舞
出迎えが終わり屋敷に戻ると、香夜はすぐに夜の宴の準備に駆り出された。
掃除や座椅子の準備などは午前中に終わっているが、料理や酒などの準備はこれからなのだ。
下準備は終わっているものの、普段動くべき若い娘達はことごとく舞の準備に忙しい。
そのため年の瀬の宴よりも忙しい状態となっていた。
「香夜! お前はそろそろ鈴華の所へお行き。あの子の指示通りに動くんだよ⁉」
日も暮れかけたころ、養母がやってきて大声で指示を飛ばす。
昼のこともあるので鈴華の近くには行きたくなかったが、今日の香夜のお役目はその鈴華の手伝いだ。行かないわけにはいかない。
養母に聞こえるように「はい!」と返事をすると、身だしなみを軽く整え鈴華の部屋へと向かった。
せわしなく動いた後で人が少ない方へと来たからだろうか、急に寒くなったように感じる。
いや、背筋がぞわぞわするこの感じは寒気だ。
昼とはいえ冷たい水を掛けられ軽く拭いただけで終わらせてしまったのだ。風邪を引く前兆かもしれない。
(こんな時に……せめて今日一日持ってくれればいいんだけど)
舞不参加の自分しか鈴華の手伝いをする者がいない。
自分がいなくなれば接待のための料理や酒を鈴華が厨房まで取りに行かなくてはならなくなる。でも、それでは接待の意味がない。
運ぶ人手はどうしても必要なのだ。
「あなたは私の指示通りの料理やお酒を運んでくれればいいわ。そのみすぼらしい姿で燦人様の視界に入らないで頂戴」
鈴華の指示は簡潔にそれのみだった。ある意味有難いといえば有難い。
それにしても、と鈴華を盗み見る。
いつも以上に着飾っている鈴華に、これは本当に接待のためだけの身支度かと疑問を抱く。
これでは長も慌てるはずだ。
「何を見ているの? 私の指示はそれだけよ。初めに用意する料理などは決まっているでしょう? さっさと準備に取り掛かりなさい」
嫌悪も露わに眉を寄せた彼女に追い立てられ、香夜は鈴華の部屋を後にする。
そうして準備が整えられて行き――運命の宴がはじまった。
舞は月がある程度高くなってから行われた。
料理と酒が振る舞われ、丁度ほろ酔い気分となった頃だろうか。
香夜も料理や酒を裏で運びながら、合間にその様子を見ていた。
扇を持ち、ゆるりとした舞はその技量も分かりやすい。
しっかり教えられているとはいえ、年の瀬に披露する者以外は誰かに見せる機会など無い。
故に、香夜のように結界すら張れない娘達の舞は普段目にするものより見劣りしていた。
それでも多少は内包する力があるのか、ぼんやりと舞台の紋様は光を放つ。
とはいえ流石に長もそのような力の弱い娘達から選ばれるとは思っていないのだろう。初めのうちは他愛もない話題を提供しつつ燦人に酒や料理を進めていた。
だが、一人、また一人と舞を終えると、徐々に落胆の色が濃くなっていく。燦人が全くもって反応しないからだ。
一応紋様が光出した頃
それでも最後の娘の番となると、周囲はやはりこの娘なのだろうと多くの期待を寄せた。
だが、その娘ですら対応が同じとなれば落胆どころか騒然となる。
やはりこの里の者では選ばれぬのか。
だが、それならば何故若君は初めにこの里を選んだのか。
大きな騒ぎとまではならなかったが、そんな声がそこかしこで聞こえてきた。
「……まさか、先程の娘で最後なのか?」
だが、愕然としているのは燦人も同様だったらしい。
信じられないといった様子で呟いていた。
「え、ええ……その……」
「あら、指定された年齢の娘ならここにも一人おりますわ」
汗がにじみ出ていそうな長の言葉を遮り、鈴華が得意げに言ってのける。
「私の舞もご覧になって下さいな」
甘えるような声を出し、燦人の腕に手をそえる鈴華。そんな彼女に少し困った表情をして燦人は長に視線を戻した。
「鈴華どのはこう言っているが……良いだろうか?」
「え? いえ、その……娘は……」
「ねぇ、良いでしょう? お父様」
