第三話「切れた糸の行方」②
死んでからよく空を見上げるようになった気がする。生きている時は確か……あれ、どうしてたっけ。頭の中で靄がかかっているように一部が見えない。思い出そうとすると、何故か気が遠くなるような感覚に襲われる。やっぱり思い出せないのかな、と思ってため息を吐くと遠くから手を振って走って来る人がいた。
「あ! すみません、ちょっと遅くなっちゃいました!」
「いえ、大丈夫ですよ。それで早速内容なんですけど……」
折りたたんだ書類をポケットの中から出す。綺麗に三つ折りにした書類を広げながら話を進めていく。すると、その内容が気になったのか九蘭香雪さんが覗いてきた。
「あの、気になります?」
「え、あぁ! ごめんなさい、文字が書かれているものは気になってしまうんです」
えへへ、と恥ずかしそうに笑う彼女は頬を掻く。きっと彼女も本の虫だったんだろうなぁと感じるには十分だった。もしかしたら話が合うのでは?と心の中で期待するが、その前に自分が為すべき任務をこなそう。
「では、改めてお話します。今回、九蘭香雪さんからの依頼内容は『生前、お酒の強要をされた時に助けてくれた彼女へお礼をしたい』で合っていますか?」
「はい、それで間違いは無いです」
「かしこまりました。……あの、つかぬことをお伺いしますが、何故ご友人が亡くなっていることをご存知で?」
この若さで亡くなることはそう簡単には無いはずだ。私も人の事を言えた立場では無いが、まだまだ人生これから!と言われる年齢の人が亡くなるのは珍しいだろう。興味本位で聞いてしまったのだが、顔色一つ変えることなく彼女は微笑んで答える。
「彼女、私よりも先に死んじゃったんです。死因は同じ、アルコール中毒で」
「あぁ、なるほど…… すみません、首を突っ込んでしまって」
「いいんですよ。普通、気になりますから」
天界にいる人は大体死因について聞いても軽く答えてくれる。生きている時は死に関することのほとんどが敏感になっているのに、死んだ後はここまで簡単に話すなんて。誰が考えただろうか。書類を見ている限り、彼女も死に方は心苦しいこともある。無理やり飲ませる人がまだあの世界ににいるのか。いつになっても変わらないものは存在するものだ。
「えっと、それで続きなんですけど、今回会いに行きたい人の名前を聞いても良いですか?」
「あれ、そのことは書類に書いてないんですか?」
「そうなんですよね。いつもなら書いてあるんですけど…… すみません、手間取らせてしまって」
「気にしないでください。あ、その子の生前の名前は
彼女の口から出た名前は聞き覚えのない名前だった。恵比寿、紫希。心の中で繰り返すが、それでも心当たりがない。一瞬でもツインテールの彼女を思い出してしまった私は相当心細いのかもしれない。
「わかりました。まずは私の知り合いに聞いてみましょう。天界と地獄を管理しているうちの一人なので」
「ありがとうございます! それなら館長に今日は戻らないと伝えて来ます!」
隣に座っていた彼女はすくっと立ち上がって元気よく走って行った。お酒を強要されるくらいなのでもう少し気弱な人なのかな、と思い込んでいたがどうやら違うらしい。よくよく考えてみたら、死んで天界に来た人は大体生前とは異なった性格になる人が多かった。まぁ前回の不良の彼のように変わらない場合もあるのだろうが。
一人になったのを寂しいと感じているのか、胸の奥がキュウっと締め付けられる。足元を見て、少し高めのベンチからローファーを見た。ここに来てからこの靴を履いているけれど、全然擦り減らないんだよなぁ。きっとこれも本物の靴じゃないからなのかな、と頭の片隅で考える。
プラプラと自分の足を動かして遊んでいると、遠くから「心艮さーん」と呼ぶ声が聞こえた。手を振って走ってくる彼女は子犬のようで可愛らしい。年上に可愛いと思っても良いのかな、と疑問に思ったがとりあえず振り返した。
「話して来ました! 早速お願いします!」
軽く息が上がっている彼女はほんのり頬が赤くなっている。来ているシックなワンピースが走った反動によりユラユラ揺れていた。何事にも一生懸命な彼女は本来まだ生きていたはずの命。自ら命を絶った私とは大違いだ。同じ本好きでもここまで違うと流石に皮肉を感じざるを得ない。
「了解致しました。では、こちらへ」
