尻の穴にダイナマイト
元からきな臭さのあった任務だった。
エーコの主観では『事故』としか認識できないが、『西側の防空網に墜落ギリギリまで引っかからなかった新型ミサイル』の存在だけでも、十二分に怪しい。
“跳び越えた少女”以外にも、何かが動いている。そしてそれは僕にとって……
偽ジャッカルミミの男は、一軒の廃ビルに入っていった。
「チッ、嫌らしい野郎だ」
僕は閉まった扉を一瞥し、舌打ち。窓に向かって助走をつけた。
「エーチさん、ドアから入んないんですか?」
「爆発物が仕掛けてある。開けた瞬間ドカンだ。絶対に開かないように」
「はぁい」
どうにも緊張感に乏しい声とともに、僕はガラスを突き破り、ビルの中に侵入した。
同時に、懐から拳銃を抜く。
ずいぶんと久しぶりに空気を吸わせたような気がするが、とうとう愛銃(こいつ)の出番が来たようだ。
ビル内、冷たいコンクリートの床に立った瞬間、
「コマンド裏拳」
僕は飛んできた物体を弾き飛ばした。
回転付きで跳ね返された手榴弾は、持ち主の下へと帰っていく。
「おう、ええ反応じゃのう」
手榴弾を投げた犯人は平然と言い放ち、遮蔽に身を隠した。
火薬の爆ぜる音と、破片が壁面で弾ける音が僕の耳を聾す。
初対面で容赦の欠片もない奴だ。――そして、かなり戦い慣れてもいる。
自信の証拠とでも言いたげに、爆弾魔は壁の向こうから堂々と姿を現した。
「なんじゃい
およそ西側でしか聞かない広島弁もあからさまな、偽ジャッカルミミの渋い男だった。
東側人なら語尾には『だべ』を付けるし、醤油は濃口。お雑煮の餅は不気味に角ばり、納豆なんかも平然と食うのが東側の人間である。やはり、謎の男はどう見ても西側から来たとしか思えない。
さらに、ジーパンの上からは合衆国の西部劇で見るようなカウボーイチャップスを穿いている。つくづくふざけた野郎だ。――スケパン仮面ほどふざけた格好ではないものの。
そして僕は、男の正体に心当たりがあった。
「あの爆弾設置の手口。まさかお前は……」
まさか、だ。僕の推測が正しければ、事態はかなり厄介なことになる。
「MI3エージェント、C4。どこからともなくプラスチック爆弾を取り出し、いかなる警備の中心だろうと爆破する上級工作員」
僕の指摘に、エージェントC4はクククと笑う。ビンゴらしい。
「オドレ、ワシを知っとるんけ。……ひょっとすると、お仲間け?」
僕と同様、奴もMI3に所属するプロフェッショナルならば、僕の正体を同時に看破したとて不思議ではない。
だが、エーコの前で告げられるのはいかにも具合が悪かった。彼女の反応は……
「なんだぁ、エーチさんのお仲間さんだったんですね」
よし、馬鹿なのでまったく気にしていない。
一方C4は、無手にもかかわらず、相変わらずの余裕だった。
「聞いたことがあるわ。史上最年少でMI3エージェントになったちゅう、局長子飼いの――」
「それ以上喋るな。口を鉛弾で塞ぐぞ」
エーコが状況を正しく理解するまでには時間を要す。とはいえ、あまりC4に喋らせ過ぎるのも問題だ。僕は引鉄に力を込め、彼の顔面に狙いを付けた。
「剣呑、剣呑。いうて、オドレが主導権握っとるんとちゃうで」
僕の命令を違えるようなC4の言動に、しかし.22弾をブチ込むことができない。
奴の自信の根拠。それが、手品のように、爆弾魔の右手に出現したからだ。
「ワシを撃ついうんなら、コイツでドカンじゃけ。ワシも死ぬが、オドレもオドレのツレもブッ飛ぶけぇのう」
爆弾のスイッチ……らしい。しかし、どうにも様子がおかしかった。
肝心の爆弾はどこにある?
