第18話 初弾必殺
鳴り子山はさして高い山ではないが、険しく、迂回路がない山である。
その山頂に関所のように築かれた鳴り子城。
城の内陸側城門に至る一本の山道はそれほど広くない。
広葉樹が生えた急斜面に、とぐろを巻いた蛇のように作られた細い道。
騎馬ならば二列縦隊で歩めるかどうか。
軍馬に駆け足をさせるならば一列縦隊になるしかない程度の幅。
つまり、騎馬を中心に編成された茨十字騎士団を迎撃するには打って付けの地形である。
当然、守る側としては伏兵を配置する。
定石過ぎて見破られやすいが、分かっていても防ぐ術が無いこともある。
これは、その類いのことだった。
「奇兵隊、配置に付きました。人員、装具異常ありません。あとは若の号令一つです」
「了解」
神州国軍としてオルデガルド帝国の最精鋭、茨十字騎士団を迎え撃つ本日の一番手は若干十六歳の藤亜十兵衛率いる臨時編成の奇兵隊二十名。
藤亜十兵衛を若と呼んだのは、傭兵稼業で食い扶持を稼ぐ三十路ほどの冴えない風貌の男。
奇兵隊の副隊長に据えた、“居眠り”甚八。
十兵衛が養父らを皆殺しにする際に雇った男で、家督簒奪以後、今も契約を継続している傭兵である。
二人は鳴り子城への山道沿いの森の中で、さらに藪に身を潜めていた。
両者ともに暗色の軍装に身を包み、顔や腕の露出している部分には木炭を擦り付けて肌色を隠し、藪の中に潜んでいた。
藤亜も今日は昨日のような軽装ではない。
今日の戦いはほとんど逃げ場のない攻城戦である。
二人とも良質の鉄を惜しげもなく使った胴当てに、板金で補強された脛当てと籠手、鉢金を身に付け、腰の革帯には小物入れ《ポーチ》に小道具や
藤亜は大太刀に脇差し、短筒という短い火縄銃、甚八はやけに銃身の長い火縄銃に小太刀という組み合わせだった。
「甚八さん。大将のあの口上、どう思う?」
「太田森の大将も、よくもまあ、上手く煽りますよね。どうあっても、皆を死兵にしたいらしい。俺は真っ平御免ですがね」
甚八は居眠りという渾名通り、気怠そうに答えた。
藤亜十兵衛が雇う傭兵は、見た目は少し小太りで気怠げな中年ではあるが、
気は利かず口も少々汚いが、背中を預けても問題ないほど信頼できる、十兵衛の数少ない味方である。
「とはいえ……ある意味、俺らが始めた戦争ですよ、甚八さん」
鳴り子城周辺の警備巡回中に、森人の二人の姫――フェリシアとオルフィナを見つけて保護したのは藤亜十兵衛と“居眠り”甚八、そして藤亜の性奴隷という身分で常に傍に置いている蘭の三人。
その時、オルデガルド帝国の弓兵に狙われたのが藤亜で、その弓兵を斬り殺したのが甚八であった。
「気にしない、気にしない。全く関係ないですよ。若は偶に責任感が強くなりすぎますな。どうせ若に矢が放たれていようが、いまいが、奴らは森人を捕らえたい故に、最後には必ず戦争になります。まあ、あんだけ別嬪揃いの森人を捕まえて
「まあ、否定は出来ないよな」
「でしょう? 下衆な話しですが、俺も帝国側ならチ○コ勃起させて突撃してますよ」
相変わらず下品だと
確かに藤亜も、森人は別嬪揃いという噂は本当だったと思い知らされた。
男も女も美形が多すぎる――彼らが保護した森人のほとんどが食糧不足で、痩せ衰えていたとしてもだ。
不意に二人の背後の草木から擦れる音が聞こえたが、甚八はそろそろ敵が見えてくるはずの山道から目を逸らさない。
藤亜は出迎えるために、音を立てぬようゆっくりと振り向いた。
どうせ、誰が来たかは分かっている。
「相変わらず下品な会話ですね。甚八様」
そう言って藤亜の背後に姿を現したのは、下忍として奇兵隊に参加している蘭とその愛犬である黒い魔狼のポチだった。
