序-09 『八面六臂の猫』
「はぁ!? 旅行!?」
終業後の廊下の喧騒の中で一際大きな声が上がる。
「そ。週末から10日間ね」
周囲の注目を集めてしまったことに内心で顔を顰めながら
放課後の二年生校舎の廊下にて、希咲はクラスメイトの友人二人と会っている。
午前の授業の合間の休み時間にC・D組の友人へ、放課後現在は同じB組のクラスメイトたちの中で、終業後すぐに学校を出てしまいそうな者達を廊下で捕まえていた。本人の言のとおり長期の旅行に出かける予定があり、その期間学校を休むことになるので、その報告を各友人たちに行っていた。
先に触れてメッセンジャーアプリのグループチャットなどで既にその旨を大半には知らせていたのだが、それだけでは“不足”しそうな一部の者たちにはこうして直接伝えに来ている。
何故こうした挨拶廻りのような真似をしているのかというと――
「えー、紅月くんも一緒でしょー? 10日もいないんだー」
このためである。
(知ってるくせに、白々しい)
あぁ、きた。と、希咲は顔に出さぬように嘆息する。
希咲にとっては小学校以来の幼馴染で、顔良し・スタイル良し・頭良し・運動神経良し・家柄良しと、世間一般で男性を評価する基礎的な各パラメーターが極めて高水準な上に、性格に関しては希咲からしてみるとどうにかして改善してほしい欠点ではあるものの、世間様からすればそれも加点要素となるらしくそこも極めて良しときたものだから、学年問わず、学園内外問わずに大変おモテになるイケメン様なのである。
このイケメン幼馴染様がまるで人気のアイドルやタレントのように持て囃されていて、信じ難いことに取り巻きのような女子グループやファンクラブのようなものまで存在しており、彼と行動をともにすることが多い希咲の立ち位置は一歩間違えればとても不穏なものに為り兼ねない。
「ガッコ休んで彼氏と旅行とかマジ羨ましいわぁ~」
そう。
希咲としては誠に遺憾なことに、件のイケメン幼馴染様と自分は付き合っていると勘違いをされていて、学園内外どころか身内を含む知り合いのその殆どにまで公然の事実として認識されてしまっているのである。おまけに――
「だから彼氏じゃないっての」
「でたよツンデレー。ウケる」
これである。
(どーしろってのよ……)
マジうけるーなどと言い合いながら乾いた声で笑い合う二人の友人の目は全く笑っておらず、うんざりするほどにこちらも笑えない。
困ったことに幼馴染の紅月との関係をいくら否定しても全てこのように『ツンデレ』として片付けられてしまうのだ。
それはなにも最近に始まったことではなく、彼と出会った小学生時代から学校や自分の家族だけでなく紅月や他の幼馴染の家族に至るまで、ずっとこのようにあしらわれてきてしまい、今では業腹なことに自分に対するテンプレ対応のようになっていた。
全くを以て事実無根な為に、当初の頃こそ声を大にして怒りを露わにして否定していたのだが、タチの悪いことにムキになって強く否定すればする程ツンデレ感が増すらしく、現在に至ってはもはや修正は不可能なレベルにまで達していた。
近頃では――というよりは中学の途中からは声を荒げて異を唱えるよりもむしろ別の深刻な問題が発生していて、それは高校に進学した今ではより顕著となってきており、現状では真実を強く訴えるよりもそちらへ気を配らなければならなくなってしまっていた。
その問題とは端的に言えば『嫉妬』である。
紅月 聖人がちょっと普通じゃ考えられないレベルでモテるものだから、彼に心酔する他の女生徒達の一部は誇張ではなく男性アイドルの過激なファンのようになっているのだ。
その紅月の彼女であると認識されている希咲としては対応の仕方を大きく間違えれば、無視や暴力行為に私物の盗難や破損など所謂 “いじめ”の被害に遭いかねない状況にまで追い込まれており、短絡的に強気な姿勢には出られなくなってしまっていた。
さらに事態を複雑にしているのが、紅月 聖人の彼女とされている人物が希咲 七海一人ではないということである。
全くを以て理解し難いことに現在紅月 聖人には希咲を含めて学園内だけでも最低四人の彼女がいることになっていて、さらにそれが周囲に普通に受け入れられているという気の触れた人間関係が形成されていた。
『紅月ハーレム』と呼称されるそれは、希咲 七海以外に同クラスにあと二人と紅月自身の妹を含めた四人で構成されていることになっている。
