第3話 悩む作家
12月。日が沈んだ寒空の下、俺は特に当てもなく歩いていた。最近はより一層寒くなり、外に出るのは億劫だったが、それでも家に居る罪悪感よりは幾分がマシだった。それに、こうやって外を当てもなく散歩するのはいま書こうとしている小説のアイデアをまとめるという意味でも有意義に思えた。
交差点を渡り、大きな通りに入る。すっかり町はクリスマス気分で、カップルが大きなツリーを眺めたり、流行りのドリンクを片手に写真を撮りあっていた。その光景から逃げるように三つ目の信号で曲がってみると、一気に薄暗く不気味な路地に出た。怖くなったので引き返そうとしたところで、提灯が灯っているのが見え、足を止めた。恐怖もあったが、それよりも高揚感に駆り立てられ、近づいてみると、木製の大きな二輪を携えた屋台がどこか温もりの感じる匂いを出していた。
その温もりに引き込まれるように俺は暖簾をめくった。
「やってるかい?」なんとなくそれっぽい言葉を言ってみる。
「いらっしゃい」
そこには、こんな薄暗い空間には似つかない可愛らしくもどこか大人びた色気を感じさせる女性が金色に光る財宝のようなおでんを煮詰めていた。
可愛らしい花柄の青いエプロンと赤い頭巾で身をつつみ、肩あたりまで伸びた艶やかな髪を三つ編みにして右肩に流していた。おでんを見つめるその双眸は宝石のような美しい青色で、白い肌がその宝石の美しさを際立たせているように思えた。スラリと伸びるその若々しい手に、素晴らしいスタイル。どう見てもこのような路地の人間ではなく、大通りを歩く側の人間にしか映らなかった。
「おおっ。びっくりした。まさかこんな綺麗な子が店主とは」
「あはは、よく言われるよ」
といいながらも嬉しそうに、エプロンを翻した。
「にしても今時、こんなところでおでん屋って儲かるのかい?」席に座りながら店を見渡す。見たこともないのにどこかレトロで懐かしい雰囲気だ。
「いやぁ、コンビニが増えてきてからはイマイチね。引き時を逃したかも」
「……」
いや、今何歳なんだ。というツッコミを予測した発言なのだと察っしたが、引き時を逃したと言う言葉が、胸に刺さって何も言えなかった。
「でも、昔懐かしいこの雰囲気を味わうためにいらっしゃる方もいるけどね。分かる人には分かるのですよ」
「……」
分かる人には分かる。自分に言われているようで表情が引き攣った。
「さぁ、お客さんなんにしますか?」
「大根……はないのかな」
鍋を覗き込んで言ってみる。おでんと言えば、大根というほどには僕は大根に目がないのだ。
「いいえ、ちゃんとありますよ」と言ってちくわや餅巾着などが乗った台を上げると、金色に染まった大根が姿を見せた。
「こうした方が、味が染みて美味しいんだ」と店主は言って微笑んだ。
「ええっと、じゃあ、せっかくだから大根二つとたまごにつくね……それと熱燗もらえるかい?」
「まいどっ!」
そう言うと、店主は手際良く皿に注文した品をよそい、熱湯につけられていた熱燗を取り出した。
「いただきます」
家では親と会うのが気まずく1人で食べていたせいか、いただきますなんてここ暫く言ってなかったので、少し小っ恥ずかしく感じた。箸で大根を割ろうとするとすっと箸が入りほろほろと崩れたかと思うと、暖かそうな湯気が立ち上った。一口。口に入れた途端、出汁を吸った大根が口の中で溶けていく。もう一口、もう一口と食べていくにつれて俺の冷え切った心が暖かくなっていくのを感じた。
「大根、ホクホクで最高です」
「それはよかった」
店主は微笑みながら熱燗を注いでくれた。
次第に酒のせいか、この女性の独特の雰囲気のせいかふらふらとした心地良い浮遊感に襲われた。ずっしりと俺にのし掛かっていた社会的責任だとか周囲との差といった過去や未来のことなんてどうでもいいことのように感じられ、今ただこの時をずっとただ酔って、漂っていたくなった。
「なんか、元気無さそうじゃないですか?」
「じつぁ、俺、小説書いてんだよ」
「おぉ! 作家さんですか」
「全く稼げねぇんだけどなぁ」
「いいじゃないですかぁ! 作家さんなんて。どんなの書いてんの?」