ドアに仕掛けられているそれは、侵入者だけを吹き飛ばすのがせいぜいの量。それはそうだ。下手しなくとも自分ごと吹っ飛ぶ罠など、使い物になるまい。
周囲を観察してみても、僕とC4両者を殺傷するような爆薬は……
答えは、C4があっさりと示した。
「フカシやないと、証明したるわ」
C4は左手のスナップ一発でカウボーイチャップスを外す。痩せ型の顔に合わない、妙に突き出た下腹が目立っていた。
僕は、一瞬呆気にとられた。――そりゃあ、まあそうだろう。
渋めの、幾たびもの修羅場を潜ってきたような男の、穿いているそのジーパンが……ケツのところだけ切り取られていれば、誰だって呆気にとられる。しかもノーパン。なんだこれは。
「ンン……ッ!」
C4はいきみ、自らのケツに左手を沿える。まるで何かを待ち構えるかのように。
ああ、僕は分かってしまった。C4がどんな場所にでも爆弾を持ち込める理由。下腹だけが出ている理由。
奴は――
「ワシは直腸ん中に、1ガロン(3.78リットル)のプラスチック爆弾を隠し持てるんじゃ。粘土のごとく自由自在に変形するプラスチック爆弾を、クソのごとくのう。――いわば、人間爆弾庫じゃい!」
「変態だアアアアアアッ!!」
公衆の面前で爆弾をひり出し、心なしか顔面に朱の指しているC4は……すごく、変態だった。
僕、こんなんと同じ組織に所属していたのか……。いきなり戦意がガクッと削がれたような気がする。
「ふぁぁ、ビックリ人間さんなんですねぇ。私も真似できますかね、エーチさん?」
エーコがさらに戦意を削いできたので、僕は銃を投げつけて帰りそうになった。
「真似するなよ……。肛門は一生物だよ」
しかし最後の理性で辛うじてツッコミを果たし、C4に銃を構え続ける。
プラスチック爆弾は電流が流れない限り爆発しない代物だが、C4がひり出したブツには電極が差してあった。本気で自分のケツから自爆する気だったようだ。
本物の変態だ。スケパン仮面とは別ベクトルの。
肛門に禁止物を隠し持つという手段は定番中の定番ではあるが、ここまで極めてしまうと完全にアレである。
そんな僕の落胆を知ってか知らずか、C4は偽ジャッカルミミを剥ぎ取り、投げ捨てた。
「これももう不要じゃ。ケモミミなんぞ付けるんは、気色悪うて仕方なかったわい」
「……」
C4の感覚は西側人としては一般的なものだ。しかし、それでも、僕には聞き捨てならない。端的に言って、今の一言で僕はキレた。判断力は残しているが、平和的な解決は手札から消えている。
「で、どうすんじゃオドレ。お互いお仲間やったら、これ以上得物向けんのも大儀ィじゃろが」
面倒そうに停戦を申し出るC4。関係ない。
僕は決めた。
「お前を尋問して、目論見を吐かせる。この緊張状態にあって、どうして大統領暗殺なんて手段を取ったのか、僕が洗いざらい喋らせてやる」
僕だけでも罪深いというのに、エーコの前でもケモミミを侮辱したのだ。もうタダで済ましはしない。
そもそも、MI3のマーダーライセンスは味方にすら適用される苛烈なものだ。与えられた任務こそ最優先。そのために別行動をとる同胞と利害が衝突するならば、『相手の寝返り』という前提でもって殺し合う。
『国家のため』という題目を唱える限り、極大の裁量を持つのが僕らMI3であるからして。……だからこれは、一応内規違反ではない。
「そりゃ死んでも言えんのう。同業なら分かっちょるとは思うが。――ああ、こういうときはアレじゃのう」
右手にスイッチを、左手に爆弾を。
C4は飄々としつつも油断ならない動作で、
「クソでも食らえや!」
僕に爆弾を投げつけた。
「きたねっ!?」
出所が出所なので、僕は弾き飛ばすこともできず。
「追うぞ、エーコさん!」
「あ、はい!」
回避した爆弾を無視。案の定、機爆はしなかった。
敵の得物は爆弾だ。下手に相手から離れるよりは、近づいた方がいい。
僕はC4を追うため前に出る。
離れさえしなければ、起爆は躊躇させられる。C4が好き好んで自爆などしたがるドMなら僕らも詰みだが、アレはまたベクトルの違う変態だ。
奴を追う。追い詰める。追撃を躊躇すればそこで終わる。
そこに、
「甘いわボケ! こんワシをそう簡単に追い詰められると思うちょったら、間違いよ!」
逃げながらケツに手を当てるC4。ひり出したタバコサイズの爆薬に一瞬の早業で信管を差し、そこらに投げ捨てた。そして――
「くっ!」
パァンと破裂音。奴を追っていた階段に亀裂が入り、瞬く間に崩れ落ちた。
