夢見るいつか

後見 ナイ

第1話 夢見る少女

 年が明け、クラスの皆は着々と進路が決定していく中、高校3年生の私、綾瀬帆波はまた進路指導室までの道のりを重たい足取りで歩いていた。進路指導室の扉をノックし、開けると、想像通り厳しい顔を浮かべた学年主任と、もやしみたいに細い進路指導の先生が待ち構えていた。


 私がソファに腰を下ろすと、「なんだこの進路希望は」学年主任が私の進路希望用紙を机の上に叩きつけた。その動作に少しイラッとしたが、平然なフリをして制服のスカート裾を正した。


「書いてある通りです。私は高校を出てアイドルを目指します」


「ばかやろうっ! そんなことできるわけがないだろっ!」


「そんなのやってみないと分からないじゃないですか」


「まぁまぁ、一旦落ち着きましょう? まぁアイドルを目指すというのは……まぁ、好きにやってもらっていいんですが、まぁ、保険としてですね、まぁ次の共通テストを受けていただきたいんですよ。まぁ、あなた成績はいいんですから普通に大学に進むというのもまぁ選択肢としてはありなんじゃないかと大学に入ってから考えればいいのかと、いや、まあむしろそうするべきなのではと」もやしが眼鏡を掛け直しながら言う。


 所詮教師なんて学校の進路実績ばかり考えて安定した自分の人生が勝手に一番と決めつけ、それを生徒にまで押し付けてくる。教師は生徒の夢を応援するもんじゃないのか? 生徒の夢を砕き、現実を突きつけ諦めさせる、それが教育なのか? そう思うとイライラがどんどん膨らんでいく。


「だから、その日はオーディションだってっ!」


「現実を見ないかっ!」


「夢くらい見てもいいじゃないっ!」


「いいですか? まぁ、アイドルになるというのはまぁ、並外れた才能がない限り無理ですよ。まぁ、フィクションの世界だったら可能だったのかもしれませんが、もうあなたは高校3年生なわけですから、まあ太田先生のいう通りもう少し現実を見るべきですかね」


「……決めました。私、辞めます」


「おおっ! やっと先生の言いたいことが伝わったかっ!」


「こんな学校やめてやるっ!」


「は? おいっ! ちょっと……」


 慌てて引き留めようとする教師を振り払い。私は進路指導室から飛び出した。あんなの尋問じゃないか。あそこにいたところで夢を諦めるまで、私を非難し続ける。私が夢を諦めると言えば満足そうな顔を浮かべ、いい教育をしたと思い疑わないだろう。それがなんか嫌だった。


 学校を飛び出ると、しばらく息を整えてから帰路に着く。街は正月ムードから一転、忙しそうに歩き回るサラリーマンや友達とクレープを頬張る学生の姿ばかりで日常生活が戻りつつあった。それはまるで皆んな夢から覚めていくように感じられ、私にまだ夢なんか見ているの? と問い詰めてくるようだった。逃げるように路地に入ると、路地の奥の方から懐かしくも暖かいいい匂いがした。その温もりを求めるように私は歩いた。


 すると、そこには大きな木製の二輪が付いた屋台がラーメンと書かれた赤い提灯を光らせていた。


 屋台ちらりと覗いてみると、たまたま店主の若い女性と目が合った。何故か赤いチャイナ服を着ており、裾からのぞかせる白く細い太ももには女である私でさえドキドキした。しかもそのチャイナ服によって強調された体のラインもとても綺麗でラーメン屋の店主というよりアイドルと言われた方がよほどしっくりくるほどであった。


店主はにこりと私に笑いかけると、「一杯食べてく?」と席を勧めた。


 言われるがまま私は、醤油ラーメンを注文すると、麺を湯掻き始める店主の手つきをぼんやりと眺めた。店主は私には特に話しかけることもなく淡々と作業をしていたが、気まずいということはなくむしろ心地よかった。


「おねぇさんには学生の頃、夢とかあったんですか?」


「学生……ねえ」とスープをかき混ぜながら少し困った表情を浮かべたが、私の顔をちらりと見ると微笑んだ。


「恥ずかしい話ですけど私は昔、警察になりたかったんですよ」


「へえー、婦警ですか。いいじゃないですか。私よりも現実的で素敵だと思います」


「まあ、結局は屋台の店主なんだけどね」と苦笑いを浮かべると、「あなたは何になりたいの?」とそう聞いて欲しかったんでしょ、とでも言いたげに言った。


「私は、アイドルになりたいんです」


「すごい」


「本当にそう思ってます?」


「ええ、厳しい道だとも思うけど」


「私の学校の先生もみんなそう言うんです。夢って実現するためにあるものですよね? 夢を追うことってよくないことなんですか? 子供のすることなんですか? 身の丈にあった夢しか持っちゃいけないんですか?」


「でも誰よりも難しいと理解しているのはあなたでしょ? だから誰かに背中を押してもらいたいと思っているんじゃない?」


「……そうかもしれないです」


「はい、お待ち」


 しばしの沈黙の後、そう言って店主は、注文した醤油ラーメンを出してくれた。


 温かな湯気とともに醤油の良い香りが、鼻に入り、あまりお腹が空いていなかったはずなのに食欲を駆り立てた。艶やかな黄色の麺の上にはメンマ、チャーシュー、半熟卵、刻みネギ、海苔が載っている。早速、ずずずと啜ると、スープが麺によく絡まっているが、意外とあっさりとした味付けがされていて、一口、もう一口と飽きることなく箸が進んだ。


 私が、レンゲでスープを一口のみ、落ち着いたところで、店主は「よければアイドルになりたいと思ったきっかけ教えてくれない?」と尋ねてきた。


 少しの間考えてから私は、話すことにした。親にさえ言っていないことを初対面の人に言うなんて自分でも信じられないが、初対面だからこそ言えたとも言える。


 今まで私は、ひたすら普通、普通を追い求めた。出る杭は打たれるとはまさに学校のことを表した諺だと思うほど周りと違う意見を持つだけで、避けられ、嫌悪され、嘲笑される、そんな場面をたくさん見てきた。たくさん見るうちに私もまた人並みのことしか考えられず、人並みのことしかできなくなった。人が好きなものを好きになり、人が嫌いだと言うものを嫌いになった。そんな中、受験が訪れた。今まで私と全く同じことしか考えていなさそうな同級生が皆それぞれ独立した夢を語り出し、受験に挑んでいった。私は取り残された気分だった。裏切られたような気持ちだった。


 そんな中ふと、散歩がてら公園に立ち寄った時のことだった。何か騒がしいと思って音の鳴る方へ行ってみると、知らないアイドル五人組が曲を披露していた。私は、彼女たちから目を離せなくなった。彼女たちは、私が持っていないものを持っていた。歌詞は意味わからなかったが、ひたすら全力で熱かった。現実を嘆き、未来を待つことしかできない私とは対照的に現実を必死に生き、自ら未来を掴みに行こうとするその姿に感動したのだ。




 このまま人並みの人生を生き続ける。それって本当に生きているのだろうか?




 「……だから私はアイドルを目指そうと思ったんです」

店主は私の話に時々相槌を打ちながら最後まで話を聞いていた。


「実は私、あるプロダクションに友達がいるんですけど、アイドル体験ができるか聞いてみましょうか?」


 突然の話で咄嗟に断ろうとしたが、辞めた。ここで怖気付いては一生アイドルになんかなれない気がした。私は勇気を振り絞って、頷いた。

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