第9話 降伏勧告

 加藤威史はユードリッド男爵の前を歩き、山道を一〇分ほど歩いたところにある空き地に臨時で開設された陣幕の中へと連れて行った。

 陣幕は使者と話すために城主が急遽用意したものなのだろう。屋根もなく、ただ周囲の視界を遮るだけの幕で囲った場所。

 ここが事実上、最期の話し合いの場である。


 中に装飾品の類いは一切なく、信玄椅子が二つあるだけだった。

 無論、その一つには城主である太田森須江之門おおたもりすえのもんが座っていた。

 壮年の城主は恰幅の良い体付きをしていた。丸太のように太い首回り、相撲取りのように膨らんだ腹、巌のような無骨な指。禿頭で太く長い眉毛、蛙のような大口が印象的。

 だが何よりも特徴的なのは、異様なまでに生気に溢れる存在感。


 身に付けているのは黒で揃えた南蛮胴具足。胴の部分を西洋鎧のように一枚板で作り上げた防御重視の一品。兜は数歩後ろに控える小姓が両手に抱えて立っている。

 それらの立派な武具を身に纏いながらも、彼は猫背のように背を曲げて腰から外した刀を支え棒のようにしていた。柄頭に両手を乗せ、さらにその上に顎を乗せていた。


「城主様、敵軍使ユードリッド男爵をお連れ致しました」


 幕の外から加藤威史の口上が響くと、太田森は鷹揚に返した。


「入れろ」

「はっ」


 加藤の後にユードリッド男爵が入ってくると、さも面白くなさそうに太田森は顎をしゃくった。

 城主の視線の先には信玄椅子が一つだけあった。

 その意味を正しく理解したユードリッドは無言で城主――つい数刻前に宣戦布告した敵の前に座った。


「で、何のようだ?」


 胡乱げな様子で太田森は問うた。

 だが、その視線は人を射殺せそうなほどに鋭い。


「降伏を勧告する」


 書状を手渡し、単刀直入に言うユードリッドだったが、陣内で驚いた者は一人もいなかった。

 無論、それは発言者本人も同じであった。

 城主は書状にさっと目を通し終えたが、先ほどと何も変わらず同じ口調だった。


「しなければ?」

「明朝、我々は総攻撃を行うことになる」

「それで?」

「お前たちは全滅することになるだろう」

「そうか」

「既に朝の会戦でお前たちの兵、少なく見積もっても三〇〇は倒した。この先にある山城に立て籠もっているのは多くても三〇〇程度だろう」

「そうかもしれんな」

「我らが本気で攻めれば半日も掛からぬ。攻城兵器がないと思うなよ。その程度は我らが魔術で代用出来る」

「大したものだな」


 太田森は何も興味が無いように応じた。

 彼が城主として確認したいことは、ユードリッド男爵が陣内に入ってきた時に確認し終えている。

 あとは全て、ただの時間潰しに過ぎない。


「自慢話はそれで終わりか。遠路はるばる極東の地にまで来て、言葉を交わす前にいくさを仕掛けてくるとは、オルデガルド帝国はよほど暇なのか、それとも現皇帝が救いようもないほどに愚かなのか。判断に困るな」

「皇帝閣下を愚弄するな。木っ端城主風情が。お主たちがエルフを匿わなければ戦いなどなかったのだ」

「やれやれ。気違い男爵と話すのは思った以上に骨が折れる作業じゃわい。帝国では森人はもはや薪か炭と変わらん扱いだな」


 太田森はユードリッド男爵のこめかみに浮かぶ青筋を面白げに眺めながら口角を曲げた。


「エルフの命だけが、この世界を救う篝火かがりびを灯すことが出来るのだ。そうでなければ全人類は死滅し、世界は滅ぶ。神州人は今が真の世紀末ということがなぜ分からぬ。帝国軍人としてはむしろ、そのことが理解できん。所詮、文明を持たぬ野蛮人というところか!」


