第30話

 ラスが母であるキャサリンと仲睦まじく過ごしていた頃、リカルドは皇太后の馬車で色街に向かっていた。


 ラスの帰還、キャサリンの帰還。


 これらはどうやっても隠せない。


 だから、絶大な権力を持つ母である皇太后が、ふたりのためなら楯になると言ってくれたのは有り難かった。


 勿論すべてを母任せにはしない。


 今度こそふたりを守ってみせると決意している。


 しかしそう決意する度にジェラルドやジュエルの落ち込んだ顔が浮かぶ。


 それでつい言ってしまった。


 それまで母にも黙っていた疑念

を。


「母上」


「どうしました?」


「女性というものは、いつどうやって身籠ったことを実感するんだろう」


「リカルド?」


「ルイのときもジェラルドのときも身に覚えはあった。だから、すんなり納得できた。だが」


「まさか。ジュエルのときは身に覚えがなかったと?」


「ジュエルを妊娠したと告げられた頃、夫婦関係は既に破綻していた。それで子供が出来るわけがないんだ。現にわたしは今になっても、ジュエルが我が子だという実感がない。あの子にはなんの罪もないから、申し訳なく思うが」


 一番波風を立てない方法は、このままジュエルをリカルドの王女として嫁がせることである。


 今更、血の繋がりの有無を問うことは、リカルドのためにもジュエルのためにもならない。


 下手をしたらジュエルは不義密通の子として身分剥奪。


 軽くて追放。


 最悪の場合だと母子共々処刑も考えられた。


 皇妃の不義密通はそれほど重い罪だった。


 もしキャサリンに今まで違う恋人がいたとしても、それは彼女が生きていく上で避けては通れない道だ。


 それにその頃、彼女は皇太子妃、今は皇后か。


 皇后の位から降ろされていたから、不義密通には該当しない。


 しかしエリザベートの場合は現役の皇妃。


 リカルドに覚えのない子を産むということは、間違いなく不義密通に値する。


「ですがエリザベートは、リカルドの子を身籠ったとそれは喜んで」


「そこが解せないんだ。母上」


「リカルド」


「わたしには本当に身に覚えがないんだ。だが、エリザベートはわたしの子だと信じている。これはどういうことだ? わたしの子を産みたいと思い詰めた末の想像妊娠ならまだわかる。だが」


「それではジュエルが生まれるはずがありませんね」


「なにがなんだかわからない」


「今までわかっていて口にしなかったのに、今になって明かしたのは何故ですか?」


 母にも言えない本音があった。


 ジュエルが自分の子でも違っても、あの頃のリカルドには、どうでもよかったのだ。


 だから、問いには答えずに言葉を重ねていった。


「世継ぎだけでも妃の地位は保証されるが、その後夫婦仲が破綻した場合、エリザベートの地位を盤石にするには、第二子が必要だ。そこまでしてエリザベートやジェラルド、ジュエルの地位を確かなものにしたい動機はなんだ?」


「逆から言えばそこまでしてでも、三人の地位を守るために恐れている相手がいる、ということですね」


「まさか。ルイとキャサリン?」


「それらを一本の線で繋ぐと出てくるのはアドラー公爵だけです」


 今は皇妃の生家として絶大な権力を誇るアドラー公爵。


 彼が黒幕だった?


 娘の恋心を利用してリカルドに嫁がせ、世継ぎを産ませるために、キャサリンも彼女のお腹にいたルイも邪魔だと画策した?


 いや。


 しかし。


「アドラー公爵は曲がりなりにも叔父上だ。母親は第二妃だったが」


 父である兄王子とは仲が良かったはずだ。


「実は陛下がご健在の頃。何度か皇位を継ぎたいと訴えていて」


「え?」


「なんの落ち度もない皇太子を皇太子の位から降ろせないと諭されて、納得してくれたとばかり思っていましたが」


「そう言えばアドラー公爵子飼いの将軍で、ユダという名の者がいたな。キャサリンは名前だけで差別される彼が可哀想だと、折に触れ目にかけていたが」


「その者なら可能でしょうね。キャサリンを油断させて薬を飲ませることも、陛下を弑逆した後にキャサリンに罪を被せることも」


「まさか。信頼させて裏切った?」


「ただ命令されただけかもしれません。けれどその可能性は高いでしょうね」


 公爵の子飼いというだけで、そういう意味に変じるものだとマリアンヌは思う。


 もし疑いが的外れなら、自分で証明するべきだとも。


「ですがすべて当たっていた場合、キャサリンの受ける心の傷が気になります」


「確かに」


「無事に生き延びて世継ぎを名乗るルイにも危険なだけです」


「厄介だな」


「ルイの生い立ちや攻撃出来る弱点を徹底的に叩くでしょう。それにキャサリンが無事に生き延びて戻ってきた今、ドルレインの動向も気になりますね」


 マリアンヌの理路整然とした口調にリカルドは、つい言ってしまった。


「母上は産まれてくる性別を間違えてはいないか? それだけの才気があれば、名君になれただろうに」


「褒め言葉として受け取っておきますよ」


 うふふと笑う母にこの人の息子で良かったと安堵するリカルドだった。


 馬車は一路色街を目指している。


 明らかになってきたアドラー公爵の陰謀。


 巻き込まれていくラスやジェラルドたち。


 まだ光明は見えない。

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