第八話「親愛なるあなたへ」②
授業を受けると言う行為自体が久しぶりな気がして少し心臓がドキドキと鳴っている。この鳴り方は緊張している時。教室に入る時でも手が震えたのに、まさか椅子に座って授業を聞いているなんて。不思議なこともあるもんだ。
「えー、それによりここの訳し方は以下のようになります。『もし私が君だったら、もっと楽しむのに』と。あ、もう時間ですね。今日の授業はここまでです。それでは、また明日」
カッカッと黒板の上にチョークを走らせていた先生は、チラッと時計を見て片付けを始めた。挨拶もほどほどに他の生徒達も同じように筆箱やら教科書やらを片付けている。今回は英語の授業だったらしく、黒板には英語が羅列されていた。
「あー……全然、分からなかった……」
「ふふっ まぁ、意外と忘れちゃうもんね。仕方ないわよ」
「やっぱり、大学受験の時に勉強しただけじゃダメかぁ……」
机に突っ伏して嘆いているのは火糸糸ちゃん。高く結われたツインテールがだらんと垂れている。一コマ五十分の授業だったのだが、久しぶりに受けたのでドッと疲れが出たようだ。私も私で集中して聞いていたからなのか、頭がボーッとしている。
「それにしても、色んな人が来てるんだね」
「そうね。年齢関係なしで来れるから、意外とお爺ちゃんやお婆ちゃんくらいの人も来るよ」
「凄いなぁ。死んだ後も学びに行くとか。私には考えられない……」
「まぁ、環境が違ったらそう思うかもしれないわ。でも、私達にとっては当たり前じゃなかったから」
眉尻を下げ笑っている姿は私の心がキュッとなる。当たり前ではない。よく使われるこの言葉を聞いて心に響いたことは無かったが、やはり彼女達のような立場の人が言うと重みが違う。トントン、と教科書とノートを揃えるとカバンの中へと入れる。
「さ、もう授業はないから私の依頼を聞いてもらおうかしら?」
「あ、はい。場所はどこにしましょうか」
「そうねぇ。図書館とか、どう?」
「図書、館……」
「そう。嫌かしら?」
「あ、いえ。大丈夫ですよ。早速、向かいましょうか」
彼女から出た言葉に少しドキリとする。自分に縁がある場所だと言うこともあり思考が停止してしまった。すぐに切り替えて百合香さんの後ろを付いて行く。机の上でうなだれている火糸糸ちゃんに「ほら、立って」と急かした。
ウダウダと何かを言いながら向かって来る彼女を見て、もし生前出会っていたらこんな感じだったのかな、と想像する。きっと楽しい学校生活だったんだろうなぁ。まぁ、生前の私には縁遠いけれど。
三人で歩いていると、先生らしき姿の人達とすれ違った。スーツを着ていたり、それこそジャージを着ている人もいたり。現世と変わらない風景を見つつ、図書館へと入って行った。私達が授業を受けていた校舎の四階の端っこ。ひっそりと佇んでいるその一室には、数人生徒らしき姿がいる。
「こんな所で大丈夫ですか? その、騒がしくしたら……」
「平気よ。ただ現世を見たいだけだもの。ほら、早く見せて」
「は、はい」
長い机にたくさんの椅子が並べられており、彼女は迷わずドアの対角線上にある椅子へと座った。私はその横に座り、火糸糸ちゃんは向かい側に座る。今回も現世を見るとのことで、例の手鏡を持って来ている。渡されたままになっていた鏡はかなり貴重な物のようで「絶対に壊したらダメだよ!」と釘を刺されている。
丁寧に鏡の蓋を開け、彼女に説明を始めた。
「今からこちらの手鏡で現世を見ます。この鏡が反射した所に映りますので、こちらをよく見ててください」
「へぇ、これがねぇ」
興味深そうに見ている百合香さんの先には小さな手鏡。外側はシンプルなデザインになっているので落としてしまったら分からなくなりそうだ。パカっと開けると窓から入る光を吸い込んで輝かせている。「では、始めますね」と言うとじっと鏡を見つめたまま頷く彼女。ちなみに向かい側にいる火糸糸ちゃんは欠伸をして眠そうな顔をしていた。
反射した光が机の上に来るように調整をしていると、ゆらゆらと揺れる光。徐々に見えるのは現世の景色だ。久しぶりに見た現世は相変わらず忙しないようで、映った所は人がいっぱいいる場所。
「黒い服?」
「あら、タイミング良かったかしら?」
ふふっと笑う彼女は、どこか怪しげ。光を吸い込むにはぴったりの黒い服を着た人達がズラリと並んでいた。綺麗に一列になっている姿は蟻の行列を想起させる。上から見ているので何をしているのか分からなかったが、ふわり、ふわりと場面が変わって行くのを見て行く。
「葬式、だね」
火糸糸ちゃんの声により、目の前に映し出されているのが私の横にいる白山百合香さんの葬式であることが分かった。参列者が悲しい顔をして並んでいる姿、その奥でハンカチを片手に持ち俯いている男女。あれは恐らく彼女の両親だろう。しかし、その姿を見ても百合香さんは何も言わない。表情一つ変えないのを見て、何故わざわざ自分の葬式を見たいと言ったのかが気になった。
「あの、これって百合香さんの葬式ですよね?」
「えぇ、そうね」
「何故、自分の葬式を?」
「……まぁ、見ててよ。そのうち分かるわ」
横から見ても顔の整っている彼女は表情筋が一切動かない。美人の無表情は怖いって誰かが言っていたのを頭の片隅で思い出した。その通りだよな、と心の中で納得しつつ彼女の言う通りに映し出された映像を見つめた。
すると、一人の女の子が走って来るのが見える。綺麗に並んだ列を乱す彼女を入り口にいる数人が止めようとしているが、それを振り払う。そのまま走って行き、目を瞑っている百合香さんの前で止まった。
『百合香、ちゃんっ……何でっ何で、このタイミングでっ……』
四角い箱の中に入っている彼女を見て泣き崩れる女の子。周りが彼女に注目し、ヒソヒソと何かを話している。コンクリートの床に雨が降っているようで、小さな水溜りを作っていた。
「あの、彼女は……」
「私の……大切な、人」
死んだ自分の前で声を出して泣いている女の子は、おかっぱ頭を振り乱して『嫌だ、嫌だ』と叫んでいた。大切な人、と言った彼女の横顔は悲しみと嬉しさが混ざり合っている顔をしていた。置いて行った人が悲しむ姿を見て、彼女は一体何を考えているのだろうか。
『百合香ちゃんっ……貴女がいないと、私、私っ……生きている意味なんて、ないんだよぉ……』
「
キュッと口を固く結んだ百合香さん。口にした名前はきっと今泣いている女の子の名前だろう。陽葵と呼ばれた女の子は、何処にでもいそうな女の子。これと言って特徴はないのだが、今で言うショートボブの髪型が唯一の特徴かもしれない。何度も彼女の名前を呼び、泣いている姿を見ていると胸が張り裂けそうだ。ジッと見つめたままの百合香さんは目を逸らさない。
『貴女が、陽葵さん?』
『え? あの、誰ですか……?』
『私、白山百合香の母です。今日は、来てくれてありがとうね』
百合香さんの母と名乗った女性はそこそこ年齢を重ねているはずなのに美しかった。しかし、娘を亡くした悲しみはしっかりと目元に出ている。彼女は母親似なのかな、と思いつつ見ていると彼女の手には封筒があった。真っ白な封筒の真ん中には黒い文字で『陽葵へ』と書かれている。母親は床に膝をついてる彼女の視線に合わせるように屈んだ。
『これ、百合香から貴女に渡して欲しいって』
『百合香が……? 私のこと、話していたんですか?』
『えぇ。それはもう楽しそうにね。それで、自分がもう死ぬかもしれないって分かった時に渡されたの』
スッと差し出したその封筒を陽葵さんは静かに受け取った。遠目ではあったが、微かに震えている彼女の手は小さく見える。真っ赤に腫らした目で手紙を数秒見つめた後、中身を開けて読み始めた。数枚入っていた手紙を読んでいた彼女は、『嘘、でしょ……』と声を漏らしていた。そして手で口を押さえて再度涙を零し始めた。