入り混じる感情に蓋をして冷静に誘導する。いつも使っているエレベーターは地獄から天界に行く時は乗っている人の行きたい場所へと自然と着くらしいのだが、逆にこちらから地獄へ行く場合は例の巨大な門を潜ってからじゃないと行けないだとか。
少し不便に感じてしまうのだが、そうしないと誰でも自由に使えていまうので仕方なくこうなったと十五夜さんが言っていた。歩き始めたのは良いが、エレベーターまでの沈黙は気まずい。なんとか話題を振ろうと考えた結果、例の彼女について聞くことにした。
「その、恵比寿紫希さんってどんな人だったんですか?」
「そうだなぁ。いつも周りに人がいて、明るくて、活発な子だったかな。でも、二十歳を過ぎてからお酒を飲む回数が多くなっちゃって。何度か止めたりはしたんですけど、結局最後まで聞く耳を待ってくれませんでしたね」
眉尻を下げている彼女は生前の友人のことを思い出しながら話しているのだろう。懐かしそうな、それでいて悲しそうにする表情は切なげだ。とんでもないことを言わせてしまったのだろうかと焦り、「す、すみません。思い出させてしまって」と口から謝罪の言葉が出る。
「いえいえ、悪い思い出だけじゃないんですよ。私みたいな地味な女に話しかけてくれたんですから。初めて話した後も、色々と仲良くしてくれたんです。彼女のお陰でキャンパスライフも楽しかったですから」
自分より先に死んだ彼女を想う姿に本物の友情を感じる。生前の自分には無かったものを持っている彼女は輝いていた。きっとあの腐った世界の中でも誰かが誰かの人生をいつの間にか変えていたのかもしれない。ほんの些細な事で変わることが出来るのなら、私にもそのきっかけが欲しかったと想うと無い物ねだりになってしまう。
「本当に、その人の事が大好きなんですね」
「はい! 彼女は命の恩人と言っても過言ではないですから!」
歩みを止めずにもう少しで辿り着くであろう門を見る。一旦は視線を逸らしても、彼女の顔を見ると人が人を想い合う気持ちは必ず存在するのだ。私はそれ以上何も聞こうとは思わなかった。暖かい気持ちを貰う反面、自分の中で何かどす黒いものが渦巻いている気がしたから。
私が口を閉ざした後、数回何かしら九蘭香雪さんは話を振ってくれた。たわいもない世間話程度だったが、私が本好きである事お知った時には今まで以上にマシンガントークになっていた。そんな話をしている間にエレベーターの前に着き、中に入った後も話は続いた。そんな彼女と一緒に向かう時間は今まで会った中でも断トツに話しやすかった。
このまま何事もなく依頼が終わればいいな、と思っていたがそんなに上手く行く訳もないのがこの仕事。楽しかった雰囲気を一気に吹き飛ばしたのは十五夜さんの一言だった。
「恵比寿紫希って、火糸糸ちゃんの事よ?」
「……え?」
ガンッと鈍器で頭を殴られた感覚。それとも、青天の霹靂と言った方が良いのだろうか。どちらにせよ、私を混乱させるには十分な情報だった訳で。固まる私を他所に大量の資料を抱えたままの十五夜さんは話を続ける。
「もしかしてあの子、今回の依頼が自分に関係あるものだと分かったから身を引いたのかもしれないわね。さっきすれ違った時に聞いたけど、いつものような明るい表情ではなかったから」
「そう、ですか……」
そんな彼女とこれから会うのか。分かっていた上で協力するのではなく、分かっているからこそ協力したくなかったのか。どちらにせよ、この依頼をこなすためには会いに行くしかない。ズンッと重い物が心にのしかかる感覚。しばらくは忘れていたこの嫌な感覚に心が疲弊して行くのを実感する。
「彼女、外で川を見ているわよ。色々思うところもあるけど、後悔しないようにね」
それだけ言って大量の書類を抱えて去って行った。ローヒールの靴を履いているのか、微かに聞こえるヒールの音。遠くなると同時に静かになるこの場を私は動けずにいた。植物のように張り付いた足はビクともしない。
「お知り合い、だったんですね」
隣で全てを聞いていた九蘭香雪さん。表情は見えないが、声から察するに驚きと悲しさが入れ混じっている。「……はい」と力なく返事をする私は、これからの事が一気に頭の中で駆け巡っていた。少しの時間だけど彼女と過ごした時は本物だったはず。だからこそ、疑いたくなかったし知りたくなかった。いや、そもそもこの世界で本物なんて存在するのだろうか。それすらも怪しいと思ってしまう。
「……行きましょうか」