愛娘を手放したくない長は躊躇っているが、このままでは誰も選ばれぬということになる。
期待し、盛大な宴まで用意したというのにこのままでは長としての威厳すら怪しくなってくると思ったのだろう。
愛娘の願いというのも手伝って、最後には頷いていた。
「はい、そうですな。鈴華の舞も見てください」
引きつった笑顔でそう言った長に、鈴華は「ありがとうお父様」と無邪気にも見える笑顔で答える。
そして立ち上がると
その背中を見送りながら、香夜は接待はどうするのだろうと小首を傾げる。
(……まあ、休憩出来ると思えばいいか)
そう切り替えて上座の隅に控えつつ一息ついた。
やはり体が怠い気がする。
今日は早い時間から動きっぱなしだったのだ。昼食もまともに食べられず、夕食も移動しながら口に突っ込むようにして急いで食べた。
それにやはり、昼とはいえ冷水を浴びてしまったのは不味かった。
着物を守るためとはいえ、背中側はほぼすべて濡れてしまっていたから自分で思っていたよりも体が冷えてしまったらしい。
せめて温かい飲み物でも飲めないかと周囲を見回していると、突然聞き慣れない声が掛けられた。
「……貴女は舞わないのですか?」
「え?」
見ると、燦人のお付きの者である炯がそこにいた。
火鬼の者は皆そうなのか、赤みを帯びた黒髪に黒い瞳をしている。まだ幼さは残るが、彼もかなり整った容姿をしていた。
「見たところ燦人様が指定した年齢に当てはまる様ですが……。失礼ですが、お年は?」
「あ、その……十八、です」
無視するわけにもいかないし、嘘をついても失礼に当たる。
何より、真っ直ぐな彼の瞳には嘘や誤魔化しが通用しない気がした。
「あ、ですが私はいいのです! 力も無いし……その、髪色だって変ですから……」
「変、ですか?」
言いつけを破って叱られたくは無いので、香夜は舞わない理由もちゃんと告げた。
だが、炯はその理由にも納得した様子は見られない。
「何をしているんだ!」
そこへ、荒々しい声を上げながら長が近付いてくる。
「ああ……鈴華が舞うなど……ええい! 酒だ! 香夜、もっと酒を持って来い!」
鈴華が舞ってしまえば、彼女が選ばれると思っているのだろう。愛娘を手放したく無い長は自棄になったように香夜にそう命じた。
「いえ、少し待ってください。彼女も指定した年齢の娘でしょう? ですが彼女が舞うのを見てはいません。どういうことですか?」
静かに、でもはっきりとした炯の物言いは強い印象の声となって届く。
「え? いや、この娘はないでしょう。結界を張る力もないし、何よりこのみすぼらしい髪色だ。お目汚しにしかなりません」
当然だと言うように何の疑問もなく言ってのける長。
だが、炯はその言葉にも納得するどころか嫌そうに眉を寄せる。
「みすぼらしい? 何にしても、燦人様が指定したのは十六から二十までの娘全員です。跡取りだからと除外していたはずの鈴華どのまで舞っているのに……燦人様を欺くおつもりですか?」
落ち着いた声音だが、確実に非難の色を込めた言葉に長も続く言い訳が思いつかないようだ。
元々自棄になっていたこともあって、「分かりました」と炯の要望に応えた。
「香夜、さっさと行ってきなさい」
簡潔にそう言われ、香夜は舞台へと追いやられてしまう。
突然舞うことになってしまったが、大丈夫なのだろうか。
養母の言いつけを破ることになってしまうし、何より単純に自分の体力が持つかどうか……。
不安を胸に、香夜は言われた通り舞台の方へ足を進めた。
順番を待つように、舞台の下の位置で鈴華の舞を見つめる。
毎年、年の瀬に披露している鈴華の舞はとても綺麗だ。力も里の中では一番強いので、紋様もはっきりとした光を放っている。
(この後に舞うとか、頭が痛くなるわ)
そう思ったら本当に痛くなってきた。
いや、寒気も酷くなってきたしこれは確実に熱が上がってきた証拠だろう。
