第二十七話 黒錦の剣 大蛟如水

 「左近も明我無想流みょうがむそうりゅう免許皆伝なのに、つまらぬことばかり押し付けていたからな。しかし邪魔者だとはよく言ってくれる」

 大村右近はそうつぶやきながら迫りくる雑魚どもを斬り倒していく。両腕の出血を気にしている様子なども無い。

 「心配で心配でしょうがないわい。お琴、大丈夫であろうか。やっぱり手助けした方がよいかの。しかしそんな事したら嫌われるかもしれんし」

 前田主水はちらちらと佐々木琴の方を見ながらも次々と雑魚を斬り捨てる。

 このふたりにかなう様な敵は既にいなかった。

 日影兵衛と大村左近、佐々木琴の邪魔になる敵を倒していくだけだ。

 

 大村左近は葛木阿形かつらぎあぎょうと対峙した。

 「あのでかいのが来るかと思ったが。ふたりがかりでもいいのだぞ」と葛木阿形は言いながら、右手の六角棒を大村左近の方へ突き出し、左手の六角棒を高々と上げる。

 それだけで相当な怪力の持ち主であるとわかる。鉄製の長い六角棒を片手で振り回そうというのだ。それも両手に一本ずつ持って。

 踏み出した右足と右腕、六角棒の長さを考えると普通の刀を持った相手はおのれの間合いまで近づく事ができるのか。

 大村左近は表情も変えずに正眼に構える。

 「私もひとつ聞きたい事があるのですが」

 「なんだ、遺言か。聞くだけ聞いてやる。聞かせる相手はおるまいが」

 「本当にその構えでいいのですか。斬りますよ」

 葛木阿形のこめかみがぴくりと動く。次の瞬間、左手に持った六角棒が大村左近を襲った。

 次いで間をおかず右手の六角棒を右へと振り払う。そして初撃の六角棒をすぐさま左を薙ぐように振り戻す。

 自分の間合いなら初撃をかわされても避けようがない。後ろへ逃げるしか出来ないはずと葛木阿形はその技に自信を持っていた。後ろに避けられても、態勢を崩した敵を六角棒の連撃で襲えばいいと考えていた。

 しかし、いずれも手応えを感じなかった。

 大村左近は初撃も受けず、左右のどちらにも避けなかったのだ。

 葛木阿形は初撃を打ち降ろすと同時に『たたたん』という音を確かに聞いた。ならば後方へ飛びのいたのかと。

 しかし大村左近は葛木阿形の目の前まで詰め寄っていた。

 葛木阿形は慌てて両手を正面に戻そうとする。しかしその時既に遅かった。

 大村左近はそのまま葛木阿形の胴を薙ぎ払う。そして前屈まえかがみになったところで首を刎ねた。

 葛木阿形の身体はその場に崩れ落ちる。

 明我無想流、禹歩転身うほてんしん

 敵の攻撃を避けつつ移動する事だけに注力した技である。

 左の一撃を避けつつ一歩踏み込み、右の振り払いを次の踏み込みで避け、左の六角棒を振り戻そうとした時点で更に踏み込み自分の間合いへと入る。

 あとは普通にどの様な技を使ってもいい態勢になる。

 「あの構えでは何をしたいのかまるわかりです。それに薙ぎ払う速度が遅すぎます。その武器は重すぎるのではないですか。一本の方がまだましでしょうに。って頭が無いから聞こえていませんか」

 大村左近は未熟者に指導をしてやるように言ったが、斬り倒したあとではしょうがない。

 「違う構えなら奥義が使えたかもしれなかったのに。私だってやるときはやると。禹歩転身だけでは地味すぎる」

 大村左近はぶつぶつそう言いながら残りの敵に向かって行った。

 

