16  校長はお見通し

「 ―― それでアラン、どうしたの? まさかあきらめてないよね? あ、片思い?」

 すっかりジュライモニアはアランの話に夢中のようだ。


「うん、諦めの悪い僕はそう簡単に思い切れない。でも、面と向かって告白なんかできない。だけどいろいろあって、結局、僕の思いは彼女に知られ、彼女も僕を好きになって」

「なんだ、片思いじゃじゃない」


「お互いに相手の気持ちを確認した訳じゃない。でも、判ってしまう。僕は彼女が好きで、彼女は僕を待っている ―― だけどそうなると僕は怖気おじけづいた。僕はどれくらい生きられるんだろう? 彼女を泣かせることにならないか?」

「……」

「それが怖くて僕は彼女から逃げた」


「あ……でもアラン、月の加護であなた、丈夫になったんじゃ?」

「ビルセゼルトは僕に加護を与えたジゼェーラが生きている限り、少なくとも体力不足で命を落とすことはないだろうって言った」

「だったら、なにも気にすることないじゃない。だいたい、みんないつか死ぬし」


「 ―― それに僕は目が見えなくなった」

「さっきわたしが、一に才能、二に見た目って言った時、内心笑ったでしょう? 一番は愛情だって思ったんじゃないの?」


「……キミは昨日、この学校の庭を花で飾った」

「うん」

「花の香りは普通に判る。花の形も色も大きさも、どこに咲いているのかも判る。でも、それだけなんだ。見えているわけじゃないんだ。なんだ」


「え……?」

「キミは今朝、学校をシャボンだらけにした。僕にはそれが判らなかった。幻術だったから、検知できなかった。ないものを感知するのは無理だ。みんなが騒いでいるのに、僕は蚊帳かやの外だった。もし幻術で攻撃されたら、と思ったら背筋が凍った。仲間は危険にさらされているのに、僕には何が起きているが判らない。助けようがない」

「……」


「誰かが花火を見て、綺麗だと言った。火花が色とりどりに広がっていくのは判った。でも途中で判らなくなる。火が消えたのか、それとも火花が小さくなりすぎて、僕には検知できなくなったのか。どちらにしたって僕には美しさが判らない」


 ほほを温かい何かが流れ落ちるのをアランは感じる。自分でも予測していなかった。なぜ涙が流れているんだろう? 僕が泣くわけないのに。泣く理由なんかないのに。


「僕には星を見る事もできない、虹も見えない、美しい物だけでなく、何も見えない、彼女の笑顔ももう見えない」


 なぜ僕は泣いている? 目が見えないことはそんなに辛いことだったか? なぜ、よくも知らないジュライモニアの前で、涙を流した? 僕はそんなに弱かったのか?


「僕の目は、一瞬で見えなくなったわけじゃない。だんだん暗くなって最後には闇に閉ざされた。そうなるまで五日だ。目が見えなくなると判ってすぐ、まだ僕の目が光りを失う前、彼女は僕に会いに来た ―― その日、何かと冗談を言って彼女はやたらと笑っていた。僕も彼女と一緒に笑った。彼女の笑顔を忘れるまい、僕は彼女を見詰めていた。彼女も僕を見詰めてくれた」

「……」


「でも、もう見る事ができないんだ。焼き付けたはずの彼女の笑顔……不思議なことに夢は以前と変わらず見える。夢でいいから彼女の笑顔が見たい ―― でも、夢に彼女は出てきてくれない。子どものころの夢を見た時だけだ。四歳の時の彼女の泣き顔、トカゲは死なないと知った時の輝くような笑顔。僕にはそれしかないんだ。今の彼女を見たい。明日の彼女を見たい。五年後、十年後、でも、それはもう、夢でさえ見れない」

「アラン……」


 ジュライモニアが自分に近づくのが判る。そして自分の頭をその腕に包み込むのが判る。

「泣かないで、アラン……」

「これで判っただろう? 恋なんて、僕には辛いだけだ。思いが通じていれば猶更なおさら辛いだけだ」

ジュライモニアの腕を解いてアランが言う。


「僕は、この目の事がなくてもキミには答えられない。それに、花畑もシャボンも花火も、キミには悪いが迷惑でしかなかった。だいたい、この魔導士学校に、キミは許可なく入ってきている」

