大都会のヴァンパイア
白兎
第1話
警察に通報があったのは、日が昇り始めたばかりの早朝だった。
「殺し?」
避暑地で人気のリゾートのとある別荘で、女の死体が発見された。
通報者は
片瀬は連絡の取れない友人を探していたという。被害者の最後の連絡から、一週間が経っていた。二人の関係は同僚で友人で、恋人でもあったという。居場所がお互いに分かるようにGPSアプリを使っていた。
スマホの電源は切られていたが、最後の場所がここだったという。
被害者の名は、
「それで、あの別荘の所有者が、
「九条が怪しいですね。調べてきます」
刑事課の新人、
「待て、それはもう他の奴が行っている。俺たちは現場へ行くぞ」
先輩刑事の
リゾート地には似つかわしくない者たちが、現場に集まっていた。
「ご苦労様です」
現場検証は一通り済んだようだ。
「で、害者はここに倒れていたんだな? 何か犯人の手がかりになる物は見つかったのか?」
五十嵐の質問に、鑑識の一堂は答えた。
「はい。この日記を被害者が握り締めていました。まだ、これが犯人に繋がるかは分かりませんが、調べてみる必要はあります」
「分かった。日記の中身は後で改めて確認する」
「須藤、周りの人間に聞き込みだ。行くぞ」
リゾート地では近所付き合いなんてものはなく、隣の別荘が誰の物か、どんな人物かも知らなかった。
「今度は商店街に行くぞ。客として立ち寄ったかもしれない」
「はい!」
五十嵐たちは、リゾート客の集まる商店街へと向かった。すぐそこで殺人事件があったと思えないほど、明るく楽しく平和な人たちで溢れていた。
「ふんっ。お気楽な連中だな」
めぼしい情報はなかった。五十嵐たちは署に戻って、日記の中身の検証を始めた。
2022年 3月26日(土)
晴れている、わたしは、そとに
散歩に出かけた。お気に入りの
パン屋で、かしパンを買った。
湖に浮かぶ鳥を見ながら、自転
車をこぐのを止めた。その景色
は美しくて、めの保養になる。
そこでパンをてに持ち食べた。
「変だな」
五十嵐は、日記の文章に違和感を覚えた。
「何がですか?」
須藤はそれに気付けなかった。
「司法書士ってのは頭のいいやつがなる職業だ。こんな幼稚な日記を書くか?」
「そうですね。漢字で書けるはずの文字がひらがなですし、内容も不自然です」
その日記は、横罫だが、縦の文字も揃っている。
「これは、あれか? 謎解きの縦読み、斜め読みとか」
五十嵐が感づいたようだ。
「そうかもしれませんね」
「俺は謎解きは苦手だ。お前がやってみろ」
須藤は左の一行目から、順に縦読みをメモに書いていった。
「これ。七行目が『わたしを止めて』と読めます。偶然でしょうか?」
「どれ?」
五十嵐も日記の文章の七行目を上から読んでみた。
「『わたしを止めて』犯人が書いた日記だとすると、共犯者がいるのか、脅されてやった事なのか。犯人の意図するところは何だ?」
部屋の戸がノックされ、刑事課に入って来たのは鑑識の一堂。
「五十嵐さん、害者の死因が失血によるものというのは知っていますよね。先ほど吉村さんから、司法解剖の結果、頸動脈に針を刺して、血液を抜き取ったとのことです。睡眠薬の成分も検出されています。眠らせて犯行に及んだものと思われます」
「猟奇的だな。人の所業とは思えねえ」
一堂は、須藤のメモを覗き込み、
「なんです? これは」
「日記を縦読みしてみたところ、七行目にこの言葉が出てきた」
「『わたしを止めて』意味深ですね。猟奇的な犯行に及びながら、自分を止めてほしいとはね。自制が効かなくなったという事なのかもしれないですね」
「そんな単純な事ならいいがな」
この事件にはまだ何かあると、五十嵐は思った。抜き取った血を、犯人はどうするつもりなのか? そもそも、何のために血を採ったのか?
