第六話「こおりがし」①
別に油断していた訳じゃない。
死んだからと言って大きな物語の主人公になっていないし、だからと言って沢山の不幸に見舞われたこともない。ただ、少し変わった友人が一人いて、誰かの為に自分の出来ることをする。ただそれだけだったのに。いつかはこうなる運命だったと言われれば、私はただ頷く事しか出来ないだろう。
「改まって部屋に呼び出されるのって久しぶりな気がする」
「まぁ、そうだね。前回はかなり慌ただしかったし。今回はもう少ししっかりと進めたいんじゃない?」
「そんなもんかなー」
机の上で肘をついている火糸糸ちゃんは私の隣で一点を見つめている。正確には暇そうに時折欠伸をしているが、それを隠そうとはしない。たまに思うのだが、彼女は少々おっさんに似た仕草をしている。女の子らしく、と言われると息苦しく感じるので黙っているが、せめて欠伸くらいは手で隠さないかなぁと日々思っていたり。
呼び出されて軽く三十分は経っているはずだ。最近は何処かで出会ったり、座る暇なく話が進んで行ってそのまま天界に行くことが多かったりしていたので私も少々緊張している。いつもは配布されたスマホを使ってメッセージが届いている。某メッセージアプリのようなものがこの世界でもあるらしく、同じく登録している。しかし、今回は珍しく電話がかかって来たのだ。
また緊急事項かと思い身構えたのだが、「依頼の話、するから。あの部屋に来てね」と十五夜さんに言われたのだ。その時隣にいた火糸糸ちゃんはベッドでゴロゴロしながら自身のスマホを見ていたので、「また、依頼だって」と言ったら飛び起きた。
「てか、十五夜さん遅くない? こんなに待たされたことなかったよねー?」
「大体すぐに来るんだけどね。どうしたんだろ。電話してみる?」
カバンの中から自分のスマホを探し出そうとすると、「そうしてー」と机に突っ伏し始めた。綺麗に結われているツインテールがだらしなく机から垂れている。まぁ三十分も待たされえればこんな態度にもなるだろう。真っ暗な画面から明るくし、メッセージアプリを開く。十五夜さんの名前が一番上に来ているのでタップして「いつ来れますか?」と簡潔な内容を送信した。
すると、すぐに見たようで「もうすぐ行くから。ごめんね」とメッセージが届いた後、妙なスタンプが送られて来た。それを見てふふっと笑っていると、「どうしたの?」と机に向けていた顔をこちらへ向き直す。
「いや、このスタンプ変わってるなーって。あと、もうすぐ来るって」
「んー分かったー」
私がスマホの画面を向けて一瞬見たが、すぐに興味が失せたようでもう一度机と向い合っていた。何気ないこの日常に私の心と頰がどんどんほころんで行くのを感じながら、無気力な彼女を見る。ずっと火糸糸ちゃんといるからなのか、この子の事がどんどん分かって来た……気がするような。確信は持てないけれど、ちょっと気分屋でたまにしっかりしているお姉さんと言った所だろう。生きている間にこんな姉がいたら良かったのにな、と思うのは完全な無い物ねだりだ。
「ご、ごめん! やっと会議終わってさ!」
バンッと開いた扉と共にはぁっはぁっと息を切らして入って来たのは待ちに待った十五夜さん。髪を振り乱しているのは初めて見た。いつもなら冷静な姿を見せてくれるのだが、今回は本当に忙しいらしい。火糸糸ちゃんは「やっと来たー」と突っ伏していた顔をのっそり持ち上げる。服をパタパタと動かして額から流れる汗を拭っていた十五夜さんは「ごめんって!」と笑いながら私たちの前に立つ。
「ふぅ。わざわざ来てくれてありがとうね。さっきの会議、今回の依頼について話をしていたの」
「へー。会議なんてするんだ」
「そりゃあね。心艮ちゃんがここに来てから色々とやること増えて大変なのよ! ほら、吉糸ちゃん? あの子なんて、毎日走り回っているからね!」
「あぁ。あのモフモフしている人」
「心艮ちゃん、認識の仕方が動物なのよね……」
頭の中に映像化されるのはあのふわふわした髪の毛と、小動物のように動き回る女の子……もとい、女性。恐らくだが彼女も私より年上のはずなので女性と言うことになる。しかし、ここまで時間がかかる会議は一体どんな内容の依頼だったのだろうか。ふわっと香る柔軟剤のような優しい香りが十五夜さんからした。