「うん……」

「父上に知られたら、怒られるんじゃないのかい?」

 少しだけアランが笑顔を浮かべてジュライモニアに問う。ハッとジュライモニアがたじろぐ。


「やっぱり内緒でここに来ているんだね? 自分の立場を考えなきゃいけないよ。父上や母上の立場を悪くしちゃいけない。早くお帰り。きっと心配しているよ」


 不満気なジュライモニアが再び椅子に座る。

「判った、でも、その前に何か飲み物をちょうだい。さっき、大声で泣いたから、が乾いたわ。いっぱい涙を流したから、余計に乾いてるわ」

 

 咽喉が乾くほどの涙の量って、どれくらいなんだろう? 自分の涙をこっそりぬぐいながらアランが微笑む。


「レモンティーなら用意できるよ」

「チョコレートがいいわ」

「チョコレートか……あい――」

あいにく用意できそうもない、そう言おうとしたアランが途中で言葉を止める。テーブルの上に湯気を立てるチョコレートとハニーレモンが現れたのを感知したからだ。


(……誰の仕業?)

 そう思いながら問うまでもない、とアランは思う。校長だ、ビルセゼルトだ。僕が掛けた結界なんか簡単にすり抜けて、この部屋をのぞいていたんだ。


 羞恥で顔が熱くなるのを感じる。消灯時間がとっくに過ぎた男子寮の部屋、女の子と二人きり、そして泣きだしてしまった僕 ――


「美味しい……」

 ジュライモニアは満足そうにチョコレートを飲んでいる。


 アランもカップに手を伸ばす。爽やかなレモンの香りが鼻をくすぐる。ハチミツの甘さが口の中に染み渡る。ビルセゼルトがなぜ自分にハニーレモンを寄越したのか、なんとなくわかる気がした。


 チョコレートを飲み終わったジュライモニアが立ち上がった。

「それじゃ、帰るわ」

「うん。どうやって帰るんだい?」

「蝶々になって王家の森の外に出る。そこからは移動術を使うわ」

「蝶々じゃ結界の対象外ってことだね。小鳥や虫は行き来自由だ」

「うん」


 すぐに消えるかと思ったジュライモニアが自分を見詰めているのをアランが感じる。

「……あのね、アラン」

「まだ何か?」

「あなた、目が見えなくなるって知った時、どう思った?」

「ん……命を永らえる代償だった。仕方ないなって思った」


「悲しくなかったの?」

「どうだろう……そんなこと考えてもみなかった。目に変わるものを手に入れなくちゃって必死だったし」

「そっか……」

 それでもまだ、ジュライモニアはそこに立っている。


「わたし、思ったんだけどね。アラン、あなた、目が見えなくなるってことが、辛くって悲しかったんだと思うよ。それを我慢してたんじゃない? 悲しい時は泣かなきゃダメなんだよ。泣かないと悲しいって気持ちがいつまでも消えない ―― それにね」

「……」

「美しいものを一緒に見たい、相手の顔が見たい、その気持ちもよく判る。でも、それ以上に、嬉しい気持ちや悲しい気持ち、楽しいとか、寂しいとか、辛いとか、気持ちが分かち合えるなら、きっと幸せを感じられると思う。相手もあなたも。そんな気持ちは見えない分をおぎなってあまりあるものだと思う。それが愛なんじゃないかと思うよ。よく判んないけどね ―― それじゃ、またね。ずっと先になると思うけど」


 ジュライモニアの姿が消えて、一頭の蝶が窓の外へと舞うように飛んで行く。


 暫くそのまま動かずにいたアランだが、大きく溜息を吐いてから、窓を締めに立ち上がる。


 窓辺で夜の気配を探る。やはり星のきらめきには届かない。今の時期ならこの方向、あのあたりにひときわ輝く星がいるはずだ。知識が余計にアランをさいなむ。


 振り向くと、テーブルの様子が変わっている。チョコレートのカップが消えて、代わりに一葉の紙片がある。どうも何かが書かれている。


『明日の講義は全休することを命じる。しっかり休んで、2日後のさくそなえよ ―― 校長ビルセゼルト』


 ハニーレモンを飲み干すと、どさりとベッドに横たわった。いろいろ考えたかったが、今はよしておこうと思った。どうせ、いい事は何も思い浮かばない。アランは静かに目を閉じた。

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