悪役令嬢に転生したら、悪役令嬢っぽい言葉しか喋れませんでした

燈 歩(alum)

第1章

1.なんで私がこんなことに……

 瞼の裏からでもわかるやわらかい日差し。頬に当たるふわふわの感触に、身体を優しく包み込む軽やかなシーツ。息を吸えばほのかにバラの香りが漂う。あぁ、こんなに気持ちのいい睡眠は久しぶり……。


「時間もわからない侍女は今すぐ辞めてもらうわ!」

(早く起きなきゃ、電車に遅れちゃう!)


 えっ?


 少し低めだけれど美しい声。目の前には豪華絢爛、華美な装飾に包まれた天蓋ベッド。部屋は西洋風、ロココ調とでも言うの? とにかくヨーロッパの古いお城にありそうな贅沢でレトロな調度品の数々。赤と金を基調にした広い部屋の中で、私は一体……?


 視線を下ろせば、白くしなやかな細腕が目に入る。手もきちんと手入れされていて、連日紙仕事と水仕事と不摂生でボロボロになった私の手とは似ても似つかない。白いネグリジェからは腕に負けないくらい細くて美しい足が伸びている。おまけに胸も、あるみたい。まな板と罵られた学生時代を思い返して少しだけ嬉しくなったけど、そんなことをしている場合じゃない。


 見たこともない部屋なのに、私は何がどこにあるのか手に取るようにわかっていた。ベッドから起き出して、金ピカの装飾が施された姿見に全身を映してみる。


 朝日を反射して煌めく豊かなブロンドの髪の毛は、ゆるくウエーブがかかって腰あたりまで。ドールのように華奢な身体、生意気に光るルビー色の瞳。つり目の具合はまるで気品のあるペルシャ猫のよう。


 そこに映っていたのはエヴァリアその人だった。


 エヴァリア・レトゼイア。仕事の合間にやっていたノベルゲーム「聖女伝説」に出てくる悪役令嬢の名前だ。確かにあのゲームは好きだったけど、なんで悪役令嬢!?


「全くこの私が呼んでいるのに! 誰か、早く!」

(なんで!? 一体どうして!?)


 まただ。混乱して声を上げると違う言葉が出てくる。何が起きているのだろう……。


「お、お呼びでしょうか、お嬢様」


 静かに開いたドアからは、小動物の如くぶるぶる震える茶髪のメイドが立っていた。たしかあの子はメイというエヴァリアの侍女だ。ゲームではいつもエヴァリアにきつく当たられていた。エヴァリアが怖いのだろう。申し訳なくなるくらい震えていて、可哀想になってきた。


「呼んだらすぐ来る。あなた、私のメイドでしょう?」

(なんでもないです。大きな声出してすみません)


「もっ、申し訳ありません、お嬢様」


 だから!!!!! 私はそんなつもりないんです。ごめんなさい。


 今にも泣きそうなほど青ざめた顔のメイを慰めようと手を伸ばした。が、ビクッと、それこそ取って食われるんじゃないかというほどの、この世の終わりのような表情で俯くメイ。エヴァリアでは何をやっても逆効果だと知って、手を引っ込めた。


 さて、どうするべきか。


 私、山田ハナコの記憶はしっかりある。現代日本でブラック企業に勤める社畜で、生まれてこの方恋愛をしたこともないアラサー女。女らしからぬ長身と胸のなさ、ポテンシャルを活かせない運動音痴で不器用。……いや、もういいか。悲しくなってきた。


 聖女伝説のゲーム内容はうっすらと覚えている。そして不思議なのが、エヴァリアとして生きて来た記憶もある。このぐちゃぐちゃ具合はなんて言えばいいのか。和洋中のフルコースじゃ足りない。もっと異文化が混ざった感じの。


 とにかく、状況の整理をしなくちゃ。山田ハナコの私は徹夜明けで帰宅途中だった。うん、そこまでは覚えてる。それで疲れて電車に乗って……。あれ? 乗ってない? 乗ったかどうかも覚えてない。


 これは、あれかもしれない。今流行りの、異世界転生とか言う、あの例の。聖女伝説もそんな始まり方をしてたっけ。聖女になるヒロインはひょんなことから異世界に来てしまって、あれよあれよという間に奉られて、イケメンドリームを築いて楽しく暮らす物語。……えっと、魔物討伐?とかもあったと思うけど、それはゲームだもん。メインシナリオは様々なイケメンとの会話だった。その会話が、恋愛経験ゼロの私には甘くて楽しいひとときだった。


 待って。同じ世界なら、あのイケメンたちに会える……!? それは、ちょっと、考えただけで鼻血出そう。だってエヴァリアがこんなに美人なのよ? イケメンたちだって、さぞ美しいことでしょう。