「まぁいいわ。今回の依頼内容なんだけど……覚悟は、いいかしら?」
「え、また藤原さんみたいな内容じゃないよね?」
「違うわよ。そうじゃなくてね。……心艮、あなたに聞いているの」
「私、ですか?」
真っ直ぐ瞳を見つめる事が出来るようになったのは、いつからだろう。自分で首をくくってから色んな出来事があったけど、本当に様々な出来事や人と出会ったけど。こうして私を一人の人間として見てくれるから、私も同じように見返すことに自信がついたのかもしれない。ぬるくなった唾を飲み込み、「あり、ます」とどうにかして言葉を絞り出す。すると、一瞬目を見開いた十五夜さんはふぅ、と先程とは違うため息を吐き「分かったわ」と言葉を漏らした。
「今回の依頼者は、
「遠野……叔父、さん?」
目の前の彼女から出た言葉を繰り返した。言葉の意味が分からず、自分で繰り返しても理解出来なかった。しかし、次の瞬間頭の中に流れて来たのは走馬灯。いや、すでに死んでいるから走馬灯ではなく、生前の記憶達。目まぐるしく流れ込んでくる映像を見てお腹の底から何かが込み上げて来て「うっ」と咄嗟に口を抑える。
「ちょっと、心艮? 大丈夫?」
「……ごめ、んなさい。私が、私が、悪いんです。私が、一人だけ生き残ったから。だから、だから……うっ……うぇっ……」
「心艮!」
耳から聞こえているはずの彼女の声は頭の遠くの方で響いている。信頼しているはずの彼女の声は私の声を何度も呼んでいる。しかし、それ以上に耳にべっとりとこべりついた声が離れない。きもい、死ね、消えろ、学校に来るな、お前はクズだ、馬鹿だ、親無し。そして、耳をつんざくような甲高い笑い声。
それらが一通り耳の中でこだまして、中から出て来る生温かいものが喉からせり上がって来た。なんとかして抑えようとしたが、それも間に合わずそのまま机の上にぶちまける。あぁ、またやってしまった。どうして、こんなことに。迷惑をかけて、役に立たないと、また怒られる。ご飯を抜かれる。しっかりしないと。この世に味方なんて誰もいないのだから。
「ごめん、なさ……」
「心艮!」
謝罪の言葉を口にした時、世界がぐにゃりと曲がった。私がいつも見ていた世界。曲がりに曲がった汚い、醜い世界そっくり。ゆっくりと自分の体が倒れる感覚に身を任せ、そのまま意識を手放した。
*
毎日夢に見ていた事がある。
私はいつもニコニコしていて、自分の家族は仲良しで、友達もたくさんいる、そんな夢。心の底から求めていた物が夢に反映されるのはよくある事だと今なら分かる。でも、当時の私のとっては喉から手が出る程欲しい日常だった。そんな素敵な夢を見た後の現実は、自分で呼吸をする事を恨む程嫌っていた。
目が覚めてから始めにするのは『自称家族』の朝ごはん作りから。夏は蒸し暑く冬は極寒の如く震える部屋で寝ている私はまともに休むことすら出来ない。どれだけ熱があっても、苦しくても動かないといけない。だって、『家族』だから。
それが終われば別々で朝食を食べる。しかし、私が食べられるのは彼女達の残り物のみ。完食されたら私のご飯は無い。まともに食事を取れないまま、学校へ向かうのが日課になっていた。
そんな家庭での生活よりも地獄だったのが学校生活。可もなく不可もない学校では日常生活の一部として虐めが横行していた。玄関で上履きに履き替えようとすると、生ゴミや画鋲が入れられクスクスと笑っている声が聞こえて来る。最初は心にショックを受けていた私だったけれど、今ではもう何も感じなくなってしまった。だって、こんな生活をもう何年も過ごしているのだから。
『ねーぇ、
階段を登ろうとした時、後ろから声をかけられた。毎日飽きずに話しかけて来る彼女は相変わらずねちっこい。私のことが嫌なのは分かっているけれど、それなら無視して欲しいのに。振り返ることなく私は歩みを進めて階段を上がっていく。すると、後ろが舌打ちが聞こえたと思ったらクシャッと嫌な感触がした。
『うっわ、やっば! 汚―い!』
ケタケタと愉快そうに笑っている声は複数聞こえるので、いつもの通り中心人物の取り巻きがいるのだろう。甲高い声が耳の中に入って来ている中、周りの生徒は見えないように目を合わせない割りには私を避ける。どろり、と階段の上に落ちるのが目に入ったが、目線を逸らして足を動かした。
