38、いい話
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エーリクがコスタロヴの訃報を聞いたのは、その翌日だった。
「こういう服は苦手だ……」
教会でエーリクは呟く。葬儀に出席するための式服が窮屈なのだ。
「意外とさばさばしてますね」
同じく式服を身に付けたベルナルドが隣で囁く。エーリクは微笑した。
「前を向いていると言ってくれ」
「左様でございますか」
「そっけないなあ。まあ、いつものことか。それにしても、すごい人数だ」
「筆頭宮廷薬師ヨナタン・フゴ・コスタロヴの葬儀ですから」
エーリクがベルナルドとそんな会話が出来るくらい、大聖堂はざわめきに満ちていた。一人一人の声は小さいのだが、かつてないほど大勢の貴族が参列しているせいで静粛さが薄れている。
「平民の参加は固く禁じられているんだってね」
エーリクはむしろ楽しそうに言った。
「故人の遺志だそうです」
ベルナルドは感情を交えずに答える。
「では、私は棺を運ぶのを遠慮しよう。ここから見送って、失礼するよ」
かしこまりました、とベルナルドは頷く。
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大勢の弟子たちが、棺を墓地まで運ぶのをエーリクは高位貴族が並ぶ列から見送った。
「先頭で棺を持っているのはどなたですか」
隣のカーティスが小声で尋ねる。エーリクは淡々と答えた。
「オルジフ・ランゲ。王都周りの施薬院や治療院の院長をいくつも兼任している男です、殿下」
「なるほど……そうなりましたか」
「ええ」
ランゲを先頭に担がれたコスタロヴの棺はどんどん先に進み、すぐに見えなくなってしまった。
エーリクは呟く。
「帰ろう……村へ」
白樺の林に囲まれた、あの風景が無性に恋しかった。
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「コスタロヴ先生が亡くなった? 嘘をつくな」
フランツがコスタロヴの訃報を聞いたのは、葬儀を何日も過ぎてからだった。
「いえ、本当ですよ」
教えたのはパウルだ。
そのためにわざわざ、工房の裏にフランツを呼び出した。
「いや、きっと何かの間違いだ」
聞く耳を持たないフランツに、パウルは同情するように言う。
「薬草組合から回ってきた至急の知らせなんで、まだご存じないのも無理はありません」
「……そんなはずはない」
「お気持ちお察ししますがね、ほれ」
信じようとしないフランツに、その知らせが載った紙を見せた。そこにはコスタロヴ逝去の事実が端的に書かれている。
フランツはやっとの思いで口を開いた。
「後継者は……? 先生の研究は誰が引き継ぐんだ?」
パウルはしたり顔で言う。
「噂なんですがね、ランゲという男が次の筆頭宮廷薬師だそうですよ。妻帯していなければ下のお嬢様との結婚も考えていたほどの一番弟子だそうで」
「……一番弟子? ランゲが?」
「ええそうで……ひっ」
パウルは思わず息を呑んだ。こめかみをピクピク引きつらせたフランツが、一瞬にして顔色をどす黒くし、刺すような険しい目つきでパウルを睨みつけていたのだ。
「ランゲが……あの男が……なぜ?」
その言葉はもはや、パウルに向かって出されていない。
「先生のために何ひとつ動いていないあの男が……?」
「さ、さあ? では私はこれで! 失礼します!」
パウルは逃げるようにその場を立ち去った。
一人残されたフランツは、ふらふらと自室に戻る。
「……誰のせいだ?」
言いながら、普段は鍵をかけている机の引き出しを開けた。小さな薬瓶を取り出す。
「誰が悪い?」
薬瓶には、緑色のとろりとした液体が入っていた。
「……私ではない」
フランツは、引き出しから、もうひとつ、別の薬瓶を取り出した。そちらは水のような透明の液体が入っている。
「私はよくやっていた……そうだ、私は頑張っていた」
両方の薬瓶を手に、フランツは頷いた。
「悪いのは……エーリクだ」
——あいつが、こんなところに王立研究所なんか作ったから。
そう考えると、すべてが腑に落ちた。
「そうだ、そうなんだ。あいつのせいだ。全部、あいつが悪いんだ」
——だからすべて間に合わなかった。ランゲなんかに奪われた。先生に、死の間際まで叱責された。あいつがすべて悪い。
「お仕置きが必要だ」
フランツは、打って変わったように穏やかな表情になる。
「どうしようかな」
愛しげにふたつの薬瓶を見つめながら呟いた。
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その翌日。
「ダリミルさん、ちょっといいですか」
「なんだ?」
「いい話があるんです」
ダリミルはフランツにそう声をかけられた。
「いい話? なんだそれ」
「とっても、いい話ですよ」
フランツは笑顔で言う。
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