第253話 後押し

「あはは、ごめんごめん、ほら、拗ねないの。」

「うう、まったくぅ、少しは年上を敬えよ。」


 それは俺の恋人や友人たちが、いつも気にかけてくれることだ。


 紗代莉さんと俺が ”教師” と ”生徒” であるが故のジレンマは、決して拭い去ることは叶わない。

 今は桜庭さんが従姉妹のために一肌脱いでくれているが、彼女は俺より1年早く学園を卒業する。

将来は薬剤師を目指していて、薬学部がある県外の大学を志望しているそうだ。

そうなれば当然紗代莉さんは一人暮らしとなるわけで、俺は最低1年間は彼女の家に出入りすることなど出来なくなる。

 だから、今のうちに出来るだけ二人でいる時間を作るべきだと言ってくれているのだ。


「それじゃあ、俺はこれで失礼しますね。紗代莉さん、また連絡します。」

「ああ、分かった、私も連絡する、気をつけてな。」

「わたしは月曜日だね、清澄さんたちによろしくね。」

「はい、ではまた。」


 二人に別れの挨拶をして家の外に出ると、ドアが閉まりカチャリとロックする音が耳朶じだを打った。

たったそれだけのことで紗代莉さんが手の届かない所に行ってしまったような寂しさに襲われるのは、いつでも傍に居たいという想いが強すぎるが故だろうか。


「俺は諦めませんから。」


 俺と紗代莉さんが寄り添っていられる手立ては、きっとある筈だ。

桜庭さんに安心して自分の夢を追ってもらうためにも、探し出して見せねばならない。

俺は姿の見えない二人に一礼して、駅へと足を向けた。




 我が家に帰りつき玄関ドアを開けて中に入ると、たたきに女性物のサンダルが1足、丁寧に揃えて置いてあった。

先ほど彩菜にメッセージを入れたところ、皆、清澄家に食事に行き、そのまま団欒しているとのことだったけれど、あの子だけがこちらに来ているようだ。


「ただいま、アディー。」

「ひゃっ?! お、お兄さま、お帰りなさいませ。」


 リビングに入り声をかけると、アデラインはなぜかビクンと飛び跳ね、ドギマギした様子で迎えてくれた。

彼女は一人、ソファーで読書をしていたようだが、ただそれだけのためであればお隣を抜け出して来る筈はない。

 俺はアデラインの隣に腰を下ろし、彼女に理由を問うてみた。


「一人でどうしたの? 俺に何か用事があるんだよね。」

「は、はい、その…、用事、と言いますか、何と言いますか…」


 いつも明朗闊達な彼女にしては珍しく、目線が定まらず頬を桜色に染めてもじもじするばかりでどうにも要領を得ない。

手元の文庫本を仕切りに弄び、心ここに在らずと言った感じだ。

アデラインがこのような様相を見せると言うことは、つまり…


「アディー、美菜さんに何を吹き込まれたの?」

「な、ななな、何のことでしょうか?!」


どうやらビンゴだったようだ。


 早くも観念したアデラインの供述によれば、皆で食後の会話を楽しんでいたところ、いつの間にか俺と恋人たちの夜の営みの話になったらしい。

流石に皆、美菜さんの前で赤裸々に語ることまではしていないだろう(と信じたい)が、話の流れでアデラインと俺がキスしかしていないことが大きな話題となったようなのだ。


「美菜さんに、私の押しが足りないと言われまして…」

「それで、まずは俺と一緒に風呂に入って来いと言われたわけか。」


 しかも、彩菜、涼菜、愛花の三人からも、我が家の式たりだからと後押しされたのだとか。

たとえ揶揄い半分だとしても、彼女たちがアデラインのことを認めているが故なのだろうが…。


 どうしたものかと思案していると、やにわに彼女が縋りついて来た。

突然のことに驚きはしたが、直ぐに頭が冷えた。

その表情は、まるで捨てられることを恐れているかのように見えたのだ。


「あ、あの、私はまだ未熟かも知れませんけど、お兄さまのお傍に居たいという気持ちは、皆さんに負けていません。ですから、お願いです、私も皆さんと同じように…」


 彼女は俺を見上げて、今しがた見せていた様子とは違い、今にも泣き出しそうな面持ちで懇願した。


 ここで俺を待つ時間が様々な事を考えさせたのだろう。

アデラインがどれほど俺を信じてくれていても、彼女の奥底にある恋愛への不信感を取り除くことは容易たやすいことではない。

けれど俺は、この子に心の底からの安らぎを与えると誓ったのだ。

ならば、俺がすべきことは決まっている。


 俺は目を閉じて呼吸を整える。

やがて瞼をゆっくりと上げ、アデラインを真っ直ぐに見つめて笑顔を向けた。


「手を離してくれる? 風呂の準備をして来るよ。」


彼女は翠眼を潤ませて、俺を見つめ返してくれた。


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