第6話
「今日は来ないんだな」
何気なく呟いていた。
ここのところ毎日のようにジュエルにまとわりつかれて、正直に言えば疲れていたのだ。
なにしろ自分とは住む世界の違う少女だ。
あまり深入りされても困るのに、彼女は毎日のように自警団の本部にやって来ては、ラスにまとわりついていた。
ラスは今のところ自警団の本部に詰めていることが多い。
というのも都の地理に不案内だからだ。
同時に隊長からの要請で色街の自警団と連携をとりたいということで、その手筈に追われていることもあり、ラスの今のところの任務は事務所ですべて行えることだったので。
そのせいでジュエルはラスを捜すのにほとんど苦労しない。
なにしろ自警団の本部に行けば、ラスはそこにいるのだから。
彼女があまりにまとわりつくので、自警団の連中からは揶揄いの的になっている。
アイドルではあるが高嶺の花と皆承知しているので、彼女に執着されることでラスが嫉妬されることはない。
寧ろ親しくなっても報われない関係だと、みんな知っているので気の毒そうだった。
ラスが色街出身だと知らないのは、ジュエルだけだったので。
自警団員だというだけで身分違いなのに、ラスはその中でも異色の色街出身。
あんまり深入りして欲しくないなというのが本音だったりした。
別に彼女のことを嫌っているわけではないのだが。
「邪魔をするよ」
そんな声が聞こえて振り向けば、どこかで見たような顔の男が立っていた。
ラスから見れば少年と言いたくなる年齢だが。
銀髪、銀瞳?
面影がどこかジュエルに似ていた。
「新顔だね。隊長は?」
「見回りに出てる」
「そう」
「捜して参りましょうか?」
「そうだね。捜してきてくれるかい? マックス? 隊長に逢わないことには目的が達成できないし」
「畏まりました。暫くお待ちください」
それだけを答えた男性が姿を消す。
少年は当然なように事務所内の椅子に腰掛けた。
「きみ……お茶くらい用意したら? お客なんだし」
「欲しがったら自分で淹れな。俺は知らねー」
ラスがそう言えば少年は唖然とした顔をした。
身分的にこういう扱いに慣れてないのかもしれない。
「きみ……わたしとどこかで逢ったかい?」
「は? 知らねえよ。どこの若様だか知らないけどな? そんな奴俺の知り合いにはいねえから」
「そう? でも、顔に見覚えが……」
頻りに悩む少年を放置して、ラスは事務に戻った。
色街との連携のための計画書の作成だ。
国の機関になったことで、自警団もそれまでみたいに適当な運営では済まなくなり、こういう手続きがいるらしい。
ラスは字が書けるのでなんとかなっているが。
「きみは新顔だよね。名前は?」
「イチイチうるせえな。ラスだよ。仕事の邪魔をするなよ、アンタ」
振り向いたラスの顔を正面から見て、少年は……ジェラルドは彼の顔をどこで見たのか、ようやく思い出した。
ハッと息を呑む。
「きみ……何度も聞いて悪いけど、どこの家の出身?」
「そんなことはアンタに関係ねえだろ。教える義務はねえな」
「そう言わないで教えてくれないかな? まさかリンドバーグ家関連とか、そういうの?」
「は?」
思いっきり理解できないという顔をすると、相手はひとりで勝手に「まさかね。幾ら落ちぶれたとはいえ、リンドバーグ家の出身なら自警団にいるはずがのない」と納得していた。
「じゃあもうひとつ訊くけど歳は幾つ?」
「アンタほんとにしつこいな。19だよ。それがなんだってんだ」
「わたしよりふたつ年上の19歳?」
相手の顔が青ざめていた。
変な奴だなと思いつつ、ラスはまた手元に視線を落とす。
「きみは最近自警団に来たってことは、それまでどこか違うところにいたんだよね? もしかしたら都じゃないところに」
「だからっ。それがどうしたって言うんだよっ!? いい加減にしてくれ!!」
我慢できないとラスが怒鳴れば、相手の少年が近付いてきて、ラスの顎に手をかけて上向かせた。
机に向かっていたラスは唖然として彼を見る。
「悪いことは言わない。元の街に戻った方がいい」
「……なんで」
「いつここに来たのか知らないけど、半月前には居なかった。つまり半月以内にここに来たんだ。それでわたしに見付かっている。危険なんだよ、きみが都にいることは」
危険。
そう言われてあの雨の夜に逢った男のことが思い出された。
ラスに父親かもしれないと言った男。
自分の息子だったらラスが危ないと言った男。
「アンタに従う義務も義理もねえな」
冷たく手を振り切ると相手は真摯な目をして言ってきた。
「きみのためを思って言ってるんだよ。投獄されたくないだろう?」
「投獄?」
危険という言葉と投獄という言葉が繋がっているなら、あの男絡みだとしたらなにを意味する?
略奪された女性が産んだ子供に、どうしてそこまでの罪がある?
「俺には投獄される覚えはねえよ」
「そうだね。きみにはないと思うよ。まずいのはその顔だから」
「顔……」
やはりあの男絡みなのだろうか?
この少年もあの男絡み?
