3-12
後ろ髪を引かれながらも校舎裏にたどり着くと、泰明の姿をすぐに見つける事ができた。
でも……
泰明を取り囲むように他にも数名の姿があった。浜田、大橋、柴田、阿部の四人。
物々しい雰囲気に声をかけるべきか、引き返すべきか考えていたら、泰明が俺に気がついて声をかけてきた。
「おーい!待ってたぞ涼!」
泰明の呼び掛けのせいで、気がついた四人の視線が一斉にこちらを向いた。
もう逃げ場はない。もしかしたら俺はこの場で袋叩きにされるのかもしれない。
なぜ、そう思ったのかと言えば、あの日の試合の後、俺の誹謗中傷をしていたと思われる四人だからで、今日の試合中も、あからさまに俺を避けていた四人だったからだ。
でも、それは仕方がない事なのかとも思った。俺のしでかした事で、彼らの中学野球は終わった。
俺はそれを一言も謝っていない。一言も告げる事なく彼等の存在しない聖域に一人、俺は逃げたのだ。
そんなどうしようもない俺に、彼等は一日貴重な休みを提供してくれた。
彼等にとってその行為は、泰明の為なのかもしれない。でも、たしかにそこに彼等の優しさはあったのだ。
それならば……一発ずつくらいなら黙って殴られよう。そう覚悟を決めて五人と正面から向かいあう。
ここに俺を呼び出したのは、泰明だ。
きっと、泰明も俺の事を恨んでいたのだろう……そうでないならば話の辻褄が合わない……
……いや、そりゃそうだよな。
今までは、泰明の優しさに甘えていただけなのだと気がついてしまった。
心配して、何度家に来てくれても追い返していたのに、自分の都合のいい時だけ協力をお願いした。
優しい泰明であっても、怒るのは無理もない。
この人数では俺の体が持たない。……二、三発で勘弁して貰おう。
そして、謝ろう。許してもらえるまで。
「おっ、おう。ちょっと、待たせちゃったか?」
覚悟は決めていたはずなのに、目を見て話そうとすると口がうまく回らない。
「いーや、全然待ってないよ。俺達も今きた所だから」
泰明はそう言いながら四人の間を掻き分け、こちらに歩み寄ってきた。
いつもと変わらない様子の泰明の姿に違和感を覚える。
きっと、これから行われようとしている事とのギャップに。
「やすみちゃんは待たせといて大丈夫かい?」
こんな時でも泰明から出てきたのは、やすみを気づかう言葉だった。
泰明はどこまでいっても優しい。せめてもの心使いがありがたかった。
「あーそれは大丈夫だ。母親が迎えに来るって言ってたから。なんか悪いな」
「そっかそっか。それなら良いのだけどね。待たせるのは悪いから。
……じゃあ、さっそくだけど本題に入らせて貰ってもいいかな?」
本題。最後まで言わなくても十分に伝わった。
あの日から今日まで、俺は逃げ続けた。
その挙げ句に今日という茶番にも付き合わせてしまった。
「……ああ。覚悟はできてるよ」
「覚悟?覚悟を決めるのは俺達のほうだとも思うんだけどね」
たしかにその通りだ。俺なんかの為に手を下す。レールから外れた人間一人の為に、正規ルートに乗っている人間が手を下す。下手をすれば、自らの居場所を失うかもしれない。
それはきっと、とても覚悟のいる事だろう。
でも、そんな覚悟は必要ない。
俺は訴えるつもりは毛頭ないし、彼等のなすがままにされるつもりなのだから。
言い終えて振り返ると、後ろで待機していた四人を呼び寄せるように手招きをした。
泰明の指示に従うように、四人は躊躇を見せながらもこちらへと歩み寄ってくる。
その四人の姿を確認して、俺は目をつむり一言だけ呟いた。
「好きにしてくれ」と
コンクリートを蹴る、四人の乾いた足音が近づいてくる。俺はさらに強く目をつむった。
「涼、目を開けて聞いてほしいんだ」
「いや、このままでいい」
「そうか。涼がそれでいいなら……じゃあいいかみんな?」
泰明が小声でせーのと音頭をとり、五人の呼吸がピタリと一致して……
「「「「「すいませんでした!!」」」」」
息の合った五人の絶叫は、俺が予想だにしなかった以外なものだった。
驚いて目を開き五人の姿を見据える。そこには深々と頭を下げる五人の姿があった。
「えっと……どういう事?」
唐突な事に理解が追い付かず、どんな意図があるのかと泰明に問う。
泰明は神妙な面持ちを保ったまま顔を上げ、こう言ったのだ。
「俺達は本当に大変な事をした。涼がどれほど深い傷を追ってしまったのか、加害者の俺達にはよくわからない。でも、今謝っているこの気持ちだけは本気なんだ。なあ、みんな?」
呼び掛けに応えるように、四人が顔をあげる。
四人、一様にばつの悪そうな顔をしていた。
その中の一人、浜田が口を開く。
「ここ半年間、ずっと悪い事をした。そう思って過ごしてたんだ。
この期に及んで嘘はつきたくねえから正直に話す。その気持ちは後悔だった。
あの時、高木が居なくってしばらくたつまでは、自分達は正しい事をしたんだ。高木は当然の報いを受けたんだ。気がつくまでは本当に、そう思って過ごしていたんだよ俺達はよ」
ここまで聞いて、五人が俺に何を伝えたいのか、ぼんやりと輪郭が見えてきた。しかし五人が俺に謝る必要はあるのだろうか?
