1章40 『生徒会』④

「お願いがあります」



 真っ直ぐに目を向けて澄ました声と表情でそう言ってきたメイド女の顔を弥堂は視る。



『お願い』という言葉を使ってはいるが、実際は命令のようなものだ。


 横柄な態度をとっている様には見えるが、その程度の分別は弥堂にもある。



 つまり、内容を聞いてしまったらそれを実行するしかなくなる。



 メイド長が――正確には郭宮会長が何を弥堂に命じるつもりなのかはわからないが、弥堂は自分にとって都合がよくないものであろうと予想している。


 明確な根拠などないただの勘だ。


 嫌な予感というやつである。



 弥堂の性格上そういったあやふやなものを当てにすることなど通常はないのだが、弥堂の人生がどうしようもないものになって以降はその勘が外れたことがなかったので、強い忌避感を感じていた。


 なのでこの数日ほど、彼女からの呼び出しをなんだかんだと惚けて応じないようにしていたのである。


 聞けば応じなければならなくなるなら命令をされる場を作らないようにすればいいという余り他人には共感されない弥堂なりの理屈である。



 そういうわけでメイド長の言う『お願い』とやらは聞きたくないというのが弥堂の心情である。



「……なんだ。言ってみろ」



 しかし、つい数秒前までちびっこメイドたちと『金を受け取るor受け取らない』と浅ましく言い合いをしていた妙齢の女が、そんなことは一切なかったかのように取り澄まして堂々と要求してくる様からそのメンタルは評価すべきかと考え、とりあえず聞くだけは聞いてやろうかという気になった。



 弥堂の返答を受けて御影は主である郭宮会長へ発言を譲りそっと目線を俯ける。


 自身のメイドのそんな仕草を受けた郭宮会長はコクリと一度頷くと弥堂をジッと見る。2秒ほどそうしてから会長もそっと目線を俯けた。



 そのまま暫く誰も喋らなくなり妙な沈黙が部屋に満ちる。



 その空気に居た堪れなくなった“まきえ”は横目で自身の相棒の様子を窺う。

 するとそれに気が付いた“うきこ”は周囲に悟られぬよう鼻で嘲笑ってから、何となく神妙そうに見える表情を作ってそっと目線を俯けた。



 強烈な孤独感に襲われた“まきえ”はオロオロと取り乱し、視線をキョロキョロと彷徨わせてから最終的に弥堂に縋るような瞳を向ける。

 他にもう誰もいなかったので仕方なくだ。



「……話とはなんだ」



 “まきえ”の視線を受けた弥堂は誰も喋らないので仕方なくもう一度問いかけてやった。



 平坦ながらも僅かに不機嫌な色が混じった弥堂の低い声音に郭宮会長は一度プルっと身を震わせると、無言でカタカタとキーボードを操作し始める。



 その後ろ姿に御影はジト目を向けていたが、やがて自身の手にするタブレット端末が着信を報せると嘆息し、画面を自分へ向けて内容を確認した。



「……今週、放課後は街へ見廻りに出られるそうですね」



 結局本題を切り出したのは御影メイド長だった。


 会長は物憂げな顔で目を伏せている。



「……それがどうした」



 答えると同時かそれよりも早く、カタカタと打鍵音が鳴る。


 弥堂が口を閉じてからほぼラグなくメイド長のタブレットが新しい通知を発した。



「……生徒達を、守って欲しいんです」


「…………」



 メイド長が読み上げた文章に弥堂は内心で舌を打った。



 言われたくないことを言われてしまった。


 聞きたくないこと――聞いてしまったら従わねばならないこと――を聞いてしまったからだ。



 こういったことを言われるだろうなと半ば予想はしていたが、実際にその通りになるとやはり都合が悪い。



「……元々その為に外に出るという報告が来ていないのか?」


「もちろん。そのように聞いています」



 カタカタという打鍵音を背景にメイド長が肯定する。今のは彼女自身の言葉だろう。



「……この頃、街で――もっと大きく言ってしまえばこの地で、よくない空気が蔓延しています」


「…………」


「それらの危険や災いから当学園の生徒達を、そしてもしも可能でしたら住民たちも守ってあげて欲しいと、そうお嬢様は望まれています」


「…………」



 なにを曖昧で抽象的なことをと――弥堂の性格上そのように苛立ちそうな要求だが、生憎彼女らの言っていることに心当たりが複数あったので、とりあえずは口を噤むことにした。



 問題は弥堂の持つ心当たりの内のどれのことを彼女らが問題視しているのかだ。



「もしかしたら、風紀委員会で対応するという名目で貴方が外で活動できるようにご自身で色々と手を回してくれたのではないですか?」


「さぁな」



 彼女らの言う災いとやらがもしも外人街の連中が新種の薬物の販路を拡げようとしていることを指すのだとしたら正解だ。


 だがそうではなく、もう一つの心当たりの方を示唆しているのだとしたら、その嫌な空気とやらに弥堂が気が付いていることを悟られるわけにはいかないので、どうともとれるような曖昧な言葉を返しておく。



