「赤毛の役立たず」とクビになった魔力なしの魔女ですが、「薬草の知識がハンパない!」と王立研究所に即採用されました。
糸加
1、プロローグ・本気の求婚
「ルジェナ、ちょっといいかな?」
「はい、エーリク様、なんでしょう?」
いつものように温室で水やりをしていた私が振り向くと、
「ルジェナ・レジェク。君に結婚を申し込む。どうかこの私、エーリク・マトゥシュ・バルツァルの妻になってくれ」
唐突に求婚された。
「エーリク様?」
この研究所の所長であり、私の雇い主であるエーリク様が、片膝を付いて真っ赤な薔薇の花束を掲げている。
「どうしたんですか? 何かの練習ですか?」
意図がわからずそう聞くと、エリーク様は姿勢を崩さずに微笑んだ。
「練習じゃない。本気だ。本気で君に結婚を申し込んでいる」
「えっ、私?」
「他に誰もいないだろう」
瞬きを繰り返し、とにかく私は目の前のエーリク様を見つめる。
いつもの調剤用のシャツではなく、刺繍の入った上等な上着に、同じく上等そうなズボン。
普段適当にまとめられている金髪も、綺麗にすかれている。
仕事着でも、周りの空気をキラキラさせているエーリク様だ。
そんなふうにきちんとした格好をすると、びっくりするくらい品のある二十三歳の貴族令息になる。
——って、待って!?
「エーリク様、立って! 立ってください!」
見惚れている場合じゃなかった。
「地面! 泥! さっきそこ水撒いたばかりです」
慌てて言ったが遅かった。すでに私の位置からでもわかるくらい、エーリク様の膝は泥まみれだった。
「ああ、いつも水やり、ありがとう」
エーリク様は泥など気にしていない様子で言う。
「ルジェナが来てから薬草が生き生きしているな」
細められた青い瞳から思わず目をそらした。
求婚なんてされていなくても、エーリク様がそうやって私みたいな平民にいちいちお礼を言うだけで、私の胸は締め付けられるように苦しくなる。
でも、そんなことはもちろん言わない。
「とにかく立ってください」
胸なんか痛んでないふりをして、私はエーリク様に淡々と言う。
「嫌だ」
だがエーリク様は首を振った。
「え?」
「君がこの花束を受け取ってくれたら立つ」
私は、泥まみれのエーリク様の膝と真っ赤な薔薇の花束を三往復くらい見比べてから、頷いた。
「……わかりました。とりあえずお花はいただきます」
私が花束を受け取ると同時に、エーリク様が立ち上がる。
一瞬だけ、私たちの距離は花束ひとつ分だけの近さになった。
でもすぐに離れる。
私が。
わかっているから。ちゃんと。
エーリク様は、この王立研究所をぽんと作れる地位の方。
対する私は、いつもの縞のスカートに土のついたエプロン姿の平民。
どう考えてもちぐはぐだ。
「あの、エーリク様、薔薇はとても綺麗で嬉しいんですが」
「もちろんルジェナの方が綺麗だよ」
「い、いえ……そういうことではなくて!」
その真っ赤な薔薇の花束に顔を埋めるようにして、私は聞く。
「正直におっしゃってください……幻覚作用のある野草を間違えて食べました? アープールかアララックあたりの」
ごほん、とエーリク様は咳をした。
「食べていない。目付きもしっかりしてるだろ? 付け加えると果実酒も口にしてないぞ」
「え、じゃあ、どうしてこんなことを?」
すると、エーリク様は真剣な顔で言った。
「だから、求婚だよ。嘘じゃない、本気の求婚だ。偽の婚約者じゃなく本当の婚約者になってくれ」
——本当の婚約者。
胸の痛みに負けそうになりながら、私は言う。
「からかわないでください。貴族と平民ですよ? あり得ません」
「そんなもの」
エーリク様は不意に私の髪を一房手にし、そっと口付けた。
「私の行動を妨げる要因にはならない」
呼吸も出来ない私は言葉がでない。エーリク様は小さく笑って、髪を離した。
「返事を、聞かせてくれないか?」
その表情はいつものエーリク様のもので。
着る服が変わっても、エーリク様はエーリク様だと納得する。
——ということは、やはり。
エーリク様は多分、本気だ。本気で私に求婚してくれた。
信じられないが、そうとしか思えない。
つまり、これがエーリク様の出した答えなのだ。
私を守るための。
——ほんとに、この人、どれほど優しいんだろう。
そもそも、いくあてもなく倒れていた私を助けてくれたのもエーリク様だ。
あのとき助けてもらってなければ、私は今ここにいない。
それだけでも余りある恩がある。
——だから、これ以上甘えるわけにはいかない。
私はエーリク様に、くるりと背を向けた。それから。
「……へっくしょん!!!!」
思い切りくしゃみをする。
「すいません薔薇を……近くで嗅ぎすぎました」
とっさに出た涙を隠す芝居にしては上出来だと思う。
「ハンカチならここに」
「いえ、自分のがあります……ハンカチがあるなら、エーリク様はそれでご自分の膝を少しでも綺麗にしてください。でないと後でミレナさんに怒られますよ」
「わかった」
素直に泥を落とすエーリク様の気配を背中に感じながら、私はこっそり涙を拭う。
——勘違いしちゃダメだ。
どんなにエーリク様がかっこよく求婚してくれたとしても、それは愛じゃない。
……優しさだ。
エーリク様は優しいから。
優しすぎるから。
だから、涙なんて見せちゃいけない。
隠せ。
今までしてくれたことをありがたいと思うなら、絶対悟られるな。
「ありがとうございます、エーリク様」
気合いを入れた私は、再びエーリク様に向き直った。
「後は私がするので貸してください」
私は泥だらけのハンカチを奪い、花束を抱えたまましゃがみ込んだ。
我ながら器用に、片手でエーリク様の泥を落とす。
「このまま聞いてください」
「落ち着かないけど、ルジェナがそう望むならそうしよう」
「……私のような者に求婚してくださって、本当に嬉しいです」
「よかった!」
エーリク様の声が弾んだ。
「では早速ドレスの手配を——」
「でも」
立ち上がった私は、感情を揺らさないように気をつけて話す。
「お断りします」
「え?」
「エーリク様とは結婚しません」
「なぜ?」
私はいつもの口調を心がけ、努力して笑顔を作った。
「ダリミルと結婚するからですよ?」
「ルジェナ! だからそれは!」
「私のためにここまでしてくれたこと、本当に感謝してます」
私は深々と頭を下げた。
出るな、涙。
まだ出るな。
じゃないと、みんなに迷惑がかかる。
――「赤毛の役立たず」を受け入れてくれたみんなに。
顔を上げた私は、渾身の演技を見せた。こんな優しい人を、巻き込むわけにはいけない。
「短い間ですがお世話になりました」
そのためには私が去るのが一番いい。
改めてそう決意する。
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