Episode.3 饒舌な奇談蒐集家

セージュタイラー《前編》


  * * *


  しょうらいのゆめ

   一年一くみ 野沢せいじゅ


 ぼくのゆめは、おばけのパレードです。お父さまやしんせきのシロウはものしりなので、ぼくにたくさんおばけのはなしをしてくれます。


 おばけのパレードは百鬼夜行です。パレードのさいごに、おばけはみんなぢごくへかえらなくてはいけません。だからパレードのあとは、かならずぢごくのもんがひらいて、だれでも入れるようになります。


 スージーとシロウはぼくの一ばんのみかたです。

 ぼくが大人になってもぢごくへ行きたいと思っていたら、ぢごくのもんをあけるのを手つだってくれるとやくそくしてくれました。


 ぼくはぢごくにじぶんのおうちをつくりたいです。そこは一ばんぼくにあっているとおもうからです。


 ねったい雨林の木はさむいくにでは生えません。でも、ねったい雨林の木のなえをさむいくにからねったい雨林にかえせば、木はまた元気になるそうです。

 ぼくは、そんな木のようにぢごくへかえりたいとおもいました。二年生にはなれなくてもいいです。でもぢごくにがっこうがあったら、がまんしてまい日かよいます。


 スージーたちは、きっとしんだら天ごくに行くから、ぢごくにあるぼくのいえには来れないかもしれません。おわかれするのは、すこしさみしいです。


 でもそれは、みんないつかしぬから、しかたないとおもいます。おしまい。



  * * *



 確定申告を終えたセージュが自宅で慰労パーティーを執り行ったのは、3月の半ばである。セージュが希望していた2月末より遅れてしまったのは、1月から2月にかけてコロナウィルスの感染者が爆発的に増加したことが原因だった。2月中ずっと、セージュは不貞腐れていた。


 本日の集まりを「慰労パーティー」と呼ぶのは主催のセージュだけで、ゲストの大半は「平犀樹の離婚記念パーティー」と認識していた。


 野沢須恵子のざわすえこもその例に漏れない。彼女はアルバイトのシフトの都合から、他の参加者より一足早くたいら邸へと到着した。

 普段はメイドが使う更衣室でドレッシーなパンツスーツに着替えると、北斗と焼きたてのスコーンが待つリビングへと向かう。少しだけデコルテが覗く華やかなシフォンブラウスは、今日のために用意したものだ。カラーはいくつか選択肢があったが、迷いもせずルージュを選んだ。


「ねえ伊勢谷くん、今日はとびきりのお宝を持って来たのよ」


 まるで悪巧みをする子どものように楽しげな表情を浮かべながら、須恵子は何の変哲もない封筒を北斗にひけらかした。

 年季の入ったモスグリーンのソファに隣り合って座り、須恵子に促されるまま北斗はそれをそっと開く。


 中から出てきたのは、ミルクティーのような淡い色の髪を肩まで伸ばした少年の写真だった。どこか見覚えのある癖毛のため、すぐにそれがセージュとわかる。


「若の昔の写真って初めて見ました。意外と普通にランドセル背負ってるものですね」


「全部親戚の子のお下がりだから、持ち物も着てるものもボロボロだったけどね」


 焼き上がったばかりのスコーンを両手で割りながら、須恵子は懐かしそうに目を細める。

 飴色のカフェテーブルに広げられた写真は、須恵子が実家から持って来たものだった。どれも須恵子に見覚えのある背景だから、彼女の父や叔父などが気まぐれに撮ったのだろう。


 セージュが幼い頃に使っていたものはもともと数が少なく、須恵子はてっきりもうないものと思っていたのだが、作文や絵、習字の作品や彼を映した写真などは、意外と多く実家の物置部屋に残っていた。


「この写真なんて特にえてるでしょう。こういうカメラ目線の写真はね、良い子でお澄ましできたら明日学校行かなくていいぞって言って撮ったんだって。我が父ながらとんでもない餌でつったものだわ」


「でも、楽しそうなご家庭に感じますよ」


 北斗は苦笑しながら、須恵子が指さした写真を慎重に手に取った。フィルム写真に触るのは随分と久しぶりだ。

 ダリマがよく言っている通り、そこに写っているのは確かに「くるくるでふわふわ」と称するにふさわしい、軽やかな印象の少年だった。しかし軽やかすぎて、なんだか病人のように儚くも見える。今より色素が薄いせいもあるのだろうが、半透明に透けているのではないかと疑うほどだ。


「わーお、スージーじゃん。久しぶりィ。まだあけおめ言ってなかったかァ?」


 上階から降りてきたダリマは寿恵子を見つけると、へっへと笑いながら大きく両腕を広げた。須恵子も彼女の声を聞いた途端、嬉しそうに「ダリマちゃん」と声を上げる。ソファから立ち上がってダリマを抱きしめ、彼女の汚れたつなぎの上からぽんぽんと優しく黒い髪を叩いた。


