第16話

「あなたが男性として生きる手段はひとつだけ。女神サリア様の求婚を受け入れて、女神様の夫として生きること。それだけです」


「そんな理不尽なこと納得できるかよっ!! それに今まで女神から干渉なんてされなかったじゃないかっ!!」


 気が付いたら立ち上がって母さんを怒鳴り付けていた。


 これが事実なら母さんには責任がない。


 すべて前世の俺のせいだ。


 わかっていたけど止まらなかった。


 受け入れたら女神の夫として不本意に生きていくか。


 それとも女として生きて男としての自分を捨てるか。


 どちらかの結果しかなかったから。


「女神様とランドルフ様の間で交わされたらしい条約のせいです」


「え?」


「記憶を取り戻すまでは干渉しないでほしい。そうお願いされたそうです。せめて事実を知って受け入れるまでは自由でいさせてやってほしいと」


 それが事実なら自分のせいで制約が生じる後世への彼なりの誠意なのだろう。


 でも、それを素直に喜ぶだけの余裕が俺にはなかった。


 憤りしか感じられない。


「あなたならその家系図の本来の使い方もわかるかもしれませんね」


「本来の使い方?」


「言い伝えによればその家系図こそ、ランドルフ様のご遺言だとか。日記らしいですよ?」


「日記?」


 パラパラと捲ってみる。


 でも、どこにも変なところはない。


 普通の家系図だし。


 でも、変だな。


 家系図なら普通は本にはしない。


 長い表になっているのが一般的だ。


 こんな世代毎に区切った家系図なんて聞いたこともない。


 つまりこれは本当に日記なんだ。


 だから、本になってる。


 俺は真剣な顔で本を調べ始めた。


 そんな俺に母さんはなにも言わずに部屋を後にしてくれたけど。


 出ていったことにも気付かなかった俺は、母さんに「ごめん」と言いそびれた。


 あの話が事実なら俺のせいで苦労してきた母さんに。






「はあああああ」


 長くやりきれないため息が出る。


 中庭で休んでいた俺は、膝の上に例の書物を乗せて、ただボンヤリしていた。


 書いた本人の転生である俺なら、この本の正しい使い方もわかるんじゃないか。


 母さんはそう言ったけど、あれからどう調べても、この本の正しい使い方なんてわからなかった。


 それだけじゃない。


 ランドルフの遺言すら見付けられなかった。


 たぶん女神に関するなにか大事なことを遺言してくれていると思うんだ。


 それこそこの状況を打破できるようななにか。


 もしくは……考えたくないけど、完全に希望を断たれるようななにかが。


 現状を打破できるか、それとも希望も持てないと思い知らされるか。


 その鍵を俺は握っているのになにもわからない。


 勿論女神なんて関係なくこの事態を解決する方法もないわけじゃない。


 例えば女神の意思に従いたくないから敢えて男と契る。


 俺が本当に女になる。


 それもひとつの方法なんだろうとは思う。


 でも、それって結局女神に負けたことになるし。


 本気で好きな相手ができて、自然な流れでそうなるならまだしも、女神に従いたくないからと好きでもない男に抱かれるのは、ちょっと抵抗がある。


 そうやって男の俺と女の俺の狭間で、俺は俺で苦しんでるっていうのに、兄貴は相変わらずの猛アタック。


 最近は辟易してきて、俺はこうして逃げ回るようになっていた。


 それに少しでもいいから、この本について調べる手段を探す時間を持ちたいし。


「なんで……俺はこんなに力がないんだ。情けねえ」


 目を閉じれば涙が零れそうになる。


 そんな俺の頭をだれかが撫でてくれた。


 ハッとして見上げる。


 そこにはオーギュストの優しい緑の瞳があった。


「オーギュ」


「サイラスになにかされて逃げてるのか? 弱音を吐くのはおまえらしくないぞ、シリル」


 オーギュストが膝の上にある本に視線を向ける。


「義伯母上の実家の家系図か? どうしてそんなものを?」


 意外なところから突っ込まれ、ハッとして隠そうとしたら、オーギュストがそれを遮るように奪ってしまった。


「オーギュ!!」


 身長じゃ敵わない。


 どんなに手を伸ばしても背伸びしても、オーギュストが握ってる本には届かない。


 意地になる俺をオーギュが上からじっと見下ろしていた。


「この本に秘密があるのか?」


「……え?」


「おまえが抱えてる事情とやらにこの本が関係しているのかと訊いてるんだ。答えろ、シリル」


「なんでおまえがそんなことを知りたがるんだよ、オーギュ。おまえ俺のことキライだろ」


「それは」


 オーギュは困ったように目を伏せる。


「好奇心で入り込んでくるなよ、迷惑だ」


 それまでの敵対関係を思えば、どうしてもそうだとしか思えなくて、俺はなんだか泣きたい気分でそう言っていた。


 本音を言えば俺は前ほどオーギュストを嫌ってない。


 でも、オーギュストはそうじゃない。


 そう思ったらなんだか悔しくて。


 なのにオーギュストは「好奇心」と言われ、血相を変えて反論してきた。


「好奇心なんかじゃないっ」


「は?」


 わけがわからない。


 この男はなにを言い出したんだ?


 小さい頃から敵対してきた天敵たる俺たちの間に好奇心以外のなにがあるって?


「おまえの助けになりたいんだっ!! それくらい悟れっ!! この鈍感!!」


「助け? 鈍感って? え?」


 俺は思考がついてこなくて、とにかくキョトンとしてた。


「サイラスに襲われて震えて怯えていたおまえを見たときから、おれはおまえを助けたいと思ってた。好奇心じゃなくて、おまえの力になりたいと思ってた。そのくらい気付け。鈍感シリル」


「……だってオーギュは俺のことキライで兄貴が第一で」


「確かにこれまでのおれはそうだった。サイラスを優先するように育てられたからな。そのことに疑問を持っていなかったから、サイラスに溺愛されているおまえが目障りでキライだった」


 はっきり言われて俺は俯いた。


 内容がすべて過去形なことにも気付けずに。


「でも、おまえがサイラスに溺愛されているのはおまえのせいじゃないし、ましてやサイラスが片腕としておまえを選んでいることもおまえのせいじゃない。すべてはおれの身勝手な嫉妬だ」


「……オーギュ」


「おまえに泣かれて初めて気付いたんだ。おれはおまえのことをなにも知ろうとせずに一方的に嫌ってたんだってことに」


 なんだか泣き出しそうで、さっきとは違う意味で俺は慌てて俯いた。


 呆気に取られてオーギュを見た視線を下げて。


「おまえは家族思いの良い子だ。そんな簡単な現実すらこれまでのおれは見ようとしなかった。サイラスのことも本当の意味では理解してなかった」


 なにを言えばいいのかわからない。


 オーギュの言葉が意外で。


 俯いている俺の瞳から溢れそうな涙。


 きっとこいつは気付いてもいないだろうに。


「過去を振り返りきちんと理解していたら、どちらの味方をするべきかなんて、そんなこと簡単に見抜けたのに。おれがバカだったんだ」


「もういいから」


「シリル?」


「ごめんっ」


 それだけを言って俺はその場を逃げ出した。


 オーギュストにあの本を奪われたままのも忘れて。


 走り去る俺をオーギュストは一瞬、追おうとするような動きを見せたけど、結局追ってはこなかった。


 その理由を俺が知るのは、もう少し後のことになる。

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