「ねぇ、あれに何て書いたの?」
「んー……告白、かな?」
火糸糸ちゃんの言葉に濁して答えた百合香さんは、愛おしそうな目で泣き崩れる自分の大切な人を見つめていた。大体の人はここで泣いたり懺悔したりしているのだが、彼女は違う。手紙を読んだのを嬉しそうに見ており、何か声をかけようとも思っていない。
「あの、何で嬉しそうなんですか?」
「え?」
「今までの人は、現世の人を見て悲しそうにしたり、泣いて謝る人がほとんどでした。でも、貴女はどちらでもない。一体、何をしたかったのですか?」
気付いた時には口にしていて、止められなかった。聞いても良いのか、と考える場面なのに口から溢れでた言葉の数々に自分でも驚いている。私の話を聞いた彼女は一瞬だけ目を見開いていたがすぐに戻り、大切な人を見つめたまま答えた。
「……あの子が、本当に私を想っているのか、好きなのかって知りたかっただけなの。彼女が唯一私を『可哀想な子』と言わなかったから」
「可哀想な、子」
「だってそうでしょう? 小さい時から病院にいて、学校に行ったのは片手で数える程。しかも、二十歳までは生きられないと言われた私にみんなが言ってたのよ。『可哀想な子だ』ってね」
嘲笑する彼女の姿は見ていて自分自身を笑っているのか、それとも言ってきた相手なのか。若くして死ぬことが可哀想だと言われるのは一般的な意見だろう。ただそれは自殺した私のような子供ではなく、病気や不慮の事故によって命を落とした場合に限る。
この時点で人の命は平等ではなくなっている。『可哀想な子』と言われて育った彼女はきっと、手紙を握り締めて泣いている女の子に救われたのかもしれない。
「……でも、私には分かりません。私は、自ら命を絶った。病気で死んだとか、事故で死んだとか、そんなのじゃないので」
「そう? 大して変わらないと思うけど」
「いや、でも……」
「苦しみの種類が違うだけで、あなたも私と同じように苦しんでいたのでしょう?」
「苦しみの、種類……」
自分が自分を殺した。このことを後悔したことは今の所ない。だって、死んだことによって出会えた人がいて、今まで出来なかったことに挑戦することが出来て。これ以上に嬉しかったことがないのだ。
まさに、死んでいるように生きている人生。その中で味わった苦しみは次の人生が始まるまで忘れないだろう。彼女の言葉を心の中で繰り返していると、「あれ、動き止まった」と火糸糸ちゃんの声。
「手が震えている、けど……」
『……私も、同じ気持ちだったよ、百合香ちゃん』
手に持っていた手紙に力が入ってしまい、クシャッとシワが出来ていた。大声で叫びながら泣いていた彼女が静かになったのを周囲の人がジロジロと見ている。声を潜めて話しているのは場所が場所だからなのか、それとも彼女に対する仕打ちなのか。どちらにせよ、嫌な気持ちになるだろう。
彼女の言葉に頭の中がクエスチョンマークになっていると、横で「そっか……」と小さい声で呟いた。きっと図書館の中だから聞こえただけで、外だったら掻き消されていた声。隣にいる百合香さんを見ると、右目から涙が頬を伝っていた。
「あの、百合香さ……」
「私、独りじゃなかったんだ」
涙が流れているのに微笑んでいる彼女は、外から入る光によって輝いていた。心の底から笑っている美人はどんな花よりも美しく、儚い。鏡越しで映っている大切な人の言葉は彼女自身の両親の言葉よりも深く刺さったらしい。手紙を読んでいる姿を見ていた百合香さんの母親は陽葵さんの肩に手を置いた。
「さて、もう大丈夫よ」
「え、良いのですか? まだこの人、手紙見ていますけど……」
「えぇ、十分よ。あとは、ゆっくりここで過ごすわ」