「それだよそれぇ」と言いながら、熱燗と、ちくわ、白滝、大根を二つ追加で注文した。
嫌なことを喉の奥に流し込むように熱燗をぐいっと飲み干すと、吐き出すように話し出した。
「始めは自分が書きたいものさえ書ければ周囲の評価なんて分かる人に分かれば良いのだと思ってたんです。でも、そもそも誰にも読まれないのであれば、書くモチベーションを保つことができないって気が付いたんです」
「ほうほう、それで?」
「次に、流行り物に手をつけてみたのですが、なんか良くも悪くもテンプレと言いますか、書いていて面白みがないんですよね。あーこれか。またこの展開かみたいな。いつまでこすってんだよ、おんなじような作品ばかりって、大好きだった創作が嫌いになりそうで……。そしたら、自分は何を書くべきなのか、何が書きたいのかわからなくなってしまいまして、スランプに陥っているところなんです……」
「なるほどぉ……それは大変ですね。職も手につかないんじゃないですか?」
「食は手についているみたいですが」どこか見透かしたように言われたので慌てて誤魔化した。本当のところ、大学を出てからというもの定職についたことはなく実家でその日暮らしの生活を送っている。
「そうだここでのことを小説にしようかな」少し暗くなった空気を変えるために、話題を変えた。それに、ここでのことを小説にしてみるのも本当に悪くないのかもしれないと思ったからだ。
「舞台はここだと地味だから異世界にして……かわいいエルフが店主の店……みたいな」
「かわいいエルフじゃなくてすみませんね」店主が茶化すように言った。僕はすっかり自分の世界に入り込んでいることに気が付き、恥ずかしくなった。
「でもこんな小説があっても暗いし重いし誰も読まないんじゃない?」
「内容なんてさほど重要なのではないのかもしれません。ただキャラが可愛くて、面白くて展開の読めてゆったり見れるものであれば」
「ふーん。私、あなたに興味が出てきました。一度あなたの小説読ませて頂けませんか?」
その美しい蒼色の双眸で覗き込まれるとまるで催眠術にでもかかったかのように裏があっても無くてもどうだって良いと思えた。
「もちろ……」
そう言いかけたところで言葉に詰まった。
「どうかしました?」
「私、小説をまともに完結させたことがないかもしれません」
そんな中途半端な小説は僕の人生そのものだと思った。特に努力することもなく進学できたせいか、そのままなんとなく就職できるものかと思って日々をなんとなく消費し続け、就職先が見つからなくても企業に見る目がないと馬鹿にし、次第にどうでも良くなって一日中家にこもってゲームに打ち込んだりしていた。
そういえばそんな俺が、小説を書き始めたいと思ったのはいつのことだっただろうか。もう消えかかっている記憶を辿っていく。そうだ、素晴らしい小説を読んで俺もこんな世界を作ってみたいと思ったんだった。でも今なら分かる。それも建前で本当はなんの才能も努力もしてこなかった自分を誰かに承認して欲しかったのだ。何もしない日々に焦燥感を覚えなにか始めたかっただけなのだ。だから小説の内容よりも評価を気にした。だから、オリジナルよりも流行りを選んだ。だから他人の小説を読むのを拒んだ。だから……。
それが、今この店主と話して気がついた。今の俺にはもう小説を書くことは趣味の範疇を超え、義務となってしまっているんだ。
「俺、やっぱり夢から覚めて働こうかと思います」
「そうですか。あなたの小説が読めなくて残念」
「いえ、小説は書き続けようと思います。今度は本気で。小説はもはや俺の存在意義ですから」
どこかスッキリした表情でここにきて初めて笑みを浮かべ、「小説は、そのときに」と約束した。
「じゃ、お勘定で」
「いいよ、出世払いということでね」
店を出て、少し軽くなった足取りで通りを出ていく小説家を若い店主は見送ると、店を畳もうと頭に巻いていたバンダナを外す。すると、長い耳が艶やかで美しい金髪から覗かせる。
「いやー、ヒヤリとした」と店主は愉快そうに頰を緩めた。
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