【姉妹】
激しく燃え盛る炎。
その中で身の毛もよだつ叫び声を上げる、巨大な怪物。
崩れ落ちる柱、黒く変色していく壁、扉。
その中に、四人の影が佇んでいる。
車椅子に座った人物を、護るように。
必死で、彼女達を追いかけるが、どんなに一生懸命走っても、炎がまとわりついて行く手を阻み、脚を鈍らせる。
呼び止める絶叫も、届かない。
そんな時、胸元の「宝石」が、光り輝いた。
今度は、猛烈なスピードで突進していく自身の身体。
あまりの勢いに、制御が全く出来ない。
このままでは、五人に追いつき、それどころか――
「止まってえぇぇぇぇぇぇ!!」
「――ゆ、め?」
愛美は、目覚めた。
真っ先に目に飛び込んだのは、真っ白い天井。
続けて、そこに設置された大きな照明器具と、右手には白い大きなカーテンに覆われた窓に目が行く。
綺麗に整えられた部屋は、柔らかな光に包まれていた。
「ここは……」
愛美は、ベッドの上に寝ていることに、ようやく気付いた。
今まで、こんなに柔らかく温かな寝床で眠った記憶はない。
白に統一されたその部屋は、10畳くらいの広さがあり、ベッドと照明以外には小さなテーブルと椅子が一つ、それと壁沿いに設置された大きな空の本棚しかない。
真っ白な部屋の中、違う色彩は、いつの間にか自身が身に着けていた薄蒼色のパジャマだけだ。
(ど、ど、ど、何処?
ホントに何処なの、此処は?!)
慌てて飛び起きたものの、どうしていいのか、この先の行動が思いつかない。
パジャマは、自分にはやや大きめではあるものの、着易くて着心地がとても良い。
辺りに自分の服は見当たらなかったが、壁に備え付けられていたクローゼットを開けると、見慣れたメイド服がちゃんと掛けられていた。
洗濯された上、しっかりアイロンまでかけられているようで、一瞬自分のものだと分からなかった程だ。
メイド服以外のブラウスや下着、タイツなどの装着物は、丁寧に畳まれて籠に収められている。
それを見た愛美は、一瞬安堵したものの、すぐにズボンの中に両手を突っ込んだ。
(よ、良かった! 穿いてる!)
「えっと、誰の、を?」
覗いてみると、見覚えのない下着を穿いている。
途端に不安になった愛美は、きょろきょろと周囲を見回した。
(ちょ、ちょっと待って。えっと、確か、私は……)
記憶を、辿る。
館での出来事は、さっきまで見ていた夢もあり、すぐに思い出せる。
問題は、その後だ。
凱の車(ナイトシェイド)に乗り、東京へ向かった。
車の中で、ロボットの話とか、凱の妹達の話をした。
そこまでは、思い出せた。
だが、それ以降が全く思い出せない。
(えっと、た、確か私はあの時、ずぶ濡れになった服を脱いでて、毛布だけしか身に付けてなくて。
そ、それなのに、どうして? どうして? 知らないパンツ穿いてるんですか?!)
テーブルの上に置かれたデジタル時計は、午前10時を指している。
それを見た愛美は、血の気が引いた。
「た、た、た、大変!!」
叫び声を上げ、愛美は着ているパジャマを脱ぎ始めた。
素早い動きで下着を着け、ブラウスをまとい、タイツに脚を通す。
ガーター、スカート、メイド服と流れるような動きで次々に身に着けていき、髪をまとめようとしたところで、手が止まる。
「えっと、ブラシ、ブラシは何処に……あと、ゴム……っと」
洗面所はないものかと、愛美は室内を移動する。
部屋の左手奥にあるドアのノブに手をかけた瞬間、
カチャリ
「え?」
ドアが、勝手に開く。
身支度中のメイドは、見知らぬ人物と鉢合わせになってしまった。
「え?」
「あ」
「ひえ?!」
「えっ? あの」
「ひええええええええええ! 申し訳ありません! 申し訳ありません!」
悲鳴を上げながら、愛美は数十センチほどすり足で後退した。
「申し訳ありません! こんな時間に起きてしまいまして!