「そう、ですか……」
意外にもあっさりと終わらせるので、思わず質問してしまった。彼女の言う大切な人はずっと手紙を見つめたまま、ポロポロと涙を零している。手紙に薄い水玉模様が出来ているのを見つつ、私は鏡を閉じた。
「じゃ、私は帰るわね。わざわざ来てくれてありがとう。これで、私の気持ちも報われるわね」
「報われ……?」
「それじゃ、またね」
椅子から立ち上がると、ガガッと音が鳴る。静かな分、部屋の中で響き渡る音に室内の人間が見るが、すぐに各自自分の世界へと戻って行った。百合香さんは手をヒラヒラとさせて、去って行ってしまった。
私の疑問は図書館の空気に溶けていく。すると、ふぁと欠伸をする火糸糸ちゃん。涙を浮かべているツインテールの彼女は珍しく口を挟まなかった。興味がなかったのかな、と思って「帰ろうか」と誘う。
「……二人とも、恋してたんだろうね」
「え? 恋って、百合香さんと陽葵さんが?」
「うん。だって、明らかに恋愛感情として見てたもん」
「そう、なんだ……っていうか、ちゃんと見ていたんだね」
見ていないようで意外と見ていることに驚きつつ、それ以上に二人の関係性に度肝を抜かれた。確かに百合香さんは陽葵さんを『大切な人』と言ってはいたが、まさか彼女を愛していたとは。やはり、これも経験の差なのだろうか。
「失礼だなぁ、ちゃんと見ていたし聞いていたよ! ……それに、報われるって言ってたじゃん。きっと、二人は両想いだったんだろうね。それを死んだ後に分かったってことかな」
「そんな、ことが……」
「あの人なりに心配していたんじゃない? それにしても、美人の真顔って怖いわねぇ」
足をパタパタと動かしている彼女は「綺麗だったなぁ」と両肘を机の上について上を見ているだけ。軽く口癖がうつったのか、百合香さんの話し方に似ている。女の子同士で好きだったのか。所謂、同性愛者だったのだろう。多様化がだいぶ進んだ今ですらまだ同性愛者については厳しい目で見られていると聞く。
「幸せ、だったのかな」
「さぁ? それは、あの人達だけにしか分からないよ」
「そっか、そうだね」
「さーて、帰ろ帰ろ! どうせ、報告書書かないろいけないんだから」
机の上に手をついて椅子から立ち上がった火糸糸ちゃん。報告書、と言う言葉を聞いてまた書かないといけないのかぁと少しだけ気が重くなる。手に持ったままの鏡をカバンの中に入れ、「のんびり帰ろうか」と言ってその場を後にした。
彼女は死んでから幸せだったのだろうか。苦しさから解放され、行きたかった学校へ行って勉強をしている姿は本当に幸せそうだった。生前では出来なかったことを今では出来る代わりに、大きな代償を作ってしまったことを後悔していないのだろうか。
もしかして、まだあの世界で生きていたいと思っているのだろうか。
彼女自身にしか分からない問題は半永久的に解けないだろう。玄関を通り、グラウンドに出た瞬間校舎を見上げる。どこにでもある見た目の学校は、ここがあの世だと忘れてしまう。苦しくても良いから大切な人と時間を過ごすのか、それとも苦しみから解放されて自分のやりたいことをするのか。
どちらにせよ、酷な選択であることに間違いはないのだろう。
そんな事を考えながらグラウンドを大きく横切るようにして歩いていると、隣で「あっ」と声がした。少し斜め下を見ながら歩いていた私は声のした方を見る。すると、火糸糸ちゃんが見つめる先に一人立っている。目を凝らしてみると、見覚えのある女性が一人。綺麗な黒髪を一つに結び、手を前の方で重ねて立っている彼女。そして、職員の誰もが探していたあの人。
「左寺、さん……」
ニコリと微笑み、静かに立っている左寺雨彗さんがいたのだ。
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