 泡を吹きそうな勢いで叫ぶ男爵だが、その形相のあまりの余裕のなさに太田森は違和感を抱き始めていた。

 だが、目の前のユードリッド男爵と、その背後にいるオルデガルド帝国への怒りが、城主の中で揺らぐことはない。


「一応とはいえ貴国とは細々と回航船で貿易を行う間柄だった。儂が聞く限り、帝国は首狩り族ではなかった筈だが、こうまで落ちぶれるとは浅ましい! 他国のことながら、余りにも嘆かわしいものだな! 人類守護の錦を掲げていた一大帝国が老若男女を問わず、亜人を並べて首を切り落とし、その血で魔方陣を描いて人類を救う!? 一体なんの冗談だ!? 何から人類を救うのだ!? エルフを殺して、救世の術とする? 男爵よ! お前の言葉には矛盾しかない! 全ては帝国が他種族を根絶やしにするための言い訳に過ぎん!」


 怒りの余り言葉を失うユードリッド男爵。

 その鬼気迫る眼を睨みながら、太田森が山中に怒りを轟かせんとさらに吠えた。


「帝国の民は一人残らず正気を失った! 嘆かわしい! 人道を謳い、地獄門を閉じた英雄の子孫は今や地獄の鬼そのものだ! 罪深き欲と血と暴力に塗れ、過去の威光は地に落ちた!」

「い、今は……なんとでも、言うがよい。罵るがよい。悪名でも汚名でも喜んで受けよう。だが、我らが、我らだけが人類を救えるのだ。そうでもしなければ、人類は、あの大界獣には勝てんのだ」

「そのためだけに勇者として異世界から呼び寄せる少年少女を洗脳してな」

「…………」

「お前たちがやることなど手に取るように分るわ! 少女は犯しつくして心を折るのか? 少年には処女を並べて篭絡するのか? 大人は阿片に沈めて正気を奪うのか? どの方法でも困らないのだろう! ろくでなしの手練れどもよ!」

「我らはその献身に恩で報いる! 大界獣さえ倒せれば、彼らは自由だ。幾らでも褒美を与えよう! 土地でも爵位でも思うがままに我らは差し出す所存だ!」

「無意味な。踏み潰された心は元には戻らん。戻ると思う方が傲慢なのだ」

「それも正論であろう。だが数人の犠牲で国民が、人類が救えるのであれば、心を鬼にするまでだ」


 込み上げていた激情を抑え、座った眼で見上げてくるユーグリッド男爵の視線。

 太田森はそれを真っ向から睨み返したのち、さも面白くなさそうにぼやいた。


「ありきたりな反応だな、男爵。もう少し気が触れたように喚いてくれた方が面白いぞ。むさ苦しい中年の言い訳でも、何もない戦場であれば暇潰し程度にはなる」


 こんな台詞を素面で言える城主を、加藤は少し見直した。中年太りそのものの体形でいうと冗談のように滑稽な言葉だが、その語気には小なりとはいえ一つの集団をまとめ上げる長としての重みがあった。


「我は降伏勧告のために来た。命のやり取りは遊びではない」

「今この山で男爵の言葉ほど軽いものはないぞ」

「力なき言葉より虚しいものもあるまい」


 ユードリッド男爵が野獣の如き眼光を宿して呟く。

 だが、その程度。

 城主としては当初より織り込み済みである。


「男爵よ、何を勘違いしている? 今日は神州国とオルデガルド帝国の、数十年に渡る戦の火蓋が切って落とされた目出度き日だぞ。たかが一回二回勝った程度で満足されては困るな」

「狂っているのか……」

「馬鹿め。


 この一言でお互いに無言で睨みあう。

 やがて、城主の方から動いた。


「では、交渉決裂だな」


 さも当たり前のように告げた。

 これで明日は僅かな侍と足軽たちが守る山城に、完全武装の騎士団が攻城戦を仕掛けることが決まった。


「残念なことだ、オオタモリ殿」

「いいや、それほどでもない」


 茨十字騎士団の副団長は、今までの激情を収めようと一度大きな深呼吸をした。

 改めて畏まり、使者として口を開いた。


「ユードリッド男爵個人として、もう一度貴殿らに勧告する。降伏しろ。貴殿たちに勝ち目はない。我々茨十字騎士団はエルフ以外に用はない。貴殿らの降伏後は誰も殺さず、何も奪わん。エルフさえ捕らえたならば、我々は即ちにこの地から去る。道中、民草にも手を出さない。いま言ったことは茨十字騎士団副団長及び帝国の男爵である私自身として保障しよう」