自身に影響を与えないほどに最小限の爆発で、最大限の破壊効果をもたらす。そしてそれを一瞬のうちに計算し、起爆する能力。――間違いなく超一流の技量だ。改めて、C4がMI3なのだと思い知る。
跳び越えられない幅ではない。しかし、逃げに徹するMI3のエージェントに対しては、それだけで致命的なロスになった。
「待て!」
僕は半ば苦し紛れに発砲したが、命中しない。C4は視界から姿を消した。
一度でも敵から目を離せばどうなるか。
「遅かったか」
階段を上がり切った行き止まり。僕の目の前には二つのドアがあった。どちらの部屋も、外側からは中を確認できない。
おそらく、片方にC4が潜み、片方に爆弾が仕掛けられている。
間違った方を開けばそのままドカンだ。
「どっちだ……」
どちらを開けばいい。究極の二者択一に、僕の脳はフル回転していた。
「あの……」
エーコが僕の横に出る。何か言いたいことがあるのだろうか。危険なので少し下がっていてほしいところだが。
「こっちの部屋に爆弾が仕掛けられていると思うんです」
エーコは、遠慮がちに片方の扉を指した。
どういうことだ? なぜそんなことが……と少し考えたところで、僕はハッと気づいた。
「そうか。プラスチック爆弾からは特有の甘い匂いがする」
感覚に優れたネコミミ人であるエーコは、鋭く爆弾の匂いを感じ取ったのだ。
「いえ、その……私が嗅ぎ取ったのは糞便の臭いです」
惜しい! 僕の推論はいいとこ突いてたのに……。
まあ、確かにケツから出した爆弾なんだからウンコ臭くて当然か。
今にして思えば、なんであんなのが坂東共和国に潜入していたんだろう。
住民は嗅覚に優れ、ウンコ臭を違和感なく街に溶け込ませられる野良犬なんかも滅多にいない。C4が活動するには一番不向きなフィールドに思える。
「待てよ……」
しかし、それが逆に罠臭かった。いや、臭いのは奴のケツ穴だが。ともかく、
「結局は博打か。……エーコさんは下がっていて。爆死するのは僕一人で十分だ」
「エーチさん……」
僕が死ねば、“跳び越えた少女”は誰が追うのだろうか。
できれば、エーコさんにはそんなものから逃げ切って、アイドルにでもなってほしい。
死んでも遂げたい任務など、僕は結局持てなかった。死んでしまえばエージェントもMI3も関係ない。
ブリーフィングの常套句にもあるじゃないか。僕が死亡した場合『当局は一切関知しない』と。逆もまたしかり、ってやつだ。
だから、死んだ後でくらいケモミミ美少女の幸福を祈りたい。本心からそう思う。
エーコさんはしかし、僕の背後に下がらない。
「今の私にできることってあるでしょうか……」
殊勝にも、そんなことを言ってきた。
この期に及んでエーコさんにできることか。できればペロペロさせてほしいが、命を盾にペロペロなど強要するのは憚られる。
なので、折衷案を思いついた。
「お守りが欲しい」
「お守り?」
結局は運ならば、欲しいものなど開運のお守りくらいだ。僕が求めるそれは決まっている。
「耳毛をここに」
僕はエーコに、スパイ七つ道具の一つである『ただの小瓶』と『ペン型ハサミ』を渡した。
「耳毛を?」
「処女の耳毛は武運長久のお守りとして古来より珍重されてきたんだよ。知らないの?」
僕はさも真実のように脳内設定をひけらかした。エーコはこっくりと首をかしげる。
「処女ってなんですか?」
ああ、そこからか。そこから説明しないと駄目か。
「子作り的行為をしたことがない女性のことだよ」
僕の簡潔な説明に、エーコはむむむっと考え込む。
「でもそれなら、エーチさんの耳毛は……」
そういえばエーコはまだ僕を女子高生と思っていたんだった。いや、オ〇○○〇も知らなかったオボコ・オブ・オボコに、僕が男性であることを証明する手間の方が多そうだったので、特に何の説明もなくここまで来てしまったと言うべきか。
「あ、なるほど。エーチさんは処女じゃないんですね」
うん、こんなときにだけ変にロジカルになるのやめようか。
しかしそれを説明するのもまた説明の無限ループに陥りそうだったので、とりあえず僕は処女じゃないということにしておこう。
父さん母さん、吉報です。栄一は本日処女を捨てました。子作り的行為とか何もしてないのに。
「ライク・ア・ヴァージンッ!」
耳毛入手により精神バフの乗った僕は、異常なテンションでドアノブを撃った。もちろんエーコを下がらせて。
鍵を破壊したのは、エーコが爆弾の臭いを感じ取った方――と逆の扉だ。僕はエーコの感覚を信じることにした。