「榊原! 九条の足取りはまだ掴めないのか?」
外回りから戻って来たばかりの刑事に向かって、五十嵐が吠えた。
「まだ、居所は見つかりませんが、三月二十六日の行動が分かりました」
九条は別荘から遠く離れた、小さな町の駅で降りたことが分かった。
「榊原、九条は俺たちが追う。その町の情報をくれ」
五十嵐と、須藤は過疎地の小さな町へ向かった。
田舎町の駅に、よそ者が降り立つことはほとんどなかった。防犯カメラもない無人駅には、話しを聞ける相手もいない。
「九条はなんで、こんなところに来たんですかね?」
「分からんな」
身を隠すなら、こんな田舎より都会の方がいい。九条には自分の身を隠す以外に目的がある。
「九条は大きめのスーツケースとボストンバッグを持っていた。これは逃亡に必要な荷物ですよね」
「だが、それは目立ちすぎる。抜き取った血液は持っているとして、他に何を持っていたのか」
「そりゃ、着替えとか、寝袋とか、そういう物じゃないですかね?」
「血液が気にならないか? 自分のためなのか、他の誰かのためなのか」
「というと?」
「大きめのスーツケースには、その血液を必要とする人が入っているとかな」
「怖いこと言いますね」
「頸動脈から血を採るなんて、まるで吸血鬼のようじゃないか」
「なんですって?」
五十嵐は自分が非現実的なことを言ったと思った。だが、実際に血を飲む者もいるらしい。
「まさか、五十嵐さんがそんな空想話なんてするとは思いませんでしたよ」
「俺は現実の話しをしている。九条が誰かのために血液を採り、人を殺した。とも考えられると言う事だ」
田舎町は範囲が狭く、住民も少なかったため、数時間で聞き込みは終わった。しかし、帰りの電車はなく、駅のベンチで一夜を明かす事となった。
早朝、始発の電車が止まり、そこから一人の女性が下りてきた。駅のベンチで二人の見知らぬ男が寝ていることに驚き、声を上げた。
「ひゃっ」
五十嵐はその声で起きて、
「いやー、すみません。驚かせてしまって」
と、女性に謝った。
「ここで、何をしているのですか?」
「ちょっと、人を探していましてね。最終電車を逃して、ここで寝る羽目になりました」
「それはお気の毒に」
「あなたは、この町の住民ですか?」
「いえ、違います」
彼女はどう見ても都会の人間だ。こんなところに何の用があって来たのだろうか?
彼女にしても、二人の男たちがただの人探しの一般人ではないことを悟っていた。お互いに相手を探り合っている。
「お互いの素性を明かしませんか?」
五十嵐はそう持ち掛けた。
女性は大手出版社の、雑誌編集部の記者だという。まだ未定の記事で、この田舎町のヴァンパイア伝説の取材に来たという。
「妙なところで繋がったな」
五十嵐は情報の交換を条件に、今追っている事件について、女性に話した。この女性の名は、
蓮宮はヴァンパイア伝説について語った。
遠い昔、この集落で若い女性が襲われる事件が連続した。女たちの遺体には外傷はなく、首筋に噛まれた後だけがあった。その当時、魑魅魍魎が存在するとみんな信じていた時代だった。女を殺したのは人にあらずと、男たちが奮起し、人の血を吸う鬼を見つけ出し、殺して埋めたという。その鬼塚がこの町のどこかにまだあるという話だった。
「でもね。私が追っている真実は、こんな遠い昔のおとぎ話なんかじゃないわ。数年前、ここで二人亡くなっている。妻は電車に飛び込み自殺。夫は崖から転落死。その息子が九条誠二。二人の死は地元紙で小さく扱われただけだった。私がこの町に興味を持ったのはね、ヴァンパイア伝説を新しい企画として考えていたとき、この町の事を知ったわ。そして、夫婦が不可解な死を遂げたなんて、ミステリアスだと思ってね。私の直観で、ここには何かあるとこうして取材に来てみたら、あなたたちに出会った」
蓮宮のジャーナリズム魂がここへ導いたようだ。
「あんたもこれが仕事なんだろう。手を引けなんて言っても無駄かな?」
「もちろんよ。まだ、何も取材できていないんですからね」
「なら、俺たちと行動を共にしろ」
「嫌です」
「俺たちが追っているのは吸血鬼じゃない、殺人鬼なんだ。あんたら一般人を守るのが警察官の仕事なんだ」
「そっか。私の事を守ってくれるって言うんですね。それなら、ボディーガードとして、私のそばにいてもらいましょう」
三人は行動を共にする事となった。
「町の住民に聞き込みはしたが、九条を目撃した者はいなかった」
「本当に? 何か気になったことはないかしら? 彼らが何かに怯えているとか。嘘をついているとか。あなた刑事なら、それくらいは感づいているんでしょう?」
蓮宮は鋭いところをついてきた。須藤は気付いていなかったが、五十嵐にはこの町の住民全員が怪しいと感じていた。
この町のどこかに九条は潜んでいるに違いない。奴は殺しを止めてほしいと願っている。これ以上、九条に罪を重ねさせるわけにはいかない。蓮宮は若い女だ。こんな田舎町には老人しかいなかった。今度狙われるとしたら、蓮宮かもしれない。おとりに使うわけじゃないが、何を言っても、彼女はこの件から手を引かないだろう。それなら、九条をおびき寄せるために役に立ってもらうか。
五十嵐はそんなことを考えていた。
「鬼塚、どこにあるんですかね?」
三人で山の中を探しまわっているが、見当もつかない。ただ闇雲に探すのは危険だ。この町の住民が協力してくれたらいいが、彼らは怯えているようだった。
蓮宮の言った、数年前の事件も鬼がらみなのだろうか? 田舎の人間は昔の空想話を本気で信じているから厄介だ。
「ねえ、あの岩を見て。何か文字が書いてある」
「封印ですかね?」
「そうだろうな」
「じゃ、これが鬼塚ね」
その時、背後に気配を感じて、彼らは振り返った。
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