1-11 そうして、僕は一匹の竜を『創作』した。
しばらく目を閉じたまま、時間が流れた。
真っ暗な視界の中にいる僕はきっと死んだのだろうと思った。
不思議と痛みや熱さは感じず、穏やかな気持ちに満たされていた。
「おい、エト! しっかりしろ!」
遠くで僕を呼ぶ声がした。心地よい眠りを妨げる目覚まし時計のような不快感を覚える。死ぬときくらいは静かに穏やかに死なせてほしい。
「寝ぼけてる場合じゃねえ! 起きろ!」
怒号のような声とともに、左頬に衝撃が走った。その反動でぼんやりとしていた意識が覚醒し、黒い視界が開けて、遮断されていた五感の情報が一気に脳内に溢れ返る。
「目が覚めたか」
瞼をしばたかせてぼやける視界にピントを合わせる。すると、目の前に何故かカジの姿が見えた。
「どうして……」
「お前だけじゃどうしようもねえだろうから助けに来てやったんだよ。全く危ないところだったぜ」
どうやら彼は勝手に走り出した僕を追いかけてきてくれたようだった。
よく見ると彼の身体からはうだるような湯気が立ち上っていて、僕を守るような体勢で僕の前に立っていた。
「なかなか効くな、これは……」
彼は構えていた斧を地面に落とし、力尽きるように膝から崩れ落ちた。僕をかばって黒龍の炎をもろに受けてしまっていた。その証拠に、僕たちを取り囲むように地面の土が黒く焼け焦げている。
「カジ!」
倒れそうになるのを何とか堪える彼の肩を抱きかかえる。何とか意識は保っているものの、もはや立つこともできないほど消耗している。
「俺が何とかしとくから、その隙にお前はあのお嬢ちゃんを連れて逃げろ」
「そんな、もう戦える状態じゃないでしょ!」
「いいから行けって」
彼は落とした斧を再び手に取り、それを杖のようにして何とか立ち上がった。そして、いつでも僕たちを殺せるといった様子でこちらを眺める黒龍と対峙する。
「僕も戦うよ」
依然として目の前の圧倒的な存在に対する恐怖は消えていなかったが、彼のおかげで何とか正気を取り戻すことができた。震える手に力を入れて押さえつけながら、腰に刺した剣を抜く。
「……ったく、仕方ねえな。それじゃ、一緒にやってやろうじゃねえの」
無理矢理に自分を鼓舞するように、彼は大きな声を出して斧を構える。僕も一歩踏み出して、彼の隣に立った。
「さっきお前が走り出したとき、ハッとしたんだ」
視線を黒龍の方に合わせたまま、彼は語り始めた。
「この世界は自由だ、なんて言っておきながら、いつの間にか自分で限界を決めちまってた。自分が本当にやるべきことがわかってるのに、勝手に無理だと諦めてた。それじゃ、元の世界と何にも変わらないっていうのにな」
彼は自嘲気味に笑った。僕は何と答えればいいのかわからず、ただ彼の顔を見つめる。
「だから、俺はお前に――」
唐突に言葉が途切れたかと思うと、次の瞬間には目の前にいたはずの彼の姿が消えていた。あまりに一瞬の出来事で、何が起こったのかを理解するのにしばらく時間がかかった。
消えたかに思われたカジの身体は、二十メートルほど離れた木の根元まで吹き飛ばされていた。彼は黒龍が振るった尾の先に当たったようだった。
僕は弱肉強食という意味を捉えかねていたのかもしれない。僕たちと黒龍にはそんな言葉では説明がつかないほどの歴然とした差があった。生物として、同じ空間にいることすら許されないほどに。
これは戦いですらなかったのだ。単なる蹂躙であり、それどころか、黒龍にとっては足元にある木の枝をへし折るのと変わらない行為だった。
この世界は自由だ。だからこそ、自由を求めるための対価が必要だった。
僕はそのことをまるで理解していなかった。
「ごめん、カジ……」
身勝手なわがままに突き合わせて、彼まで巻き込んでしまう形になった。素直に彼に従って逃げていれば、せめて僕たちだけは助かったはずなのに。
そもそもどうしてあのとき走り出したのかもわからなかった。助けを呼ぶ声が聞こえて、気付けば身体が動いてしまっていた。
異世界にやってきて、いつの間にか英雄気取りになっていたのかもしれない。でも結局、僕は元の世界と何も変わりない。自分自身を見つけることと、自分を過信することはまるで違うことだ。
握っていた手の力が抜け、剣が虚しい音を立てて地面に落ちる。
ちょうどカジを吹き飛ばした黒龍の尾が僕の方に向かって戻ってきた。もう今からは避けることもできない。今度こそ本当に死が迫ってきていた。
――せめて僕に力があれば……。
恐怖よりも悔しさが勝っていた。僕だけ死ぬのならともかく、あの少女も、カジも助けることができないなんて。
『力なら、持っているはず』
コマ送りに竜の尾が迫ってくる中、突然頭の中に奇妙な声が響いた。
『あなたは力を持っている』
その声は直接頭の中に入り込んでくるような不思議な感覚だった。声自体には靄がかかったようで、ぼんやりとしていて声色や感情が読み取れない。合成音声を聞かされているような、無機質で不気味な声だった。
『想像するのです』
「想像?」
『そう。思い浮かべてみてください。あなたはあの黒龍をも倒す、最強の僕を召喚する』
あの黒龍を倒す? 正直言って、全く想像がつかなかった。
『いえ、あなたには想像ができる。あなたが憧れた理想の自分を妄想したように、子どもの頃にありえない世界を夢想したように、本を読みながらその作品世界を空想したように、自由な発想を引き出すのです』
確かに、僕は昔から想像することが好きだった。本が好きで、よくその作品に入り込む自分を想像した。
竜を倒すなら、同じ竜がいいだろう。恐ろしい黒龍に対抗する、温かで優しい強さを持つ竜。
『そう、それでいい。頭の中でその竜の存在を組み上げて、『創作』する』
何故だかその声が言っていることを理解することができた。僕は竜の姿や設定を考えて、漠然とした存在を具体化していく。身体の内側から魔力が湧き上がってくるのを感じた。鼓動が早まり、全身の血液が世話しなく身体中を駆け巡る。練り上げられた魔力がうねりとなって溢れ出し、目の前に浮かぶ巨大な魔法陣へと集まっていく。
そうして、僕は一匹の竜を『創作』した。
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