16.火と水の天秤

 あおの三大問題児仲間入りから、1週間が経過していた。早くもすっかりそれが定着し、一鞘ひさや姫織いおりと一緒にいても不思議そうな顔をする人は少なくなっていた。だから今日も、こうして仲良く実技棟の掃除をやらされているワケで……、


「……。今、何て言った?」


 広々とした、実技棟。そこで3人不自然に寄せ集まっている中で、蒼は顔を引きつらせていた。


「あ? だから問題児はわざとやってるって」


(もういい聞きたくない……!)


 しっかり同じことをくり返してきた一鞘を遮りたくて仕方ない。


「……親戚同士は、同じクラスにしないみたいだから」


「それで、さらに同じ問題児に括られれば監視の目を行き届きやすくする為に学校側はおれと姫織を確実に同じクラスにするってことだ」


 うわーん聞きたくないのに! ――と、叫べるものなら叫びたい。しかしそれで姫織と一鞘から集中砲火を浴びるのは嫌だ。


(……わざと問題児やってるって‼)


 極力注目を浴びたくない蒼からしたら絶句する他ない。


「仕方ないだろ。その方が情報共有しやすいし、上位の妖がいつ出てもおかしくないんだから」


「……その方が一緒に対処できるし、どっちかが行方不明になったらすぐに分かる」


「情報収集の為には、クラス分かれた方がいいんだけどな」


「……目立っておけば、他の【五天】から気付いてもらえるかもしれないし仕方ない」


 何でもないことのように続けるふたごに、蒼は改めて思う。……自分なんかとは住む世界が違うんだなぁと。


(できれば、あたしも早く元の世界に戻りたい……)


 そうして広過ぎる実技棟を見渡し、深々とため息を吐くのだった。






 緑が一層深くなり、清々しい風に季節の変化が匂い立つ翌日。


 呪力計算学という蒼が最も苦手とする講義で、それは持って来られた。


 担任でもありこの教科担当でもある茶音さおとかおりは、20代半ばの若くてかわいらしい女性だ。いつも一鞘と姫織にズバッと言い返されて、ぐうの音も出なくなっている印象がある。蒼もその気持ちはよく分かるので、限りなく親近感に近い同情を感じている教師だ。


 しかし今日は、どこか得意げというか楽しげな顔で教室に入って来た。しかし、教室がざわめきに包まれたのは、彼女のその様子からではなく、彼女が教壇に置いた物が原因だった。


 それは茶音の肩幅よりもさらに横幅のある、大きな天秤だった。金と銅を混ぜたような色合いの重厚な造りで、1番後ろの席にいる蒼からは見えづらいが、精緻な模様があしらわれているようだ。アンティークだろうかと、誰かが囁くのが聞こえた。


 だがその美しい天秤の中で何よりも目を惹くのは、左右にぶら下げているものだった。


 普通なら、重さを測るものを置く為の皿をぶら下げるものだ。しかし、今皆の注目の的になっている天秤は、皿ではなく丸い水晶玉をぶら下げていた。右は血よりもなお鮮やかな深紅、左は海の色をそのまま掬い取ったかのような青色。大きさは、両手の平にすっぽり収まるくらいだろうか。


 女子達が、「きれい」「美術品かな?」と囁いているのが聞こえた。蒼も、思わずその天秤に魅入ってしまう。あの水晶玉は、宝玉か何かだろうか。


 興味津々にざわめく生徒達をどこかうれしそうに見渡し、茶音が口を開いた。


「今日は教書を使わない講義です」


 と、少女のような笑顔で告げる。その宣言に特に男子達が喜色を浮かべる中、蒼も思わず小さくガッツポーズしていた。座学はどれもこれも本当に苦手なのだ。……と、


「えっ、何⁉」


 一鞘がいわくありげな怪しい笑みをこちらに向けていた。蒼は思わず身構えたが、


「別に……」


 一鞘は人を見下したような笑みを1ミリも変えずに黒板の方へと顔を向けた。――とりあえずバカにされてる、うん。


「これが何か、みなさん分かりますか?」


 教壇の方では、茶音がどこか得意げに皆に尋ねている。ふふっと笑っての問いかけに、


「――火と水の天秤」


 冷や水をぶっかけるように、姫織が分厚い本から目を上げもせずに素っ気なく言い放った。


(うわ~……)


 にぎやかな空気が一気に盛り下がるのを感じ、蒼は顔を引きつらせた。当の姫織が涼しい顔でページをめくる音が、やけに教室に響いた気がする。


「……そ、そうです。狭見はざみさん、よく知ってるわね~」


 茶音がやっとの思いでそう言って姫織に笑いかけているが、姫織はもう完全に本の世界に入り込んでいるのかガン無視である。蒼としては、やはり茶音に同情せざるを得ない。


 白けた教室に、ぼそり、と別の声が落とされる。


「それより、説明」


 左隣の一鞘である。この何とも言えない空気をどうにかしようとフォローを入れた……というわけではないことは、蒼にも分かる。ただ正論をかましただけだ。


「あっ、そうね、では説明します」


 慌てふためきながらも澄ました感じをどうにか保とうとする教師は、生徒の側から見ても相当痛々しい。蒼は共感性羞恥で悶えたくなってきた。……あたしも絶対、あの立場ならあぁなる。