『あーんな格好して誰にも愛されていないのに、名前が「
廊下で響く彼女の声は止まることを知らない。自分の名前をこのように言われるのも随分前から慣れてしまった。最初は抵抗したけれど、実際に愛されていると感じた事が全くないことに気がついてしまい、それから何も言えなくなったのだ。『愛』と名前を付けておいて勝手に死んだ両親に恨みはあれど感謝は全く無い。変わらず響いている彼女達の笑い声の後に『何をしているんだ?』と男の人の声が聞こえる。
『何でもありませーん!』
キャハハ、と愉快そうに笑ってその後話していたであろう音は全て消えた。キンキンと鳴る音が未だに苦手なのは家にいる叔母や彼女達の所為かもしれない。階段を上るたびに鼻の奥を刺激する臭いがする。私が歩くと誰もが避けて行くのを見て、何処にいても独りぼっちであることを嫌でも自覚することになった。
本来なら教室に向かう所をわざと通り過ぎ、一目散に唯一色付いた世界へと足を早める。登校中の生徒達から視線を感じるが、そんなのはいつもの事で。突き刺さるような冷たい視線と嘲笑の声に体が縮こまる。大丈夫、大丈夫。水の中の世界で呼吸することは難しいけれど、自分の世界でなら息が出来るから。
スカートに付いているポケットに手を入れるとヒンヤリ冷たい感覚がした。手に取ると体温が吸われていくように自分の手も冷たくなる。生徒が徐々に減って行き、話し声が遠くなっていくと一つの部屋の前で立ち止まった。
『あら、今日も来たの?』
振り返ると、そこには私と同じ身長くらいのお婆ちゃんがいた。私はゆっくりと首を縦に振り、握っていた鍵を彼女に差し出すと『ふふ、ありがとうね』と微笑む。日常生活の中で出会う事のない笑顔に少し絆され、気持ち頬が緩んだ。カチャリ、と鍵が開く音がするとからカラカラと軽快な音と共にドアが開く。
先程声かけて来た女性はスリッパのまま中へ入り、『今日も寒いわねぇ』と息を白くさせながら準備を始めた。私は彼女の後ろに付いて行くと、『ほら、これで頭を拭きなさい』とハンカチを差し出された。真っ白なハンカチに一部刺繍が施されているのを見ると、私なんかが使う物ではないと首を振る。
『子供が遠慮なんてしないの。ほら』
グイッと強引に押し付けて来るので渋々受け取った。それを見たお婆ちゃん、もとい図書館司書の先生は満足げに笑い開館の準備を始める。ツンっとする寒さの中動くのは億劫だが、毎日氷のように冷たい水を使っているから変わりない。一人で準備するのは大変そうなのを見て私も同じように手伝いを始めた。ここは息がしやすい。自分の世界にいても、誰も文句を言わないから。
『さて、今日もここで本を読んでいくのかい?』
カーテンを開けようとしていた手をピタリと止め、首を縦に振る。彼女の表情が見えないので心がドクンドクンと嫌な鳴り方をしている。ギュッとひんやりしているカーテンを握ると、『そうかい。じゃあ、担任に連絡しておくわね』と言って一度外へと出て行った。
握り締めていたカーテンを離し、ほっと息を吐いた。ほぼ毎日と言っていい程この図書館へ私は通っている。助けてくれている訳ではないだろうけど、こうして居場所を作ってくれる事により私はこの世界から逃げたいと思う事は無かった。
全てのカーテンを開け、カウンター付近に置いてあるストーブを点ける。ふわっと香る灯油の匂いは冬の香りだ。司書の先生がいつ戻って来るかは分からないので読む本を選びに本棚へと向かう。印字されたインクの匂いが私のとっての精神安定剤のような物だ。ふと目に入った本を手に取り、表紙を撫でて最初のページを開く。シンプルな表紙を見てこれからどんな話が始まるのかと心が踊る。
紙の上に書かれている字を目で追いかけていくと、どんどんとその世界へ引き込まれていく。腐りきったこの世界から解放される唯一の瞬間。あぁ、この時間が永遠に続けばいいのに。誰にも届かない願いを心の中で唱えて、そのまま物語の世界へとどっぷりはまって行った。
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