 ユードリッド男爵の誠実さの裏に見え隠れする優越感が、太田森はこの上なく気に食わなかった。


「ご厚意、痛み入る。だが、我々神州国には森人と交わした古の約定があり、儂はそれに殉ずることを躊躇わん。約定のために、兵たちをここで死なすことも恥とは思わん。ましてや不意討ちを仕掛けてきた、お前たちの言葉は信じる気にもならん。我々はここで最後の一兵となるまで戦うのみだ」


 最後通牒になったこの会談に、ユードリッド男爵は深い溜息を吐いた。


「徹底抗戦を唱えるなら、ここで私を殺すべきであろう?」


 確かに、ここでの局地戦という意味では神州軍側が勝てる。

 超人級の騎士一人に対して、英傑級の若侍と超人の城主の二人掛かりだ。

 勝敗の行方はほぼ揺るがないだろう。

 無論、ユードリッドも大人しく死ぬ気はない。

 最低でも城主を道連れにする気でいた。

 その程度のことは馬鹿でも分かる。

 だから城主は、余計に面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「茨十字騎士団のように強盗もどきの真似をする気はない。儂のような不埒者でも、そこまで落ちぶれるのは中々難しくてな」

「……そうか。だが、何度でも言おう。これが、これこそが人類救済の為なのだ」

「その手段が森人たちを攫い、纏めて供物にして行う召喚魔術か。赤の他人の人生を狂わしておきながら正義を説く。純真で狂信的な善意とは、例えようがないほどおぞましいものだな。ユードリッド男爵」


 城主は加藤に軍使を見送るように指示しながら、侮蔑に満ちた視線で眺めた。

 ユードリッドと加藤が山道を下り、十分離れたことを確認すると、太田森は小姓から受け取った兜を身に付けて馬に跨がった。


 城主は即座に馬に鞭を入れて、城へと疾走させる。

 当初の予定通り、交渉は決裂した。

 太田森が確認したかったことは茨十時騎士団の疲労具合だった。

 敵が疲労困憊ならば闇夜に乗じて夜襲を掛けるつもりでいたが、余裕綽々のユードリッド男爵の状態を一目見ただけで諦めた。

 あれでは無理だ。

 むしろ不意を打たれて大損害を出した自軍を再編することを優先すべき事項。

 そして、それよりも重要なのは、森人エルフの族長との打ち合わせだ。

 古の約定に基づき、神州国として、苦境にある森人を救う。

 そのことに不満はない。


 太古の昔、人族に魔術を教え、魔獣から身を守る様々な術を教えたのは森人だとされている。

 人類や亜人を含む人族には、神々の奇跡を再現する神聖魔法しか存在しなかったらしい。

 その人族に魔術を教え、神々の末席から追放されたと伝承される森人。

 太田森須江之門にはそれが真実かどうかは分からない。

 ただ彼は、その伝承を信じている。

 信じているからこそ、躊躇うことがなかった。

 救いを求める森人たちを見たとき、いまこそ恩義に報いる好機だと決断したのだ。


 残念なことに彼が居る場所は神州国の中でも、海をまたいで最も西にある辺境の飛び地。

 魔獣対策のために哨戒線を構築する租借地の一つに過ぎず、元々神州国の民さえ多くない場所である。

 対岸の化外の島から、森人を運ぶために来る帆船は三隻の予定だ。しかし帆船はただの商船であり、兵が居たとしても大した増援は期待できない。

 本土からの本格的な増援は間に合わず、現地で臨時招集出来る民もほぼいない。


「奴らの首が討ち取れぬのであれば、せめて奴らも勝てぬようにせねばな……」


 太田森は既に今夜は茨十字騎士団の攻撃はないと確信していた。

 奴らは勝ちを確信している。であれば、敵には同士討ちや不慮の事故が生起しやすい夜襲を選ぶ理由がない。彼らは白昼堂々、隊列を組んで攻めるだけで勝てるのだ。


 むしろ、敵は森人の行き先を押さえるために関所の後ろへと少数の斥候を放つだろう。

 城の周囲は険しい地形で騎馬の機動は絶対に不可能なため、足の速い野伏レンジャーや盗賊などの冒険者まがいが出てくるはずだ。


 太田森は己が率いる神州国鎮西軍第八派遣隊、通称太田森戦隊がこの戦場で勝利を手にすることはないとは考えていた。

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