第9話

「だから、ドルレイン人には姿を見られるな。わかったな?」


「そんなことを言われても。この国にだってドルレイン人は来るじゃないか。商人とか」


「まあな。だから、注意している」


「どう注意しろっていうんだよ?」


 頭痛い。


「それに幾らそっくりでも男相手に、そういう気にはならないんじゃ」


「ドルレインの風習を知らないのか?」


「なに?」


「ドルレインのハーレムの半分は男だと聞いているが?」


「げっ」


 それって王様は男でも全然構わないってことだよな?


 本気でやめてくれ。


 これ以上厄介な立場には立ちたくない。


「また時間を作って逢いに来る。それまで無事でいてくれ」


 そう言って男は名残惜しそうにラスを解放した。


 何度も何度も振り返る様子から、本気で心配しているのだとわかる。


 どうすればいいのかわからなくて唇を噛んだ。






 それからは波風の立たない毎日が続いた。


 あの男が訪ねてくるでもなく、あの若様が色街へと戻れと言いに来るでもない日々が。


 それまでと同じようにジュエルが訪ねてきてまとわりつかれるだけの毎日。


 しかし最近はラスも見回りに出るようになっていたので、彼女が来ても居ないことも多く擦れ違っていた。


 団員たちからはジュエルが、それは寂しそうに戻っていったと揶揄い交じりに言われたが、ラスにしてみればこのまま忘れてくれないかなといった感じだった。


 どう考えても身分違いだったので。


 このところの街の噂は色街で名を馳せたオッドアイのラスが、どうやら都に移り住んだらしいというものだった。


 お陰でラスはうんざりしつつある。


 どこから嗅ぎ付けるのか知らないのだが、ラスが自警団にいると嗅ぎ付けた者が、一目見ようと訪ねてくるからだ。


 自警団たちも厄介事は嫌なので、誰がラスなのかいるのかいないのかすらも教えない。


 しかしラスの顔を一目見た者たちは、彼こそが「オッドアイのラス」に違いないと勝手に納得してしまう始末。


 このままでは色街の二の舞だと頭を抱えていた。


「ラス。そろそろ見回りに行ってこい」


 隊長に言われて時刻を確認する。


 確かにそろそろ夕刻だった。


 ラス目当てでやってくる者が一番多く訪ねてくる時間帯だ。


 ここにいない方が厄介事が減るので、この時間になるとラスは見回りに行く。


 隊長はそれを言っているのだった。


「わかった。行ってくる」


「そのまま寄宿舎に戻っていいからな。今夜は」


「じゃあどこかで飯でも食ってから帰るよ」


「それはやめてくれ。特に酒場はお前が行くと事件が起きる」


「ひでーな」


「実際お前が酒場に行った日に限って事件が起きているだろう。大人しくしておいてくれ」


 事件が起きた場にラスがいることも多いが、ラスが居なくなってからラスの話題で盛り上がった男たちが、揉め事を起こすパターンも多い。


 どちらにせよ、ラスはその美貌で注目の的だということだ。


「わかったよ。大人しく食堂にしとく」


「そうしてくれ。それもできれば人気のない食堂で」


「それ。味の保証がないじゃねえか」


 呆れてラスが言い返すと隊長は肩を竦めてみせた。


「そのくらい諦めてくれ。揉め事が起きない方が重要だ」


「たまんねえな」


 それだけ言ってラスは出ていった。


 見送って隊長はため息をつく。


 今更のようにオッドアイのラスの異名の凄さを痛感しつつ。






 大通りを歩いているとラスの美貌を見て噂する男たちや女たちがざわめき合っていた。


 本部にいないならいないで、こうやって街で騒がれているラスは、どっちにしても目立つんだなと半ば諦めていた。


 どのくらい巡回していただろうか。


 不意にざわめきが伝わってきた。


 どうやらどこかどケンカが起きているらしい。


 慌てて駆け付けると男たちが取っ組み合いのケンカをやっていた。


「なにやってんだよ、アンタたちっ!!」


 ラスが引き剥がすが男たちは睨み合ったまま譲らない。


「お前のところの料理の不味さに腹が立ったんだっ!! なのにどうして代金を払わなきゃならないっ!?」


「なにをっ!?」