甚八は頭を掻きながら「相変わらず、視線が冷たい嬢ちゃんだねぇ」と言うが気にした様子もない。
藤亜と蘭が抱える厄介な事情を知っている甚八は、蘭が気兼ねなく喋ることが出来る数少ない人物でもあった。
「仕掛けは大丈夫か?」
藤亜は振り向いて蘭の無事を確認した。
今日の彼女は昨日のような軽装ではない。
下忍らしく黒を基調とした軍袴に身を包み、頭には十兵衛とお揃いの
「計画通りです。昨日の夕方、一緒に埋めた火薬の場所も再確認してきました。いつでも爆破できます。あとポチと確認しましたが、この正面斜面には敵の忍びや斥候兵の類いはいません。左の渓谷の底まで降りてから川を渡り、大きく迂回して背後に浸透したかと思われます」
――敵の斥候兵は必ずいるはずだ。
そう思い、藤亜は奇兵隊に警戒させていたが、敵は攻城戦より追撃戦の方を優先した。
帝国としては鳴り子城は大した障害ではなく、ただ純粋に森人を逃したくないようだ。
見くびられたものだと、藤亜は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「足跡はあったか?」
「二名分見つけましたが、古いものでした。土の崩れ具合から二~三日前の男性のもので、距離的には既に海岸には到達している可能性も。帰りの足跡がないため、潜伏しているかと思われます」
「分かった。蘭はこれから俺の傍にいろ。ポチも一緒だ。魔術による攻撃は基本的には俺の指示通りに。緊急の場合は自己判断で。火炎の呪符は何枚あった?」
「大中小合わせて七枚です。仕掛けた火薬樽に四枚使いますから、三枚余裕があります」
「他に何か攻撃用のはあるか?」
「防御用に矢除けが大中小合わせて十枚、土壁二枚、石壁二枚、障壁一枚。あと虎の子で仕入れた南蛮渡来の大雷撃術の巻物が二つあります」
「文字通りの虎の子だな。それ以外、蘭が魔力で直接放てるのは何回程度使える?」
「睡魔、泥濘、気弾、濃霧、閃光は威力と範囲によりますが、合わせて六~八回程度です」
「十分だ」
「若! 見えて来ましたよ」
甚八の舌舐めずりした囁きが、藤亜と蘭の会話を断ち切った。
藤亜は木々の影や上に潜んでいる二十名にも満たない部下たち。しかも、その半数近くは仕掛けた罠の近くで敵を待ち構えている。
彼らは事前の打ち合わせ通り、敵が罠の近くに来たら仕掛けを動かすことになっている。
甚八が火縄の先を取り出した火口箱の火種に押しつけた。細い火縄に燻るような火種が灯る。肩から袈裟懸けにした
藤亜と蘭も同じ作業で手落ちの銃に弾を込める。雷管と弾倉を使用した小銃は未だに開発段階であり、数少ない転生者たちがいろいと暗躍している最中である。
そうこうしている内に、藤亜の目にも山道をゆっくりと歩いてくる敵の一団が見えた。
彼らの先頭に騎馬は一人もいない。
統一性の欠片もなく思い思いの武具を身につけた黒髪の兵士たち――この周辺で掻き集めた五十名以上の傭兵や戦闘奴隷が、何やら騒がしく喚きながら山道を登ってくる。
露払いの捨て駒であることは明白だが、無視できる人数ではない。
鳴り子城がある山はあまりにも急斜面であるため、所々木々で見えぬ所があるが、上からはほぼ丸見えに近い。
敵との高低差は約百メートル、敵との距離も約百メートル。
酷く曲がりうねった道を考慮すれば、敵が詰めねばならない距離は三百メートル以上。
この距離と高低差が奇兵隊の命綱そのものである。
「若。いいですか?」
「ええ。甚八さん、お願いします」
「では、こちらの間合いで撃ちます」
その一言で、“居眠り”という渾名が嘘のような険しい表情で、長銃を膝撃ちの姿勢で構えた。
甚八は砲術を極めた銃士だ。
