【4話・綻びを紡ぐ(後編)】/あのにます

 単位の為、万難無き卒業の為、レポート片手に挑んだ午前中の講義は無事終わった。

 新菜とはそこで別れた。

 朝、通学中の電車の中で話をした通り、新菜は彼氏とのデートに行ってくるらしい。

 一人取り残されることになった私は、大学の図書館に寄って学術書とミステリー小説を借りていく。

 それで時間を潰してから学食に行く。

 昼の混雑を避けたおかげで学食内には疎らに一人客がいるばかりであったが、隅の方にどこぞのサークルらしき団体だけが騒がしい。

 男女混合の十人に満たない人数であったが、その内の一人のトサカ頭の男子学生の声がすこぶる大きく、私はその団体から最も離れる席を確保した。

 300円程で食べられるうどんを前に、家に置いてきた野乃花を思い出す。

 野乃花はお金を持っているのだろうか。

 私の家にはカップ麺やらレトルトのパスタソースやらは常備してあるが、彼女の性格からしてそれらに勝手に手を付けるとも思えない。

 突発的な家出であろうし、そもそも中学生である以上、大金も持っていないだろう。

 そこまで考えて私は、一体何の心配をしているのだろうかと我に返る。

 そもそもだ。

 家出してきた中学生に一宿一飯の恩を与えはしたが、これ以上の厄介ごとに私が巻き込まれる前に手を引くべきではないのか。

 当初はそう考えていたのではなかったか。

 彼女が今も私の家で留守番をしている方がおかしい事態であり、彼女の昼食の心配をする方がおかしいのではなかろうか。

 そう考えるうちに、やはり気にかかるのは昨日の夜のメッセージだった。

 連絡のあった真希という女性なら何か知っているだろうか。

 誰かに相談したいな、と思った私が自身の少ない交友関係を洗ってみれば最後に残ったのは鈴乃音鈴乃の名前だけであった。

「鈴乃さんか……」

 私の音楽活動の先輩であり、師であり、パートナーである。

 彼女は、信用がおけて、なおかつ私の「リアル」の知り合いではない。

 丁度良い相手であった。

 通話アプリの「Skype」で鈴乃へメッセージを送る。

 彼女から来ていた、次の作品についての誘いのメッセージを無視していた事を詫びながら、端的に私と野乃花の状況について送ってみた。

 鈴乃からの返信は直ぐに来た。

 通話に切り替えたいという旨で、私は快諾して通話をかける。

『アオトさんはいつも話題に事欠きませんね』

「まぁ、変な事になってます……」

 スピーカーの向こうで鈴乃は楽しそうに笑った。

 家にいるのか、無駄な雑音は聞こえてこず彼女の声はよく通る。

 鈴乃は都内に住む大学生であると聞いている。

 平日のこの時間から家にいるという事は、彼女も私と同じように暇な大学四年生ではなかろうかと邪推した。

 作品制作に共に携わって三年程。

 何度か顔を会わせた事もあり、話題を選ばずよく会話する相手でもある。

 だが、彼女の本名は知らないし、どこに住んでいるのかも、詳しい年齢もしらない。

 文系とは言っていたが、何の大学に通っているかもしらない。

 一連の事情を聞いた鈴乃が、反応に困ったような声で唸っていた。

『警察に通報はしましたか?』

「いえ、なんていうか。家出慣れしてない感じだったので」

 だから、という言葉を呑み込んだ。

 ほんの少しの関わりを持っただけではあるが、野乃花という少女は常日頃から家出をしているような少女には見えなかった。

 家出という選択肢を選ぶような性格にも思えない。

 そんな彼女が家出という選択肢を選んだ事が気にかかっていた。

 ただ単純に彼女の家出を咎めて警察に連れていき自宅に戻すだけで問題は解決するのだろうか。

 それがお節介だと思っていても。

 私がそれを気にする必要はあるのだろうかと思っていても。

『例えば、虐待なんかが疑われるなら児童相談所に連絡するのも手です。アオトさんの気持ちは分かりますけど出来ることはなかなか無いですよ』

 なんと説明していいかわからないが、野乃花の態度や言葉の節に引っかかるものがあるのだ。

 初めて野乃花と会った時に感じた彼女の自虐的な振る舞い。

 あの理由が知りたくて。

『何か、アオトさんが気になる事があるんですか』

「彼女の携帯に、昨日の夜メッセージが来てまして」

 真希という女性から来ていたメッセージについて話すと、鈴乃が私に問い返す。

『告白と言ったんですか』

「なんか隠してたんですかね」

 私の言葉に鈴乃は曖昧な返事をした。

 鈴乃との会話で、進展するような結論が出たわけではなかったが彼女に話が出来た事で少し心の余裕は出来た。

 鈴乃の口から音楽制作での次回作についての話題が出そうになったので、私は礼を言って通話を切った。

 我ながら幼稚ではあったが、鈴乃に今は音楽の事を聞かれたくない。

 鈴乃には、私が音楽活動から距離を置くことをハッキリとは伝えていない。

 いやそもそも、私自身そんな宣言を誰にしたわけでもない。

 野乃花が言っていた様に、私が活動の痕跡を何一つ残さなくなって、それ故に誰もが私自身もが、そうであると思っているだけだ。

 自宅に帰る途中にスーパーに寄って二人分の夕食を買う。

 家にいる野乃花に米を炊いておいてもらうよう頼んでおけば良かったと後悔する。

 そう思ってから自宅には固定電話は無いし、野乃花の携帯電話の番号を知らないことに気が付いた。スーパーから自宅までの間の道にあるコンビニにも、光熱費を払う為に寄って帰る。

 コンビニのレジは高校生の集団で占拠されていて、私は時計を見る。

 18時を回っており、部活帰りであろうか。

 彼らが買い終わるまで店内をうろつきながら、時間を潰す。

 ふと目をやったデザートコーナーで、私は昨日の新菜と野乃花との会話を思い出す。

 二人が話していた新作のデザートとやらは直ぐに見つかった。

 少し迷ってから一つを手に取って、レジに向かった。

 私は光熱費の払い込みをして、デザート一つを入れた買い物袋を受け取った。

「何やってるんだろう」

 独り言がもれた。

 我が家は相変わらず空き地のど真ん中で廃墟と化していて、階段を昇れば悲痛な音を立てる。

 鍵を挿して家のドアノブを回して、私の手は止まる。

 家の鍵が閉まっていなかった。

 流石に不用心すぎないかと、一言言うべきだと思いながら家に入る。

 部屋の灯りはついておらず、カーテンの隙間から差し込む外の光もなく、部屋は冷え切った空気に満たされていた。

 不審に思いながら部屋の灯りを点ける。

 寝室で寝ているのだろうか。

 野乃花の名前を呼びながら寝室を覗きこんだ。

「野乃花?」

 そこにも野乃花の姿はなく、私の部屋には誰も居なかった。

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