 弥堂の返答が言葉少ないこともあって部屋の沈黙の重さが増したようにも感じられた。


 カタカタと無機質な打鍵音が鮮明に響く。



「……このままでは街中でよくないことが――いえ、もしかしたら既にいくつもそういった出来事が起きているかもしれません」


「…………」


「美景市は我々が守護する地。本来であれば私たちがするべきことなのですが……」



 キーボードを打つ音は鳴りやまない。


 故に、これらが誰の言葉なのかは明確だ。



「……なので、積極的に貴方にあちこち警邏をして全てを解決して廻れとは言えません。ですが、貴方の目に入る範囲で、手の届く範囲で、どうかお願いできないでしょうか」


「…………」



 弥堂は答えない。



 いつの間にか打鍵音は止み、郭宮 京子が真っ直ぐ弥堂を見つめていた。


 数秒ほど彼女と見つめ合うと、郭宮生徒会長はプルっと身を震わせ再びキーボードへ手を伸ばす。



 カタカタという音を聴きながら弥堂は彼女の顔を視続けた。



「……名ばかりの当主、書類の上での支配者、実態の伴わない守護者。それが私です。お恥ずかしいことですが、私にはその力が足りなく、また頼れる人も少ないです。どうか、お願いします」


「…………」



 今度は彼女は顔を俯けた。


 弥堂は答えない。



 だが、強烈な衝動が沸き上がってくる。



 それは苛立ちや怒りに近似した感情で、その現象に起因するものは憎しみだ。



 郭宮 京子くるわみや みやこ



 ルーツは京都の古い名家である郭宮家の本家の正当なる血統が保証された現当主。


 この美景市でかつては名主であった御影家を従え、現代においてもその名だけで影響力を持つ実質的な支配者。



 弥堂のその憎しみは彼女へのものではない。



 かつての雇用主へ向いた憎しみである。



 これまでどうしようもない最低な人生を歩み、幾人もの血液が混ざった血溜まりを踏みつけて生きてきた弥堂が、唯一明確に自分自身だけの情動で『殺したい』と願い、それを実現させようとして、そしてそれが出来なかった女だ。


 その殺意は弥堂 優輝という人間がこれまで生きてきた中で、本当に心の底から強く想ったたった一つの自分の願いかもしれない。



 その願いは叶わず、その女とも遠く離れもう二度と会えなくなってしまった今でも憎しみは乾いた泥のように身の裡にへばりつき、怒りは消えかけの炭火のように腹の奥で燻り続けている。



 その泥のような憎しみが何かの拍子に剥がれて火の上に落ちればそれが燃料となり、不意に炎となって蘇り燃え上がることがある。



 その炎の名が殺意だ。



 何かの拍子となりうるのは、その憎い女を思い出すことである。



 貴い血筋の若い女。


 若くして当主の責を負うことになった女。



 郭宮 京子とその女との共通点はそれだけである。



 たったそれだけの共通点で容易に殺意を抱く。



 危険な心の動作だという自覚はあるが、こういった現象が起きる条件が非常に限られているので特に治す気はない。


 ここ1年ほどでこういった対象になったのはわずかに二人だけだ。



 郭宮 京子と華蓮さんの二人だ。



 今のところ彼女らを殺害しなくて済んでいるし、今後もしも新たに出会った誰かをうっかり殺してしまったらその時にでも改めようと弥堂は考えていた。



 弥堂を地獄に引き摺り込んだ以前の雇い主と目の前の郭宮会長。



 この二人に共通するのは先程挙げた通り、貴き血の持ち主であり若い身空で一族・組織を率いることになったという点だ。


 その二点だけであり、その二点しかない。



 性格・人格といったものはまるで似ていなく、むしろ真逆であるかもしれない。



 気性穏やかで発想・思想も一般的な郭宮会長と、気性が荒く発想・思想が常軌を逸している以前の雇い主。



 あの女は人格が破綻していて何万人以上もの味方や敵を死に追いやり、弥堂自身も幾度も死地に追いやられ、あの女のせいで本当に何もかもを失ったが最終的に戦争には勝った。


 その点だけは事実である。



 心根は優しいが力のない君主と、頭はイカれているが成果はあげる君主。


 為政者としてどちらが優れているかは弥堂は考えないようにした。


 それはあの女を嫌うために認めたくないという、現実への認知を歪める無駄な抵抗である。



 そして郭宮会長からの実質命令であるお願い。



 それには弥堂は答えない。



 答えられないから答えないようにした。



 それもまた無駄な抵抗であるということは弥堂自身よくわかっていた。


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