本人はどこの武家に従えていたのかは語らぬが、藤亜にとっては手放すことが出来ぬ――解雇後に敵になった場合、超人といえども容易には倒せぬ厄介な傭兵である。
その彼が狙うのは敵傭兵団の中にいる、最も見栄えの良い鎧を着ている者。
統率者か、最低でも戦争で金を稼げるだけの実力を持った強敵。
可能な限り、出会い頭に潰すべき敵である。
緊張感が張り詰める中、蘭は腰の革帯から一枚呪符を抜き取ると、右手の人差し指と中指で挟み敵方へと向けた。
甚八の初撃で戦闘を開始することは、部下が配置に付く前に徹底した。
伏撃する側が一々声を出していたら、
蝉の鳴き声だけが聞こえる数秒間が過ぎた後――。
前触れもなく乾いた銃声が一つ、鳴り子山に響いた。
狙われた傭兵の頭蓋骨の右側が弾けたように綺麗に吹き飛ばされる。
何が起きたのか分らぬ故に生じる一瞬の静寂。
やがて状況を理解した敵の一団から獣のような喚き声が上がり、彼らは怒りに身を任せて坂を駆け上が始めたが――。
その先の曲がり角に潜んでいた藤亜の部下たちが、火薬を詰めた樽を敵方へと転がり落とした。
敵の出鼻を挫く完璧なタイミングで転がり落ちる三つの木樽。
「よしッ! ――蘭!」
「はい!」
指示通りに動いた部下たちに喝采を上げた藤亜は、蘭に指示を飛ばす。
隠れていた茂みから立ち上がると、目を閉じて意識を集中させたのも一瞬。
「具現せよ、仮初めの鳥! 飛べ! 我が指先が指し示す場所へ!」
蘭が指に挟んでいた呪符を宙に放ると、それに無数の細かな切れ目が走り、紙細工のように鳥へと形を変えて飛んでいく。
蘭の指が示す先には敵方に突っ込んだ三つの樽がある。
樽に吹き飛ばされた敵兵が悪態を吐く最中、音も立てず隼のように急降下する仮初めの鳥。
それが突如、三つに分かれて炎を纏い、火薬と鉄くずを詰めて油で防水加工した樽に、炎槍のように突き刺さった。
三つの巨大な爆音が立て続けに鳴り響き、
樽に火薬とともに詰められていた大小様々な鉄くずが爆風とともに飛び散った。それは容赦なく呵責なく、目に見えぬ鋭い刃となって近くにいた全ての者の肉を切り裂き、吹き飛ばし、手足を引きちぎった。
「ぎゃあああああーーーー!!」
死を自覚した本能の絶叫が、手足を失い苦痛に正気を失い掛けた悲鳴が木霊する。
すえた硝煙の香り、鉄臭い血の匂い、燃え上がる肉の臭い。
土煙と黒煙、燃える炎と消えゆく命。
傭兵を一瞬で肉片へと変えた一撃。
腹を割かれた男が呆然と自分の中からこぼれ落ちた腸を見つめ、爆圧で目玉が顔面から飛び出た男はただひたすらに絶叫を上げ続ける。
鼓膜が破れた男は叫んでいるはずの自分の声が聞こえず、さらに狼狽して助けを求めて叫ぶ。
両足を失った戦闘奴隷は激痛に身を捩って泣き叫んだ。
その上無傷ですんだ幸運な者たちが、動けない怪我人を踏み潰して逃げ散る。
地獄のような阿鼻叫喚を心地よく聞きながら、甚八は次弾を込め終えると悦に浸った。
「これこそ、正に一撃必殺。完璧な一番槍。ここまで完璧なのは、一生のうちにあと何回出来ることか。いや~、満足満足」
藤亜は敵の動向に目を凝らしながら、敵の絶叫に青ざめて立ち尽くす蘭の手を強く握った。
少年は族滅を仕掛けるほど人を殺し慣れているが、少女は人を殺したこと自体が今日初めてだった。
「蘭、慣れろとは言わない。これは俺が君に命令してやらせていることだから。君に責任はない。だけど、この戦いが終わるまでは、俺のために我慢してくれ」
「うん」
その一言に、蘭は縋るように藤亜の手を強く握り返した。
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