 「女か。そこのでかいのと変われ」

 葛木吽形かつらぎうんぎょうは前田主水を指差して言った。左手一本で身の丈ほどの大太刀を構えている。

 前田主水は大人気である。

 前田主水は雑魚を片付けながら「儂は今忙しい。それにお琴から目を離すとお前、死ぬぞ」と葛木吽形の方を見もしない。

 「ならばすぐに終わらす。次はお前だ」

 そう言って葛木吽形は佐々木琴に向かって大太刀を上段に構える。

 「もう斬っていいか。私は結構いらついているのだ」

 佐々木琴は葛木吽形にそう言うと、下段に構え呼吸を整えた。

 「お前ごときが俺を斬るだと。笑わせるわ。わかっているのか。そこはもうおれの間合いだ」

 「それがどうした。お前の得物がそんな馬鹿長くて嬉しいぞ。覚えた技、試させてもらう」

 「馬鹿が」

 葛木吽形は大太刀を振り上げ、そのまま佐々木琴の頭をめがけて振り下ろした。信じられないほどの重量と刃の長さが斬撃の速さを更に上げる。

 それに合わせて佐々木琴も踏み込み、刀を振るう。

 その太刀筋、月光の三連撃。

 葛木吽形の大太刀のやいばが無くなっていた。三つに切断された刀は『がらからん』という音をたてて床を跳ねた。

 「え」

 葛木吽形はつかしか無くなった大太刀を見て、また佐々木琴を見た。

 柄を捨て、慌てて腰から刀を抜こうとする。

 「往生際が悪いぞ」

 佐々木琴はそう言って、刀を振り上げた。

 しかし。

 「待て、お琴」

 その大声に佐々木琴の動きが止まる。

 いきなり葛木吽形が倒れ伏した。

 前田主水が葛木吽形を背後から斬り倒したのであった。

 彼は佐々木琴の横まで来ると、向き直って刀を構え、他の敵の動向をうかがう。

 「なぜ邪魔をする。大太刀しか斬っておらぬというのに、私がこいつを倒さねば意味がないではないか」

 「そ、それはだな」

 「主水、きちんと説明しろ。これでは結局私はお荷物のままだ。私がこいつに負けるとでも思ったのか」

 佐々木琴はこれまでの失態を葛木吽形を倒すことで埋め合わせようと意気込んでいたのだ。

 「いや、明らかにお琴の勝ちだ。しかしこいつとお琴が対峙してだな、お前がとどめをさすところを見たくなくなったのだ。惚れた女に人をあやめさせたくないと。突然頭によぎったら、こうなった」

 「こ、こんなところで何を言い出すのだ。あの蔵からこいつと戦う前まで、一緒に斬りまくっていたではないか。訳がわからん。台無しだ」

 「儂にもわからん。お琴を傷つけてしまった事はわかる。しかしどうしょうもなかった。すまん」

 「技は放てた。それなのに……」

 佐々木琴はそうつぶやくしかなかった。

 前田主水はそこへよってきた敵をあっさり切り倒すと、そんな佐々木琴を見つつ話を変えた。

 「……その技、月光の三連撃だと。そんな事ができるのか。お琴、お前が月光を使うのまだ二度目だろ」

 「きちんと中山屋の庭を借りて練習したぞ。日影殿が言っていたろ。理屈がわかったならば、後は使いようだと。ならば普通の斬撃を月光で振るえばいい。呼吸と集中さえ乱れていなければ問題無い」

 「それで会得できるものなのか。なんだか納得できん。そういえば日影殿は鍵の鎖を簡単に切り落としていたが、あれも月光か……」

 今頃気づいた前田主水。

 「別に石や鎧武者を斬るわけではないのだ。あの大太刀は試し切りに丁度よかった」

 「……実戦で試す事か、それを。しかし恐ろしい女に惚れてしまったもんだ」前田主水はぽつりと言った。

 「何か言ったか」

 「いや何も」

 「気になるなあ。まあいいか。こいつの事はもう許す。終わってしまったからにはしょうがない。主水、残りを倒すぞ」

 「もういいからお琴はあっち行ってろ」

 前田主水は蔵の出入り口の方へ佐々木琴を押しやった。

 「何をする。まだ敵がいるではないか」

 「だからだな、惚れた女がこれ以上人を斬るのを見たくないと言ったであろ」

 そう言いながら佐々木琴を更に突き離し、よってきた敵を叩き斬った。佐々木琴はよろけて後ろに下がる。

 「主水、お前……惚れたとか、言うなよ……」

 佐々木琴は敵に向かって行く前田主水の背中を見つめ続けた。

 

