【無影剣 日影兵衛 刀狩り】
埴谷台 透
東海道旅道中
第一話 山賊の剣 毒島厳吾郎
その男の旅装束は異様であった。
変わっているといえば、腰にさした大小に
しかし男を異様に見せているのは
旅をしているのに何故そんなに沢山の刀を背負っているのか。商人なら解らなくも無い。しかし背負っているのは稀であろう。
男はもはや獣道とも思える所を歩いている。
少し脇に逸れれば東海道が通っているのにである。
刀を沢山背負っているのを見咎められない為であろうか。黙々と道を進んでいる。どうやら江戸から旅立ってきた様子だ。
するとひとりの若い女とまだ年端も行かない子供のふたりが五人のごろつき共に囲まれていた。
男は歩みを止めると「
男は鞘に手もかけず、ぶらりとさせたままだ。
「もう一度言う。
するといきなり五人のごろつきがきり飛ばされた。五人とも絶命している。
男を見ると手をだらりと下げたまま動いた気配がない。いや、ひとつだけ異なっていた。男の左手には刀が握られていたのだ。
女はその惨状を見ると、子供を抱きしめながら「ああっ」と声をあげた。
しかし気を取り戻したのか「お、お侍様、ありがとうございます」と震えながら声を出した。
よくよく見ると、女はうら若き娘であり、その顔立ちは見目麗しく村人のようには見えない。旅姿もしていない桃色の
男は手に持った刀を調べる様に見ると、刀身を指ではじいた。ぱきりと折れる刀。
「これでも五人しか保たないか」そう言うと娘達を無視して、ごろつき共の刀を調べ始めた。
「どれもこれも役に立ちそうもないな」と言いながら背負子からひと振りの刀を取り出し、折れた刀とその鞘を捨て身につけた。
何をしているのかと見つめる娘。子供はしっかりと娘の足にしがみついている。
男はその方を見もせずにまた歩き始めた。
娘は慌てて男の方へ駆け出すと「お侍様、助けていただきありがとうございます。そのお礼がしたいのです。どうか私の里にお寄りくださいませんか」と呼び止めようとした。
男は二、三歩進んだところで振り向いた。
「お前の里には刀はあるか」たったそれだけ言葉を発した。
「あ、あります、あります。私の家に
そう娘が答えると、男は「ならばその刀を見せてくれ」とだけ言った。
娘は男を里へ案内し、一番立派な造りの建物にに連れて行く。どうやら里長の娘のようだった。
「おりん、日吉丸を連れてどこに行っておったのだ。あれほど危険だと言ったであろう」と娘の父親と思われる男がその家から飛び出してきた。
「申し訳ありません、でも私は……」と、りんと呼ばれた娘が言いかけると、日吉丸と呼ばれた子供が「このお侍様があいつらを五人もやっつけたんだよ!」と言ってしまった。
「なんと、それ見たことか」とりんに言うと里長はようやく男を見た。
「あの、娘を助けて頂きありがとうございます。できますならば我が屋敷にの方に。お礼をさせて頂く……」と言いかける里長を無視して「その様なものはいらぬ。おりんといったか、早く刀を見せてくれ」
男は里長から目を離すと、りんと呼ばれた少女の方を見て言った。
「刀、刀でございますか。それならば我が家に。どうぞお立ち寄りください」
と、里長は男に呼びかけついてくるようにと
通された部屋に入ると、男は部屋を見回し背負子を背負ったまま「刀はないではないか」と言った。
「刀は別の部屋にあります。その前にお話、いえお願いしたい事があるのですが」と里長は無理矢理男を座らせようとする。
「行きがかり上、邪魔者を切り捨てただけだ。それ以上に何を望む」男はそれでも荷物をおろし座り込んだ。
そこへりんがお茶を用意して部屋にはいり、里長の横に座る。何やら面白くない気配が漂ってきた。里長は何の前振りも無く頭を下げて言った。「その刀は昔山賊共に襲われたお侍様にこの里を救って頂いたのですが、それで命を落とされたお侍様の残したものであります。けれど、また山賊共がこの辺りに住み着きまして、幾度となく女や食料を奪って行くのです」