「これは『火と水の天秤』と言います。火と水は、この2つの水晶で表しています。そしてこの天秤で測るのは重さではなく、みなさんの呪力の性質です」


 呪力の性質? と首を傾げた者が、ほとんどだった。蒼もその1人だ。晦日つごもりからもこれについては教わった覚えがない。そしてもちろん、首をひねる気配もないのが蒼の両隣である。


「この天秤の真ん中に手をかざすと、みなさんの呪力が火と水、どちらの特性が強いか分かるようになっています」


 呪力の特性は大きく分けると2つ、それが火と水だ。それぞれ火性ひせい水性みせいと言い、これは四礎しそとはまた違う。性格診断に近いものだと思えばいい。


 呪力の性質は、術者の生まれながらの性質に帰属する。その性質が火性と水性の2つで成り立っているのだ。どちらかしか持っていないのではなく、どちらも持っていて、ほとんどの場合どちらかに比重が傾く。


 そして性質に基づくわけだから、火性が強いと火の術が得意、水性が強ければ水の術が得意という意味ではない。


 火性は主に光、破壊、情熱などを象徴している。有り余る力、そして感情によって左右される危うさがある気質だ。


 水性は清浄、破滅、冷静などの象徴だ。こちらは秀でた正確さや繊細さ、そして秘められた凶暴性を表している。


 術を扱う職業に就かない限り、自分がどちらにどれほど比重が傾いているかを知る機会はないだろう。しかし戦闘科で術を扱うことが義務付けられる以上、四礎とこの火性、水性を掛け合わせた戦い方を覚えていかなくてはならない――……。


 というようなことを、茶音は一鞘と姫織の横槍がいつ入るかとびくびくしながら頑張って説明していた。何故それが蒼にも分かったのかというと、説明しながら何度も二大問題児をチラチラと窺っていたからだ。


(……うーん、やっぱりかわいそうだ)


 ……茶音の説明の途中からガクッと首が落ち、今もその体勢のまま寝っこけている一鞘が目に入っているから、余計に……。


(……すごい度胸……)


 蒼としては天井を仰ぐ外ない。


「はいっ、そういうことで、みなさんの呪力を測定していきたいと思います」


 そうして茶音は、廊下側の1番前に座っている女子を呼んだ。


「あっ、はーい」


 返事をしたのはにのだ。のんびりと立ち上がって、のんびりと教壇へ歩み寄って行く。


 にのは水って感じがするかな、と思いながら、蒼はワクワクと成り行きを見守った。ふと両隣を見ると、少しは興味があるらしく、いつの間にやら目を覚ましていた一鞘も本のページをめくっていた姫織もにのに注目していた。


 さて、天秤の動きだが、蒼が想像していた感じと違った。


 にのに手をかざされた天秤は、まるで幽霊に操られているかのようにゆらぁ、ゆらぁ、と2つの水晶玉を上下させた。ゆっくりとしたその動きに合わせて、キィ、キィ、と軋むような音がする。


(……何か、すっごく不気味なんだけど⁉)


 もっと、火か水どちらかに傾いてピタッと止まるところを想像していたのだが。まさか妖と対峙しているわけでもないのに寒気を感じることになるとは、と思っているのは、蒼だけではないらしい。楽しげにがやがやしていた教室が、いつの間にやら静かになってしまっている。


 平然としているのは、もちろん一鞘と姫織ぐらいだ。


 やがて、ほとんどの生徒同様にびくびくしていたにのの前で、ひと際大きくキィッ! と軋ませて、天秤が動きを止めた。布が天秤の真正面に立っているものの、天秤自体は教壇の横幅よりもある為蒼の位置からでも結果は見えた。――ほんの少し、赤に傾いている。


雨橋あめはしさんは、火性15度ね」


 言いながら、茶音が手元の記録帳らしきものに書き込んでいる。どうやら、傾いた角度が目盛りで表示されているらしい。“火”の度合いを角度で決めているようだ。


「15度って、強いんですか?」


 にのがそんな茶音を仰ぎ見た。


「いいえ。ややその傾向があるぐらいですね。30度を超えたら強い方だと思ってください」


 30度でか、と蒼がちょっと驚いている間に、茶音が「戻っていいですよ」と許可を出す。布が教壇から離れると、天秤がまた水平に戻った。


 それから、席順に測定していくことになった。布の次は後ろの席の生徒、終われば更に後ろの席の生徒。1番後ろまで来たら、隣の列の生徒で前へ前へ。前もってずらずら並ぶと天秤が混乱して正確に測定できないらしく、茶音に呼ばれてから教壇に行く形だ。茶音も天秤に影響を与えないよう数歩分離れている。