希咲にとって厄介なのは他のメンバーが少し頭の螺子が外れていることだった。
まず、同クラスにいる幼馴染でもある女生徒はパっと見は物静かな和風美人なのだが、中身は棒切れ一本片手に不良グループの溜まり場に単独でカチコミをかけるような修羅の者である。
もう一人の同クラスの女生徒は日本に留学に来ているとある小国の王族という触れ込みで、完璧な日本語で以て現実ではまず聞いたことのない高飛車お嬢様口調を駆使する金髪に翠玉色の瞳の白人系お姫様。
そして紅月 聖人とは正真正銘の血縁を日本国が保証した実の兄妹であるにも関わらず、兄を愛していると公言して憚らない頭のおかしい妹である。
紅月 聖人に熱を上げる他の女生徒達にとってはいくら妬ましいとは云え、彼自身の家族である妹や下手したら国際問題に発展する可能性のあるお姫様の不興を買う訳にはいかず、かといって『三度の飯よりも果し合いが好き』を体現するかの如く、格闘技系の男子部に異種格闘技戦を仕掛けにいくような危険人物に粉をかけることも出来ず、必然的に消去法で少し気性は荒くて口は悪いものの、ちゃんと常識と法令は遵守してくれる希咲にヘイトが集中するようになっていた。
希咲としては業腹ではあるが、下手に他のメンバーを刺激されると気が付いたらとんでもない事件に発展する可能性の方が高いので、そうなった時の事態の収拾や後始末に追われるくらいならば、現状のように自分をターゲットにしてくれていた方が助かってはいないけれども、それよりはいくらかはマシという悲しい受け入れ方をしていた。
この公認ハーレムとかいう如何わしいものが咎められないのも、他の女生徒達的にはたった一枠の超絶イケメンの彼女の座を狙うのは余りにも困難であると現実的に考えており、それならば、既に複数人いるのならばそこにもう一人二人増えたとしても構わんのだろう? という狂った理屈の上で、虎視眈々と『紅月ハーレム』入りを目論んでいる為である。
その為に裏ではそれぞれが利己的な思惑をたっぷりと孕みながらも、表向きは紅月 聖人の周囲はみんな仲良しという、妙な緊張状態の上でのバランスをどうにか保つ役割を希咲はずっと担い続けていた。
知らぬは中心人物であるはずの、鈍感系ハーレム主人公を地で行く紅月 聖人本人のみである。
他のハーレムメンバー()はともかくとして、希咲自身は紅月に恋愛感情を一切抱いていないので、本来であったらこのような問題自体に関わらなくてもよいというか正直な所で全力で関わりたくはないのだが、こういった恋愛関係以外にもこの幼馴染達があちこちでトラブルを起こしたり、『正義の味方くん』の紅月 聖人が自分から他所のトラブルに首を突っ込んでいったりするその途中で、もしくは最終的に事態を収める為にと、昔から巻き込まれ続けていった結果、現在では完全にトラブルシューターとして希咲 七海は立ち位置を固定されてしまっていた。
彼女自身は決してそれをよしとしているわけではないのだが、何だかんだあっても幼少からずっと共に過ごしてきている友人達ではあるので、惰性的な情は切ることは出来ずに今でもそれを続けてしまっていた。
それに、彼らのことを抜きにしたとしても、現在ではこの『紅月ハーレム』の管理をやめるわけにはいかない大きな理由がある。
その理由とは――自身の親友であると自他ともに認める
他の畏怖されているハーレムメンバーに加え、自分まで他の紅月ファン達に対して無双ムーブをかましてアンタッチャブルな存在となってしまえば、自身の一番の親友である水無瀬に腹いせ等で飛び火してしまう可能性もある。
それだけは絶対にダメだ。
その為、希咲としては他の女生徒達にナメきられない程度には弱みも見せて、自分自身を防波堤とするように維持し続けることを余儀なくされていた。
もしも。もしも万が一だ。
大事な大事な愛苗が、このイケメンへの色に狂った
もちろんその時にはこの世に生まれてきたことを最大限に後悔する程の地獄を見せてやる所存ではあるが、当然そんな時が絶対に来ないように日々を慎重に確実に過ごしていく必要がある。特に――
チラリと、目の前で談笑している如何にもギャルですと言わんばかりの見た目をした二匹のメス猿に目を向ける。
私遊んでます。遊びたいですという気持ちを隠そうともしない男の気を引くことに特化した派手な髪色に制服の着崩し。なんなんだ、その短いスカートは? そんなにはしたなく太ももを衆目に曝け出して恥ずかしくはないのか? と中年オヤジの難癖めいた謎の怒りを視線に込める。