 日影兵衛は難なく蔵の中央を突破すると、大蛟如水おおみずちにょすいと対峙した。

 大蛟如水を護るように固めていた敵が一斉に襲いかかって来るのを全てさばき斬り捨てていく。そこには日影残真流の真髄があった。

 全てを斬り倒し、大蛟如水と対峙する。

 「黒錦党も地に落ちたな」 日影兵衛は静かに言った。

 「たわけたことをぬかすな、貴様らたった五人でここから逃げ出すことが出来るとでも思ったか」

 日影兵衛は大蛟如水の方へ歩み始める。大蛟如水も日影兵衛の方へ足を進めた。

 「ひとつ聞く。貴様、江戸の神山屋と上総屋の事を覚えているか」

 「この状況で質問だと。まあいい。先代に進言した策は全て覚えている。然し店が燃えるとは思わなんだ。桑原一心が隣の店の者も斬りまくるのを止めるのに苦労したよ。仕方がないので火を放ったがな」

 「そうか、策も何もあったものではないな。昔からお前は馬鹿だったのか」

 日影兵衛は脇構えをとり姿勢を低くする。

 「馬鹿とは何だ。貴様こそよれよれではないか。それで俺が斬れるのか。あの技は俺には効かんぞ」

 「そう言ったふたりをその技で切り捨てたがな」

 「だからどうした。お前らをここで片付けてやる。こんな事をしでかした分、お前らに縁のある者たちも皆殺しにしてくれる。黒錦党の本拠地は大阪だからな。まだまだ仲間がいるのだ」

 「そうか。他に言い残したい事はあるか」

 「虚勢を張るな」

 日影兵衛の姿が消えた。

 大蛟如水は仙石峽座衛門せんごくきょうざえもんが大村右近の無明剣を破った斬撃である。棟梁というだけはある鋭い一撃だ。

 しかし何の手応えもなかった。

 日影兵衛は大蛟如水の面前にいた。

 その刀は鍔元まで大蛟如水の心の臓を穿つらぬいていた。

 「は、はや……」

 「見切ったのでは無いのか。一応教えてやる。この技は無影剣。四の型、一閃。俺の技最速の突きだ。それにお前が放った斬撃は仙石峽座衛門せんごくきょうざえもんより遅い。一閃を使うまでもなかったな」

 日影兵衛は刀を引き抜き、一歩下がった。

 「あの世で宣伝してくれよ」

 そう言って、日影兵衛は大蛟如水の肩から脇腹まで切り裂さいた。

 大蛟如水を倒した日影兵衛は振りかえる。残りの敵はどうなったのかと。

 そこには四人の仲間が立っていた。

 彼らはにやつきながら日影兵衛のもとへ近付いて来る。

 「兵衛、その台詞せりふを言いたかったのか」

 「兄者も一式二式ではなく名前をつけたらどうです」

 「無影剣。四の型、一閃。かっこいいな。私も、こう」

 「いいなぁ。儂も名前がついた技が欲しい」

 「……貴様ら黙れ」

 四人は悪戯いたずらが見つかったわらべの様な顔をした日影兵衛を見て、笑みがこぼれた。

 京に蔓延はびこる黒錦党は全滅したのであった。

 

 「お琴、怪我の具合はどうなのだ」

 「この程度なんの問題も無い。貴様が邪魔をしてくれたおかげでな」佐々木琴はぶっすりと言う。

 「跡が残ったらどうする。そういう所で気を使わんから男が寄ってこないのだ。儂以外」

 「大きなお世話だ。それにお前も寄ってくるな、この阿呆あほう

 それを聞き流して、前田主水はいきなり自分の小袖を脱いでふんどし一丁になる。

 「何を考えているんだ主水、やはりお前はけだものか」

 佐々木琴はそう言って目をそらした。

 前田主水はその小袖を佐々木琴にふわりと掛けてやる。

 「街中を歩くのに男がふんどし一丁でも問題なかろう。それより女がそんな格好で出歩けるものか」

 佐々木琴は主水の着物にそっと手を触れた。

 「……何だこれは。臭い、汚い、ぶかぶかですそを引きずってしまうではないか」

 そう言いつつもそでに腕を通しすそをたくし上げて腰紐こしひもで縛る。

 「借りるだけだからな。洗濯などしたことはないが、洗ってやるから貸し借りはそれで無しだ」

 「……お琴に洗って貰う方が不安だ」

 「黙れ。きちんとおたけに教えてもらう」

 そう言いながら佐々木琴は前田主水を睨む。

 「とにかくだな、儂の女だとか惚れたとか、もう言うな。いい加減にしろ、主水」

 佐々木琴はそう言ってそっぽを向いた。

  

