第一話「スズランの約束」①
チーン、と音が鳴ったと思ったら扉が自動で開いた。外に出ると暗い雰囲気の地獄とは正反対の場所。ふわりと香る花の匂いに気持ちが和らぐ。現代的と言えば現代的なのだろうけど、私の予想の斜め上を行っていることにツッコミを放置せざるを得ない。何故なら、私が今乗っているのは現代でも見たことのあるアレだったから。
「まさか、あの世にエレベーターがあるなんてねー! 死んでみるもんだわ!」
「あ、あはは……」
私の代わりに火糸糸ちゃんが言ってくれたので、口から溢れることは無かった。エレベーターから一歩踏み出すと、スッと姿を消す。出て来た入り口が消えたので目を見張り、「え、消えた?」と声が溢れる。そこには一面に広がるお花畑であり、先に微かに見える天界の門だけ。
「それ、降りたらすぐに消える仕組みになっているんですよ。天界の景観が崩れるとか何とかで」
「へー! そんな観光地みたいなのがここにもあるのね! って言うか、お姉さん誰?」
「名乗る程の者でもないですよ。ここで長い間働かせてもらってる一人の亡者です」
声がした方を見ると、いつの間にか側にいた一人の女性。濡羽色の髪の毛を後ろに一つで結んでいる彼女は、儚い雰囲気を纏っている。綺麗に着物を着ている彼女は触れたら消えてしまいそうだ。朗らかに笑って手を前に軽く添えている。所謂、品の良いお姉さんと言った感じだ。
「お姉さん、めっちゃ綺麗! 肌も真っ白じゃないですか! うらやまー!」
じーっと見つめている火糸糸ちゃんは興味津々のようだ。確かに彼女の肌は絹のように滑らかで真っ白。ふんわりと香るのは彼女の香水だろうか。誰もが認めるような美人で、私とは大違い。
しかし、何と無く私は彼女と距離を取った。元々人見知りと言うこともあり、知らない人とは自然と距離を取ってしまう。一、二歩下がった私は談笑している二人を少し離れた所で眺めていた。
「そうだ、私達『
「あー! あの子ね! 一〜二年くらい前にこっちに来た子よ。私で良ければ連れて行くわ」
「い、良いんですか?」
「良いのよ、気にしないで。さ、こっちよ」
ニコリと微笑む彼女に思わず赤面しそうになった。それ程までに彼女の笑顔は可憐であり、周りに花が咲いているようだったのだ。率先して前を歩いて行く彼女に付いて行くと、火糸糸ちゃんも「ありがとー!」と言いながらカツカツとヒールの音を立てる。
初めて来た天界は、桃源郷……とまでは言えないけれど、春の如く花が咲き乱れており、何処からともなく良い匂いが漂ってくる。現世で何度も見た春の季節のような心地よさにホッとする。歩いている場所は多少は舗装されているが、コンクリートジャングルと言われる東京のような物では無い。
私の前で「お肌どんなお手入れしてるんですかー?」とか「良い匂いもするー!」などと色々質問をしていた。そんな中でも私は自分の使命を果たすために持って来た書類に目を落とす。
「『鈴森蘭。享年十六歳。死因は自殺。生前は親からの激しい虐待により何度も生死を彷徨うが、最終的には自ら命を絶った。本来ならば自殺は地獄行き確定だが、少々トラブルに巻き込まれたことにより天界の判決が出た。その後真面目に天界で仕事をしているが、今回のことを聞いて強く志願している』……か。」
『自殺』と『虐待』の文字を見た時に背筋がゾワっとした。毛虫が背中を登っているような嫌な感覚に、身震いをする。小さく呟いて彼女の現状を確認していると、半歩後ろを歩いていた火糸糸ちゃんがひょこっと私の肩から顔を出した。
「その子、十分訳ありって感じよねぇ。ま、本人に聞いてみないと分からない事ってあるけど!」
「まぁ、そうだね」