「え?」
「火糸糸ちゃん……いえ、恵比寿紫希さんの所へ」
「いや、でも……」
「行きます。案内しますね」
震える手をぎゅっと握りしめる。自分で自分を奮い立たせる日が来るなんて。こんなことをするのは小説の主人公だけだと思っていた。読んでいる時は何でそんなことするんだろう、と少し馬鹿にしていたのだが今なら分かる。自分のためだけでなく、大切な人のために動こうと思えるからだ。私の行動に戸惑いを見せている九蘭香雪さんは迷っているようだったが、私が歩き始めたのを見て後ろをついて来た。
十五夜さんが言っていた川と言うのは恐らく三途の川のことだろう。多くの人が行き交うのもあるが、土手では意外と静かなのでたまに人がいるのだ。きっと彼女もその中の一人。長く感じるこの道がいつか終わるのだと思うと胸が張り裂けそうになる。ここへ来る時とは打って変わって沈黙が続く。二人とも口を開かないのは同じ気持ちだからなのか。それすらも分からない。歩みを止めない私の足と逃げてしまいたいと考える脳は相反している。
「……いた。彼女が、恵比寿紫希さんです」
「紫希、ちゃん……」
少し遠くから見つけた彼女は体操座りをしていた。決して明るくない地獄では人を見つけにくいが、あそこまで派手な見た目をしているのは彼女くらいしかいない。私が指を差すと、一歩一歩近付く九蘭香雪さん。私はその場を動かないまま二人の様子を見ることに。すると、足音に気が付いたのか彼女はパッと顔を上げて振り返った。
「え、香雪? 何でここに……あ」
目を見開いている火糸糸ちゃん、もとい恵比寿紫希さん。来るとは分かっていたのだろうが、驚きが隠せないようだ。そして、その後ろに立っている私を見て察したらしい。すぐに表情を戻して川の方へと向き直した。
「何か、用?」
「……うん。あのね、あの時のお礼を言いたくて……」
「そんなの気にしなくていいよ。もうお互い死んじゃってるんだし」
「そっか、そう、だよね」
あまりにも冷たく突き放すように言う彼女を見て、今まで私が話していた彼女は一体誰だったのだろうかと信じられなくなった。取りつく島も与えない彼女の反応に困惑している依頼主。一切こちらに表情を見せないのでどんな顔をして言っているのかも分からない。少しの沈黙の後、九蘭香雪さんは口を開く。
「今、紫希ちゃんは幸せ?」
震える声は何故か響いていた。遠くから聞こえて来る人の声が遠く感じる。彼女の中の想いは届いているのだろうか、何故今そんなことを聞いているのだろうか、と多くの疑問が頭の中でぐるぐる回っている。火糸糸ちゃんは何も言わずに黙っている。聞こえてないのだろうか、いやそんなことはない。何かを考えているのかもしれない。そうであって欲しいと願う私はワガママなのだろうか。
「当たり前じゃない。生きている時よりも死んだ後の方がずっと私らしいわ」
振り向かずに言い放った彼女の言葉は確実に九蘭香雪さんに届いた。生きている時よりも死んだ後の方が私らしい。その言葉は私にもグサリと刺さった。ピクッと動いた九蘭香雪さんはギュッと拳を握り締めていた。
「そっ、か。それなら、良かった。色々迷惑かけてごめんね」
「別に。もう来なくていいから」
「うん、ありがとう」
振り返った彼女の顔は今にも泣きそうだった。目にいっぱい涙を溜めて唇を噛み締め、必死に堪えていた。一切振り返らない火糸糸ちゃんはその場から動かなかい。いつもなら見送りとかするのに今回は違う。
「あの、大丈夫ですか?」
どうにかして彼女の気持ちを汲んであげないと、と思って出たのがこの言葉。しかし、彼女は柔らかく、かつ寂しそうに微笑んでいた。
「えぇ、どうせ自己満ですから」
「そう、ですか。では、エレベーターまで送りますよ」
「いえ! 一人で大丈夫ですよ。お世話になりました」
ゆっくりと丁寧に頭を下げた彼女の髪は変わらずサラサラと流れていた。私も彼女に釣られて頭を下げ、地面にいくつか出来たシミを見つけて胸が締め付けられる。九蘭香雪さんは顔を上げてニコリと微笑みこの場を後にした。これ以上私は何もすることが出来ない。今までに感じたことのない自分の無力さと歯痒さを噛み締めた。
彼女の後ろ姿が見えなくなった後、視線を火糸糸ちゃんに向ける。何であんなことを言ったのだろう、いつもの彼女は私の幻だったのだろうか、と嫌な気分が胸の中で入れ混ざっている。
「火糸糸ちゃん」
