彼女は満ち欠ける

さかな

第1話忘れられない出会い

「死なないで!死なないで!」

「ごめんね、千鶴」




7年前の夏。まだ小学生だったあの時のことを今でも夢に見る。もう何度も見た夢なのに大切な母親を1回も救えることはなく。目覚めた朝は汗がだらだらで動悸が激しくなる。










***


「あちぃ〜」高校一年の夏。親と喧嘩して、家を出た最初の感想だった。ある日を境にいきなり気温が上がる8月。つい一昨日までは冷え込む時があったというのに今日に限って外は快晴だ。夏休みだというのに友達からの遊びの誘いもなく、家で絵を描いていると酒によった父親が怒号を飛ばしてきたのがきっかけだった。


今年の春から父親の仕事の都合で田舎から引っ越してきたがこちらの生活はうまく行っていない。いや、もっと前からか。僕が小さい頃に母親を亡くしてから酒癖が悪くなった。新しい生活で改善されるかと思ったがかっての違うストレスで余計めんどくさくなった。突然暴力的になったかと思えば泣いて謝り出す。最初は怖かったが今はもう諦めている。でも、僕の描いた絵を破りしてたことだけは許せなかった。ようするに家出したわけなのだ。祖母の家ぐらいしかあてもないので、貯金したお金を持って新幹線に乗った。度々おとずれる浮遊感に気持ち悪くなりつつも新幹線を後にしてバスに乗る。祖母の家についた頃にはもう外は暗くなり始めていた。僕が住んでいたウシロ姫地町は人口約2万人。幸い若い人が多く仕事場を増やしたり、子育てしやすいように公園や施設などを建設している。それでも田舎であることに変わりなく夜になれば外は真っ暗で川に行けば蛍の光が鮮明に見えるようになる。歩いて30分ようやく祖母の家についた。東京に住んでいたらありえないことだがドアに鍵はかかっていない。


「おばあちゃん。千鶴ちずるだけどはいるよ」


靴を揃えて中に上がると驚いた顔をした祖母が座ってテレビを見ていた。


「ちずちゃんどうしてここにいるの」

「お父さんと喧嘩して家出してきちゃった」

「そうか秋人あきひとさんとね。それで私のところに来ることは伝えたのかい」

「ごめん。何も言ってない」

「心配するよ秋人さん」

「心配なんてしないよお父さんは」


目線をそらして答えるとしょうがないといった様子で黒電話を取った。


「私から連絡しておくから自分の部屋に荷物おいてきな」

「ありがと」

「置いたらもどってきてねご飯作るから」


わかったとだけ言って2階にあるかつての自分の部屋に行く。机や漫画はそのままで部屋の掃除だけはしてくれていたのかホコリは見当たらない。たいした物は持ってきていないが背負ってあったリュックをおろして、階段を下る。


「そうだ。先に風呂入ってきな沸いてあるから」

「そうするよ」


外で歩いた時間も結構あったので汗でベタベタとしていた。服を脱いでいる最中に着替えがないことに気がついた。絵を描いてる時に喧嘩してすぐ出たので、リュックには財布とスケッチブック、色鉛筆しかない。

服どうしよかな。


「ちずちゃん着替えないよね」

「うん」

「おじいちゃんのが残ってるからそれに着替えて」


バスタオルが積んであるところを見ると緑と黒のジャージが置いてあった。祖父の服も残してたんだと少しだけ心配になる。祖父と母親が亡くなった時祖母は相当滅入って体調を崩していた。今は元気そうだけどまだ気持ちに整理できていないのかもしれない。風呂を出て、ご飯を食べる。時間は8時を過ぎていた。せっかくこっちにきたんだ。蛍でもみたいな。祖母に許可をもらって外に出る。虫の鳴き声が聞こえてくる。虫自体はビジュアルが気になって好きになれないが虫の声は風情があって嫌いではない。ここから一番近いのは天地川だろうか。まあとにかく僕の知ってる蛍の見える川はそこしかない。


「おぉ」


久しぶりに見た。ここに住んでた時もいつでも見えるからとずっと見ていなかったし、やっぱ綺麗だ。青々とした緑色と真っ黒な空川の流れる音。見える光は蛍と多くの星々。月は三日月とも言えないほど削れた形だったが、月が星の明るさを邪魔していない。東京じゃきっと見えないここだけの景色。

こんなに良いもの見たら絵を描きたくなる。溢れ出る高揚感と掻き立てられる衝動。今朝の陰鬱とした気持ちなんてもうどこかへいった。


「こんなことならリュック持ってくればよかった」


仕方ない今日は座ってただ見てるだけか。また明日来れば良い。ふぅ〜今日一日の疲れた気持ちを吐き出すと景色だけしか捉えていなかった視界に白いワンピースが写った。うわっここに人いたんだ。しばらく気にせずに見ていたがいつもはしないのについ話かけてしまった。



「ねぇ君はよくここに来るの?」

「え……」


声をかけると驚いた顔をして振り向いた。少し小さい子かと思ったけど、そんなことはなさそうだ。僕と同い年くらいだ。幼気な可愛い顔立ちだったけど、表情が大人というか雰囲気が小さい子とは思えなかった。肌は半透明なのかと思うほど白くて日差しに焼けていない。相当気をつけているのだろう。



「もしかして私」

「君以外はいないだろ」

「それもそうだね。さっきの質問だけど毎日いるよ」

「良いなこんな景色を毎日見えるのは」

「へーじゃああなたはここの人じゃないんだね」

「少し前まで住んでいたんだけどね」




これ以上どちらも話さなかった。話すことは特になかったし、あまり知らない人に話しかけるべきじゃない。

これ以上ここにいてももっと描きたくなるだけだ。帰ろう。そっと立ち上がり女の子に背を向けて歩き出す。


「ね、ねぇ」

「ん?」

「明日も来る?」

「見に行くよ。というよりも絵を描きに来るよ」

「そっか。じゃあまた明日」

「また明日」


不安そうに言う彼女についまた明日と言ってしまった。明日はこの子がいないところに行こうと思ったがいいや。この景色を僕は描きたいし、それに直感的に思ったんだこの主役のいない景色を彩るのは彼女になるって

僕と彼女はこうして出会った。まだ名前も知らない2人だけど、この出会いはきっと忘れられない。










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