことにすれば何も問題はなくなる。



 そうやって自分を騙し、騙しきれば、他人も、『世界』だって騙しきることが出来る。


 出来ないが、出来る。そういうことにする。



 暗示にも似た嘘を自分に思い込ませることが出来たなら、きっと何でも出来るだろう。


 勇者となって世界だって救えるし、もしもこの世界に存在するのなら魔王だって殺せるだろう。


 あまりに荒唐無稽で馬鹿々々しい喩えで、今のところする必要もないが。




 目の前の交差点の信号が赤になり、弥堂は足を止める。



 これからの時間は、まずホームセンターに寄って害獣対策用の超音波発生装置を購入するつもりだ。


 その後は繁華街に赴き、寄り道をする生徒達を取り締まる予定になっている。



 風紀委員としての活動でもあり、弥堂の個人的な用も同時に熟せる都合のいい活動だ。


 そして『一般生徒や住人を守って欲しい』という郭宮生徒会長の命令にも沿えることになる。



 元から非常に効率のいい行動だ。



 ただ言うことを聞くのが気に食わないというだけで渋っていたが、本来は特に断る理由もなかった。


 わざわざ交換条件のようにこちらも要望を出して相手を事実誤認させたのも無駄なことだった。



 結局やることも変わらない。



 こちらの街へ外人街から新種の薬物が流れてくるのを防ぐ。


 その為に街を徘徊する美景台学園の生徒達に連中がコンタクト出来ないように、寄り道をする生徒を殴って街に居られないようにする。


 これはそのまま『一般生徒や住人を守って欲しい』という要望を叶えることに繋がる。



 既に全生徒に向けて放課後の寄り道を禁じる旨と、それを風紀委員会で取り締まるという旨は伝達されている。



 しかし、だからといって全ての生徒がそれだけで言うことを聞くわけがない。



 不良生徒たちは当然のことながら、一般生徒にもそれはいえるだろう。恐らく多くの生徒達が禁止とは言われてもそれほど重くは受け止めていない。


 きっとこれからの日々で様々な生徒を指導することになるだろう。




 例えば――ちょっと買い物をするだけならいいだろうと街へ足を伸ばした男子。



 例えば――ちょっとだけのつもりが思いの外カフェで話し込んでしまった女子。




 そして例えば――




――ちょっと街の平和を守ろうと、魔法少女として戦う女子。




 理由は出来た。




 信号が青に変わる前に弥堂は踵を返す。



 コッコッコッ――と淀みのない拍子で靴底でアスファルトを踏み、迷わずに目的の場所へと向かう。



 古い絵具のような乾いた黒い瞳。


 その視線が向く先は一つ。



 旧住宅街と新興住宅地を繋ぐために美景川に架けられた橋――




――中美景新橋だ。




 戦場へと向かうその道は、他のどんな道よりも帰り道だと、弥堂にはそう感じられた。


 その感慨を無視してただ左右の足を交互に動かす。

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