 天秤の判定は、見ていて飽きなかった。イメージ通りの人もいれば、意外な方に傾く人もいる。よく話す友達の性質となれば、余計に楽しい。


「じゃあ次、狭見さん」


 茶音が呼ぶと、姫織が無言のまま立ち上がった。スタスタとした足取りには、緊張した様子がまるでない。こういうところは一鞘に似ているなぁと、蒼は感心した。


 教壇の前で立ち止まった姫織が手をかざすと、天秤はまた焦らすようにキィ、キィと揺れ動く。やがて天秤は、青い水晶玉の方に大きく傾いて止まった。蒼の位置からでも、それが今までで1番の傾きだと分かる。


天秤の湾曲した形はデザイン性を重視したからだと思っていたが、こういった急な傾きの時に天秤を載せている台にぶつからないようにする為だったらしい。青い水晶玉は、天秤そのものよりも低い位置にまで傾いていた。


「……60度!」


 茶音が驚きの声を上げる。どうやら姫織は、極端に水性が強いということらしい。


 それからさらに10人ほどの生徒が測定し終えてから、ようやく蒼の番となった。


(うわぁ、楽しみ……!)


 蒼はわくわくしながら、天秤へと歩み寄った。――誰もが予想していなかった結果を生み出してしまうだなんて、思いも寄らずに。


 蒼が天秤の中心部分に手をかざすと、天秤がキィッ……と動き出す。右へ傾き、左へ傾き、右へ傾き、左へ傾き――……、


(……。あれ?)


 今まで、こんなに判定に時間がかかっていただろうか。あれだけ傾きの強かった姫織でも、もう少し早く終わっていたような。首をひねっている間も、天秤は右へ左へと揺れ動く。右、左、右、左。赤、青、赤、青。


 あぁでも、人によっては判定に時間がかかるのかもしれない。それに蒼は咄嗟の記憶力に自信がない。どっちかだ、きっとそうに違いない。天秤はまったく止まる様子を見せず、それどころか揺れるペースが速くなっていく。傾く角度も大きい。


 キィッ、キィッ、キィッ、キィッ、


 軋む音も、まるで蒼の不安を煽るかのようにテンポが上がっていく。右、左、右、左。赤、青、赤、青。


 まるでそれ以外の音が聞こえなくなったかのようだった。それだけに心臓を縛られ、頭が真っ白になる。嫌な汗がにじむ。耳鳴りがする。右、左、右、左。赤、青、赤、青。


 止まらない、どうしよう、気持ち悪い、怖い、助けて――……、


 キィッ‼


 突如聞こえた大きな軋み音と、肩を掴まれぐいと後ろに引き寄せられる感覚に、蒼は我に返った。パッと背後をふり返ると、何故か一鞘がいた。その左手は蒼の右肩を掴み、右手は蒼を庇うように天秤にかざしていた。


 判定する対象をいきなり替えられた天秤は、しかし瞬時に一鞘の方を判定した。――火、65度。


 蒼の体から、知らず力が抜けた。


「先生、おれ“火”65度なんで」


 一鞘が言うと、茶音がはっと我に返ったような顔になった。


「か、風端君! いきなり割り込んじゃダメでしょうっ?」


「……はぁ?」


 一鞘の声が、一段低くなった。一体どの面下げて窘めてるんだ。一鞘の顔にははっきりとそう書いてあり、眼差しがきつくなった。教師相手に臆することなく。


「“火”と“水”がまったく同じ度合いのせいで、天秤が混乱してたんですよ。誰かが止めないとでしょう」


 敬語で話してはいるが、声がいつになく鋭さを帯びている。すぐそばで聞いている蒼も、それを痛いぐらいに感じた。いつも冷たい物言いの一鞘だが、怒りを顕わにしているところは見たことがなかった。蒼を叱っている時でも、こんな風に冷たくはなかった。


「珍しいな静井、お前、“火”と“水”が同じ度合いなんだな」


 もう茶音に言うことは何もない、と言わんばかりに、蒼に話しかける声はいつもの落ち着いた調子だった。席に戻れ、と促すように肩を軽く叩き、そのまま離れていく。こわばっていた体がほぐれていくように、涙腺が緩むのを感じて、蒼は慌ててそれを堪えた。ぎこちなくうなずいて、一鞘の後に続く。


「……め、珍しいわね~、静井さん。ごめんなさいね、先生びっくりしちゃって。じゃあ次、林藤さん」


 茶音が取ってつけたように言って、次の生徒を呼び出している。その声に何も反応できなかった。ちらりと一鞘を窺う。


 頬杖をついた一鞘は、窓の方を見ていて蒼からは表情が分からない。けれど、いつもより機嫌が悪そうに見えた。……いや、憤然としているのだ。


 ――何で助けてくれたんだろう。


 そんな思いが、胸に広がる。いや違う、そうじゃない。


 一鞘の気兼ねない声にホッとした。力が抜けた。安心して、……泣きそうになった。


 ――何で。何でよりによって、風端一鞘に。


 誰よりも苦手意識の強い相手に、そんな――そんな、委ね切ったような安心感が湧いたのだろう。


 素直じゃない、と自分でも思う。でも、今素直になったら――助けてくれたことが、怒ってくれたことがうれしかったなんて認めたら、泣いてしまう。


 蒼はうつむいて、下唇を噛みしめた。そんな蒼を、一鞘は一瞥もしないでくれた。

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