第14話
それからどのくらい経っただろう?
強く息を呑む気配を感じて俺は意識が揺さぶられた。
起きようと思うのにやっぱり起きれない。
疲れてて。
スルスルと髪が長くなるのを背中に感じる。
太陽が沈んだ。
ノエルの時間だ。
部屋を移動しないと。
そう思うのに身体は言うことを利かない。
眠りに誘う心地好い時間。
「シリル? ……ノエル? どっちなんだ?」
そんな声を聞いた気がした。
だれかの腕が俺を抱き上げるのを感じる。
フワリとどこかに横たえられる。
目を開けようとしたけど睡魔には勝てなかった。
「これが……おまえの秘密、か。お休み、シリル」
囁く声。
凄く優しい。
「あのときは責めて悪かった。こんな事情だとは思わなかったんだ。本当に辛かったんだろうな。帰りたくて我慢できなかったんだろうな。なにも知らずにおれは……」
だれ?
聞いたことのある声のような気もするけど、思考が働かなくてわからない。
「怖いものは怖い、か。そうだろうな。襲われたのがこの状態なら尚更怖かっただろう。護ってやるよ、おれが。安心して眠ってくれ。……疲れた顔をして。可哀想に」
前髪を梳く指先。
頬を撫でていく手。
頬に回った手に無意識に頬を当てた。
硬直したのを感じたけど、俺は安堵したままその手に頬を当てていた。
眠りに落ちて意識を失うまでずっと。
パチリ。
気持ちよく目覚めた俺はそのまま硬直した。
だって寝室にオーギュストがいたんだ。
寝台の枕元に腰掛けるようにして眠ってる。
頬になにかが当たってて目をやれば、そこには手があって腕を辿っていくとオーギュストに辿り着いた。
慌てて振りほどきそうになって、ハタッと我に返った。
慌てて窓を振り返る。
そこに広がるのは爽やかな早朝の世界。
夜……じゃない?
俺いつ眠った?
そもそも隠し部屋にいたなら、オーギュがいるわけない。
それにここ元々の俺の寝室だ。
オーギュが訪ねてきたこともなかった俺の本来の寝室だ。
なんでそこにオーギュが……。
青くなって固まっているとオーギュの瞼が揺れた。
「あ。起きる」
思わず声が出た瞬間、オーギュストの緑の瞳がゆっくり開いた。
何度か瞬きして視線がこちらを向いてくる。
そうして照れたように笑った。
胸がドキリとして戸惑う。
「起きていたのか。寝顔を見られるとは失態だな。シリルより早く起きるつもりだったのに」
「……なんでここにいるんだ、オーギュ?」
「おまえが誘ったんだろう?」
「嘘つけっ」
思わず飛び上がり叫んだ俺にオーギュの奴は腹を抱えて笑った。
なんだかその笑顔もいつもと違って見えてまた胸がドキッとした。
「いや。確かに誘われたというより、甘えん坊の子供に甘えられたというのが正解だな」
「はあ? なんだよ、それっ。人を子供扱いしてっ」
上半身を起こして怒鳴れば、オーギュストがさっきまで俺の頬の下にあった手をヒラヒラと振ってみせた。
「あ……」
あれが俺の頬の下にあったってことは、俺が無意識に頬に手を当てて寝てたってことだ。
思わず赤くなった。
「赤くなっているこの手が、すべてを物語っているとは思わないか? 因みにだれかさんの重みを支えていたせいで痺れているんだが?」
「ご、ごめんっ。俺そんなつもりじゃ……」
「まあいいさ。これでチャラだ」
「え?」
不思議そうな顔をするとオーギュストは一転して真面目な顔になり言ってきた。
「おれもおまえに酷いことを言ったからな。これでチャラ。おあいこだ」
「酷いこと? なに?」
「覚えていないのならいいさ。気にするな」
「オーギュ」
「自分のしたことが悪かったと自覚しているなら、それを忘れられることが自分にとってよかったとも都合がいいとも言わない。でも、おまえにとっても嫌なことだろうから、忘れていられるならその方がいい。何度も嫌な思いはさせたくないからな」
自分のしたことを悔やんで反省する心は忘れたくない。
でも、された俺は忘れてる方がいい。
オーギュは真剣にそう思っているようだった。
そのときの俺にはオーギュがなにを言っているのかわからなかった。
後腐れがない、或いは忘れっぽいと言われてきた俺だから、そのときはショックを受けても受け流せてしまうことって多いんだ。
だから、わからなかった。
オーギュがなにを責めているのかが。
「じゃあおれはそろそろ部屋に戻る。今日も執務があるからな」
オーギュストはそう言って立ち上がった。
慌ててその背中に声を投げる。
「いつからここにいたんだ、オーギュ?」
ゆっくり振り返ったオーギュストが答えるまでに少しの間を空ける。
やがて小さく笑って答えた。
「明け方だ。おまえを起こしに来たら、おまえは気持ち良さそうに寝ていて、なにを思ったか起こそうとしたおれの手に頬を当てて寝たんだ。仕方がないからそのままでいた。それがどうかしたか?」
「それならいいんだ」
ホッとしてそう言っていた。
明け方ならおそらくシリルの姿に戻っていただろうから、ノエルの姿は見られてない。
そう思ったから。
「でも、なんで俺を起こしになんて?」
「正確にはサイラスが伯父上の命令を無視して、おまえを襲ってないか気になって様子を見に来たんだ。ついでに起こそうと考えてな」
「ふうん。ありがと」
そう言って笑うとオーギュストは何故か顔を赤くした。
?
なんでここで赤くなるんだ?
「おまえさ、部屋に鍵くらい掛けて眠れ」
「へ?」
「一応様子を見に来たが入れるとは思ってなかった。おまえの立場だとたぶん鍵を掛けて寝てるだろうと思ったから。これじゃサイラスに襲われても文句は言えないぞ?」
「ごめん。昨夜はいつ寝たか覚えてないんだ。いつもは掛けて寝てるんだけど」
「注意しろよ?」
「うん。心配してくれてありがと」
微笑むとオーギュストは赤くなった顔を隠すように背中を向けて、片手を振るとそのまま部屋を出ていった。
オーギュストの説明が矛盾していることに、このときの俺は気付かなかった。
起こしに来てから俺があの体勢になったなら、オーギュストが寝ているわけがないんだ。
あれは昨夜眠れなかったから、付き添っていて限界から寝てしまったと受け取るべきだった。
つまり彼は朝方きたのではなく、夜にはここにいたということなんだ。
俺を気遣って彼がついてくれた嘘に、このときの俺はすっかり騙されていた。
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