「それが俺に何の関係がある」と、男は吐き捨てた。
「我が家の家宝の他に、その山賊共の首領がたいそう立派な刀をっておりまして」
「それで俺を釣る気か。山賊を倒せと」
「お願い申し上げます」と里長とりんが頭を畳に
「つまらぬ話だが、その山賊とやらが持っている刀にも興味が湧いた。手を貸してやらんでもない。但しお前の家の刀は無条件で貰い受ける」
そう言うと「俺の部屋を用意しろ」と言って黙ってしまった。
「あの、お侍様、できればお名前を伺ってもよろしいでしょうか」と、りんは平伏しながら言った。
「教える意味かあるとは思えんが。俺は
用意された部屋にはあぐらをかいて座る日影兵衛と、部屋を片付けているりんだけがいた。
日影兵衛は既に旅装を解いている。「おりんといったな。お前を襲った
りんは片付ける手を止めて正座すると「そうでございます」と答えた。「いつ現れる」日影兵衛は必要な事しか話さない。
「いつもは七日から十日おきに現れます。ただ、日影様が仲間を切り捨てた
「そいつらは
「正しくはわかりませんが二十人程かと。様子を見に行き命からがら逃げてきた者がそう言っておりました」
りんは少し考え込む様にそう答えた。
「俺は山賊共のねぐらまで行く気はない。この里でけりをつけさせてもらう」そう言ってごろりと寝転がんだ。
その晩、日影兵衛が支度をしていると夕飯を片付けにりんがやってきた。
「ひとつ聞くのを忘れていた。奴らは何処から姿を表すのだ」
「里を出た裏山でございます。ご案内致しましょうか」
「いらぬ」日影兵衛はりんの顔を見ずに言った。
そして深夜、日影兵衛は音もたてずに里長の家を出た。
向かう先はりんの言った裏山の方である。里の住人は厳重に戸締まりをし、物音ひとつ聞こえなかった。
日影兵衛は二本の松明に火をつけると里を囲む柵に縛り付けた。二本の松明の間には踏み荒らされた跡があった。
日影兵衛は背負子を下ろすと、中に入っていた刀を次々と取り出し、鞘から刀を抜き出すと、地面に突き刺し始めた。
そしてその刀の前にだらりと両手をおろした姿で立ちすくした。
「本当にそやつはこの里に入ったのだな」
「間違いありません。里長の家に上がり込むのを見ました」
「出ていった気配もありません」
そのような会話が聞こえる。
「なんだ、火の明かりが見えるぞ。お前ら先に行って様子を見てこい」そう命令した声が響きわたった。
その者共は姿を隠して近づくつもりも無いようだ。
先に向かってきた盗賊が六人、柵を蹴り飛ばして入ってきた。そして日影兵衛を見つける。
「貴様があの五人を殺ったのか」
「村里に手を貸して歯向かうつもりか」
てんでに叫ぶ盗賊達。日影兵衛は全て無視した。
盗賊達はただ他立ち尽くしている日影兵衛に殺到した。
しかし、いきなり胴凪ぎにされ倒れる三人の盗賊。
そのひとりが叫びながら命絶える。
日影兵衛は動いた形跡もない。しかしいつの間にか手にしていた刀を捨てると、くるりと周り地面に突き刺した刀の一本を地面から抜いて前をむく。その表示に次の盗賊三人の首が切り落とされた。
六人に襲われても、やはり全く動いた形跡は無かった。
日影兵衛は手にしていた刀をまた放り投げ捨てる。
「三人ごときで使えなくなるとはたまらんな」と
日影兵衛はまたくるりと舞のような動きを見せると、両手に一本ずつ刀を地面から引き抜く。両手に刀にを持ちながらもだらりとした姿勢は崩さない。
今度は十人ほどの盗賊か殺到してきた。
そいつらははすでに構えた刀を振り上げ、日影兵衛に襲いかかった。しかしまた構えもしない日影兵衛に次々と切り殺される。日影兵衛の動きは澱みなく華麗で美しく、まるで
それだけ切り捨てたのに、日影兵衛と破られた柵の間にはひとつの死骸も無い。
日影兵衛は片方の刀を捨て、もう一本の刀を見つめる。そして「これはまだまだ使えそうだ」と言った。
そこへ最後の三人が現れた。いずれも浪人崩れか、他の盗賊よりは腕が立ちそうだ。日影兵衛は二、三歩前に進む。
中央の図体のでかい男が「俺は頭領の
