第11話 細くて長い身体
重苦しい音が降る度に修治郎の細い体から呻きが上がる。
「顔だけは勘弁しといてやるよ、あのお姫様もお気に入りだからな」
そんな声が聞こえた気がした。
酷い。
折角少しずつでも外に出られるようになったのに。
震えて動かない体に、涙だけが止めどなく浮かんできた。
「助けて! 助けてください! 誰か!」
誰もいない路地の向こうに、身を折り曲げて叫んだ。
「うるせえよ」
男の内一人がゆっくりと蘭子を振り向き、大きな足音を立てて歩み寄る。
嗚呼。
ごめんなさい、修治郎様。喜一郎様。旦那様。
足が自分から切り離されてしまっているかのように、力が入らない。
蘭子はぎゅっと目を瞑った。
ずどん、と一際大きな音が目の前で響いた。
その音が自分の体から発せられたものではないと理解するのに数秒かかった。
続いて、どさっ、と先程よりも大きな音。
蘭子は恐る恐る目を開けた。
先程自分に殴りかかろうとした男の姿は何処にもなく、代わりに、見知った褐色の肌が目に入る。
「アンシュさん」
間抜けな声が喉から漏れる。
アンシュは右手で小さなハンマーをくるりと回した。
まさか、あれで?
アンシュは軽快にステップを踏み、そのまま勢いよく別の男にハンマーを叩き込んだ。
「ぐおっ」
「ぐへぇ」
汚い悲鳴を上げて倒れる男を踏み台に、更に一人、もう一人と男達をなぎ倒していく。
よく見ればハンマーからは、叩き込む度に何やら光の筋が浮かんでいる。
蘭子はようやっと我に返り、冷たいレンガに倒れ伏した修治郎に駆け寄った。
「修治郎様!」
ぴくりとも動かない修治郎の肩を起こし、揺さぶる。
最後の一人を倒し終えたアンシュは二人を振り向き、投げかける。
「大学まで運ぼう。手伝って、ランコ」
蘭子はすぐさま返した。
「いえ、私達の下宿の方がまだ近いです。治療できる道具くらいなら揃っていますから」
アンシュは頷く。
「分かった。案内して」
背丈こそ高いが、修治郎の細い体はアンシュでもどうにか背負うことが出来た。
「よいしょっと……」
蘭子はアンシュのハンマーを預かり、隣を歩く。
「来てみて良かった。二人とも、遅かったから。あいつら、ハサウェイのお嬢様の奴隷?」
蘭子は素直に頷いた。正確には、遅くなったのは修治郎が部屋を出るのを拒んでいたのが大きかったのだが。
「おそらく間違いないです」
「この道を通るって分かってたのかな。わざわざ調べるとかほんと頭悪い、もっとマシなことに労力使えばいいのに」
目を閉じたままの修治郎を背負いながら、アンシュは低い声で呟いた。
しばらく歩く。二人共だいぶ息が落ち着いて、細々と話し始めた。
「あの、アンシュさん」
アンシュは額にじんわり汗を滲ませていたが、やがて返した。
「どうしたの」
「ありがとうございます、助けてくださって」
アンシュは相変わらずの幼い声で返した。
「シュウ、今日はナイフ持ってなかったの?」
「いえ、会合に行くだけなのに必要ないと、私が言ったのです」
それを聞いたアンシュは、しばらく考え込むように黙っていた。
「あの、重たくはないですか」
「ううん。むしろこんなに痩せてて大丈夫なの? 僕より背、高かったよね」
「ロンドンに来てから、食欲が落ちてしまって……」
「骨折れてないか心配。近くに病院があればな」
淡々と話すアンシュの傍ら、蘭子は俯いて、レンガの溝を見つめながら歩いている。
不遜な態度も流暢な英語も、彼を優秀たらしめる一つの要素でしかない。いざその手首足首に目をやってみれば、まったくもって不健康な色合いの血管がはっきりと浮かんでいた。
この人は、大丈夫ではなかったのだ。蘭子はとぼとぼとアンシュの横を行った。ぴくりとも動かない修治郎の腕から、目が離せないでいた。
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