「きみの顔がきみを窮地に追い込みかねない。だから、人々の目に触れないところに、今までいた場所に戻った方がいい。そう言ってるんだよ。まだ理解できない?」
言われても答えられなかった。
これではあの男から解放されたと言えない。
今もこうして振り回されているのなら。
「もしきみが本当にリンドバーグ家の出身ならまだよかったんだ。言い訳は使える。その顔を持っていてもね。でも、リンドバーグ家とはなんの関係もないとしたら、きみが危険な目に遭う」
それはつまりあの男の子供、もしくはキャサリンという女性の子供だったら、という意味なのか?
略奪された女性にはなんの罪もないはずだ。
だが、この口調はおかしい。
まるで彼女になにか罪があったような言い方だ。
だから、産まれてきた子も歓迎されない。
そう聞こえる。
だから、あの男は保護しようとしていた?
略奪されただけじゃなくて、なんらかの罪に問われたまま、19年が過ぎていたから?
「アンタの言ってることが、まるで理解できない。なんで俺がこの顔をしているだけで、そんな目に遭わないといけないんだ?」
「それは……」
「言えないのに出ていけ? そんな理不尽が通るものかよ!!」
「弑殺って……知ってるかい?」
「……聞いたことねえな。なんだよ、それ?」
「皇帝を殺害した罪に問われた罪人のことだよ」
「皇帝を殺害?」
この国の統治者は皇帝だ。
それを殺害?
「きみはね。その弑殺の罪を犯したと嫌疑をかけられている女性と、そっくり同じ顔をしている」
さすがに目を見開く。
弑殺の罪の大罪人?
それってあの男が19年も捜していた女性がそうだということか?
あの男は罪人と承知で捜していた?
「正直に言えばね? 疑いがあるというだけで確定はしていない。本人がいないしね」
「……」
「でも、19年も経ってしまえば、大方それが真実として通ってしまっている。わからない? 彼女は当時身籠っていた。きみの年齢。きみの顔立ち。どれを取っても彼女に結び付く。それがなにを招くか、本当にわからない?」
まさかこういう事情があろうとは。
それはまああの男は焦って確認しようとするだろう。
疑いが事実なら息子を守りたかったのだ。
産まれてきた息子には罪がないから。
「アンタ……マジで俺がその女性の子供だって信じてんの?」
「さあ。どうかな。19年経っていると言っただろう? 真実なんて闇の中だよ。彼女の子供は無事に産まれたかもしれないし、とっくに殺されているかもしれない。それできみがそうだなんてわたしにも断言できないよ」
「それでなんで俺がそんな目に遭わないといけないんだよ? ただ顔が似てるってだけで」
「きみの不幸だと諦めるしかないね。その顔を持って産まれたのが悪いんだって」
「酷いことさらっと言うな。アンタ」
「わたしにとっても辛いんだよ。男だったらわたしの兄。女だったらわたしの姉の話だからね」
「えっと。でも、その女性はいなくなってるんだよな?」
「そうだよ。わたしの母親は彼女じゃない」
「つまり父親が同じ?」
問い掛けると頷かれ、難しい顔になった。
(この人もしかしてあの大ボケヤローの息子? いや。まだそうだと決まったわけじゃねえけど)
「変なことを訊くけど」
「なんだい?」
「アンタの父親ってひょっとしたら、物凄く早とちりな大ボケヤロー?」
「え? さすがに父上のことをそんな風に言える度胸のある者はいないんじゃないかな?」
ちょっと顔がひきつっていた。
やっぱり違うか。
「お待たせしました!!」
そこまで話したとき、焦ったように隊長が飛び込んできた。
背後には隊長を呼び戻しに行ったマックスと呼ばれた男が立っている。
「ああ。済まないがラス。お前は暫く見回りに出ていてくれ。大通りならわかるだろう?」
「わかったよ」
答えてラスは立ち上がった。
通りすぎようとすると少年に手首を掴まれた。
嫌々振り返る。
「なんだよ?」
「さっきの話を考えておいてほしい。事情はわかって貰えたよね?」
「……興味ねえな。誰かに指図されるのは趣味じゃねえ」
「きみね」
「俺にとっては人違いの話で、ただ迷惑なだけだ。従ったら認めたことになるだろうが」
「自分のためにならないと知っていても?」
「アンタ知ってるか? 天涯孤独で生きてきた人間ってのはな? 雑草なんだよ」
「雑草……?」
「踏まれても摘み取られてもまた生える。そういうことだ。じゃあな」
振り切って歩き出した。
本心では混乱していたけれど。
ラスの姿が消えた頃、ジェラルドは大きく息を吐き出していた。
これは調べる必要がありそうだ。
本当に人違いの可能性がある以上、彼の身に害が及ばないようにしなければ。
「殿下。今日は急なお越しでしたが何用ですか?」
「ああ。ジュエルが最近になって頻繁に来ているようだから、誰に逢いに来ているのか知りたくてね」
「それは……」
隊長の目が外に向く。
それですべてを察して目を見開くジェラルドだった。
「まさかさっきまでここにいた彼に逢いに来ていた?」
「はあ。随分懐いておいででした。毎日ラスに逢いに来てはまとわりつかれて」
「なんてことだ」
兄かもしれない可能性のある人。
ジュエルはそれを知らない。
どうすればいい?
人違いならまだいい。
身分違いの恋に泣くだけで済む。
だが、本人だったら?
深い迷宮に立ち入った気がして、ジェラルドは目眩を堪えるのだった。
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