6  若者は幻術に惑う

 アランの予測に反して、次の異変が現れたのは翌日だった。

(アラン! 起きてアラン!)

微睡まどろみの中、シャーンの叫び声が頭に響く。

(……おはよう、シャーン。どうせ起こしてくれるなら、もっと優しくしてよ。じゃ、オヤスミ ――)

寝起きでつい、いつもの軽口が出てしまったアランだ。


(もう……アラン、お願いだから起きて)

 ふぅ、とアランが溜息ためいきく。一瞬、夢に引き込まれ、現れたのは四歳の頃のシャーンの笑顔だ。それが次には『アラン、お願い』と泣く。泣かせてしまった、とびっくりして目が覚めてしまった。なんで夢だけは、視力を失う前と変わらず見えるのだろう?


(うん……で、マメルリハちゃん、こんな朝っぱらから何のご用?)

 マメルリハは、おしゃべりオウムの会でのシャーンのニックネームだ。

(アラン、お願い、真面目に聞いて)


 ふぅ、と軽く、再びアランが溜息を吐く

(何だって言うんだい?)

(窓の外を見て欲しいの)

(窓の外?)

白金しろがね寮の周囲は泡だらけなのよ)

(泡だらけ?)

思わずアランが意識を建物の外に向ける。


(シャボンみたいな泡に一面 おおわれているの)

(例の花畑?)

(ううん、舗道にも)

(ちょっと待って……)

ベッドの上に起き上がり、もう一度、外に意識を向ける ―― 何も感じない。いつも通りの植栽に、枝で小鳥がさえずっているのは判る。微風そよかぜが吹いて、その枝を揺らすのも感じる。立ち上がって、山積みされた本にぶつからないように、部屋の外に出た。


「カトリス!」

 寮長を呼ぶ。グリンは多分、まだ寝ている。きっと、送言術ではグリンは起きなかった。だからシャーンは兄ではなく僕に言葉を送ってきた。つまり今のグリンは当てにならない。

「アラン、呼んだか?」

少し向こうのドアが開く音がして、カトリスの声が聞こえた。


「シャーンが朝っぱらから送言してきて、外が泡だらけだって騒いでる。寝ぼけてるのかもしれないけど、カトリス、ちょっと確認してくれないか? 探ったけど、僕には何も感じられなくて……」

「うん?」

カトリスがいったん自分の部屋に引っ込む、そしてすぐさま慌てて部屋から出てくる。

「アラン、大変だ! 確かに外はシャボンの世界だ!」

そう言うと、談話室にすっ飛んで行った。


 ふぅん……自分の前を大急ぎで通り過ぎたカトリスを感じ、アランが首をひねる。僕は何も感じなかった――


「まっ、仕方ないか」

 すぐに気を取り直したアランはグリンの部屋のドアをる。

寝坊助ねぼすけ起きろ! シャーンが泣いてるぞっ!」

中からドスンと重たいものが落ちる音がして、クスリとアランが笑う。グリンのヤツ、ベッドから落ちたな ―― そのままアランも談話室に向かった。


 談話室ではカトリスが部屋から出てきた寮生たちに、校長の指示が出るまで自室にいるよう大声を出している。気の早いヤツはじきに始まる朝食が待ちきれず、そろそろ食堂に向かう頃だ。


「あぁ、アラン。ありゃあなんだ?」

 カトリスが情けない声で言う。

「フン、僕に判るものか。何も感じなかった」

「えぇ?」

そこに寝間着のままグリンが出てくる。

「シャーンは泣いてなかったぞ」

とポツリと言う。送言して確認したのだろう。


「だが、窓の外を僕も見た。毒性はなさそうだけど、触れないに越したことはなさそうだね。ビルセゼルトの指示はまだ出ない?」

「あーーー、自室に戻って、全員が談話室じゃ、身動き取れなくなるっ!」

カトリスは、次々に談話室に出てくる学生を自室に戻すのに忙しい。

「グリン、おまえはちゃんと着替えてこい、寝間着で談話室は禁止だって忘れた?」

あれ、着替えるの忘れてた……どうやらグリンはまだちゃんと目覚めていないようだ。


(アラン、なにか判った?)

 再びアランの頭の中にシャーンの声が響く。

(……すまないね、なにも判らない。いつも言っているだろう、僕は頼りにならない男だってね)

(嘘つき。誰よりも頼りになるのはアランよ)

(シャーン ―― キミはときどき、僕の目が見えないことを忘れていないか?)

送言の中に、シャーンが息を飲むのを感じた。謝るなよ、心の中でアランが願う。キミが僕に謝れば、僕はもっと惨めになる。


(ビルセゼルトは気付いたかしら?)

 アランの願いが届いたわけではないだろうが、シャーンが謝罪を口にすることはなかった。

(気が付いていなかったとしても、グリンが目覚めた。きっとグリンが報告する)

(グリンはビルセゼルトと送言するようになっているの?)

(ビルセゼルトが役に立ちそうな学生を放っておくはずがない)

(あくまで校長と学生なのね……)

(それでも明らかな進歩だ。無視と反発しかしなかったグリンがビルセゼルトを受け入れているのだから)

(……そうね)


 グリンは自分の母を捨てたビルセゼルトを長い間、許していなかった。王家の森魔導士学校に入学してからもそれは変わらず、ことごとく校長に反発した。それが半年前の事件がきっかけで氷解し始めている。だが、まだ打ち解けるとまでは行っていない。


『教職員及び学生諸君!』

 不意にビルセゼルトの声が、校内に響き渡った。満声術を使ったのだろう。

『校長のビルセゼルトだ ―― 我が校敷地内に出現した『泡』について告知する』


 校内が静まり返り、ビルセゼルトの言葉を聞き漏らすまいと、みなが緊張するのを感じる。談話室の騒ぎも納まり、カトリスも怒鳴るのを止めた。


『賢明な諸君の中には気づいた者もいるかもしれない。あの泡は幻影だ』

え? とアランが思う。


『念のため精査したが、毒性も隠された魔導術もなかった。従って触れても何の問題もない。正しくは触れる事は叶わない。さらに大気、大地も調べたが、少なくとも我が校内には何の問題もなかった』

ここでビルセゼルトが言葉を切った。


『本日の講義は予定通り。喫茶室の利用も再開する。幻術を体感する良い機会ととらえ、幻術は消さずこのまま捨て置く。各自、身形みなりを整え食堂へ向かえ。暖かい食事がキミたちを待っている。以上――』


 カトリスに自室へ戻されていた学生たちが、ぞろぞろと談話室に戻り、そして談話室から出て行く。危険がないと判れば、怖がるよりも面白がる者のほうが多い。中には『気持ち悪い』と囁く声もあるが、たいてい女の子だ。


「アラン、行こう」

 談話室の片隅に立ち尽くしていたアランに声を掛けたのは、着替えてきたグリンだ。


「いや……僕はもう少し眠るよ。三限目までプログラムを入れていない」

「寝不足なのか? 顔色がよくない。食事は? 腹減ってないのか? 食堂から何かくすねてこようか?」

「ううん、いらない。食欲ないや。後で喫茶室にでも行くよ」


 喫茶室では朝食後から夕食前まで、余分があれば朝食と同じメニューを出してくれる。

「そっか……それじゃ、行くね」

疑いもせずグリンは談話室を抜け、カトリスと一緒に出て行った。


 自室に戻ったアランは、窓を開け、外気を深く吸い込んだ。アランの部屋の窓は、各棟に通じる舗道には面していない。そこにあるのは植栽と、その向こうに広がる王家の森だけだ。


(僕は、何も感じなかった)

 それはアランが張り巡らせた感覚が正しかったという事だ。何もないのだから検知できなくてもっともだ。


(幻術に惑わされない代わり、幻術に惑わされた仲間を助ける事もできないんじゃないか?)

アランの悩みは尽きる事がなさそうだ。


 黄金寮こがねりょうから学生の気配がすべて消えたのを確認してから、アランが寮を出る。向かったのは喫茶室パロットだ。中に入ると一斉にインコたちが羽ばたいて、『アラン』『アラン』と名を叫ぶ。飛んできてアランの肩にとまりに来るインコもいる。


「判ってるよ、ちょっと待って……」

 アランの言葉で宙に二つの袋が現れる。一つは飼料が入った袋、もう一つは捨てる飼料を入れる袋だ。二つの袋はフラフラと宙を移動し、インコたちの餌入れの中身を受け入れ、新たな飼料で満たしていく。


 そのさなかに如雨露じょうろのような水差しが現れる。インコたちの古い水は置かれた植木鉢に捨てられ、如雨露から新鮮な水が注がれる。


 さらに現れたほうきが床をき清め、チリトリに集められたふんやゴミは、捨てる飼料の袋に入れられる。終わると一瞬にしてすべてが消えた。インコたちが餌入れや水入れに殺到している。それを感じてアランは、いつものお気に入りの高椅子に向かい、腰かけた。


 するとそれを待っていたかのようにはりから一羽のインコがアランの肩にやってくる。インコの中で身体が一番小さなインコ、アランが一番かわいがっているインコだ。『アイシテルヨ』と、アランにささやくあのインコだ。


『アイシテルヨ、アイシテルヨ』

 今日もインコがアランに囁く。アランはそっとインコの頬を撫でる。そしてつぶやく。

「もう遅いんだってば……マメルリハちゃん ――」

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