第二十四話 愛憎の剣 嶺岸千寿

 外は結構騒がしい。住人達の立ち話や子供達の遊び声、野菜などを洗う生活音がしている。

 「あら小村さん、お帰りなさい」

 「うちの居候は何かご迷惑おかけしていませんか」

 などという会話が聞こえて来た。

 ここは長屋の一部屋である。大村右近の隠れ家のひとつだ。大村右近はこの長屋では傘張りの内職をしている貧乏侍と言うことになっていた。名前は小村右衛門とかたっている。

 りんがさらわれかけてから二日経っていた。

 戸を開けて大村右近が入って来ると中には日影兵衛と前田主水が座っていた。

 日影兵衛達が見つけた旅籠に長逗留なかとうりゅうする訳にはいけないと、ここを提供してもらったのである。三好小文太が現れたということは、その旅籠もばれていると見てよかった。

 彼らは声をひそめて話し始めた。長屋の壁はぺらっぺらなので隣に会話を聞こえない様にする為である。

 「大村殿。申し訳無い、捉えた奴は何も知らなかった。拷問などしたことが無いのだ」と前田主水は悔しそうな顔をする。

 「仕方あるまい。俺こそ悪かった。正気を失って三好小文太を殺してしまった」

 「ああ、ただひとつだけ。黒錦党の親玉は大蛟如水おおみずちにょすいという。知っているよな。役にはたたんか」と、前田主水は大村右近に知らせた。

 「大蛟如水だと。頭領が変わったのか。そいつの前の棟梁はまだ死ぬような歳では無いはずだ。しかし主水、有り難い。十分役に立つ」

 「そいつはどんな奴だ」と日影兵衛。

 「軍師気取りの阿呆あほうだ。くだらん事ばかり考えつく。おりんという娘をさらう計画をたてたのもそいつに違いあるまい」

 「所であの時、お前は何故中山屋の裏にいた」

 「おりんという娘の姉を探していると聞いたが、その姉らしき人物を知っている。それを知らせに行ったのだが、あの事件だ」

 「なんだと」日影兵衛と前田主水は身を乗り出した。

 「しかし何故俺達がおりんの姉を探していると知っている」

 「関宿でおたけに聞いた。俺達が目を付けた女もおたつという名だった。お前たちを探すのに少し苦労した」

 「どういう事だ」

 「少し回りくどくなるがいいか」と言う大村右近に日影兵衛は頷いた。

 「まず、富士屋と言う請人屋うけにんやがある」

 請人屋とは今でいう職業斡旋所の事である。

 「その女、おたつは富士屋の番頭の紹介で谷繁屋に奉公する事になった。谷繁屋とは木綿問屋と両替商を商いにしている大棚だ。

 富士屋は表向きは真っ当な評判のいい店屋だが、裏で黒錦党と繋がっている。表と裏は別ものだ。

 その富士屋に巣くっている奴らのひとりに嶺岸千寿みねぎしせんじゅという男がいるのだが、そいつが表向き富士屋の番頭をしている。その嶺岸千寿がおたつを京へ連れて来た。

 中々の色男で、女をたらしこんで富士屋に連れてくる役割を担っている。そいつは女とねんごろになり、自分の言う事を何でも聞くように骨抜きにしやがる。薬を使ってでもだ。おたつもその一人だ」

 「それだけでもひでえな。しかし奴らは何故おたつに目につけたのだ」と前田主水。

 「おたつは里長さとおさの娘と聞いた。里長なら本物の手形を用立てできる。偽の手形を作る手間がいらないからな」

 「なるほど。ではおりん殿を連れて行かなかったのは」

 「主水はやはり馬鹿だな。おたつを籠絡ろうらくするのに邪魔であろうが」と日影兵衛が突っ込む。

 「あ、そうか」

 「話を戻すぞ。盗賊が京や江戸のような場所で仕事をする場合、やり口のひとつに仲間を目当ての店に奉公させて二、三年程かけて信頼を得させ、中から手引させるというものがある。

 騒ぎを起こさずに寝込みを襲う為だ。寝ている店の者を黙らせてな。

 黒錦党が女を使い始めたのは、その二、三年も待つというやり方が面白くない為だろう。奴らの頭領が大蛟如水に変わったせいに違いない」

 「それだけではおりんを狙う理由がわからない」と日影兵衛が問う。

 「おたつと接触することができなくなった為だろう。早く押し込みたいのにそれができなくなった。だからおりんを人質にして無理矢理おたつを動かすつもりであったと思う。おりんにふみを持たせておたつに会わせるだけでいいのだからな。おりんを脅す手段は幾らでもある。

 おたつには逆らえばおりんを殺すとでも文に書けば従うに違いないと」

 「おたつに接触できなくなったとは」

 「俺の仲間がおたつをひとりにしない様にしている。それでおたつに薬を渡す機会が無くなったのだ」

 「ならば奴らは襲撃日時をどうやって知らせるつもりだ」

 「日に一度、おたつを外に出す手筈てはずをつけてある。まあ買い物のお使いといったところだ。無論俺の仲間を同行させてな。嶺岸千寿は間違いなく隙を伺って接触しようとする筈だ。

 それを逆手に俺の仲間に隙を作らせる。まず間違いなく釣れるだろう。おりんを攫い損ねたのだ。近いうちに来る」

 「谷繁屋には知らせてあるのか」

 「いや、教えていない。黒錦党の幹部を狙うまたとない機会だからな。店の者には悪いが」

 「黒錦党は何故谷繁屋にこだわる」

 「今あの店には大金がある。それを持ち出される前に奪うつもりだろう。そもそも奴らがこんな企てをしたのはそれが目当てだ。

 俺の仲間はその用心棒のひとりとして潜り込んだ。富士屋では用心棒の斡旋などしていないし、谷繁屋はそっち方面の繋がりを持っている」

 「そいつは信用出来るのか」

 「仲間の名前は大村左近、俺の弟だ。無明剣は使えぬが腕は立つ。他の用心棒も黒錦党の息はかかっていない」

 大村右近はそう言って話をめた。

 「その大蛟如水と嶺岸千寿とかいう奴はただの馬鹿なのか。これでは仙石峽座衛門せんごくきょうざえもんたもとを分かつのも当然だ」と日影兵衛は渋い顔をした。

 

 「おりん、何だその顔は。おたけ、ふざけているのか」

 そう言った日影兵衛は心なしか笑いをこらえている様に見える。

 嶺岸千寿とたつが本物か確認させる為におりんを谷繁屋の辺りまで連れて行くつもりなのだが、おりんの面は割れている。変装の為に化粧でわからなくなるよう、たけに頼んだのだが。