あっけらかんと彼女は言う。それもそうだ、彼女は元々は関係無いのだから。あの後、閻魔大王様から火糸糸ちゃんについて教えて貰ったのだが、どう考えても私とは正反対。だが、不思議と嫌な気持ちにはならないので口に出す事はしていない。これが波長が合うと言うのか、と思ったのだが未だに正解は分からない。
適当に相槌を打って書類を見つめていると、「着きましたよ」と女性の声が耳に入った。ふと紙から視線をあげると、そこには一人の女性が掃き掃除をしている。
「彼女、私と同じ所で働いているんです。専ら雑用ばかりですが、真面目にこなしてくれるので助かってるんですよね」
ふふっと笑う女性は私達を置いて鈴森蘭に話しかけに行った。一言二言話し、私達の方へ視線を向けると鈴森蘭は勢いよく頭を下げた後、こちらへ走って来る。その場から見ていた女性は一礼をして近くの古い家の中へと入って行った。
「す、すみません! こんなにも早くいらっしゃるとは思わなくて……あの、どちらが私の願いを助けてくれるんですか?」
「あ、私です。
「も、もちろんです! えー……っと、とりあえずこの箒を置いて来るので待ってもらっても……?」
「はい、良いですよ」
先程同様勢いよく頭を下げお礼を言った彼女は小走りで片付けに行った。パタパタと足音を立てて戻った彼女は言葉通り真面目な女性と言う印象だった。それにしても話を聞いている彼女の姿とはだいぶ違っているような。虐待されていたと聞いていたから、もっと目が死んでいるものかと思っていた。いや、すでに死んでいるから目が死んでいるって表現もおかしいか。
「なんか、思ったより元気よね」
「まぁ、私のように生前の記憶があまり無いからかもしれないね」
「あれ、あなたもそうなの? 実は私も生きている時のこと、なーんも覚えてないの。正直、どうでも良いしね!」
ケタケタと笑っている火糸糸ちゃんは心底どうでも良いようだ。彼女の乾いた笑い声は不思議と嫌な感じはしない。深刻そうな顔で話すこともなく、自分の生前の記憶が無くても元気に笑っている。私が記憶が無い事に意外そうな顔をしたのだが、直後笑いながら毛先をクルクルと指で弄んでいた。
「正確に言えば、私はたまに思い出すけどね。死んでもなお思い出すなんて最悪だよ」
「ふーん、そっか」
何処か腹の底に何かが落ちた感覚。どうやら彼女は特に大して私の事を知りたい訳ではないようだ。いきなりこんな話を聞いたら誰だって身構えるし、困惑してしまう。だが、彼女は一切そんな態度を見せない。変わらない声のトーンに声量。慣れている、と言うよりも言葉通りどうでも良いのだろう。
髪を触っていた次は彼女は自分のネイルを見ながら、相槌を打っているので気が楽なのかもしれない。自分の頭の中で整理をしていると、遠くから走って来る音が聞こえて来る。そこには箒を置いてから軽く身なりを整えた鈴森蘭さんが小走りでこちらに向かって来ていた。
「すみません、遅れました! あの、それでまずは何をすれば……」
「そうですね。まずはこちらで聞いた内容と違いないか確認します。確認して同じだった場合、すぐに行動に移しますが大丈夫ですか?」
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
ショートボブの黒髪がさらりと彼女の耳から落ちる。淡々と私が説明してもご丁寧にお礼まで言うのを見ると、心が綺麗な女の子なのだろう。自分とは正反対の彼女に眩しさを感じつつ、書類に書かれている事に視線を落として口に出して行く。
「では、鈴森さん。まずは生前の事についてですが、ここは既に書類で拝見しているので省きます。今回の依頼の内容は、現在地獄にいる『
「そうです、彼に会って話を聞きたいんです。こんな内容でも、大丈夫でしょうか?」
