第二話「臍を噬む彼ら」③
「もうあんなクソみたいな世界に興味ねぇんだよ! 生きていてもロクなことがありゃしねぇ。あんな死んでいるように生きている世界なんて見たくねぇ! 死んで万々歳だっつーの!」
ついに本音が出たね、なんて隣で呟く火糸糸ちゃんは冷静だった。『クソみたいな世界』、その言葉を聞いた私は胸騒ぎがした。頭の中で瞬間に過ぎるのは苦痛に満ちたあの世界。準備しようとしていた手が止まり、上手く呼吸が出来ない。聞こえていた罵声が遠くなり、耳の奥でキーンと嫌な音が鳴る。そんな中から聞こえて来たのは、いつもは明るいはずの彼女の声。
「心艮? ちょっと、大丈夫?」
「え……? あ、うん。大丈夫。ほら、貰った鏡を開こう」
息苦しさからなのか、前屈みになっていた私の顔を覗き込む。眉尻を下げている彼女は、その服装に似つかない表情だった。目の前で揺れているツインテールを見て、自分を取り戻す。詰まっていた喉がスッと軽くなった気がして新鮮な空気を吸い込んだ。
そして、スカートのポケットから出した一つの鏡。手の平より少し大きめのそれを開き、上から注がれている光を反射させる。すると、そこに出来た光は歪んでおり眩しい。しばらく続けていると、ゆらゆらと動き始めて浮かび上がる一つの景色。
「ねぇ、いつの間にこんなの持ってたの?」
「あの部屋の机の上にあったよ。書類の最後の方に使い方?みたいな事が書かれていたから、それっぽく使ってみたの」
あったっけ?と首を傾げている彼女は、唸りながら右手を顎に添えている。二人でコソコソと話をしていると、明確に見えて来たのはまさに現世。懐かしい、と思うくらい時間が経ってしまったのだろうか。
そんな事を考えつつ、もう少し待っていると一人の女の子が現れた。制服を綺麗に着こなしている姿は、どんな華麗な花も負けてしまうだろう。濡れ羽色の長髪に、白生地の制服に映えている。しかし、そんな彼女は涙を流していた。
「は? 何であいつが……」
次々と映る映像を見たのか、暴れていた水掛愛翔さんがピタリと動きを止めた。上から動こうとしていない静人さんは、「しっかり見とけよ」と言って目を映像へと向ける。
どんな状況なのかイマイチ分からなかったのだが、どうやら葬式の真っ最中のようだ。白黒の幕に喪服を着ている姿が見える。次に映ったのは亡くなった人の写真、それは水掛愛翔さんだった。
「何で、俺の葬式にあいつがいるんだよ」
「……お前、本当に何も知らないんだな」
呆れたように言う静人さん。力の抜けた赤髪少年を見て、これ以上暴れないと判断したのか上から退いて数歩下がった。そんな中でも映像は次々変わって行く。引き続き先程映された女の子が映ると、「んだよ……」とボソッと聞こえたかと思ったら掠れた声で叫んだ。
「はっ 優等生様はこんな時でも良い子ちゃんってか? 何でこいつが俺の葬式で泣いてんだよ。勝手に良い子ちゃんぶってんじゃねーよ……」
彼が吐き捨てたセリフは、本当に本心なのだろうか。叫んだ声は掠れていながらも震えているのを感じたのだ。ギュッと握りしめた拳と、徐々に下を向き始めた彼は口を閉ざした。それを見ていた静人さんが見かねたのか、声をかけようとした時。今まで聞こえなかった声が静かな空間に響いた。
『何で、何で笑っているんですか! 自分の息子が死んだんですよ⁉︎ 何で悲しむ事なく笑っていられるんですか!』
ヒステリックに叫ぶ彼女は、綺麗な顔を歪ませていた。美人と言われる部類の彼女は、静かに涙を流していた時とは打って変わって般若の形相になっている。真っ黒な長い髪を振り乱している彼女から目を離せなかった。
「何、怒ってんだよ…… あいつは、とっくの昔に俺を嫌っていたはずじゃ……」
「違う。彼女は、華凛ちゃんはいつもお前の事を心配していたんだ。今回のことも、彼女はずっと後悔している」
「そんなの、あいつの自己満だろ? 俺には関係……」
「お前、いい加減にしろ!」
混乱している水掛愛翔の胸ぐらを掴んだ静人さん。彼の目に映っているが映像が信じられないのか、声だけでなく体も震わせている。静人さんは自身の顔までぐいっと引っ張り、激しく揺らしながら激昂を飛ばす。
「あの子が一体どんな思いで今を生きているのか! お前に分かるのか!」