今すぐ身支度を整えますので、どうか、どうかお許しください!」
「えっ? えっ?」
ドアの向こうに佇む人物は、きょとんとした表情で、愛美を見つめている。
だが、秒速二回の速度で頭を下げ続けている愛美には、その様子も姿も、ろくに見えていない。
「あの、大変失礼とは存じますが、洗面所は、どちらになりますでしょうか?!」
「は、はい。
それでしたら、この部屋を出て、廊下を真っ直ぐ行った突き当りの左に」
「承知いたしましたぁ! すぐに戻りますので! ――って、えっ?」
声を聞いて、ようやく我に返る。
顔を上げた愛美の視界には、自分より少し背が高い、黒髪の少女の姿が映った。
その少女は薄い笑顔を浮かべ、やや戸惑った感じでこちらを見つめている。
紺色のワンピースに、上品なフリルのついたブラウス、そして控えめなデザインのネックレス。
だが、もっとも目を引いたのは、その美しい顔立ちだった。
切れ長の目、すらりとした鼻筋、整った唇。
そして何より、全身から漂う高貴な雰囲気。
普通の人間ではなく、明らかに“選ばれた人々”であることが、愛美には理解できた。
ならば、間違いない!
「こ、こちらの、お嬢様でございましょうか?
私、千葉愛美と申します。
本日より、こちらでお世話になることに……なった、と思うのですが、一生懸命仕事に励ませて頂きますので、何卒よろしくお願いいたします!」
再び深々と頭を下げ、愛美は少女に挨拶した。
しばしの、沈黙の後。
「あの、愛美さん?」
少女は、静かな囁くような声で、呼びかけた。
「は、はい!」
「良かった、お目覚めになられたのですね!
本当に心配しておりました」
「え?」
「私、相模舞衣(さがみ まい)と申します。
先日は、私の兄が、大変お世話になりました」
そう言うと、少女は、愛美に負けないくらい深々と頭を下げて来た。
黒い長髪がさらりと流れ、その美しさに一瞬どきりとする。
だが、
「い、いえいえ! そんなことは!」
負けじと、愛美は更に頭を上げる。
まるで傾斜角度を競い合うような雰囲気になった場に、もう一人の声が響いた。
「あーっ! 起きてるぅ!」
「え?」
「やったぁー! 愛美ちゃぁーん♪」
「ひえ?!」
どたどた、という足音を響かせ、何者かが舞衣と名乗る少女の背後から飛び出して来た。
そのまま愛美に抱きつき、ぎゅっと腕を回してくる。
愛美の胸に、大きくて柔らかい感触が伝わった。
(うっわ、おっきい!)
「もーお、メグ、とっても心配したんだよぉ!
でも良かったぁ! ちゃんと起きれたんだねっ!」
「あ、あの、え~と」
「メグちゃん、愛美さんが困ってるでしょ。
離してあげて」
「え~っ、せっかく愛美ちゃんに逢えたのにぃ~。
もうちょっとぎゅ~ってしても、いいでしょ?」
「ほら、愛美さんが戸惑ってらっしゃるでしょ」
「あっ、は~い。
愛美ちゃん、ごめんね」
「は、はあ」
(な、何? どういうノリ?! 予想と違いすぎる!)
ようやく乳圧ハグから解放された愛美は、猛スピードで飛び込んできた第二の人物を見て、ハッとした。
長い黒髪、切れ長の目、すらりとした鼻筋、整った唇。
全身から漂う、高貴な雰囲気。
Tシャツに丈の短いベストを合わせ、ショートパンツを穿いた活動的なその姿は、舞衣と対照的だ。
しかし、それ以外――身長や体型、髪、そして顔、全て同じだ。
愛美は、一瞬目を疑った。
「えっ? そ、そっくりさん?」
「いえ、私達は双子なんです」
舞衣が、少し顔を赤らめて告げる。
愛美は、思わず目をまん丸くした。
「だよー! 私、相模恵(さがみ めぐみ)!
愛美ちゃん、お友達になってね!」
そう言うと、恵と名乗った少女は、愛美の両手を握った。
「メグね、愛美ちゃんに早く逢いたかったんだよー♪」
「は、はい……ありがとうございm―-」
真正面から目線を向け、楽しそうに微笑む恵の顔。
その後ろで、目を細めてこちらを眺めている舞衣の顔。
愛美の頭の中で、ナイトシェイドの中で見せられたスマホの写真が蘇った。
(こ、このお二人は! あの写真の方々だ!
ひ、ひえ! この顔立ち、やっぱり理沙さんタイプだぁ!!)
またも、血の気が引いていく。
井村邸で最も苦手をしており、自身にクビ宣告をした理沙の姿が、脳裏に浮かんだ。
(そういえば理沙さんも、最初の頃はとても優しかった……
いけないいけない! 氣を抜いたらいけない!)
「これから、よろしくねっ! 愛美ちゃん♪」
「は、ハイ! 一生懸命勤めさせて頂きます、お嬢様!」
「んにゃ?」
小首を傾げる恵に、強張った表情を向ける愛美。
顔が真っ赤になっていく愛美を見かねた舞衣は、優しく声をかけて来た。
「あの、愛美さん?
私達は、その」
「このお宅が、お二人のお住まいでしょうか。
とても素敵なお宅でございますね!
身支度を整えましたら、早速お仕事を――」
「待ぁーって、愛美ちゃん!」
まくしたてるように話す愛美の両肩に手を置き、恵が話を遮った。
「メグ達、愛美ちゃんの雇い主じゃないよ?」
「は、はい?」
「私達は、ここの住人ではありません。
愛美さんの……貴女の“仲間”です」
「な、仲間……ですか?
えっと、では、もしかしてお二人も、メイド……?」
「えーっ、違うよぉ。
あ、でも、メイドさんはやってみたいかな? ね、お姉ちゃん!」
「そ、そうなの、メグちゃん?」
「ねーねー愛美ちゃん! いつか、メグ達にメイドさんのお仕事教えてー!」
笑いながら両手をぶんぶん上下に振る恵と、はにかんだ笑顔を向ける舞衣。
両手を掴まれ揺すられながら、愛美は、物凄い迫力でぶるんぶるん揺れる恵の胸に、思わず目を奪われた。
(お、おっきい! あ、舞衣さんも、良く見たらかなり……)
目を見開き強張っている愛美に、舞衣が声をかける。
「どうされましたか? 愛美さん?」
「あ、あの、申し訳ありませんが、だんだん訳が――」
「あっ、失礼しました!
愛美さん、そのクローゼットの中の引き出しに着替えを用意しましたので、そちらの方をお召しになってください」
自分以上に丁寧な口調で指示され、愛美は思わず目を剥いた。
「あのね、愛美ちゃん。
ここはね、メグ達のじゃなくて、愛美ちゃんのおうちなんだよー」
「え?」
「詳しくは後ほど説明いたしますが、ここは、愛美さんがいつでもご自由にお使い頂けるマンションになります」
「ええっ?!」
「そーだよ、だからぁ、メイドさんのお仕事とかしなくてもいいんだよ」
「えええええええっ?!」
白い室内に、愛美の叫び声がエコー付きで響いた。
二十分ほど後。
バスルームで入浴を済ませ、用意された衣服に着替えた愛美は、舞衣達によってリビングルームに通された。
そこは、マンションというよりも、もはや高級な一軒住宅。
二辺に大きな窓を施し、外には東京のビル街が広がっている。
8LDKにも及び、トイレとバスルームは複数あり、ベランダも広い。
新築なのかリフォームなのかはわからないが、室内はどこも下ろしたてのように綺麗で、汚れもなければ使用感もない。
マンションには詳しくない愛美でも、この物件が並々ならない高級なものであることは、容易に想像できた。
これが、いきなり自分のもの、と言われても、実感など持てよう筈もない。
愛美は、あまりに変貌した環境に、ただ戸惑うしかなかった。
リビングのソファーに導かれた愛美は、緊張した面持ちで相模姉妹と向き合った。
(ああ、きっと、これから「面接」が始まるのですね……何のかはわからないけど)
完全にカチンコチンになった愛美に、舞衣は不安げな眼差しを向ける。
「あの、愛美さん。
どうか、緊張なさらないでください」
「そうだよぉ、ちゃんと説明するからね?」
「は、は、はい! お、お手柔らかにお願いいたします!」
「改めまして、私は相模舞衣と申します。
こちらは、妹の恵です」
「よろしくねー!」
ソファーから立ち上がり、またも深々と頭を下げる。
それに反応し、愛美も立ち上がった。
凱によってこのマンションに運ばれたこと。
丸一日以上、ずっと眠り続けていたこと。
その間、相模姉妹が交代でここに留まり、様子を診てくれていたこと。
それら事情を説明され、愛美は、猛烈な申し訳なさを感じ、平謝りを繰り返した。
「あの、それで私は、何の為にこちらに呼ばれたのでしょうか。
まだ、事情を知らされていないのですが」
愛美の言葉に、舞衣と恵が顔を見合わせる。
「お兄さ……北条凱からは、何かお話を伺っておりませんか?」
「私を捜しておられる方が東京にいらっしゃるというお話は伺いましたが、詳しくは」
「そっかぁ。それどころじゃなかったんだね、きっと」
掌を広げて、恵が不思議なリアクションをする。
愛美は、姿は良く似ているのに、話し方や性格が全然違うなと思いながら、姉妹を見つめた。
「わかりました。
詳しいお話は、いずれ別の方からされると思いますので、ひとまず……」
そう言うと、舞衣は再び立ち上がり、愛美に右手を差し出した。
「こちらに越して来られた愛美さんの為に、今日は生活必需品を買い揃えに参りましょう」
「そうそう! 私達も一緒に付き合うからねー」
恵も立ち上がり、愛美の手を掴む。
その温かなぬくもりと、二人の突然の申し出に、激しく動揺する。
「か、買い物ですか?!