彼女の名前を呼んでいいのかとすら思ってしまった。本当の名前ではないのに、この名前で呼んでも良いのか。私は本当に彼女の友達なのだろうか。複雑に混ざり合う中で彼女の横に私も座る。先程まで前を向いていた彼女は顔を伏せている。他に言うことは無いのか、と自分のコミュニケーション能力の無さに頭を抱えた。
「……私ね、生きている時に楽しいって思ったことないの。全て恵まれていても、私の心はいつも空っぽ。でもね、一瞬だけ生きていて良かったなと思ったのが、あの子を助けた時。たった、その時だけだったんだ」
今までに聞いたことのない彼女の声。元気一杯の明朗快活なあの子は一体誰だったのだろうか。それとも、もしかしたら今の彼女が本物なのかもしれない。か細く消えそうな声に全てが詰められていた。さっきの強気な態度もきっと九蘭香雪さんのため。自分を悪者にして幸せになって欲しかったのだろう。
それこそ、『死んだ後くらい幸せになれよ』と言うことだろう。器用だと思っていた彼女がここまで不器用だとは思わなかった。
「……一緒に、報告書書く?」
「うんっ……」
私も変わらず不器用であり、感情を表面に出すことも苦手だ。優しい言葉や温かい言葉もかける事が出来ない。肩を揺らし、草原の上に染みをいくつも作っている彼女に対して言えるのは代わり映えの無い言葉だけ。いつもの部屋に向かうために私が立ち上がると、体操座りをしたまま手を私に伸ばす火糸糸ちゃん。
「仕方ないなぁ」
差し出された手をギュッと握りしめる。そう言えば、彼女に触れたのは初めてかもしれない。生きている間に感じられる温かさは無いけれど、確かにそこに存在していることは分かった。グイッと引っ張り、そのまま私達は手を繋いで部屋に向かった。
*
「あら、依頼は終わったの?」
「まぁ、そうですね。今から報告書を書くんです」
「そうなの。お疲れ様! ところで、仲直りしたのかしら?」
チラッと私達の手を見る
「そうですね。仲直りって言うか、今から一緒に書くんで」
「あらあらそうなの? いいわねぇ、仲良しで!」
うふふ、と何故か私達よりも嬉しそうにしている十五夜さんはふと悲しそうな表情をした。疲れているのかな、と思い「どうかしました?」と聞くと首を横に振る。
「やっぱり、後悔しないのが一番なのよ」
「それは、どう言う……」
「私みたいに、ならないでね」
ニコッと笑った彼女の目には生気がなかった。それもそうだ。死んでいるのだから。でも、何かが違う。何と言うか、自分はもう取り返しのつかないことをしてしまったから、と言っているようで。これ以上深く突っ込んで良いところなのかも分からないまま、口の中で留めた。
「じゃ、報告書頑張って! ちゃんと書くのよー!」
元々は何処かに向かう途中だったであろう彼女は軽く手を振って去って行った。コツコツと聞こえる足音が遠くなっていくのを聞きながら、彼女が向かった方向へ振り返る。
「十五夜さんも、後悔のないように!」
ピタッと止まった彼女は目を丸くして私を見る。自分でもこんな大声出さないから驚いているのだ。それに、何故か出たこの言葉。理由は分からないけど、どうしてか言わないといけない気持ちになった。一瞬、眉尻を下げて笑った彼女だが、「ありがとう!」と同じように声を出してもう一度去って行く。
「あの人、何か抱えていそうだよね」
「あー……まぁ、色々あるよ、きっと」
「そうだよね。私達も似たようなもんだし?」
「ふふっ 確かにね」
隣で終始見ていた火糸糸ちゃんがボソッと呟く。私も思っていた事だが、言うのは野暮かと思い黙っていたのだ。それでも意味深げに言う彼女の姿を見ると、どうしてもそう思わざるを得ない。
少し前に聞いた話によると、この地獄で働いている職員さんは私達に負けず劣らず訳ありの人が多いらしい。天界では生前について軽く触れることもあるが、職員さんにはあまり聞かない方が良いとか。閻魔大王様が言っていたので間違いないだろう。
「さーて、報告書やるぞ!」
「はいはい、ちゃんと手伝ってよね」
調子を取り戻してきたのか、やる気満々の彼女は万歳をしている。いつもと同じ様子の彼女を見て安堵した。私の前を歩いて行く彼女について行きながら、これからも火糸糸ちゃんと一緒に過ごす時間を楽しみにしているのだった。
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