「いいからやめろってっ!! いい歳をした男が小さいことで揉めてんじゃねえよっ!!」


 ラスが止めに入っても熱くなった男たちは中々静まらない。


 そんな喧々囂々のやり取りを近くから見ている男たちがいた。


「あれは……」


「どうなさいました?」


「何故姫があのような場にいる?」


「姫?」


 呆然と呟かれた声に傍にいた男が振り返る。


 そうして唖然とした声を出した。


「キャサリン様……?」


「何故彼女が……」


 呆然と繰り返すだけのフードで顔を隠したマント姿の男、


 その傍に控えている男のひとりが、近くにいた女性に声を投げた。


「申し訳ないがあそこで仲裁に入っているのは誰ですか?」


 声を投げられた女性は興奮気味に振り向いた。


「あなた知らないの? 最近自警団に入った人よっ!!」


「自警団?」


 目配せする男たちにも気付かずに女性は捲し立てた。


「彼。それは素敵な人なんだからっ!!」


「……彼? 彼女の間違いでは?」


 怪訝な顔になる男に女性が朗らかに笑う。


「疑いたくなる気持ちはわかるけど彼は男性よ。というより青年? 未成年だって話だし」


「未成年? 幾つですか?」


「さあ? 知らないわ。あまりに騒がれ過ぎているせいか、自警団の方も彼をガードしていて、彼の情報はチラッとも漏らさないのよ」


「そうですか」


 ここまで情報を聞き出してから、傍で聞き耳を立てていた別の男が、動揺を隠せない主人に声を投げた。


「どうやら姫ではないようです」


「だが、あれだけ似ていて別人のわけがっ」


「落ち着いてくださいっ!!」


 諌められて男が黙り込む。


「もし姫だとしたら年齢が合いません。幾ら幼い顔立ちの姫だったとしても、生きていらしたなら今年40歳におなりです。あんなに若いはずがないっ!!」


「っ」


 想い出の中の姫はあの頃の女性のまま今も尚美しい。


 あそこにいるのは想い出の中の女性そのままだった。


 年齢が合わないと言われれば男にも返す言葉がない。


「あの男の素性を調べろ」


「しかし」


「とにかく徹底的に洗え。もし連れ去っても問題が起きない家の出なら」


「どうなさるおつもりですか?」


「祖国へ連れて帰る。必ず拉致せよ」


「ですがっ」


「わたしは薄情なこの国の皇帝とは違う。妃に弑逆の嫌疑がかかったまま助けられなかった軟弱者とは違うっ!!」


「……」


「あのまま彼女を奪えていたら、今頃幸せにできていたのに」


「しかしキャサリン様は身籠られていらっしゃいました。この国の皇帝の子を、です。出産も間近でした。それで本当に幸せにできたのですか?」


「わたしはその程度の男だとでも言うつもりか?」


「いえ。そういうわけでは……」


 言い返しながら男はそっとラスを見る。


 確かに見れば見るほどキャサリン妃に似ている。


 本来なら今頃この国の皇妃として大輪の薔薇のように咲き誇っていたはずの絶世の美女キャサリンに。


 それから自分が言った言葉を思い出しハッとした。


「まさか……」


「どうした?」


「いえ。ふと疑問に思っただけです。キャサリン様は無事に子供を産み落としたと噂されています」


「確かに。だが、あれから19年経っている。名乗り出ないところを見ると死亡しているのではないのか?」


「わたしもそう思っていましたが……本人が素性を知らないとしたら?」


「まさかあの男がそうだとでも言うつもりか?」


「確証はありません。ですが彼はあまりにキャサリン様に似すぎている。他人の空似では通用しないほどに」


「それが事実ならこの国の次期皇帝ではないか。皇女ではなく皇子だというなら、年齢的に第一皇子ジェラルドの兄ということになるからな」


「はい」


「もしかしたら単にリンドバーグ家の出身なだけかもしれませんよ。将軍」


「落ちぶれたとはいえ皇太子妃を排出したリンドバーグ家が、自警団ごときに入団する? 有り得ない」


 すべての視線がケンカの仲裁をしているラスに向けられている。


 問いの答えを求めて。



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