そ、そんな、これ以上お二人にお手間をかけさせるわけには参りません!
それに、私はお金を持っておりませんし――」
「それでしたら、ご心配には及びませんよ」
「そうそう、お金の心配なんかしなくていいよー!
それに、このマンションってまだ全然物が揃ってないから、色々買わなきゃ不便だしね」
「で、でも……」
「ご安心ください。
さぁ、参りましょう」
舞衣も、愛美の手を取る。
益々強まる戸惑いと混乱にパニックになりかけている愛美は、二人に手を引かれて立ち上がった。
ぐうぅ~……
「きゃっ」
愛美の腹の虫が、可愛らしい鳴き声を上げる。
それを聞いた姉妹は、目を丸くしてクスクスと笑った。
「あ、あの、こ、これはその……失礼いたしました!」
顔を真っ赤にして縮こまる愛美を見て、恵は手を叩いた。
「そっかぁ! 愛美ちゃん、ずっと寝てたんだから、当然だよねー」
「申し訳ありません、うっかりしていました。
メグちゃん、冷蔵庫に何か入っている?」
「うん! 昨日、色々買っておいたからあるよー」
舞衣は愛美に微笑みかけると、もう少し座っているように促した。
「愛美さん、お嫌いなものはございますか?」
「は、え、ええ……好き嫌いはありませんけど。
えっ、でも、えっ?」
「聞こえたー!
愛美ちゃん、ちょっとだけ待っててね!
ご飯、すぐ作ってあげるからねー」
「メグちゃん、私もお手伝いしていい?」
「いいよー! おねがーい!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってくださーい!」
愛美は、慌てて立ち上がった。
「め、メイドの私が、お嬢様方にそこまでして頂くなんて、とんでもない事です!
あの、どうかお構いなく!」
急いでキッチンに向かおうとする愛美を、舞衣が優しく諌める。
「愛美さん、私達は、主従関係ではありませんよ。
それに私達は、愛美さんのお世話を兄に指示されておりますから」
(あ、あれ?
もしかして、この方々……凄く優しい?)
「で、ですが……」
まだ不安が拭えない愛美に、舞衣はにっこり微笑んで、続ける。
「じゃあ、こうしませんか?」
「え」
「今日は、私達が愛美さんお付きのメイドになります♪」
「ええっ?!」
「あ、メグもさんせーい!」
「えええええっ?!」
「私服のままで大変申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします♪」
「ひ、ひえぇぇぇ?!」
またまた、舞衣が深々と頭を下げる。
愛美の困惑レベルは、頂点に達した。
ここは、東京某所。
多くの人々が往来する街の一角、もう数十年は改装された様子のない、細い路地。
そこにひしめき合うように立ち並ぶ、雑居ビルの群れ。
その一角にある、五階建ての古びたビルの入り口には、いくつかの店の看板が置かれている。
縦長の小さな黒板に、チョークで「本日のメニュー」などを手書きするタイプの看板。
通りすがりの男が、ふと、その看板に目を留めた。
「あれ? 今日、何日だったっけ?」
男は、スマホを取り出して画面を見た後、もう一度その看板を見た。
「なんだこれ、日付思いっきり間違ってんじゃん」
そう呟くと、興味なさそうに通り過ぎる。
看板に記された日付は、三日も前のものだった。
雑居ビルの中の照明が、消えている。
階段に人の行き来する気配は感じられず、各階のテナントにも、人が居る気配はない。
開け放たれた四階の表向きの窓からは、白いカーテンがたなびいている。
店内には、白い糸状の何かが張り巡らされていた。
天井や、壁だけではない。
全てが、巨大かつ尋常ではない量の糸で、びっしりと覆われているのだ。
その異様な空間には、軽やかで優しげなBGMが、静かに流れ続けていた。
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