第八話 別式の剣 佐々木琴

 「またか」と日影兵衛はつぶやいた。

 日影兵衛達はかなり困ったことになっていた。

 三島宿を出て、沼津宿に入ろうかというところである。沼津はさっさと通り抜けるつもりであった。

 「どうして宿場ごとに面倒な事が起こるのだ」そう言ってりんの方を見る彼はかなり嫌な顔をしている。

 「私のせいじゃないです。死神じゃないです」りんはとばっちりを受けないようにと、そう言いながら数歩下がった。その面倒事とは、沼津宿の出入り口からひとりの武芸者と六人の女武者が現れて、彼らの行く道を塞いだという訳にある。

 周りにいた旅人は、何事かと日影兵衛達から離れる。彼らはただの商人や旅人であったので、必然と日影兵衛達か距離を取ったのだ。

 女武者を連れてきた武芸者は、りんやたけもうらやむほどの美形であった。長い髪は髷を結わずに後ろでまとめている。

 「私は別式べつしき佐々木琴ささきことと申す。そこの御三方、かなりの使い手とみた。ひとつ試合をお願いしたい」

 そう言った武芸者は女の声であった。よくよく見るとやはり間違いなく女である。男装の麗人と言った所だ。後ろに控えた女武者達も相当鍛えられているのか、どうに入っている。

 「これを一体どうしろと」と、日影兵衛は顔をしかめた。

 女であるばかりか、別式と来たものだ。別式とは諸藩の奥向き、所謂いわゆる幕府の大奥のような場所を護る為の武芸指南役である。女であることは当然であった。沼津といえば沼津城、そこを治める沼津藩。まさか大名に逆らう事も出来ない。

 「俺達は男だぞ。奥向きにははいれない」と、日影兵衛は一応言ってみた。

 「問題ない。町に道場を構えている。そこまでついてきてもらいたい。後ろの娘達には危害を与えない。茶でも馳走ちそうしよう」いちいち堂々と言葉を切りながら佐々木琴は言い放つ。そう言われて男三人は顔を向けあった。

 「もはや断る訳にはいけませんね」と永山宗之介が最初に諦めてしまった。

 それでも日影兵衛は「我々は今日中に吉原宿に向かわねばならない。他を当たってくれまいか」と言ってみた。

 「そなた達ほどの腕前の者にはそうそう出会えぬ。奥向きを守護する為、私の剣が男共に通用するのか試したいのだ。少し遅れるくらいいいであろう。それとも沼津藩に弓を引く気か」

 こんなとんでもない言いがかりは早々無い。

 「なに、殺し合いをしようと言うわけではない。世の中の実戦の剣術がどのようなものか知りたいだけだ」

 佐々木琴は勝手に話を続ける。

 「いや、そんな腕前では無いですよ」そう言った前田主水は鋭い視線でにらみつけられた。

 「私の見立てを疑うのか。ならばここで勝負するか」と佐々木琴は腰の刀に手をかける。

 「こんな所で刀を抜くものではない」日影兵衛は佐々木琴に冷たく言った。佐々木琴は何を感じたのか、刀のつかから手を離す。

 「どうしょうもないとはこの事だ。佐々木とやら、道場まで案内しろ。さっさとけりをつける」日影兵衛はそう言い放つと、佐々木琴をうながした。

 彼らはりんとたけを含めて女武者に囲まれながら、佐々木琴を先頭に沼津宿に足を踏み入れた。それを見た人々から「またおたわむれが始まった。いい迷惑だろうに」などという小声があちこちから聞こえてくる。どうやらこういう事をしばしば行っているらしい。

 佐々木琴は沼津城の方へ向かうと、途中で道をそれる。彼らの向かう先に立派な道場というかお屋敷が目に入った。

 佐々木琴は躊躇ためらいもなく屋敷に入ると、日影兵衛達に「こちらへ」と言う。途中でりんとたけは別の部屋に案内された。彼女達は日影兵衛達と女中を代わる代わる目をやると「後ほど検分役として道場にお連れしますので。茶菓子などを用意しましょう」と女中にその部屋に押し込まれた。

 

 日影兵衛達が案内された部屋には身分の高そうな男が待っていた。

 「私は山名頼綱と申します。この度は失礼を働きまして申し訳ありませぬ」と一礼をし、日影兵衛達に座るように勧めた。どうやら江戸幕府で言う老中の様な人らしい。どれほど偉いのか解らないが、なかなかの人物に見えた。

 日影兵衛は臆する事もなく、前田主水と永山宗之介は幾分緊張して座る。運ばれたお茶には目もくれず、日影兵衛はいきなり「わがままにつきやってやろうと言うのだ。俺達が勝ったならば、代わりに手に入る最も実戦向きの刀を貰いたい。断るというのなら、邪魔だてするものを全て殺してでも帰らせてもらおう」などと言い出したので、前田主水と永山宗之介は真っ青になる。

 「大層な口をきく男だ。その様な要求をした者は初めてだ。山名様、その条件をのんでもよろしいですか」佐々木琴は山名頼綱に問いかけた。

 「仕方あるまい。勝ったならば差し出そう」なんのためらいもなく山名頼綱は答えた。しかしその目は何故か日影兵衛たちに期待していると言うような感じであった。

 「時が移る。さっさと始めよう」そう言って日影兵衛は立ち上がった。

 

 道場に連れて行かれると、既にりんとたけが正座をして待っていた。その向かいの壁際に山名頼綱が正座する。佐々木琴は日影兵衛達にりんとたけの方へと座るよううながした。

 「ちょっと待て。三人続けて相手にするつもりなのか」と日影兵衛は佐々木琴にたずねる。

 「無論だ。戦う時にひとりずつ休み休みにしてくれとでも頼むつもりか」

 「では三人を相手にして負けたという言い訳はさせぬぞ」

 日影兵衛はあくまでも、喧嘩越しである。

 「無論だ。最後に立っている方の勝ちとする」

 諦めたのか、前田主水は「ではまず儂から行く。あのお転婆の足腰が立たなくしてやろう。日影殿達の出番は無いぞ」と言って立ち上がった。

 「あれを舐めるな。全力でやれ」と日影兵衛は言う。

 「もともとそのつもりだ。あやつはかなり不愉快である」と言いながら前田主水は道場の中央に向かい、佐々木琴と対峙した。「俺はこの木刀を使わせてもらおう」あらかじめ選ばさせられた木刀を見せる。彼の所持する刀と同じく、他の木刀より長いものだ。

 そしてふたりは正眼に構えた。

 「神藤一刀流、前田主水。いざ参る」

 だが、ふたりは動かない。

 びりびりとした緊迫感。

 そしてふたりから吹き出した闘気がぶつかる。

 それが限界に達した時、佐々木琴が一歩踏み出し前田主水の間合いに入った。

 「ふほぉぉ」

 全ての闘気をぶつける様に前田主水は佐々木琴を胴薙ぎにする。

 「馬鹿者が」と一言、日影兵衛。

 その瞬間、前田主水は吹き飛ばされ道場の壁に激突した。しかし佐々木琴はそれを見て目をいた。

 「手応えが……しかも受け身を取った。あれでどうしてあそこまで吹き飛ぶのだ」

 前田主水は何もなかったように起き上がり、佐々木琴の対面に歩いてくる。

 「あのようなことをして何故頭を狙わなかった。私を舐めているのか」佐々木琴はそう問い詰める。

 前田主水はそれが聞こえなかったのかどうなのか「くそ痛てえ。すまん、負けたというか死んだ」と日影兵衛達の方を向いて言った。

 佐々木琴は唖然あぜんとして前田主水を見続けている。自分の太刀筋は完全に見切られていた。吹き飛ばされたのは逆に自分であっただろうと。

 「手加減したと言うのか、貴様は」

 「いや、全力だ。お前の骨をへし折るつもりだったが逆にやられた。だが問題ないぞ、儂の骨は折れなんだ」

 今度はそう答えると、元いた場所に戻り座り込んだ。

 「お前、何のつもりだ」と日影兵衛は前田主水の方を見ずにささやいた。

 「……儂には女が斬れん。寸止めの様な器用な事もできん。それにあの女の腕前では骨だけ折ろうという真似まねもできなんだ」と前田主水は日影兵衛に囁き返す。

 「次は私が参ろう」永山宗之介はそれには何も言わずに立ち上がると佐々木琴の前に立つ。

 「柳活殺流、永山宗之介」そう名乗ると木刀を抜き放ち、かすみの構えを取る。

 「ふん、活殺とはよく言う。かすも殺すもお前次第と言うつもりか」

 前田主水に驚かされたが、佐々木琴は気を取り直して永山宗之介の方に向くと、正眼の構えを取った。

 「霞の構えか、実戦で役にはたつまい」

 佐々木琴は言い放った。

 霞の構えとは自分の目の高さに刃を水平にして構え

る型である。防御に優れるといわれるが、実戦では使い物にならないともいわれている構えだ。

 見た目が迫力を感じさせるので、映画などでよく見かけるあれである。

佐々木琴の挑発を無視した永山宗之介からは前田主水の様な殺気も闘気も感じられない。その上、佐々木琴のそれを受け流しているようだ。

 佐々木琴はいきなり自分の間合いに進むと永山宗之介の胴を薙ぎ払おうとする。

 永山宗之介は佐々木琴の胴薙ぎを流れる様にり避ける。

 「ああああ」という気合と共に、初太刀を避けた永山宗之介に向かって佐々木琴は連撃を放った。

 その全てが鍔迫つばぜりり合いもさせずに受け流された。そこで永山宗之介は一歩踏みだした。

 体制を崩された佐々木琴に今度は永山宗之介の斬撃が飛ぶ。

 佐々木琴は辛うじてそれをけると下段から木刀を振り上げた。

 永山宗之介の木刀は弾かれて彼の後方に飛ばされる。

 「申し訳ない。死にました」

 永山宗之介はそう言うと、佐々木琴に礼をして木刀を取りに行き元の場所に戻って正座する。

 しかし十数人の山賊をひとりでさばききった永山宗之介は佐々木琴の攻撃も軽くいなしてみせたのである。

 「やはり相手を切り殺すことはできませんね。『殺』の技がなっていません。申し訳ない。自分の甘さを痛感させられました」

 そうとつとつと永山宗之介は日影兵衛に言った。

 「永山殿、貴方あなたもか」日影兵衛は全く面白くないというような顔をして立ち上がった。

 「最後のひとりだ。お前が勝てばこのいくさ

 勝利は佐々木の、お前の物だな」

 日影兵衛は静かに進むと佐々木琴に対峙した。

 永山宗之介が殺意を持っていたならば自分は負けただろう、そういう思いが佐々木琴の頭をよぎる。何なのだこいつらは、と佐々木琴はまるで化物でも見た様な顔をしていた。

 「では参る。日影残真流にして我流、日影兵衛」

 彼はそういうと、だらりと両腕をたらした。彼は木刀に手もかけていない。

 「なんだそれは。馬鹿にしているのか」

 「この姿ならいくらでも斬る事ができるだろう。それともこれが怖いのか」

 佐々木琴は馬鹿にされたとばかりに、いきなり渾身の一撃を日影兵衛の頭に放った。

 つもりであった。

 「な」

 佐々木琴が言葉を口にするよりも早く首を捕まれ道場の壁にぶち当てられる。

 「さ、三回斬られた……いやその手、四回死んだ。全く何も見えなかった……」

 日影兵衛に首を取られた佐々木琴はそう言って日影兵衛の左手を見た。彼はいつ抜いたのか、木刀を手にしていた。

 日影兵衛は首を掴んだ手を離し、最初に対峙した場所に戻る。

 「全て感じ取ったのか。俺もまだまだ修行が足りん様だ。しかしお前はふたり殺したが、最後に切り殺された。俺達の勝ちだ」そう言って、日影兵衛は木刀を腰に戻した。

 「な、何故身体に当てなかったのだ」

 首をおさえながら佐々木琴は日影兵衛に問う。

 「ふむ。刀を持てなくなっても良かったのか、佐々木の。俺は人斬りだが、無意味な殺生はせん。別式を務められなくなったら、お前は死んだも同然であろう」

 日影兵衛は平然とそう言った。木刀であってもあれだけの無影剣を全て喰らったら、佐々木琴は武芸者としてやっていけなくなったであろう。

 「しかし前田の。永山殿も。始めっから俺までまわすつもりだったな」と、ふたりを睨みつけた。

 

 「山名様。申し訳ありません。負けました」山名頼綱の前に正座して佐々木琴は頭を下げた。その口調は悔しさを通り越して情けなくなっている。これまで一度も負けたことのない佐々木琴は前田主水と永山宗之介に手加減された上に、日影兵衛になにもさせられずに負けたのであった。

 山名頼綱は脇に置いておいた大小を日影兵衛に渡す。

 「約束ですからな」と言った彼は何故か満足そうな顔をしていた。

 日影兵衛は手渡された刀をすらりと抜くと「これは素晴らしい」と一言もらした。

 「その刀は私の先祖が関ヶ原で振るったものでな。私は剣術にうというえ、飾っておくしかなかったのだよ」と山名頼綱はなんの未練もなく言う。

 「関ヶ原で振るわれて、まだこの状態なのか」

 日影兵衛は関心するばかりであった。

 「しかし御三方、私の意をくんで頂き有り難い」などど、佐々木琴には理解できないことを山名頼綱は言って三人に頭を下げる。

 彼はどうやら佐々木琴の天狗になった鼻をへし折って貰いたかった様である。己の腕を過信していた佐々木琴に、今までやりたいようにさせ過ぎたことで山名頼綱は頭を悩ませていたのだ。

 「それは一体なんのことかな」日影兵衛達三人は顔を見合わせた。本当に理解できていないらしい。彼らはやりたいようにやっただけであったのだ。

 

 そうして三人は無事に解放されると、りんとたけをつれて屋敷をでた。

 りんもたけも信じられないものを見たと言うような顔をしている。

 そこへ佐々木琴が慌てて出てきた。

 「お三方、是非ご教授をお願いしたい」と頭を下げる。

 「いや、旅を急ぐ身でな。それはできかねる」と日影兵衛はもう勘弁してくれという顔をして佐々木琴に答えた。

 いきなりそこで「おい、日影殿。ひとりだけ土産を貰ってずるいではないか」と前田主水が言い出した。

 「何を言う。貴様は切り殺されたではないか」そう言い返すと「まあ、飯でも食って早々に出発するか」と屋敷を去ろうとする。

 「な、ならばせめてここで食事だけでも……」

 そういう佐々木琴に「窮屈な食事は御免だ。その辺の飯屋の方がいい」と答えを返した。

 「えええ、食ったこともないような物が出てくるかもしれないぞ」そういう前田主水に「ならばひとりで馳走ちそうしてもらえ。なあ」と日影兵衛はそう言ってりんとたけ、永山宗之介の方を見るとみんなは即頷いた。

 一刻も早くこんな息苦しい場所から離れたいという顔をして。

 彼らの旅はまだまだ続くのだ。

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