 蔵の中で日影兵衛は何やら漁っていた。

 「刀か。もう良いものを持っているだろう」と大村右近は声を掛ける。

 「まあ、俺達は一応強盗だと話したような気がする。だからだな、この蔵の有り金は全て頂戴する。刀など換金せねばならぬものはいらんし、黒錦党の刀は奪わんと決めている。しかしこれだけ働いておいて駄賃が無いというのは納得がいかん」

 「おい、俺は強盗ではないぞ。俺達と言うな」大村右近は呆れて言った。

 大村左近は思っていた日影兵衛と違う、と眉間にしわを寄せて見つめていた。

 あらかた探り終えた日影兵衛は大村右近と左近の方へ戻って来る。

 「よし、それでは永山殿を迎えに行くか。む、左近。何だその顔は」

 大村左近は「もういいです。早く帰りましょう」と言ってさっさと蔵の外へ出ていく。

 「右近よ、左近はいったいどうしたというのだ」

 「まあ人には色々と思う所があるということだ」

 大村右近はにやつきながらそう言って日影兵衛とともに蔵をあとにした。

 

 「もうこんなことさせやしませんよ」

 永山宗之介はいきなりたけに怒られた。

 「いやあ」と永山宗之介。

 なんとも情けない顔をしている。

 たけはひとり残された永山宗之介の様子を見るに見かねて父親の伝手つてを借り、彼を送りだしたのであった。

 たけの父は大棚のあるじだけのことはある。ひと声かければ店を守るだけの者は揃う。金もかかるが、それは致し方あるまい。可愛い娘のお願いなのだ。

 「それよりその方はどうしたの。気絶しているように見えるけれど、大丈夫なの」

 永山宗之介が抱きかかえたらんを見て、たけはそう言った。らんは佐々木琴が見つけた大きめの布にくるまれていた。

 「囚われているところを助けたのです。この娘、おらんを頼みます。かなり弱っています」

 らんを抱えた永山宗之介がそう言うと、たけは急いで店の者を呼び、彼らにらんを任せて医者を呼ぶよう指示した。

 そして全員無事に帰ってきたのを見てほっとする。

 そこへりんがどたどたと駆け込んできた。

 「日影様日影様」と言いながら、日影兵衛に飛びつく。

 予想外の攻撃に日影兵衛は後ろに倒れ、したたか頭を打ってしまった。

 「お、おりん、勘弁してくれ。よいてくれ」

 「今ならおりんでも兵衛を亡き者に出来るな」と笑う大村右近。

 土間に転がった日影兵衛と抱きついて離れないりんを見て、たけは「今日はこれで店じまい店じまい」と言いながら戸を閉める。

 そして前田主水と佐々木琴の方を見て眉をひそめた。

 「あんた達、なんて格好をしているの」

 「あ、ああ、これには事情があって……」

 「がはは。お琴は半分裸であったからな」と前田主水は笑う。

 「裸とか言うな」佐々木琴はおこりながらも恥ずかしそうに頬を染めた。

 「湯を用意してあげます。みんな臭い。それに大村右近様、両腕が血だらけです。手当をしないと」

 「いえ、これは別に大したことでは」と大村右近。

 「別にも何もありません。湯を使ってから手当をするのですよ。貴方達も臭いったらありゃしない」

 大村右近と左近は顔を見合わせ自分の臭いを嗅いだ。

 ふたりは渋い顔をすると「申し訳ない」と頭を下げる。

 大村兄弟もたけに怒られてしまった。

 「それと……あれはほっときましょう」と、たけは日影兵衛とりんの方を見て言った。

 そしてたけの仕切りで、全員しばらく中山屋に監禁される事になってしまった。

 大村兄弟もたけには逆らう事ができなかったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る