俺の取った行動で、野球部のみんなが怒るのは仕方のない事だと俺は思う。
陰口を言われようと、今この場で暴力を振るわれようと、その考えがぶれる事はない。俺は受け入れる。
なぜ俺は、謝られているのだ?どっきり?実はそんなこと思ってませんでしたー!
そう言われても納得できてしまう程には、彼等が謝る理由が俺にはわからなかった。
「……どうして?謝らなきゃならないのは俺のほうだ」
「涼、それは違う」
次に口を開いたのは阿部だった。
「謝らなければならないのは俺達の方だ。決勝まで行けたのは泰明、そして涼がいたおかげだった。それなのに、俺達は自分たち個人の力だと勘違いして涼の事を追い詰めてしまったんだ……」
「こんな事で、涼が許してくれるとは思っちゃいない。でも、もしそれで涼の気が少しでも晴れるなら、僕を殴ってくれ」
阿部に続けて口を開いたのは大橋だ。
それは違う。殴られなければならないのは俺のほうだ。
「俺達は勘違いしたまま高校に行って、痛い目をみた。そして気がついたんだよ。あそこまで連れていってくれたのは高木。お前の力があったからだったんだってな」
最後に口を開いた柴田はそう言った。
それも違う。勘違いしていたのは俺のほうで、泰明と張り合おうとなんかしなければ、あんな結果にはならなかったのだから……
「それは違う。全部俺が悪いんだ。みんなが気に病む必要はなかったんだよ。俺が自分勝手な行動をして、その結果がみんなの集大成を示す場を奪ったんだ」
「涼。正直に話すと、あの時手を出してくれて俺はほっとしたんだ。
もし、俺まで回ってきていたら……打つ自信はなかった。ネクストで震えていたんだよ俺は。
プレッシャーに押し潰されそうになりながら。
打て打て、俺はずっとそう念じていた。そして涼が手を出した。正直負けた瞬間、ホッとしたんだよ。肩の荷が降りたんだなって。これで俺が責められる事はなくなったんだなって。
その感情を悟られたくなかったからみんなと一緒になって涼の陰口を言って涼を追い詰めてしまった。
全部悪いのは、最低なのは俺なんだよ」
意外だった。ずっとヒーローだと思っていた泰明が胸に秘めていた感情。
驚いてるのは、俺だけじゃない。
この場にいる全員が泰明を見つめていた。
「それ……本気で言ってるのか?」
「……本気だよ。軽蔑して貰っても構わない。いつも……期待されていたのは、正直苦痛だったんだ」
思いもしなかった泰明の告白に、誰もが息を飲んだ。
そして、訪れる沈黙。誰もが次に言葉を発する事を躊躇しているようだった。
しかし……
「みんながみんな、悪いと思ってるんでしょ?それだったら、それぞれがそれぞれを許してあげればいいじゃない?違う?」
俺の背後からその声は聞こえてきた。
よく知った。少女の声、やすみの声だった。
それぞれがそれぞれを許す。それはとても簡単なようで難しい事だ。俺はそう思った。みんなはどう思っているのだろう?
誰もがやすみの問いに答えようとはしない。きっと俺と同じように、それは難しい事だと理解しているからだろう。
「最初に謝らせて貰うね。ごめんなさい。聞くつもりはなかったの」
やすみはそう言ってから一つ、可愛らしい咳払いをするとこう続けた。
「私はね、そんなに難しい事だとは思わない。だって、こうしてお互いの腹の内をさらけ出して、本来なら聞かれたくない部分すらも語れて、お互いを思いやってみんながみんな自分を責めてる。……あっ!そっか、そういう事なんだね。うんうん。」
やすみは一人で話して一人で何かを納得したかのように頷く。
「私ね気づいちゃった。
みんながみんな、自分の事を気に病んでいるんだから、それぞれがそれぞれを許すんじゃない。それぞれが自分自身を許してあげればいいの。それでチャラ……にならないかな?
部外者の私が口を挟むのはおかしい事かもしれない。でもね、お互いがお互いを、ここまで思いあっているんなら、きっとできるはず」
やすみが口にしたのは、めちゃくちゃな理論。荒唐無稽な理論だ。
でも、賛同しようと思えた。
やすみの言う通り、ここにいるみんなは、何事にも変えがたい仲間なのだから。
少しすれ違っていただけなのだから。
「……みんな聞いてくれ。俺は、俺を許す努力をしようと思う。そしてまた、俺と野球をしてくれないか」
泰明、浜田、大橋、柴田、阿部はお互いに顔を見合わせると示し合わす訳でもなく頷いた。そして、こう言ったのだ。
もちろん、と
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