第3話:水沢タクト

 俺は緊張しながら部活棟の階段を登っていた。軽音楽部は四階で、三階の踊り場まで到達すると足が止まってしまった。


 三津屋アキラが軽音部に入るか否か、これも様々な憶測が飛んだ。


 曰く、レベルが低いからもうインディーズやサポートのドラム業に専念する云々

 曰く、同世代とまともにバンドを組んだことがないから仲間を探している云々

 曰く、すでにここの軽音部OBと組む段取りに入っている云々


 しかし、理由はどうあれ、三津屋アキラは軽音部に入部した。

 ベースとヴォーカルの俺が入らない理由がどこにある。

 いや、かなりのストーカーであるという自覚はある。

 っていうか高一の時から想い続けていて、でもろくに話したこともなくて、なのに進路まで彼のために変えてしまった。

 もう相当ヤバいくらい俺は三津屋アキラのストーカーだろう。

 

 でも——


 止まらないんだ。

 話したことがなくたって、目が合ったことすらなくたって、オフステージの彼をろくに見たことがなかったって、好きなんだ。

 もしかしたら性格は最悪かもしれないし、或いはドラム命で恋愛沙汰なんか二の次かもしれないし、それ以前に男の俺が……


 俺はそこでハッとして、両手で顔面をぱしっと叩いた。

 始まる前からビビって被害妄想を自ら生んでしまうのは俺の悪癖!

 何も知らない顔で軽音部に入る! それだけだ。

 そして俺は四階まであがって部室のドアを開いた。



 そこには十人足らずの新入生と、十人以上の上級生がいた。

 壁際にシングルのライダース・ジャケットを羽織った三津屋アキラを発見し狂喜乱舞した俺がいたが、俺は入部用紙を書きながら違和感を覚えた。

 

 一番注目を浴びていたのが三津屋アキラではなく、長身だが超絶猫背で、ひょろひょろとした新入生だったからだ。


「え、おまえ、が、水沢タクト? マジで?」


 上級生のひとりが確認するように聞くと、そう問われた猫背くんは着座してあぐらをかき、


「はい〜」


 と間延びした声で肯定した。

 部室内はざわつき、俺も衝撃を隠せなかった。


「え、じゃあさ、この前YouTubeで一千万回数突破した『Nobody Nobody』書いたのって……」

「はい〜、僕です〜」


 ひょろひょろと上半身を揺らしながら、『水沢タクト』はあっけらかんと言った。


『現役高校生の天才作曲家がいて、頼めばどんな曲もタダで書いてくれる』


 こんな話、そう易々と信じられないし、俺も都市伝説レベルに思っていた。実際何曲か水沢タクト名義の曲を聞いたこともあったけど、ピコピコのキュートでポップなボカロ曲からブラストビート炸裂しまくりのデスメタル曲まであって、てっきり数名の作曲者がそう名乗っているのだと考えていたのだが。


「なあ、今なんか音源ねえの?」


 そう先輩に言われると水沢タクトは若干迷惑そうな顔をしたが、ボロボロのリュックから古いMacBookを取り出し、何度か操作して、合図も何もなく、曲をスタートさせた。


 その瞬間、室内の空気が完全に変化した。


 曲は波の音から始まり、まるで水面から海か湖の奥底へ段々沈んでいくようなイメージが浮かんだが、曲自体は狂っていた。

 え、ここで転調? なんで今三連符? は? ここのシンコペおかしいだろ! あ、このギターソロ、イントロのピアノとユニゾンしてる?! からまた転調?! 複雑なのにメロはキャッチーで一発で覚えられる! テンポ落ちた? あ、リットか。この音源編成の最後になんでストリングス入れられるの? あ、これ……


……この音楽は、美しい。


 この三津屋アキラ・ストーカーの俺が四分弱彼の存在を忘れるほど、水沢タクトの曲の世界観は圧倒的だった。


 そして思った。


——この音楽の中に、住みたい。

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