「はい、大丈夫ですよ。では、早速彼に会いに行きましょう」
話した通りに私は行動に移そうとすると、戸惑っているのか「わ、分かりました!」と吃った。来る前に読み上げた内容の先に、鈴森さんの依頼内容が書かれている。一枚の紙のど真ん中に一行だけ『地獄にいる桃草霞さんに会う事』と。
理解はしたが、何故そうなったのかなどの経緯が全て省かれているようなので、本当に依頼通り行えば良いと言う事なのだろう。こんなのが私の膨大な恨みに効くのだろうか。半信半疑で行動している部分はあるが、頼まれたこときちんと終わらせたいのでやるしかない。
「ねぇ、そんなすぐに会えるものなの?」
「さぁ? でも、閻魔大王様が私達に特別な通行証みたいなのをくれたから簡単に行き来出来るんじゃない?」
「ふーん、そんなものかぁ。あ、蘭ちゃん! 蘭ちゃんが会いたい人って女の子なの?」
火糸糸ちゃんは興味があるのか無いのか、率直に質問をした。彼女の疑問もごもっともで、普通の人達は易々と天国と地獄を行ったり来たりすることなんて早々出来ない。むしろ、許してもらう私達の方が例外だ。
私の答えを聞いた彼女は興味を無くしたのか、すぐに目の前にいる鈴森さんに話しかけた。話しかけられた鈴森さんは「えっ」と声を漏らした後、手をモニョモニョと動かしている。見た目も話し方も全く異なる火糸糸ちゃんをチラチラと見ながら話始めた。
「えっと、霞くん……は、男の子です。生きていた時に仲良くて……」
「え、男の子なの! てっきり女の子かと思った! それで、何でその男の子に会いたいの?」
「ちょっと、火糸糸ちゃん。長くなりそうだから、歩きながらでも良い?」
「あ、ごめんごめん! じゃ、歩きながら話そっか!」
あはは、と笑いながら鈴森さんの背中を叩く。恐らく火糸糸ちゃんの方が年上なのだろうけど、誰にでもフレンドリーなのは変わらなさそうだ。すっかり彼女のペースに巻き込まれた私達は天国の門へと向かう。鈴森さんも悪い気はしないようで、笑顔で聞いて来る彼女の質問に目を細めて嬉しそうに答えていた。時折聞こえて来る鳥のさえずりに混ざって、彼女は再度口を開く。
「彼は、私の心の支えでした。周りに味方がいない、愛情も貰えない私に温もりを教えてくれたのは彼、霞くんだったんです。それくらい、私にとってかけがえのない存在だったんです」
彼女の話し方から察するに、私に負けず劣らずの暗い人生を送っていたらしい。彼女より一歩前を歩いていたが、チラリと見ると手が震えていた。そこに詳しく聞く勇気などないので口を閉ざす。
しかし、彼女の人生は決して明るい物とは言えないのに、あんなにも明るく振る舞っているのは何故なのだろうか。人見知りをする私にはそんなハードルの高いことは易々と出来ないので黙っていると、場違いな明るい声が聞こえた。
「あれ、蘭ちゃんって生前の記憶あるのー?」
「あ、はい。何故かは分からないんですけど、ほとんど明確に覚えています。嫌なことも覚えているんで少し辛いですけどね」
はは、と苦笑いしている鈴森さん。引きつった口元はヒクヒクと嫌そうに筋肉が動いている。一瞬だけ見た彼女の表情は痛々しくて見ていられず、すぐに私は目を逸らした。すると、遠くの方で大きい門らしき物が見えて来た。らしき物、と言うのも天界の門は先が見えない。雲か霧かに隠れて上を見ても真っ白な光景が目に入るだけだ。
それからも何か色々質問している火糸糸ちゃんだったが、つっかえる事なく受け答えをする彼女。あの質問以上に私は聞くことが出来なかったので、門を抜けるまで口を閉ざして聞くことに専念していた。
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