ちなみに他の知らない人間から見たら希咲 七海もこの友人のギャル二人と概ね同じカテゴリとなる。
「な、七海? なんか眼がこわいんだけど……」
希咲の険しい視線を察した友人が声をかけるのにも気付かずに思案に耽る。
問題はこの二人の交友関係だ。
このギャルどもとよく連んでいる男連中のガラが悪いことが気がかりだ。
廃部になった格闘技系の部活に所属していた者たちのようで、部活がなくなって時間とエネルギーを持て余し、不純な異性交遊や非行に走って学園内や街で迷惑行為を働いており、この少女達もそれに同行していることが多い。
(ていうか、この学園おかしいのよ)
去年から無駄に豊富にあった格闘技系の部活が次々と廃部になっており、中途半端に腕に覚えが出来てしまった生徒たちが行き場を失くして続々と不良化し、校内各所でケンカやカツアゲなどの行為が日常茶飯事に行われているのである。
そしてそれを取り締まる風紀委員会や学園警備部とさらに揉め事を起こし、美景台学園は日を追うごとに無法地帯へとなっていっているような気がするのだ。
それに対して盛大に文句を言いたい所ではあるが、その廃部になった部のいくつかは希咲の幼馴染である剣術バカの戦闘狂女のせいでもあるので、むしろその事実を揉み消す側に回らざるを得なかったりしたことに割と切実に泣きたくなってくる。
もちろんそんな連中が相手でも、もしも水無瀬 愛苗に危害を加えるようなことがあれば、格闘技経験のある複数人の不良男子だろうが関係なく地獄は見せてやるのだが、そんなことが起きてしまえばもうその時点で手遅れである。それならばいっそ――
(――こっちから出向いて行って事が起きる前に最初に地獄を見せておくべきかしら……)
「――七海っ、七海って! おい!」
「ん?」
過激な思想に染まりきる前に自分が呼ばれていることに気が付く。
「ちょっと……やばいよ……弥堂みたいな眼になってるって!」
「失礼ね。あんな死んだ虫みたいな眼と一緒にしないでよ」
「い、いや、そこまでは言ってないけど……」
「お前普段そんなこと思ってるのか?」
希咲のあんまりな弥堂の眼の評価に友人二人組が引く。何故こいつらに引かれねばならないのかと室内シューズのつま先で床をぐりぐりして希咲は不満を顕わにした。
(ま、あたしがこの子達と『上手く』やってれば問題ないわよね)
危うく思考が明後日の方向性に向かいそうになったが、そう思い直してこの二人との会話を締めに入る。
「じゃ、樹里も香奈もそういうことなんでお土産待っててね。てか、あたしだけじゃなくて
「はいはい、紅月ハーレムねー」
「ハーレムじゃねぇっての。てか蛮もいるのにハーレムはおかしいでしょうよ」
「蛭子って停学中だろ? 旅行とか行ってていいのかよ」
幼馴染達の中には
「許可はちゃんととってるわ。問題なしよ」
「えー、蛭子くんもう戻れるんだぁ。うちの男衆がまた手貸して欲しいとか言ってたから伝えといてよー」
「せっかく停学解けたのにまたケンカなんかさせないっての。今回はダメよ」
蛭子は典型的なヤンキー君で他の幼馴染の例に漏れず希咲に多大な心労をかける存在であった。
「てかさ、学園最強の不良と風紀の狂犬が同じクラスとか、うちらのクラス大丈夫かよ? マジうけるわ」
「……やめてよ……せめてあと10日はそのこと考えなくて済むんだから……あいつら席が前後で並んでるとか……先生たちも何考えてクラス替え決めたのよ……」
思わず真顔になってしまった希咲に友人達はまた「マジうけるー」と笑い合う。ちなみに風紀の狂犬とはもちろん弥堂 優輝のことである。
「んじゃ、これから先輩んとこにも挨拶しなきゃだから、あたしもう行くわ。またね」
「おー。んじゃな七海ー」
「またうちらとも遊ぼうねー」
適当に「はいはい」と答えにならない返事を友人達に返しながらその場を暇し、三年生校舎へと向かうため希咲は昇降口へと歩き出した。
今日はこれから部活前の先輩たちの元へ、明日は放課後までに同じ2年生のA組と放課後は今日回り切れなかった先輩たちにご機嫌伺いだ。
背筋を伸ばして綺麗な歩調で歩いていた希咲は、昇降口棟二階通路の中間辺りまで進んだところで突如ガクッと肩を落として立ち止まる。そのまま重い足取りで窓際に寄ると壁に肩を預け、ハァと大きく溜め息を吐いた。
(あーもうやだ……ほんとサイテー……)
必要なことで出来ることをしているとはいえ、もう何年も続く人間関係の管理に希咲は疲れを感じていた。
中学まではまだ幼馴染グループで全員一緒に行動していることが多かったので、見える範囲にだけ気を配っていればそうは酷いことにはならなかったが、高校に入学してからはそれぞれが単独で行動することも増えて、それに比例してトラブル件数も増えていった。
特に去年の夏休みに強制的に連れていかれた “ちょっと長め”の『旅行』以降は、新たにあの生意気なお姫様もメンバーに加わりさらに拍車がかかった。
さすがにそろそろ手に負えないだろうと諦めかけてから半年が過ぎ、しかしそれでも、なまじ希咲自身の能力が高いこともありどうにかこうにかここまで何とかなってきてしまった。
完全に破綻してしまえばいっそ開きなおってしまえるのだが、綱渡りでもどうにかやっていけているうちはそれを維持したくなってしまう。
特にこの新学期からは水無瀬とも同じクラスになって行動を共にすることが以前より多くなり、自分と近しい関係にあるということはきっと多くに知られてしまった。前述のとおり彼女に危害が加わる可能性がある以上はもはや下りるという選択肢は消失した。
それ故必ずやり遂げなければならないし、またその自信もある。
何よりこれまでに、西に東にと目を光らせ気を配り、北に近ければ南に遠い面倒な厄介ごとを南船北馬東奔西走し、そしてその全てを撃墜してきた実績もある。
だがその為に四方八方で時には心にもない言葉で言い繕い猫を被り、それが結果的には八面六臂の活躍となっているとはいえ――
(これじゃただの八方美人よね……)
ハァ、とまた大きく溜め息を吐く。何となく気分と空気を入れ換えたくなって窓を開けるとその窓枠に浅く腰を預ける。
(とはいえ、見えないフリするのもできないしね……)
幼馴染達に文句を言いながらも結局は面倒を見てしまうのも、親友に庇護欲を感じてしまうのも総ては自分自身の性分だ。これは自分という人間からは切っても切り離せない。
定期的に自己嫌悪し同じ悩みをループさせることになったとしても、結局は開き直ってやるしかないのだ。
(あーあ……あたしもめんどくさい女になったなぁ……)
そう自嘲し背を反らして窓から頭を出して空を見上げると背後から優しい春の風が吹き込む。柔らかな風に身を任せると少しだけ慰められているような気持ちがした。
その緩い風が一片の桜の花びらを室内へ運び込む。
春の空と人工物との境界で、その花びらは身の置き所を探すように宙をひらりくるりと彷徨い、希咲の元へと舞い落ちてくる。
なんとなく寄る辺になってあげようと手のひらを上に向け受け止めようとした時、少しだけ強い風が吹いた。
窓枠に座る自分を追い抜いていくかのように幾つもの花びらが通り過ぎていく。受け止めようとしていた最初の花びらはその同胞たちの雑踏の中に紛れてしまい、廊下の先へと風によって運ばれていく。
捕まえようと取り縋るように伸ばした手を腕をなぞるようにして、次々と花びらが自分を追い抜いていく。
反射的に立ち上がり、これ以上はもう何も奪わせまいと後ろ手に窓を閉める。
焦燥感に駆られ花びらの逃げて行った先に目を向けると――
「うげっ⁉」
どこか幻想的な光景の中での喪失感が一瞬で喪失させられた。
床一面に花びらが散らかってしまっていたからである。そういえばこの時期はここの通路の窓は開放厳禁になっていて、その理由はこの目の前の光景を見れば言うまでもない。
これは間違いなく窓を開け放った希咲の過失であった。
三度、肩を落として溜め息を吐くと、ここから一番近い清掃用具の置き場を記憶の中から探る。俯きながら苦笑いを浮かべてしまう。
つい一瞬前まで悲哀的な心象ではあるもののロマンティックな舞台に出演していたのにも関わらず、汚れた床を早く片付けなければと、瞬時に現実的な思考に切り替わる自分自身の淡泊さに辟易する。
バッと顔を上げるとその勢いのままに希咲は歩き出した。予定は詰まっているのだ。さっさとここを掃除してしまわねば。
また同じ思考をループさせたところで意味など何もない。だから――
――だから。 床に倒れ伏した、何か大切なもののように感じたそれらを、今から自分の手で捨ててしまわなければならないことに、希咲 七海は気が付かないフリをした。
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