フーッフーッと息を切らす静人さん。普段穏やかな人程怒ると怖いとはよく言ったものだ。彼自身も顔付きも体付きも怖く見えるので、迫力満点だ。爪先だけ軽く付いている赤髪の少年は、呆然としていた。あれだけ自分が死んだ事を喜んでいたのに、今目の前で見ているのは自分の死を悲しむ人。頭では分かっていたも心が追いついていないようで、「そんな、そんなはず……」と首を振る。
そんな修羅場な状況でも変わらず私は映像を流し続ける。これだけでは彼が後悔して終わるだけだ。そんな事だけはしたくない。そんな思いを心に持ちながら流していると、場面が変わった。
「お墓……?」
「彼女、だいぶやつれているね」
一緒に見ていた火糸糸ちゃんが言った通り、叫んでいた女の子はお墓の前にいた。先程の流れから察するに水掛愛翔さんのお墓だろう。数日経ったのか、それとも数週間経ったのか。彼女はかなりやつれていた。整った顔は目元が真っ赤に腫れており、美しかった髪はどこへ行ったのか。見る姿もない。
『愛翔。私、バカだよね。いなくなってから貴方の大切に気がつくなんて』
「華凛……」
『……何で、いつも失った後に気づくんだろうね』
お墓の前で俯く彼女。後ろから見ているので分からないが、彼女が立っている地面にポツポツと雨が降っている。快晴のはずなのに降っている雨は止む事を知らない。ジッと彼女の様子を見つめる私達。無言の時間が続いていると、華凛と呼ばれた女の子は震えた声で呟いた。
『でもね、もうそれも終わり。今から、貴方に会いに行くからね』
「は? こいつ、何を言って……」
彼女は手に持っていた花束をお墓の前に置いた。真っ白な百合の花束は、以前までの彼女に似合っていただろう。だが、今はその美しさは見る影も無い。意味深げな言葉を残した女の子はその場を去って行った。明らかに不穏な言葉である事はここにいる誰もが理解した。しかし、私達はもうすでに死んでいる。元に戻ることなど許されない。
「おい、待てよ。あいつ、一体何をするつもりなんだよ」
「恐らく、自殺しようとしているのでは?」
「なに呑気なこと言ってるんだよ。助けてやらねぇと」
「無理ですよ。私達はすでに死んでいるんですから。先程まで喜んでいたではないですか。『死んで万々歳だ』って」
「それ、は……」
彼はあろうことか私にすがりついてきた。つい数分前まで見せていた威勢は何処へ消えたのか、同一人物とは思えなかった。しかし、私は彼の言ったセリフを繰り返した。自分で放った言葉の重さを知ったのか、何も言う事は出来なかった。冷たく突き放す私に火糸糸ちゃんは何か言うかと思ったのだが、「そーそー」と言いながらツインテールをくるくると回す。
「自分でそう言ったのに何で後悔してるの? 私達、もう死んでるんだよ? それに、自分で言った言葉には責任持たないとね」
このタイミングで正論をぶつける彼女はなかなか辛辣だ。誰一人として彼に同情する事なく崩れ落ちた彼を見つめる。近くで聞いていた静人さんも口を開かない。流れ続ける映像は場面がパッと変わる。そこは人っ子一人いない大きな橋だった。それを見た水掛愛翔は彼女に向かって叫ぶ。
「あいつ、本当に飛ぶのか? 俺が、俺が死んだ所為で?」
「……お前は、近くにあった大切な物に目を向けていなかった。それが、この結果だ」
「そんな、はずは……俺は、俺は……」
やっと静人さんが言葉を放ったかと思ったが、それはあまりにも残酷な現実だった。いや、現実と言うよりも事実だろう。自身の顔を手で覆っている彼はあまりにも無力だった。ここで書類に書いてあった裏技を使うべきか一瞬悩んだ。あの世界に深く干渉する事は出来ないが、ほんの少しだけ手伝う事は出来る。だが、本当に彼が心から望まないとそれは叶わない。自分の口から言うべきではないのだ。
「なぁ、お前さ」
「はい」
「今から依頼してもいいのか?」
「……内容は何ですか?」
「あいつを、華凛を救いたい。どんな手でも良い。頼む」
「分かりました。特例ですが、きっと閻魔大王様も許してくれるでしょう」
「頼む、早くあいつを……」
あれ程までに暴れていた彼が、頭を下げてきた。その事にも驚いたのだが、人はこんなにも変わる事が出来るのかと思い知らされた。私が知らなかった人間の素晴らしさは、あまりにも眩しかった。
彼に頼まれた通り、すぐに準備をする。最後の備考欄ら辺に書いてあった。この鏡をコンコンと叩いくと向こうの世界に少しだけ干渉する事が可能らしい。しかし、本人から申し出をしない限り使用する事は出来ないとか。だから私は彼からの申し出があるまで待っていたのだ。
「おい、待て待て待て! あいつ、飛び降りるぞ!」
「待ってください、もう少しで……」
構わず流れ続ける映像を見ると、橋の手すりに足をかける女の子。あとはもう飛び降りるだけの状況になっている。ふわりと浮かぶ彼女の長く綺麗な髪の毛はどこか怪しげで、どれほどの深さがあるのかが伝わってくる。焦って鏡を叩くが繋がらない。何度も試していると、水掛愛翔さんが今までの中で一番大きい声で叫んだ。
「華凛!」
すると、体をそのまま前に倒そうとした彼女は反対側へ倒れて尻餅をついた。痛そうにしているが、それよりも目をパチクリとしている。どうやら、彼が彼女の名前を呼んだタイミングで突風が吹いたようだ。干渉する事に成功したらしい。しかし、呆然としている彼女はもう一度立ち上がった。
「あれ、何か落ちた?」
「え?」
女の子のポケットからなのか、何かがポロッと落ちたのが見えた。一瞬、キラッと光ったのだが何か分からなかった。
「あれは……俺が買った、おもちゃの指輪……」
「おもちゃの指輪? 何でそんな物を彼女が持っているのよ」
「……俺が、まだ華凛に守られていた時に買ったやつ。あんな約束、まだ覚えてて……」
少し遠くからでは見えない映像は、私の意図を汲み取ったように近付いて詳しい様子を見せた。引っかかった言葉を聞いたのは火糸糸ちゃん。「ふーん」と興味が無さそうな反応をしている。すると、落ちた指輪を拾った彼女はボロボロと涙を零し始めた。そして聞こえて来たのは嗚咽とか細い声。
『何で……死んじゃったのよ……』
ギュッと指輪を握り締めて爪を手に食い込ませてた。ジワリと血が滲んでいるのだが、それに気づかない彼女は自身の手で顔を隠す。隙間から流れ落ちる涙。今の彼女を見て彼は同じ事を言えるのだろうか。死んでから大切な物に気づくなんて、なんて皮肉なのだろう。もう二度と戻る事はないのを知って、人はどう生きて行くのか。自分で死んだ私にとっては興味深い。
「あれ、彼女もう一度飛ぼうとしてますよ」
「はぁ⁉︎ あいつ、懲りてねぇのか!」
「みたいですね」
私の目に映る映像では女の子が一人、もう一度橋の手すりに足をかけようとしている。焦っているのは彼一人だけで、静人さんはただ見つめているだけだった。私も素っ気ない返事をしてそれ以上は何も口を出さなかった。助けてあがたい、とは思うが自分で死のうとしている人を止める資格なんて私にはない。
「なぁ、もう一度だけ繋いでくれないか」
「今度は何をするのですか?」
「話しかけるんだよ。そうすればあいつも止めるだろう?」
「さぁ、どうでしょうか。先程はあなたの叫び声が突風に変わっただけであり、今回は直接話す事が出来るとは限りません」
「じゃあ、どうしろってんだよ!」
形振り構っていられなおのか、私に詰め寄る彼は初対面の時のような尖った雰囲気が消えていた。誰も寄せ付けない、誰にも心を開かない彼の様子は見てるこっちも胸が苦しくなるものがあった。そんな彼は今、目に涙を浮かべている。だが、約束は約束で必ずしも伝えられるとは限らないのだ。どうするか、と彼の目を見つめていると火糸糸ちゃんが話しかけて来た。
「ねぇ、本当にあの子飛び降りそうだよ?」
「はぁ? あーもう! 早くしてくれ! 届いても届かなくても良い!」
「分かりました。では、行きますよ」
私は持っている鏡をもう一度コツコツと鳴らす。しかし、向こうの世界では何も起きていないようで晴れた目を閉じた彼女はあと少しで落ちてしまいそうだ。「早くしろ!」と急かす彼を横にもう鳴らした。そして、彼は賭けに出た。
「華凛。頼む、生きてくれ」
あと一歩、踏み出しそうだった彼女はその足を引っ込めた。再度吹かれた風により後ろに倒れた彼女。今度は上手に着地したようだった。また、叫ぶのかと思っていた。しかし、彼は、水掛愛翔さんの声は今までになく優しい声だった。語りかけるような、泣いている子供をあやすような声。
「これで、大丈夫か……?」
彼が心配した目で見つめる先にはただ立っている女の子。彼の声が届いたかどうか、いまいち分かっていなかったのだが、地面に落ちては消える斑点を見て察した。
「届いてたみたいですよ」
私がそう言うと、「本当、か?」と震える声で確認して来た。彼には見えていないのか、と思って横を見ると彼も同じように地面に水溜りを作っていた。死んでも後悔する、死んでも死に切れない、だなんて生きている間にしか言えない物だ。死んで悲しむ人が誰もいないなんて、そんな事は無いのだろう。それが例え、死んだ本人が喜んでいたとしても。
「……これで、依頼は終了です。水掛静人さん、水掛愛翔さん、お疲れ様でした。それでは失礼します」
「あれ、これで終わりなの? じゃ、私も帰ろーっと」
こうして少しだけ天界を騒がした事件が終わった。それと同時に依頼も立派に終了させたので、これ以上は何も出来ないと判断をした。私の言葉に静人さんは頭を下げるだけで、赤髪の不良少年は止まらない涙をひたすら流していた。
*
「それで? 何度も向こうに干渉したと?」
「まぁ、そうですね」
「そうですね、じゃないでしょ! もう、説明したら絶対使うと思っていたから最後の最後の方に書いてたのに!」
「残念ですね。私、生きている間に本を読み漁っていたので最後まで読みたくなるんですよ。あと、読むのが速いのもありますけど」
「もー!」と続けて怒っているのは、以前からお世話をしてくれている女性。すぐに放置して去って行った彼女は、私達が例の部屋に戻ると待ち構えていた。プリプリと効果音が出そうだな、なんて呑気に考えていた。ちなみに今は二人で椅子に座らされて、立っている彼女から説教を食らっている。
「それよりさぁ、あんな事して大丈夫だったの? 彼、めちゃくちゃ泣いてたけど」
「それは大丈夫ですよ。あの後、人が変わったかのように真面目に働いているらしいので。それより、何で火糸糸ちゃんも止めなかったの!」
「いやー、面白そうだったから!」
てへぺろ、と自分で言った彼女は舌をぺろっと出している。可愛らしい顔にふふっと笑ってしまうが、どうやら目の前の方は違うようだ。色々と言っているようだが、そう言えば、と思い出した私は話を突っ込んだ。
「あの指輪って何か意味あったんですか?」
「何、助けたのに聞いてないの?」
「えぇ、まぁ。だって、あの状況で聞けそうになかったので」
「そうなのね。よくある話よ。彼、元々は凄く気の弱い子だったらしくてね、よくいじめられてたらしいわ」
「え、今はいじめてそうな顔してるのに?」
叱られて落ち込んでいたのか思っていた火糸糸ちゃんが横から突っ込んで来た。彼女の反応に思わず「ふふっ」と声が出てしまった。
「まぁ、仕方ないわよ。それで、現世にいる彼女と一緒にお祭りに行った時に買ってあげたんだって。『いつも助けてくれるお礼。あと、俺、絶対に華凛を守れるような男になるから!』って言って左手の薬指に指輪をはめたとか」
「え、それ結婚指輪になるんじゃ……」
「そうね、彼女の最初はそう思ってずっと大事にしてたんだって。でも、時間が過ぎると少しずつ愛翔君は忘れてしまったらしいの。でも、ようやく思い出したみたいよ」
「へー」と感心したような、それでもどこか他人事のように反応する彼女は横でネイルを見始めた。私も同じように感心していると、「そ・れ・よ・り・も」と仕切り直すように腰に手を当てて私達に顔を近づけた。
「さっきの話、終わってないわよ?」
「「えー……」」
見事に被った相槌は彼女を怒らせるには十分だったようだ。嫌そうな顔をしたつもりはないが、つい顔に出てしまっていたらしい。私も随分表情豊かになったものだ、と変に感心していた。
今回の依頼は何度もハプニングが起きたけれど、隣に火糸糸ちゃんが居てくれたので何とかなった気がする。まだ一緒にいる時間は短いが、少しでも彼女の事を知りたいと思ってしまう私は彼らに感化されてしまったのかもしれない。永遠に続きそうなこの説教も、彼女と一緒ならば平気だと思ってしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます