6 若者は幻術に惑う
アランの予測に反して、次の異変が現れたのは翌日だった。
(アラン! 起きてアラン!)
(……おはよう、シャーン。どうせ起こしてくれるなら、もっと優しくしてよ。じゃ、オヤスミ ――)
寝起きでつい、いつもの軽口が出てしまったアランだ。
(もう……アラン、お願いだから起きて)
ふぅ、とアランが
(うん……で、マメルリハちゃん、こんな朝っぱらから何のご用?)
マメルリハは、おしゃべりオウムの会でのシャーンのニックネームだ。
(アラン、お願い、真面目に聞いて)
ふぅ、と軽く、再びアランが溜息を吐く
(何だって言うんだい?)
(窓の外を見て欲しいの)
(窓の外?)
(
(泡だらけ?)
思わずアランが意識を建物の外に向ける。
(シャボンみたいな泡に一面
(例の花畑?)
(ううん、舗道にも)
(ちょっと待って……)
ベッドの上に起き上がり、もう一度、外に意識を向ける ―― 何も感じない。いつも通りの植栽に、枝で小鳥が
「カトリス!」
寮長を呼ぶ。グリンは多分、まだ寝ている。きっと、送言術ではグリンは起きなかった。だからシャーンは兄ではなく僕に言葉を送ってきた。つまり今のグリンは当てにならない。
「アラン、呼んだか?」
少し向こうのドアが開く音がして、カトリスの声が聞こえた。
「シャーンが朝っぱらから送言してきて、外が泡だらけだって騒いでる。寝ぼけてるのかもしれないけど、カトリス、ちょっと確認してくれないか? 探ったけど、僕には何も感じられなくて……」
「うん?」
カトリスがいったん自分の部屋に引っ込む、そしてすぐさま慌てて部屋から出てくる。
「アラン、大変だ! 確かに外はシャボンの世界だ!」
そう言うと、談話室にすっ飛んで行った。
ふぅん……自分の前を大急ぎで通り過ぎたカトリスを感じ、アランが首を
「まっ、仕方ないか」
すぐに気を取り直したアランはグリンの部屋のドアを
「
中からドスンと重たいものが落ちる音がして、クスリとアランが笑う。グリンのヤツ、ベッドから落ちたな ―― そのままアランも談話室に向かった。
談話室ではカトリスが部屋から出てきた寮生たちに、校長の指示が出るまで自室にいるよう大声を出している。気の早いヤツはじきに始まる朝食が待ちきれず、そろそろ食堂に向かう頃だ。
「あぁ、アラン。ありゃあなんだ?」
カトリスが情けない声で言う。
「フン、僕に判るものか。何も感じなかった」
「えぇ?」
そこに寝間着のままグリンが出てくる。
「シャーンは泣いてなかったぞ」
とポツリと言う。送言して確認したのだろう。
「だが、窓の外を僕も見た。毒性はなさそうだけど、触れないに越したことはなさそうだね。ビルセゼルトの指示はまだ出ない?」
「あーーー、自室に戻って、全員が談話室じゃ、身動き取れなくなるっ!」
カトリスは、次々に談話室に出てくる学生を自室に戻すのに忙しい。
「グリン、おまえはちゃんと着替えてこい、寝間着で談話室は禁止だって忘れた?」
あれ、着替えるの忘れてた……どうやらグリンはまだちゃんと目覚めていないようだ。
(アラン、なにか判った?)
再びアランの頭の中にシャーンの声が響く。
(……すまないね、なにも判らない。いつも言っているだろう、僕は頼りにならない男だってね)
(嘘つき。誰よりも頼りになるのはアランよ)
(シャーン ―― キミはときどき、僕の目が見えないことを忘れていないか?)
送言の中に、シャーンが息を飲むのを感じた。謝るなよ、心の中でアランが願う。キミが僕に謝れば、僕はもっと惨めになる。
(ビルセゼルトは気付いたかしら?)
アランの願いが届いたわけではないだろうが、シャーンが謝罪を口にすることはなかった。
(気が付いていなかったとしても、グリンが目覚めた。きっとグリンが報告する)
(グリンはビルセゼルトと送言するようになっているの?)
(ビルセゼルトが役に立ちそうな学生を放っておくはずがない)
(あくまで校長と学生なのね……)
(それでも明らかな進歩だ。無視と反発しかしなかったグリンがビルセゼルトを受け入れているのだから)
(……そうね)
グリンは自分の母を捨てたビルセゼルトを長い間、許していなかった。王家の森魔導士学校に入学してからもそれは変わらず、ことごとく校長に反発した。それが半年前の事件がきっかけで氷解し始めている。だが、まだ打ち解けるとまでは行っていない。
『教職員及び学生諸君!』
不意にビルセゼルトの声が、校内に響き渡った。満声術を使ったのだろう。
『校長のビルセゼルトだ ―― 我が校敷地内に出現した『泡』について告知する』
校内が静まり返り、ビルセゼルトの言葉を聞き漏らすまいと、みなが緊張するのを感じる。談話室の騒ぎも納まり、カトリスも怒鳴るのを止めた。
『賢明な諸君の中には気づいた者もいるかもしれない。あの泡は幻影だ』
え? とアランが思う。
『念のため精査したが、毒性も隠された魔導術もなかった。従って触れても何の問題もない。正しくは触れる事は叶わない。さらに大気、大地も調べたが、少なくとも我が校内には何の問題もなかった』
ここでビルセゼルトが言葉を切った。
『本日の講義は予定通り。喫茶室の利用も再開する。幻術を体感する良い機会ととらえ、幻術は消さずこのまま捨て置く。各自、
カトリスに自室へ戻されていた学生たちが、ぞろぞろと談話室に戻り、そして談話室から出て行く。危険がないと判れば、怖がるよりも面白がる者のほうが多い。中には『気持ち悪い』と囁く声もあるが、たいてい女の子だ。
「アラン、行こう」
談話室の片隅に立ち尽くしていたアランに声を掛けたのは、着替えてきたグリンだ。
「いや……僕はもう少し眠るよ。三限目までプログラムを入れていない」
「寝不足なのか? 顔色がよくない。食事は? 腹減ってないのか? 食堂から何かくすねてこようか?」
「ううん、いらない。食欲ないや。後で喫茶室にでも行くよ」
喫茶室では朝食後から夕食前まで、余分があれば朝食と同じメニューを出してくれる。
「そっか……それじゃ、行くね」
疑いもせずグリンは談話室を抜け、カトリスと一緒に出て行った。
自室に戻ったアランは、窓を開け、外気を深く吸い込んだ。アランの部屋の窓は、各棟に通じる舗道には面していない。そこにあるのは植栽と、その向こうに広がる王家の森だけだ。
(僕は、何も感じなかった)
それはアランが張り巡らせた感覚が正しかったという事だ。何もないのだから検知できなくて
(幻術に惑わされない代わり、幻術に惑わされた仲間を助ける事もできないんじゃないか?)
アランの悩みは尽きる事がなさそうだ。
「判ってるよ、ちょっと待って……」
アランの言葉で宙に二つの袋が現れる。一つは飼料が入った袋、もう一つは捨てる飼料を入れる袋だ。二つの袋はフラフラと宙を移動し、インコたちの餌入れの中身を受け入れ、新たな飼料で満たしていく。
そのさなかに
さらに現れた
するとそれを待っていたかのように
『アイシテルヨ、アイシテルヨ』
今日もインコがアランに囁く。アランはそっとインコの頬を撫でる。そして
「もう遅いんだってば……マメルリハちゃん ――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます