第三話 旗本の剣 鈴木刀之介

 東海道の道のりは長い。

 日影兵衛は平塚の次の宿場町、大磯で泊まる気は少しも無かった。小田原まで行くつもりのようだ。彼は相変わらずりんを無視して歩いている。けれどもりんを連れ回すことを決めた時のように、彼女の歩調に合わせて歩いているようである。前田主水はその後ろの方をこそこそついてきている。背が高かくでかいので、こそこそも何もないのであったが。

 日影兵衛はいきなり三度笠を目深に降ろし、りんの手を掴むと自分の方へ引き寄せた。三度笠は平塚宿で手に入れた物である。東海道を行くにあたって、あまり顔を見せたくなかったらしかった。

 日影兵衛の突然の行いに、りんはうっかり腕にしがみついてしまい、顔を紅潮させてしまった。日影兵衛はりんの菅笠すががさも顔を隠させる様にに引き下げる。

 すると背後から派手な衣装に身に着けた三人の侍が駆け抜けて行った。このような場所では見かける事は無い格好である。

 それらが通り過ぎると日影兵衛は三度笠を直し、しがみついているりんを振りほどいた。菅笠を被り直したりんは少し顔を赤くしながらも、ちょっとむくれているように見えた。突然引き寄せたくせに、邪険に振りほどかれて納得がいかなかったのである。

 「おい、予定が変わった。小田原には直行せず大磯で宿をとる」

 小田原迄の長い道のりを行くことが変わって、りんはほっとしたが、不思議そうに日影兵衛を見上げた。

 「なんとかもっと先へ行ってくれれば良いのだが」と、彼はりんの方を見ずにつぶいた。

 

 大磯宿に着くと、日影兵衛はまた二階に泊まれる旅籠を選んで宿を決めた。

 「ここで足を留めるのは三日程だ。湯屋に行きたければその間にに行ってこい」などと言い出した。実に身勝手な男である。りんの意見など聞こうともしない。

 りんはりんで何故小田原行きを変更したのか、ここに留まる事に決めたのか聞きたかったが、どうせ無視されるだろうと諦めた。

 ふたりが部屋に落ち着くと、もう日が落ちようとしていた。日影兵衛は以前の様に窓の外を眺めている。

 りんは日影兵衛に声をかけるかどうか悩んでいた。どうしてもひとつ聞いておきたかったことがあったのだ。そしてようやく決心した。

 「ひ、日影様、ひとつうかがっても宜しいですか」と正座をしたもとを揃えて彼の方を見る。

 「なんだ」とまだ窓の外を見ながら、何の興味もないように彼は答える。

 「あ、あの……どうしてそんなに沢山刀を集めておられるのですか」りんはこれまでの日影兵衛の不可解な行動に疑問を持っていたのだ。

 日影兵衛はりんの方を向くと、しばらくその顔を見つめた。それにうろたえてしまうりん。やはり聞いてはいけないことであったのかと思い始めると、日影兵衛は何ということもなく話し始めた。

 「お前は平塚で俺の刀さばきを見たであろう」

 「あの……見たというか見えなかったというか」りんは正直に答えた。

 「あれは俺の我流の剣術でな、その辺の刀では保たずに折れてしまうのだ。それで俺の技に耐えられる刀を探している」と、日影兵衛はあっさり答えた。

 そして「そもそも他人のおこした剣術などあまり興味がない。俺はやりたいようにしているだけだ」と、とんでもない事を付け加えた。相手がどんな剣術を使おうと知ったことでは無いという。ただ、自分の剣術は最強だとか、自分は無敵であるというのとは違う意味のようであった。しかしそのあたりはりんには理解できない事である。

 ただ、他人がその技を真似する事は不可能である事であるということだけは、なんとなくりんには思えた。

 日影兵衛はそこまで言うと飽きたのか、また往来を眺め始めた。

 そして何をするでもなくその夜が終わった。いそいそとりんは寝床につく。日影兵衛はあぐらをかいたまま、うつむいていた。寝ている様にも見える。どうも平塚で起こった事とは勝手が違う事情のようであった。

 一方、前田主水は構ってもらえなくともついて行くぞとばかりに、そばの木賃宿きちんやどに泊まっていた。何処までもついていくつもりのようだ。

 

 そして、次の日の昼間も、日影兵衛は宿から一歩も出ずに過ごした。相変わらず窓の外を眺めている。りんは言葉にあまえて湯屋に行っていた。

 日影兵衛が外を気にしていたのは、どうも走り抜けて行った侍共が黒磯宿にまだいるかどうか確かめていたようである。

 「殺すでもなく江戸へ帰らせる事もなくとはどうしたものか。いや、そのまま江戸へ帰ってくれれば良いのだが」と誰にとも無くつぶやく。まあ、その部屋には彼一人しかいなかったのではあるが。

 しかしそのあては外れた。三人組は大磯に留まって居たのである。

 「ろくも少ないであろうに、面子めんつはあるのだな。あれらの懐が寂しくなるまで姿をさらさないというのが一番なのだが」とまたつぶやいた。

 どうして日影兵衛が身を隠そうとしているのかは、江戸にいる時、複数の旗本奴はたもとやっこからまれていた町人を助けてしまったことが原因だった。旗本奴とは旗本の青年武士やその奉公人共のかぶき者どもの事だ。派手な異装をして徒党を組み、無頼をはたらく様なやからである。面子をつぶされて、ここまで追って来たのであろう。そこまでして日影兵衛を斬らねば納得が出来ないようである。

 彼はお人好しなのか強盗なのかさっぱり分からない。

 そして日影兵衛はもう無駄金は使えないと考えて行動をおこした。

 「おい女、前田なにがしをここへ呼べ」とりんに告使いを出した。前田主水は未だ名前を憶えてもらえていないようだ。りんも「女」呼びに戻ってしまったままである。

 りんが前田主水を連れてくると、日影兵衛はいきなり「前田の。この女を連れて先に小田原までいけ。出来るだけ遠くまで進め。そうするならは多少は俺の剣術を教えてやらんでもない」と言った。

 「それだけで弟子にしてくれるのか。有り難い。早速身支度をしてこよう」と前田主水は慌てて出ていった。

 「女、お前もさっさと準備しろ。あいつをもうここに戻らない様にしてくれ。そして、決してあいつからはぐれるな」そう言われてりんは慌てて身支度をし、言われるままに宿から出て行っていた。もしかしたら自分が用済みで見放されるかと思いながら。

 日影兵衛は窓からふたりが大磯宿から出ていくのを見届けると、三人組が泊まっている宿を見つめる。

 日影兵衛はずっとそのまま動かなかった。

 「女は脚が遅いしな。もうしばらく待つか」と彼はぼそりと言った。

 そして昼過ぎなると、日影兵衛は旅支度をして宿を後にした。小田原へは向かわずに平塚の方へ歩き出す。

 それを見つけたのか、三人組は刀だけたずさえて、宿を出ると彼の後をつけ始める。

 日影兵衛は大磯宿からだいぶ離れると、東海道をはずれ脇の草むらへと入っていった。具合の良い広間をに着くと背負子を降ろし、そこから刀を一太刀抜いて今まで身に着けていた刀と取り替えると、通って来た方を見つめる。この場所はあらかじめ見つけておいた場所のようである。ただ黙然として歩いていた訳では無いようだった。

 しばらく待つと例の三人組が後を追って現れた。ひとりは前田主水とりんの後を追うかと思っていたが、三人共日影兵衛に向かって来たことに日影兵衛は薄く笑った。

 三人組のひとり、一番剣術が使えそうな男が怒鳴る様に口を開いた。

 「俺は鈴木藤太という。日影兵衛、貴様が仕出かした事よもや忘れたわけではあるまいな」と名乗ってきた。

 「何の話だ。身に覚えがないぞ。人間違いではあるまいか」などと彼は興味なさげに言った。もちろん憶えている。旗本奴を斬り殺したのはあれ一度っきりだ。

 「たわけたことを抜かすな」そう叫びつつ鈴木藤太の取り巻きふたりが刀を抜いて襲いかかって来た。

 「馬鹿め」日影兵衛がそう言うとふたりはその勢いのまま日影兵衛の後ろまで走り込むと、胴体が真っ二つになり倒れ付した。

 また日影兵衛は動いたように見えなかった。しかし、彼の足元の雑草が、踏みしだかれた様に押しつぶさらていた。動いていないのではなく、目にも止まらぬ速さで刀を扱っていたのだ。それほどに彼の剣術、いや身体能力は恐るべきものであった。

 しかし、鈴木藤太はいつの間にか刀を手にしている日影兵衛を見て驚愕きょうがくした。全く動いた様には見えなかったのに、日影兵衛はいつ刀を抜いたのか。彼の理解の範疇はんちゅうを超えていたのだ。いや、誰もがそう思ったであろう。

 「ここまでした手前、貴様、無事で済むとは思うなよ」

 日影兵衛は今までの彼らしくない言葉を発した。自ら切ると言った様なものである。

 もはや逃げられぬと思ったか、鈴木藤太は鬼の様な形相をして「へあああ」とばかりに日影兵衛を斬りつけた。

 鈴木藤太は刀を振り上げたまま正中線に沿って真っ二つになり、そのまま左右に倒れ伏した。日影兵衛の刀捌きはぶれない様である。山賊の親玉、毒島厳吾郎ぶすじまげんごろうを斬った時と全く同じ斬り方だ。

 「江戸で好き勝手をしておれば良かったものを」

 そう言って日影兵衛はまた懐紙で刀を拭うと「旗本だけではあるな。良い刀を持っている」とつぶやきながら三人の刀を奪い取って背負子にしまうと、何事も無かった様に東海道の方へと歩き去った。

 

 「言われるままにここまで来たが、日影殿はどうしたのだろうか」

 前田主水は不安げに言った。りんも同じ気持ちで彼を見上げる。ふたりは既に大磯と小田原の中間程まで来てしまっていた。もしかしたら厄介払やっかいばらいされたのかとりんは不安げになる。

 それならそれで、前田主水に京まで連れて行って貰えばいいのだが、りんはなんとなくそれが凄く嫌だった。

 立つ瀬のない前田主水である。

 「丁度いい。あそこに茶屋がある。一休みして考えよう」彼はそう言って、りんを連れながら店の外の縁台にふたりして座る。大きな傘が日陰を作っていた。

 注文した団子を食べながら、ふたりして色々と考え込んでいた。しかし、りんはりんで初めての遠出であったし、前田主水の頭は役に立ちそうもない。

 「いっそ小田原まで行って待つことにしようか」と前田主水が提案したとき、彼等の目の前をなんば走りで飛脚の様に通り過ぎる人物が目に入った。

 ぽかんとした顔でその人物を目で追う。

 明らかに日影兵衛であった。

 「日影殿、日影殿待たれい」

 「日影様、日影様」

 と、ふたりは食べかけの団子を置いて彼を追って走り始めた。

 その声に気がついたのか、日影兵衛は立ち止まるとふたりの方を見やった。彼の走りは重い刀を幾本も背負って走る速さではない。ふたりが追いつくのをしばらく待っていた。

 先に前田主水が追いつき、大分立ってりんがよろよろとやってきた。ふたりともかなり息を切らしている。

 「なんだ、まだこんな所を歩いておったのか」などという日影兵衛は至って普通の様子である。りんは息を切らしたどころでは無かった。そのままその場にしゃがみこんでしまう。

 「なんだと言うのだ。この女は」と、しゃがみこんで動けなくなったりんを見て彼は言った。心配のしの字もない。

 「お前もお前だ。何を息切らしておる」と前田主水の方を見てそう言う。ふたりは話そうにも声が出ない。

 「全く世話の焼ける」そう言って、日影兵衛はりんの襟元をひっつかむと道の外れまで引きずっていった。前田主水はよろよろとその後をついて行く。街道の真ん中に座り込まれては厄介な上に他人の邪魔になる。りんはやめるようにと言おうとしたがぜぇぜぇという息遣いしか出来ない。

 日影兵衛は前田主水を見て「おい、前田の。そんなていたらくでは弟子にしてやることはできんな。一から鍛えなおせ」と言い放った。もともと弟子になどにするつもりはなかったくせにである。

 前田主水は「そんなぁ」と言って、地面に座り込んでしまった。

 日影兵衛はそんなふたりを見て、具合良さげな場所を見つけるとそこに座り込んで煙管きせるをぷかぷかとくゆらせ始めた。

 ようやく息が整い動けるようになったりんを見て、彼は立ち上がると「もたもたするな。日が暮れる」と言ってりんの手を掴み、歩き始めた。その後からしょんぼりとした前田主水がとぼとぼとついてくる。

 なんとか口が聞けるようになったりんは、日影兵衛の手をぎゅっと握ったまま彼に問いかけた。

 「あの、日影様」

 「なんだ」

 「あの、この前教えていただいた事なのですが」

 「質問はひとつだけ、と言ったのはお前だぞ」

 「あの問いの仕方が間違えておりまして、それでうっかり聞き漏らしてしまいました」

 りんはいつになく、その答えを聞かなければ気がすまないという様な口調で言った。

 「言うてみよ」

 「あの技の名前はなんと言うのですか」

 すると日影兵衛は口をへの字にした。

 「……あれは『無影剣』という」

 そう言って顔を明後日の方へ向けると、りんの手を振り払う。

 若気の至りとはいえ、その技を身に着けた年頃で嬉しさの余りそう名付けてしまったのが恥ずかしいらしい様である。それならば「そんなものはない」と答えればよかったであろうに。しかし、正直に答えた日影兵衛はそれが気に入っているようにも見えた。

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