タックルで鉄扉を開ける。僕は――
「当たりか」
「チ、思ったよりも早う追いついたのう。あと少しだったんじゃが」
無事だった。何も爆発しない。
ハシゴを登っていたC4が、苦々し気に僕を睨む。屋上にでも脱出しようとしていたらしい。
というか東側の建築設計は、その場の気分でも仕様に入ってるんじゃないのか? こんな妙な部屋に屋上直通のハシゴがあるとか。
「もう逃げられないぞクソ野郎。武器を全部ひり出して投降しろ」
我ながら異常な日本語を使っているとは思うが、他に言いようもない。
「ホンマしつこいやっちゃのう。オドレがどんな任務を受けとるか知らんが、他にやること無いんかい」
「詳しく話す気が無いなら別にいい。だが、『ワンダーウォール』についてだけは教えてもらう」
かつて、夜中の学校でアルベルトから聞いた単語。カマ掛けのつもりで言ってみたが。
「オドレ……どこでその名を」
ビンゴだった。MI3とアルベルトが言うところの『ワンダーウォール』には、何かしらの関係がある。
「そりゃ、よいよ喋るわけにもいかん情報じゃ。――まあ、任務は完了しとるけぇ、惜しむ命でも無いわい」
C4は、逃げるでもなく。
「ほんじゃ、派手に死に華散らそうかい!」
後ろ向きのままハシゴを蹴り、僕の方向に向けて落ちてきた。
まずいな、追い詰めすぎた。
落下する相手に銃なんか撃っても止められない。
さらにC4は落ちながら、自らのケツに信管を挿入しようとしている。――自爆する気だ!
どうする? あの信管が敵の肛門に吸い込まれれば、残りのプラスチック爆弾全てが起爆する。逃げ場は無い。
信管の挿入を阻止せねば。
しかし、どうやって? 銃は役に立たない。
ならば――ちくしょう、これしか方法が無いならやってやる! 要は信管が挿入るより先に奴の肛門を塞げばいいのだ。
僕は銃を捨てた。両手を合わせ、人差し指を突き出す。さながらピストルのように。
これぞコマンド古武術奥義――
「コマンドカンチョー」
C4のケツ穴に、僕の指が吸い込まれ、
「アッーーー!!」
C4の絶叫が響いた。
「アアアアッ!!」
あまりの不快感に、僕も叫んだ。
「アアアッー!!」
「アアアアアアアアッ!!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアッー!!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「アアアアア!!」
「アアアッ!!」
「アア、アアアアア!!」
「アアアアア、アアアアアアア、アアアアア!!」
「アアッ!!」
「アア……」
「アッ……!」
C4は気を失った。
「どうしよう。これじゃすぐには情報を訊きだせない」
というか、すぐに指を洗いたい。石鹸、アルコール、紫外線、オートクレーブ、放射線等々を総動員して滅菌したい。
「エーチさん、終わりました?」
僕とC4の死闘から離れていたエーコが、のこのこと姿を現した。
それでいい。彼女が僕の悲しみを知る必要はない。穢れを背負うのは僕一人で十分だ。
「はー……このC4とかいう人、なんかすごい表情で気絶してますね」
エーコですら関心するC4の臨終顔は、喜怒哀楽に苦と惨と悲をからめ、さながらこれより先に一切の希望を捨てるべしと地獄の門をくぐるダンテのような、それでいてどこか恍惚すら滲ませた、というかケツに指を突っ込まれて気を失ったオッサンのアヘ顔を解説する僕の方こそ無惨の極みじゃないかと思わないでもない――そんな表情だった。
こいつは縛り上げてそこら辺に放っておけばいい。ケツの中から危険物を抜き取る作業なんて僕は御免だ。信管と起爆スイッチだけ取り上げておけば安全だろう。
それよりも――
「なんか外が騒がしくなっていませんか?」
と言うエーコのネコミミに頼るまでもなく、僕も外の騒ぎを聞き取っていた。
手榴弾に階段の爆破と、こんな廃ビルから派手な音を立てれば、騒ぎにもなって当然だ。
「私様子を見てきますね」
「あ、エーコさん!」
なんということだろう。エーコは僕が即座に逃げようと言うより前に、軽やかな動作でハシゴを三段ジャンプした。
止める暇なんてない。屋上への扉がバッと開かれ、肩のはだけたアイドル衣装の僕は震える。
ああ、もうこうなれば仕方がない。
僕もエーコを追い、ハシゴを登った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます