30、手当てしてもらってお礼も言わない奴はいない

「薬草もなくなったことだし、午後は執務に専念するよ……」


 肩を落としてそう言うエーリク様を見送った私は、ブレンに新たな薬草の仕入れを頼もうと厨房へ向かった。


 ——でもその前に、ちょっとだけ温室に寄っていこうかな。今生えている薬草も確認しておきたいし。


 そう思って温室の扉を開くと、意外な先客がいた。


「クルトさん?」


 いつも私の後を付けているクルトさんだ。


 ——正面から顔を見るの、久しぶりかも。


 変な感想を抱いてしまった。

 それは向こうも同じだったようで、

 

「うわっ! なんでここに!」


 ——ズルッ!


 慌てて方向を変えようとしたクルトさんは、足元の砂利に滑り、思い切り転んだ。


 ドタン!


「痛え!!」


 私は急いで駆け寄る。


「だ、大丈夫?」

「これくらい大丈夫だ。いててて」


 ズボンが破れて膝から血が出ている。大したことはなさそうだが、傷は洗ったほうがいい。


「そこを動かないでね」


 私は温室の隣の井戸から水を運び、クルトさんのズボンを捲って手当てした。


「ここが温室でよかった。血止めの薬草を貼っておくから、後で取ってね」


 パラチという薬草をハンカチで巻く。意外にもクルトさんは、手当ての間じっとしていた。


「ありがとうな」


 すべて終えるとそんなことまで言うので、少なからず驚いた。その反応が不満だったのか、拗ねたように言う。


「なんだよ、その顔……じゃない、なんですか、その顔は」


 私は正直に答えた。


「私のこと嫌いだと思っていたから」

「それでも、手当てしてもらってお礼も言わない奴はいないでしょう」


 私は首を振ってちょっと笑う。


「結構いるわ」


 傷薬を求めてうちに来た人に手当をすることもあったが、気が立っているのか、もっと優しくしろとか、丁寧に洗えとか文句ばかり言われた。もちろん、そんな人ばかりじゃなかったけど。


「ふうん……そうなのか」


 クルトさんはそれ以上は何も言わなかった。立ち上がって、穴の空いたズボンを見下ろす。


「あーあ、ミレナさんにまた怒られるな」


 薬草の点検をしながら私は聞いた。


「どうしていきなり走ったりしたの?」


 クルトさんはぱんぱんと砂ぼこりを払いながら答える。


「見つかったから」


 見つかった? 誰に? と目で問いかける前に視線が合った。


「私に?」


 クルトさんは頷いた。


「見つかったらまずかったの?」

「いつも見張っていた相手が急に現れたら気まずいでしょう……ルジェナさんは気づいていなかったと思うけど、僕、じゃない、私、このところルジェナさんをずっと見張っていたんです」


 ——やっぱりあれ気づかれていないつもりだったんだ! 


 そこには触れず、私は聞いた。


「じゃあ、今日はなぜ見張ってなかったの?」

「魔性に思えなくなったから、もういいかなって思ったんです」


 疑いが晴れてよかったと思うべきなのだろう。というか。


「本当にそんな理由で見張っていたの? 私が魔性じゃないかって?」


 よくわからないが、クルトさんにはクルトさんの仕事があるんじゃないだろうか。


「ベルナルドさんが気が済むまで見張っていいって言ったんです」


 ——ベルナルドさんは承知していた!


 私にはクルトさんの単独行動みたいに思わせていたのに。

 私が別のところで驚いていると、クルトさんは初めて笑って言った。


「ルジェナさん、びっくりするくらい、研究とレッスンしかしていなかったんで、違うなと思いました」


 期待に応えられなかったらしい。私も肩の力を抜いて言う。


「というか、魔性の人がどんなことをするのか、私の方が聞きたいわ」


 クルトさんは腕を組む。


「わからないけど、多分、言葉巧みに人を騙したりするんじゃないんですかね?」


 人を騙す?


「なんのために?」

「そこは魔性だから、人間の思惑とはわからない理由があるでしょう」

「祖母も母も魔女だったけど、わけのわからない理由で動いたりしなかったわ」

「そうですね、それは確かにすみません。じゃあ、ひとつだけ聞いていいですか」

「何?」

「ルジェナさんがここにいる目的はなんですか? 誰にも言わないので教えてください」

「目的……」

「ルジェナさんが魔性ではなく、普通の女の子であることは納得したんですが、私にしたら突然、エーリク様の婚約者になった存在には変わりなくて。後からエーリク様に怒られるのを承知で、それだけ聞かせてください」


 以前、ベルナルドさんが言っていたことを思い出す。


 ——あれはあれなりにあなたに忠義を尽くしているのですから。


 クルトさんは、エーリク様を大事に思っているのだ。だったら、嘘はつきたくない。私は正直に答える。

「最初は確かに、エーリク様に助けてもらって、仕事がなくて、ここに置いてもらえるだけでもありがたいと思っていたわ」

「今は違うということですか?」


 私はクルトさんを真っ直ぐ見て頷いた。


「うん。今は、エーリク様と一緒に万能薬を完成させたい。いろんな人に薬を届けたいって思ってる」


 クルトさんはしばらく黙ってたけど、やがてぽつりと呟いた。


「……エーリク様の望みを叶えたいってことですか」


 ちょっと考えてから私は答える。


「というか、今はそれがもう私の望みなの」

「なるほど……これか」

「なにが?」


 いや、なんでもないです、とクルトさんは首を振る。そして突然、気さくな雰囲気を醸し出しながら言った。


「というか、エーリク様にはとても聞けないんですけど、万能薬って……本当に作れるんですか? 魔力のある魔女じゃないと無理なんでしょう?」


 思うに、クルトさんは誰よりも魔女の力を信じてくれているのだろう。私は複雑な気持ちを抱える。

 祖母や母の成果が認められるのは嬉しいけど、やはり万能薬を大勢の人に使ってもらいたいのだ。


「そう、問題はそこなんだよね……」


 思わずそう呟く。そして。


「あ!」


 クルトさんの怪我を見て、ふと閃いた。


          ‡


「温めるのではなく、冷やす?」


 温室を飛び出した私は、エーリク様の執務室でそう報告した。息を整えるのももどかしく続ける。


「最後……レグオスを……粉にして入れてから……急に冷やすんです……はあ。それはまだ試していませんよね?」

「確かに」


 クルトさんの怪我の手当てに使ったパラチという薬草はひんやりした使用感が特徴なのだが、それを見て突然思い出したのだ。

 昔、子供の私が足を捻ったとき、母は杖を振って腫れを冷やしてくれた。魔力にはそんな効果もあるのだ。


「大鍋で煮ている印象が強かったので、薬草を温めて合わせることばかり考えていました。でも、最後に魔女は魔力を込めるでしょう? それが急速に冷やすことと同じかもしれないと思って」


 もちろん、魔女の魔力は私には計り知れない。他にも効果はあるだろう。だけど試す価値はある。


「そうだな、やってみよう!」


 エーリク様も前のめりにそう言ってくれる。


「あ、でも薬草を注文しなくちゃ」


 私は自分がまだ厨房には行っていないことを思い出した。


「新しい荷が入荷したら試そう」

「はい!」


 それでは失礼します、と私は急いで厨房に向かった。


          ‡


 その夜。


「ふうん……大量の薬草を宿屋から追加注文か」


 パウルから連絡をもらったフランツは一人で笑った。




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