41、扉

         ‡


 こっそりと屋敷に戻った私は、一睡もできないまま朝を迎えた。

 身支度を手伝うヨハナが、心配そうな顔をする。


「ルジェナ様? 具合でも悪いのですか?」


 一晩考えた私は、まず最初の嘘をついた。


「実は……少し、頭が痛いの」

「そうだったんですね! やっぱりおかしいと思いました」


 こんなに心配してくれるヨハナに嘘をつくのは心苦しかったが、なんとか続ける。


「それで今日は、自分で薬を作って寝ていようと思うのだけど、いいかしら」

「もちろんです! でも、大丈夫ですか? なにかお手伝いできますか?」

「大丈夫よ……ありがとう。ミレナさんにも、今日のレッスンお休みしてもらえるように言ってくれる?」


 ヨハナは頷いた。


「何かあったらいつでも言ってください」


 では、とヨハナが出ていくのを見送った私は、急いで調剤室に向かった。

 とにかく自分にできることをしようと思った。

 その上で、ダリミルが来たことを誰にも言わずここを出ていくと決めた。


 ——怖かったのだ。


 まさかとは思うけれど、話すことで本当にダリミルがみんなに毒を飲ませたらと思うと。

 それに。


 ——そもそもは私がここにいるから招いた出来事。


 そう思うと、胸が苦しくなった。

 私のせいでみんなに迷惑をかけてはいけない。巻き込みたくない。

 こんなによくしてもらったのに。

 だから、私がなんとかしなくては。


「えっと……あった、よかった」


 調剤室についた私は、ボリーという薬草を使い、手早く、粘性の高い液体を作った。

 ボリーは、その特徴的なネバネバを利用することが多い薬草だ。思い切り粘度を高めれば、小動物を捕まえるときのトリモチにも使える。

 今回はそれほど粘度は強めず、広範囲に広げられる程度に調節した。濃い色の土を混ぜれば、完成だ。


「これくらいしか、できないよね」


 ダリミルの毒が何かわかれば毒消しが作れるかもしれないと一晩中試作品の処方箋を考えていたのだが、やはり不確実なものしかできないと諦めた。毒に即効性があったら、間に合わないのだ。


 ——やはり直接奪うしかない。


「お母さん、おばあちゃん、おじいちゃん……力を貸して」


 祈るしかなかった。


      ‡

 

 調節室から出た私は、建物の裏に回り、誰にも見つからないように井戸の近くの林にボリーを広げた。

 誰かが外からきたら足跡がつくように。

 不審なことがあればすぐわかるように、三日後まで何度もチェックするつもりだ。

 安心はできないが、これで一旦調剤室に戻ろうとした私に、


「ルジェナさん? そんなところでどうしたのですか?」


 通りがかったミレナさんが声をかけた。


「具合が悪いのでは」

「ミ、ミレナさんこそどうしてこんなところに?」

「見回りです」

「そ、そうですか、えと、私は調剤室から戻るところで……」

「具合が悪そうですよ。横になった方がいいのでは」

「はい、すみません……そうします」


 申し訳なさを感じながら私は頷く。嘘なんかついて、本当にごめんなさい。

 では、と歩きだすミレナさんにハッとして付け足した。


「あの」


 ミレナさんはすぐに立ち止まって振り返る。


「明日も、レッスン休んでいいですか?」


 ミレナさんはわずかに眉を上げた。


「構いませんが、どうしたんですか?」


 私は後ろめたさから一気に言う。


「体調が戻ったら、調剤室の整理をしたくて。エーリク様が帰ってくる前に」

「わかりました」


 ミレナさんはすんなり頷いて、付け足した。


「もうそろそろお戻りになるとは言ってましたが」


 以前の手紙に書かれていたことを思い出して、私は言う。


「あと、一週間はかかるそうです」

 

 最後にエーリク様の顔が見れないのは寂しいけれど、見ると余計辛いからそれでよかったのかもしれない。

 そんなことを考える私に、ミレナさんは首を傾げた。


「ルジェナさん?」

「はい」

「何か困っていることがあれば、相談に乗りますが」


 一瞬、身を固くした私だが、首を振った。


「い、いいえ……なんでもないです」

「そうですか」

「でもミレナさんの気持ち、本当に本当に嬉しいです」


 そこだけは、嘘ではない。


「いつでもおっしゃってください。では」


 立ち去るミレナさんの背中に、私は深々とお辞儀をした。


          ‡


 手ぶらで毒も使わず帰ってきたダリミルに、フランツは優しかった。


「三日後に森の入り口? はーん、よかったじゃん」


 もはやどちらが上司かわからない口の利き方だが、ダリミルも咎めない。むしろほっとしたように言った。


「使わないに越したことないだろ。ルジェナが戻って来ればいいんだ」


 単純だなあと思うが、元よりダリミルに対して期待はしていないフランツだ。


「いいんじゃないの」


 無責任ににっこり笑った。

 こちらの狙いは別にあるのだ。


          ‡


「本当に放っておいていいんですか」


 何回も何回も井戸の周りの様子を見るルジェナを、建物の影から見守っていたクルトは、隣に立つミレナにそう呟いた。


「お一人でなさっている分には、そっとしてあげてください。不審者が来たらその限りではありませんが」

「でも、ルジェナさん、顔色悪いですよ」


 ミレナは、ルジェナから視線を外さずに頷く。


「その人がその人であるには、理由があるんですよ」

「は?」

「どんなに正しいと思っても、その人がそうだと思っていることを変えることはなかなかできません」

「つまり、あのまま放っておくしかないってことですか」

「どんな事情があるかはわかりませんが、今は何を言っても追い詰めるだけでしょう」


 クルトは呆れたようにため息をついた。


「さっぱりわかりません」


 ミレナはルジェナを見つめたまま続ける。


「私たちが思った以上に、ルジェナさんは辛い思いをしてきたんですよ」


 クルトは不満そうだ。


「でも今は違うでしょう?」


 そうですね、とミレナは言う。


「でも、扉が重ければ重いほど、手を離せばすぐに閉じてしまうものです」

「もう開けられないってことですか?」

「いいえ、それ以上の力が必要なだけです……ほら」

「って? え?」


 クルトは自分の耳を疑った。

 遠くから、馬車の音が響いてきたのだ。

 ルジェナも驚いたように音の方向を見ている。


「旦那様? こんなに早く?」

「どれほど飛ばして来たんでしょうか」


 ミレナは笑った。


「さ、こじ開けてもらいましょう」


          ‡




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