 りんはべっとりと白塗りにされ、目が大きく見えるよう手を加えられていた。唇はまるでたらこの様になっている。おまけに頬に薄紅を塗られていた。

 確かに全く別人に見えるが、こんな顔した女はいるわけがない。

 日影兵衛は手鏡を取り、りんにその顔を見せた。

 「……あの、おたけさん」

 りんもこれはいくら何でもという顔をした。

 「やっぱり駄目かしら。あはははは」

 「おたけ……大概にしろ。白塗りと頬紅はいらんだろうが」

 「あの……それとこの唇も」

 日影兵衛とりんはたけをにらみつけた。

 「上手い作品になったと思ったのに」

 「作品ではない。変装と言ったはずだ」

 そう言う日影兵衛はびん付け油をべっとりと塗ってぼさぼさ頭を整えて、たけに選んでもらった侍の着物を着ている。ぼさぼさ頭でなくなっただけでも別人のように見える。

 たけは「ちぇ」と言ってりんの顔の化粧を拭い取り、今度はまともな化粧をすると、日影兵衛と並んでもおかしくない着物を着せる。

 「それだけで別人に見えるではないか。おりん、行くぞ。おたけ、もうふざけるなよ」そう言って日影兵衛はりんの手を取り店を出ていった。

 日影兵衛とりんは谷繁屋の入り口が見える小間物屋の商品を見ているふりをして、おたつが出て来るのを待っていた。

 裏門の辺りには念の為前田主水にそれとなくうろつかせている。そこへは敵が近づきようもない。

 「女と男が出てきた。おりん見てみろ」

 「あ、あの人が私の姉です。かなりやつれて見えますけど」

 「後で会わせてやる。今は我慢しろ」

 頷くりん。 日影兵衛に任せればすべてが上手く行くと思っている。

 「出てきたということは……男が来た。大村左近は演技が上手いな。やって来た男に見覚えがあるか」

 「あ、あの人が姉さんを京に連れて来た人です」

 「やはり見張っていたのか。すれ違っただけの様に見えるが間違いない。何かを渡した」

 りんは日影兵衛の顔を見た。苦しそうなたつを目の前にして不安そうな顔をしている。

 「一旦戻るぞ。おりん、後は任せておけ。必ず連れ帰るからおたけの家で待ってろ」

 日影兵衛はりんを促しその場を離れた。

 彼はりんを送り届けると、その足で長屋に向かう。

 「右近、おりんが確認した。女はおたつに間違いない。おたつは男とすれ違っただけだが、そいつはおたつに何かを渡した。男はおたつを京に連れてきた奴だ」

 「奴らが動くのはそう遅くはないはずだな。おたつが薬を欲しがる。左近はもう知った筈だ、連絡を取る」大村右近はそう言って日影兵衛と入れ替わりに出ていった。

 しばらくして大村右近と前田主水が帰っきた。

 「主水、わかっているな。奴らが谷繁屋に入る前に潰す。嶺岸千寿は殺すなよ」

 「わかっている。任せろ」

 「左近と連絡がついた。奴らは明後日のうしの刻襲撃する」

 丑の刻とは夜中の一時から三時の事である。

 「では手筈通り」日影兵衛はそう告げた。

 

 襲撃が予想されたの丑の刻。

 十五名程の者が谷繁屋の裏口にやって来た。全員口元を黒い布でおおっている。

 率いるのは嶺岸千寿である。辺りは闇に包まれていたが、物が見えないほどではない。月があたりを照らしていた。その光だけでも道を歩くには困らない。

 嶺岸千寿はが裏口の前に立ち、その他の手下が彼の左右に位置どる。嶺岸千寿の横に屈強そうな男が立っていた。

 谷繁屋の裏口のすぐ中にかすかな光が見える。提灯ちょうちんの明かりのようである。

 「よし、女は居るようだな。もう一度確認する。今から俺が合図する。戸を開けた女は斬り殺して構わん。谷繁屋の者は皆殺しだ。火を放つなよ。重蔵じゅうぞう、お前が用心棒を殺れ。寝込みを襲うのだ、問題無かろう」

 「何度も言うな。わかっている」重蔵と呼ばれた男が嶺岸千寿を睨みつけて言った。

 嶺岸千寿は「よし」と言って、鈴のついた根付けを谷繁屋の中に投げ入れ、重蔵と呼んだ男の後ろに下がった。

 ちりりんという小さな音がする。

 すると、錠前が外されかんぬきがずるりと抜かれる音がした。ぎぎぎという音を立てながら戸が開き始める。

 しかしいきなり扉が『ばん』と開き、前にいたふたりの賊が斬りつけられてその場に崩れ落ちる。

 扉から出てきた人影は大村左近であった。

 「な、何だと、女ではない」嶺岸千寿は驚愕きょうがくした。

 「用心棒が居て何を驚く」

 重蔵と呼ばれた男は「ちぃい」と声をあげ刀を振りかぶった。

 その瞬間、全ての手下が斬りつけられ崩れ落ちた。

 重蔵は刀を振り上げたまま硬直し、嶺岸千寿とともに左右を見た。

 日影兵衛と大村右近が立っている。

 「な、な……」と声をあげた嶺岸千寿はいきなり背後から殴りつけられて吹き飛び、塀に激突する。

 それと同時に重蔵は大村左近に斬りつけられた。重蔵はそのまま後ろに倒れ込む。

 「馬鹿か。敵を目の前にして目線を外すとは」と大村左近。

 「後ろから来るとは思っても見なかったであろう」と嶺岸千寿を踏みつけて逃さない様にした前田主水。

 「へいの上で隠れながら待つのはしんどかったぞ」

 前田主水は谷繁屋の反対側の塀の上に潜んでいたのである。

 「嶺岸千寿と、そいつは平方重蔵か。なぶり殺したい所だが、まずは平方重蔵。お前はここで死ね」

 大村右近は平方重蔵の口元を踏みつけ、心の臓を一突きに貫いた。

 「さて、嶺岸千寿。聞きたい事がある。大声を出したらすぐさま殺す」

 そう言いながら日影兵衛は嶺岸千寿の前にしゃがみこんだ。

 「大蛟如水おおみずちにょすいはどこにいる」

 首筋に大村右近と左近の刀の切先が当てられるのを感じた嶺岸千寿は顔を青ざめさせた。

 「知らん、本当に知らんのだ。俺はずっと富士屋の番頭をしていたから知らんのだ。おかしらがどこの拠点に移動したとかも分からんのだ」

 「このどさんぴんが」

 前田主水は踏みつける力を増した。

 「嘘を言っておるまいな」

 その日影兵衛の問いに嶺岸千寿はがくがくと頷く。

 「貴様は分け前をどう受け取っている」

 「かしらから富士屋に使いがよこされる。その者から分け前を貰っている。それだけだ。本当だ」

 日影兵衛は大村右近を見上げた。

 「お前、大村右近という名を忘れてはおるまいな」

 大村右近はボソリと言った。

 「あ、あああああ、おきぬという娘の……」

 「死ね」

 その大村右近の声とともに彼と大村左近の刀が嶺岸千寿の首を斬り割いた。

 「右近、それでいいのか」という日影兵衛の問いかけに大村右近は答えた。

 「まだ富士屋に黒錦党がいる。そいつらなら大蛟如水の居場所を知っているはずだ。こいつはもう用無しだ」

 「ひとつ聞いていいか。どうして黒錦党と黄錦党を目の敵にする」

 大村右近は沈黙した。大村左近は「兄者」と一言だけもらした。

 「いや、言いたくなければそれでいい。忘れてくれ」

 「……あいつらが仕事をするのを俺達が邪魔をした。そのせいで奴らに妹のおきぬをさらわれた。意趣返しだ。奴らはよってたかっておきぬをなぶりやがった。俺と左近の目の前で。俺達は何とか逃げる事が出来たが、おきぬは目の前で殺された。亡骸なきがらを弔う事もできなかった」

 「お前と左近程の者がが捉えられただと」

 「おきぬを人質ひとじちにされて何も出来なかった。逃げ出す事ができたから、奴らをひとり残らず殺してやる事にした。せめて最初におきぬに手を掛けた奴らだけでもな。橘遊侠たちばなゅうきょうが黒錦党についたのも娘を人質にされた為だ。だから橘遊侠に会いたかった。手を組む為に」

 そこまで言うと、大村右近は口を閉じた。

 「すまん」と日影兵衛はそれだけ言った。橘遊侠を殺したのは彼なのだ。

 しかし大村右近はまた口を開いた。

 「富士屋に行けば荷を持ち帰る奴らがいる。嶺岸千寿が戻って来なければどうするか読めない。このまま俺は乗り込む。左近、おたつのそばに居てやってくれ。彼女を助けたい」

 「……解った。だが兄者、死ぬなよ」

 そこで日影兵衛は立ち上がった。

 「右近、大蛟如水おおみずちにょすいの命は俺にくれ。今回の下衆なやり方を指示したのは奴だろう。おりんとおたつを苦しめた。そいつは許さん」

 前田主水も口を開いた。

 「おいおい、儂を忘れるな。日影殿のあるところに儂もある。それにそんな事を聞かされて儂がとどまると思うのか」

 「兵衛、主水、すまぬ。大蛟如水の首はくれてやる」

 大村右近のその言葉と同時に三人は駆け出し、富士屋へと向かった。

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