「離婚おめでとう。これで私たちまた独女ドクジョ仲間だね」

「あんがとね。やっぱあたしにゃ御一人様が最高だわ。なぁダーリン」


 やや遅れてリビングへ入って来たセージュはスマートフォンを見つめていたが、ダリマに呼びかけられ、セピア色の長い髪を揺らしながらテーブルのほうへと視線を移す。ややあってから、うん、と頷き、どこかあどけない笑みを浮かべた。


「別世帯夫婦ならもっと気軽なものかと思っていたのに、そうでもなかったから、なんだかすごく幸せな気分。婚姻のシステムって本当に僕たちに合っていなかったね」


 彼らが離婚届を提出しに行くのには北斗も随行した。実に簡易な手続きだったが、それが受理された途端、二人が大いに喜び映画のクライマックスさながらの抱擁をしたものだから、戸籍課の別の職員や順番待ちをしていた人々から婚姻届を出した夫妻と勘違いされ、最後には温かい拍手を送られながら退場したのだった。北斗はただ横でその様子を眺めていただけだったが、なかなか稀少な場面に立ち会えたと思う。


「なーに、昔の写真?」

「そうよ、セージュくんのね。こういうのって、ダリマちゃんも見たことないんじゃないかな」

「うん、初めて見たわ。でもスージーとのツーショがないじゃん」


「私はこの時はもう一人暮らしだったからね。探せば集合写真みたいなものはあると思うけど、ツーショットは撮った記憶がないなぁ。あ、でもツーショットといえば、むかし亡くなった母から聞いたんだけど。野沢さんちの神社に天使みたいな子がいるって評判になって、狛犬の横にセージュくん立たせて写真撮るのが流行ったんだって。その写真に御利益があるとかで。本当に効果があったのかは知らないけど」


「誰も狛犬と天使が変な組み合わせだとは思わなかったのかな」


 セージュはまるで他人事のように首を傾げる。北斗は当時のことをいくつかセージュに尋ねてみたが、少なくとも狛犬の横に立たされたことはよく覚えていないらしい。


「ああ、そうだ。大事なことを忘れてた。あのねセージュくん、田舎から昨日電話があったんだけど、今年は紫郎しろうくんの三十三回忌なんだって。情勢次第だから会食はしないかもしれないけど、お墓参りにはセージュくんも来てね。私もすっかり高齢者の仲間入りしてるけど、それでも末っ子の須恵子だからうちじゃ若いほうでしょう? こんな疫病の中を生き延びなきゃならないし、私も姉さんたちも次の三十七回忌を迎えられるかわかりゃあしない。だから、あなたのことは頼りにしてるわよ」


 須恵子の声は幼子へ言い聞かせるような響きを孕んでいたが、セージュはそれを冗談とは受け取らなかった。ただ「心得た」という表情でこくりと頷いて見せる。


「もちろん。野沢さんがマンションで孤独死したら僕が部屋ごと買い取って、大家さんにご迷惑のかからないようにするという約束は必ず守ります」


「あのね。それはもちろんありがたいけど、そっちのよろしくじゃないの。こんどの法要と三十七回忌と、紫郎や私のお墓のほうを。どうか末永くよろしくお願いします」


 須恵子はわざとらしいほど神妙な顔つきでセージュをねめつける。

 須恵子のまっすぐな眼差しは、セージュにとって、ときに真夏の真っ白な日差しのようだった。彼女に後ろめたいことは何もないが、無性にその瞳から逃れたくて、セージュはほんの少し俯き、頷いたふりをする。白いブラウスの腹のあたりを握りながら、一応「はい」とだけ答えた。


「あー、あたしも甘いの欲しい。タイラー、ショコラショ作ってよ。ほくちゃんが作るやつはなーんかパンチが足りないもんで」


 ダリマはよく北斗のことを「ぼくちゃん」と揶揄うように呼ぶが、今日は「ほくちゃん」の気分らしい。セージュは了承の言葉を返す代わりに、ダリマの肩に軽く右手を乗せ、静かにキッチンへ向かった。




 ――お墓は嫌い。何の希望もなくて、ただの無意味な石の塊のくせに、もう手に入らないものばかりを思い起こさせる。


 チョコレートバーの包装を剥がし、琺瑯ホーローのミルクパンを用意しながら、セージュは下唇を噛んだ。そのままぐっと息を止め、両の手でバキバキとチョコレートを細かく砕く。

 念入りに、小さくなった欠片を拾い上げて更に折る。何度も砕き、何度も折り、小さく、細かく。


 そうしているうちに、ふと、鼻腔の中にミルクチョコレートのまろやかな芳香を見つけた。

 どうやらセージュが呼吸をしなくとも、カカオとミルクの濃厚な香りは勝手に鼻から侵入し、自らの存在を無遠慮に主張するものらしい。


「もう。ダリマみたいに」


 肩を落とすように、はぁ、と大きく息を吐いた。

 直接チョコレートの欠片を口に含んではいないのに、なんだか口の中が少し甘い。セージュはぺろりと唇を舐めてみたが、味はよくわからなかった。

 キッチンはとっくにチョコレートの香りで充満していて、舌の上の微かな甘味など、もはやわかりようもなかったのである。

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