 そこまで考えて気づいた。私、悪役令嬢のエヴァリアよね? たしか終盤に、エヴァリアは婚約者に捨てられ、誰も味方になってもらえず、誰にも見向きもされず、悔しさのあまり毒薬を煽って死んでしまう。そんなシーンがあったような。


「私の代わりなんていないけど、身代わりでも立てようかしら」

(どうしよう、このままじゃ死んじゃうかもしれない)


 またもやビクッと肩を震わせ、今度はガタガタと音がしそうなほど震えだすメイ。ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです。


「ジョーダンよ。下がっていいわ」


「は、はいぃぃぃ」


 脱兎の如く部屋から出て行くメイ。


 ジョーダンって通じるんだ。こういう言葉は普通に言えるのね。何がOKで何がNGなのかわからなくて困る。これじゃコミュニケーションもままならないじゃない。……コミュ障だからどうやって話していいかもよくわからないけれど。


 くるりと身体を反転させて、もう一度鏡をよく覗き込んだ。何回見ても美しい。こんなに綺麗で可愛くて美しかったら、もうそれだけでチートじゃない。ずっと見ていたいくらい。うっとりしちゃう。


 この美貌を持つエヴァリアを死なせるわけにはいかない。もちろん私だって死にたくない。話す言葉が思っていることと違うのはとても困るけれど、それでもなんとか生き抜かなくちゃ。


 申し訳程度に備え付けられている本棚から、真新しいノートを一冊抜き取った。エヴァリアは本が好きじゃなかった。かと言って何が好きだったのかと問われるとよくわからない。ゲームの中では悪役令嬢として、ヒロインに意地悪ばかりするキャラクターだったから。


 ノートを開いて、羽ペンをインクに浸した。これぞまさに!という白い羽ペンではなく、クジャクのような青緑色が光るギラギラした羽ペンだ。羽ペンなんて使ったことないけど、エヴァリアの記憶のおかげで上手に扱える。すごい! 楽しい! さらさらと紙を滑るこの書き心地、現代では味わえなかった経験だ。


 おっと、遊んでる場合じゃない。山田ハナコの記憶と、聖女伝説のうろ覚えストーリーと、エヴァリアの記憶を書き起こしておかなくちゃ。


 無意識に書き出したのはこのゲームの世界の共通語イングイア語だった。知らない言葉なのに書けるし、読めるし、変なの。万が一、誰かに読まれたら大変だから日本語で書いておこう。あぁ、パソコンかスマホがほしい。漢字が書けない。覚えてない。ひらがなばかりで悲しくなる。調べようにもこの世界では日本語は誰も知らない言語だ。頑張って思い出すか、諦めるしか方法はない。


・山田ハナコ

27歳独身。ブラック企業に勤める社畜。家族構成は……。


 そうだ、家族はどうしているんだろう。お父さん、お母さんは。思い出すと急に寂しくなった。今の今まで忘れてたくせに。お母さんが作ってくれたプリンが好きだった。お父さんと一緒にドライブに出かけるのも好きだった。私がいなくなって、悲しませてしまったかな。娘はゲームの世界の住人になってしまいました。


「あの、お嬢様……」


「まだいたの?」

(ひえっ、な、なんですか)


 感傷に浸っていると控えめなノックと共に、メイがまた顔を出した。びっくりして出た私の言葉に、顔をこわばらせている。


「朝食のご用意ができたのですが」


「だから?」

(あっ、あ、えっと)


 違うんです。テンパっただけなんです。メイちゃん、そんなに泣きそうな顔しないで。まるで私がいじめているみたい。


「今日は部屋で食べるわ。持ってきて」

(まだ家族に会う心の準備ができないので、部屋で食べたいです)


「か、かしこまりました」


 一目散に駆けていくメイの姿を見て、私は大きなため息をついた。


 この調子で話さなくちゃいけないなんて、本当に先が思いやられる……。


「お嬢様……」


「今度は何」

(ひえっ、だ、誰ですか)


 メイではなく黒髪のメイド、イリナだった。イリナもエヴァリアのお付きだった気がする。メイより少し年上で、冷静沈着、エヴァリアの癇癪も意地悪もものともせず、仕事をきっちりこなすメイドだ。


「本日は婚約者のエドワード様がお見えになりますが」


「食事を摂る時間もないってわけ?」

(えっ!? 何そのイベント、知らない)


「朝食がお済みになりましたらすぐ準備にとりかかります」


「わかったから、下がって」

(えっ、何時から? ちょっと、待って)


 閉まる扉の前で私は絶望した。


 エヴァリアとして、まだ一日目。聖女伝説のこのゲーム一日目なのに、ハードルが高すぎるよ……。

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