【2章・焔を掲げて/祷SIDE】
『2-1・予兆』
「祷、これどう?」
祷、と私の苗字を呼ばれ顔を上げたことを後悔した。顔を上げると目の前にはスマ-トフォンがあって、そこで再生されていた動画は昼食時に見るべき類の物ではなかったからだ。
スマートフォンで再生されているのは、低解像度の動画で非常に不鮮明だった。映像が進む度にブロックノイズが混ざる。監視カメラか何かの映像の様で、屋外の様子を斜め上から手ブレなく撮影していた。
画面の中央に映っているのは、不器用に歩く男の姿。その男の白いシャツは、赤黒く汚れている。それが男の身体から流れている血であると、私は遅れて気が付いた。男は足を引きずる様な歩き方で、身体の動かし方にぎこちなさが見て取れる。
そして一瞬だった。その男が突如、近くに居た人に向かって噛みついた。映像は相変わらず不鮮明ながら、その男が噛みついているのはハッキリと分かる。噛みつかれた人が身体を仰け反らせると、周囲はパニックに陥った様で、人々は一斉に画面の外へと走り去っていく。走っている人々の容姿と白い地面の街並みで、日本ではなく海外の映像だと私は思った。
こういう類の「モノ」を、なんと呼んだかと私は思案した。私の思考を周囲の喧騒が邪魔をして、浮かび上がってきそうだった言葉が散り散りになってしまう。県立内浦高校2年D組の教室内は、昼食時でひどく騒がしかった。男女問わずの大声が飛び交っていて、その合間を縫って袋入りの菓子パンが飛んでいくのが見えて私は顔をしかめた。
「ゾンビだよ、ゾンビ」
そう言われて、私は手を打った。そうして、そのままその手で、私に向けられていたスマ-トフォンを払いのける。
私に動画を見せていた明瀬ちゃんが、楽しそうに「ゾンビ、ゾンビ」と再び繰り返し始める。明瀬ちゃんは昼食の総菜パン片手にスマ-トフォンを操作して、動画の続きを探している様だった。今の「ゾンビ動画」とやらがリンクされていたのは海外のネットニュ-スであるらしく、英語の記事を明瀬ちゃんがかいつまんで翻訳してくれた。食事時に余計なお世話でしかない。
ゾンビ事件と銘打たれた今の動画は、記事によればインド北部で起こった事件らしい。血だらけの男性が通行人に突如襲い掛かり、そのまま喰い殺したという記事であった。疑わしい話だと思ったものの、テンションの高い明瀬ちゃんに配慮して口には出さずにおいた。明瀬ちゃんの横で嫌そうな顔をしているのは、私だけではなく、同様に苦い顔をしていた矢野ちゃんと目を見合わせる。
明瀬ちゃんと矢野ちゃんは私の同級生で、いつも行動を共にする友達三人組だった。
ショ-トボブを金髪に染め、快活そうな容姿をしているのが明瀬ちゃんである。明瀬ちゃんは、オカルトやホラ-やスプラッタ-といった話が好きで、毎日の様に話のネタを仕入れてくる。話の内容の割に、明るく楽しそうに喋る様子はなかなか理解しがたくはある。そんな明瀬ちゃんの話にいつも否定的なのが、眼鏡とポニ-テ-ルが印象的な矢野ちゃんだった。真面目で少し男勝りな部分があり、言葉遣いも少し強い。
高校に入学した頃、明瀬ちゃんが私と矢野ちゃんに声をかけてきたのが、仲良くなる切っ掛けだった。明瀬ちゃんの言葉を借りるなら、「この二人となら仲良くなれる筈と、第六感が働いた」らしい。明瀬ちゃんのオカルト趣味も、その点に関しては当たっていたと思う。
「ついにゾンビによる世界滅亡がやってくるんだよ」
明瀬ちゃんが熱のこもった声で言った。こういう類の話を語る時の明瀬ちゃんは非常に楽しそうで、見てる私も楽しくなってくる。内容はともかくとして。
明瀬ちゃんの話がより一層生々しいものになる前に、私は急いでお弁当を食べ終えた。矢野ちゃんが嫌そうな表情を崩さないまま、冷静に言う。
「こういうのは大抵、話に尾ひれがついてるものなんだ。腐った肉体っていうけれど、汚れた服や皮膚病なんかが理由で、そう見えただけじゃないのか」
「矢野は夢がないなぁ。じゃあさ、人を食べたのは?」
「精神に障害を抱えていたとか、錯乱していたとか。噛みついていただけかもしれないだろ?」
矢野ちゃんの反論に、明瀬ちゃんが不機嫌そうに口を尖らせた。海外の怪しげなニュースだ、と矢野ちゃんが追い打ちをかける。この流れは、きっと私が巻き込まれるのだろう。いつもの事であるけれど。
「祷はどう思う?」
明瀬ちゃんが私の方を向いて、そう言った。ほらね、と声に出さずに思った。
ゾンビと言われても信じられるものではないし、映画なんかの創作上の存在でしかないと私は思う。しかし、そのままそれを言ってしまっては、明瀬ちゃんは機嫌を損ねるに違いない。
明瀬ちゃんの趣味への入れ込み様は大したもので、私が明瀬ちゃんの部屋に遊びに行った時には、本棚一杯のB級映画のDVDだとか、謎の骸骨が並んでいる机だとかを見せられた。明瀬ちゃんが苦労して作成した血糊で、私はドッキリをしかけられた事もある。よくよく考えてみれば、とんでもない友人だと今更思った。それでも、明瀬ちゃんをあまり落胆させないよう私は慎重に言葉を選ぶ。
「う-ん、どうかなぁ。でも、明瀬ちゃんが言うみたいにゾンビとかUFOとか魔法とか、本当にあったら面白そうだよね」
そんな私の中立的なフォロ-を明瀬ちゃんは鼻で笑った。
「UFOはあっても、魔法は無いっしょ-」
「明瀬の基準が分かんねぇ」
矢野ちゃんの指摘に頷きながら、私は目の前にいる明瀬ちゃんの額を小突いた。それを見た矢野ちゃんが、「祷ー、もっとやっちゃえよ」と野次を飛ばした。
明瀬ちゃんと矢野ちゃんが私を「祷」と呼ぶように、私達はお互いを名字で呼ぶ習慣があった。明瀬ちゃんの下の名前は少し変わっていて、名前を呼ばれるのをひどく嫌がるので、気が付いたらそんな風になっていた。
私に小突かれて大げさに痛がる演技をした明瀬ちゃんが、魔法に否定的な理由を語りだす。
「黒魔術は興味の範疇だけど、魔法っていうかファンタジ-は別に好きじゃないんだよね。魔法って何でも出来る万能感があって、なんか違うな-ってカンジ」
そう言われてみれば、明瀬ちゃんはファンタジ-は特に好まなかった気がする。黒魔術との差異というか判断基準が私にはよく分からないけれども。あんまり詳しく聞いても、気味の良い話は出てこないだろうと思って私は深く突っ込まなかった。
矢野ちゃんもそう思ったのか、私に話を振ってきた。
「祷は魔法があったら、どうする?」
「どうするって?」
「何をしてみたい?」
矢野ちゃんの質問に、私は答えに窮した。私の答えを待つ明瀬ちゃんの顔を見て、私ははにかんでしまう。
「私じゃ、きっと何も出来ないかなぁ」
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