「名乗のっても無駄だ。すぐに忘れる」と日影兵衛は答えた。毒島厳吾郎と名乗った男と残りふたりの刀を見て「その刀はいくらか使えそうだ」と付け加えた。
名乗った男の横にいたふたりは「きえええ」言う気合とともに日影兵衛に斬りかがった。
しかし次の瞬間、ひとりが袈裟懸けに斬りつかれ、もう一人は片足を失った。毒島厳吾郎はそれを見て後ろに下がる。やはり日影兵衛は動いたようには見えなかったのだ。
「終わりだ」と日影兵衛が言うと、毒島厳吾郎は正中線から真っ二つに斬り降ろされて崩れ落ちた。
里に降りて来た連中はひとりを残して絶命した。
日影兵衛は片足を失った残りの男に近づくと、刀の切っ先をその首に当てた。
「こ、殺さないでくれ」と言う浪人崩れの言葉を無視して「貴様の砦にはあと何人いる」と切っ先で首をなぞりつけながら問いかけた。
「さ、攫った女共が逃げ出さない様にひとり、奪った食料とお宝を護る男がひもひとり、それだけだ」正直に答えれば命をとられないのではと浪人崩れは言った。
「謀ってはおるまいな」と彼が言うと、浪人崩れはぶんぶんと頷いた。それを見て日影兵衛はその男の首をためらいもなく
その男が絶命すると、三人の刀を検分する。
「なかなか使えそうだ」と行って三人の刀を奪うと、それぞれの鞘を取り上げてしまいながら持ち帰り、地面に刺した残りの刀を丁寧に背負子にしまう。そして倒した盗賊共の刀を順繰りと手に取ると「使えそうなものはこれだけか」と二本の刀を奪いとり、やはり鞘に納めるとそれも背負子に仕舞う。そしてひっくり返った樽を起こして座ると、胸元から
夜が明けると、里長と村人が恐る恐る顔を出して山の様になった盗賊の死骸を見ると、次に日影兵衛に目をやった。
「襲ってきた連中は全て殺した。残りはふたりだ。女や取り上げられた物を取り返すならば、山狩でもすることだ」そう言って里長を屋敷に戻る様に
その日は村中から人々が詰めかけ、日影兵衛が断るのをとどめて大宴会が催された。それも終わると日影兵衛は部屋に戻って荷物をまとめ、縁側から音もたてずに外に降りる。そして里の出入り口に向かって歩き始めた。
そこへ旅装束を来たりんが走り寄って来た。
「お願いがございます。私を京まで連れていって貰えませんか」と、日影兵衛に頼み込んだ。
りんが家族の言葉を聞き捨てて里を抜け出したのは、東海道の行き交う旅人を見るためであった。京に行くことを夢に見ていたのである。それにもうひとつ理由があった。
日影兵衛が振り返る素振りも見せずに「俺を用心棒にでもする気か」と言い放つと、また歩き始めた。
「あの、私は食事の用意も出来ますし裁縫もも得意です。それに使い走りにも行きます。そ、それから、わ、私のことを……」とりんが言いかけると「そんなものはいらぬ」と日影兵衛は歩みを止めない。
それを追うりん。かなり歩いたのに、りんが肩で息をしながらついてきた。「私はどうしても京に行きたいのです。姉が京に行ったきり何の音沙汰もないのです」と、りんが言う。
日影兵衛はそばにあった大きめの石に座り込むと、煙管を取り出し、煙草を吸い始めた。
「最初に言った事、全て俺の言うままに従うか」とりんに聞く。
「は、はい」とりんは少し顔を赤らめながら両手を胸元で握りしめ言った。最後にとんでもない事を言いかけてしまったのに気がついたのである。
「ならばお前は俺の所有物だ。意に沿わぬ様な事をしたり逃げ出したならば即斬り捨てる」と言った。りんは今度は顔を青ざめて「は、はい」と頷いた。
「では早速使い走りを頼もうか。東海道にでて食い物を買ってこい」と言って小銭の入った
日影兵衛を知るものなら、誰かをそれも女を連れ歩くのを見て驚愕したに違いない。彼はこれまで他人とつれだって行く様な事をする男だとは思われていなかったのだ。それほど他人を寄せ付けない気を発していたのである。
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