舞が終わったら養母に伝えて自室に戻れるようにしてもらおう。片付けをしないことで嫌な顔はされるだろうが、倒れたところを運ぶのも嫌だろうから休みはくれるはずだ。
そう結論を出し、とりあえず舞を終わらせなくてはと舞台を見上げていると後ろから聞き慣れた声が掛けられる。
「……香夜、あなたも舞うのですか?」
養母の淡々とした声に悪いことをした子供のような気分で振り返る。
「あ、その……長が舞えと……」
少なくとも自分の意志ではないのだ。言いつけを破るつもりはないのだと訴えた。
だが、感情の読めない眼差しをした養母は追及するでもなく、無言で近付き持っていた扇を差し出してくる。
「扇もなく舞うつもりですか? それこそみっともないでしょう」
そう言って受け取れとその扇を香夜の胸に突き出してきた。
慌てて受け取ると、養母は無言で離れていく。
養母の意図がつかめず戸惑っていると、鈴華の舞が終わったのだろう。拍手と彼女を褒めたたえる歓声が聞こえてきた。
皆も鈴華が選ばれるだろうと思っているに違いない。
里一番の力と美しさを持つ鈴華を里から出すのは忍びないが、名誉なことだと歓声の雰囲気からも感じ取れる。
(尚更私が舞う必要はないんじゃ……)
香夜はそう思ったが、長の命でもあったし養母も止めはしない。
この状況で舞わずにいるのは無理だった。
「まあ、あなたも結局舞うの?」
舞台を降りてきた鈴華がやり切った笑みを嘲笑に変えて言ってくる。
「はい……指定の年齢ならば皆舞えとお付きの方から指摘がありまして……」
「あらそう。まあ、私の後ならあなたの舞がみっともなくても誰も見ていないでしょうから……良かったわね」
と、ご機嫌そうに鈴華は言う。
その様子から彼女も選ばれるのは自分だと思っている様に見えた。
(全く……跡取り問題はどうするつもりなのかしら)
その辺りのことを全く考えていなさそうな鈴華に少しため息をつきたくなった。
だが、誰も見ていないだろうという言葉には少し安心する。
確かに鈴華の美しい舞の後ではそこまで注視されることもないだろう。
ご機嫌な鈴華を見送ってから、香夜は舞台へと上がった。
瞬間、ざわりと異様な空気が宴の中を駆け巡る。
見ずとも、聞かずとも分かる。
何故お前が舞うのだ?
そんな意図が無数の針となって突き刺さってきたのだから。
舞は注視されないと思ったが、別の意味で注目されてしまった。
香夜はいつものように心を凍らせ壁を作り、とにかく早く舞を終わらせてしまおうと思う。
頭痛も酷くなってきた。早く休まなくては寝込む事になってしまいそうだ。
香夜は仄かな月明かりを全身に浴び、集中する。
鈴華の様に美しくは舞えない。
体調も最悪で、正直辛い。
でもこの舞台に立つと、月が少し力を分けてくれる様な気がした。
この舞に楽は無い。閉じていた扇を開き、ただ月明かりの下ゆったりと舞う。
音も気配も全てを遮断して、月に舞を捧げるように扇をひるがえした。
そうして舞の半分程まで来ると、紋様がほのかに光を放つ。
みすぼらしい髪色の穢れた子でも、ちゃんと月鬼としての力はあるのだな、と自嘲した途端集中力が切れてしまった。
体調の悪さも一気に思い出して、ぐらりと体が
(倒れる!)
踏みとどまることが出来なくて、床にぶつかる様に倒れる覚悟をして目をぎゅっと閉じた。
だが、予測していた痛みは来ずふわりと何かに受け止められる。
白檀の香りがするのと、周囲が息を呑む気配を感じ取ったのは同時だった。
「ああ……やっと、やっと会えた」
耳に心地いい低めの声がした。
優しく響く声音。大切なものを扱うかのように抱きとめられた力強い腕。
初めて知るそれらに、香夜はただ驚いた。
見上げたそこには、とても嬉しそうな美しい人の微笑み。
彼は――燦人は、そんな香夜の頬を撫で、睦言を囁くように告げた。
「ずっと求めていた……貴女が私の妻になる
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