開府記念式典

「お待たせしました」

 軍払い下げの厚いコートを着たエーコが、雪の上を小走りで寄ってきた。軍事国家の共和国ではそこら辺の商店に吊るしで売ってる、ありふれた服装。だからこそ目立たない。

 僕もエーコも、コートの下にはアイドルの衣装を着ている。僕が既製品を改造してフリルやらスパンコールやら付けた特製のドレスだ。ミニスカートの下はパンチラ対策でモコモコさせているのが職人技。

 うん、やはり天才の僕に弱点はないな。不可能はままあるが。

 無骨なアーミーグリーンのコートも、軍の広報ポスターじみて着こなすエーコは、さすがの美少女だ。だが、野暮ったいネコミミ用ニット帽で耳を隠してしまうのはどうか。

 最も美しくセクシーな部分をあえて隠してしまうというのはまったくいただけ……なくもないな。ネコミミを隠すあのニット帽はさしずめ――

「実質パンツ……!」

「?」

 新たな境地を開拓した僕の歴史に残る発言を、エーコは聞き違いとでも思ったか、それ以上何か言うこともなくスルーした。

「あの、私時間とか間違ってませんよね?」

「ああ、大丈夫。時間ピッタリだよ」

 余程普段心当たりがあるのか、遅刻をしていないと分かったエーコは、パンツの下もとい帽子の下の顔を綻ばせる。……日付でも間違われれば、僕の予定は大きく狂っていたところだ。彼女の起こす『奇跡』を考えればそうなっていてもおかしくはなかった。

 ということは、幸か不幸かツキは僕の側に戻ってきたらしい。徳川エーコがまともに時間を守ったということがその証左……かもしれない。

「僕らの出番までまだ間もあるし、少しそこら辺を回ってみようか」

 なんとなく、僕はそうしたくなった。エーコに対する気遣いとか、会話を自然に見せようという思惑じゃなく、ただこの国への未練がそうさせたのかもしれない。――なんて、考え過ぎだろうか。

 とにかく、理屈で無く僕はそうしたかった。

「はい、ぜひ! あの、私友達と屋台とか回ったりするの初めてで……不束者ですがよろしくお願いします」

「かしこまり過ぎだよ」

 思わず、僕の方まで笑えてくる。こんな状況だというのに、自慢じゃないが滅多に笑わないこの僕が。

 調子狂うよな。

 坂東共和国における最後の一日。僕は雪を踏みしめ、その一歩を踏み出した。



 敷き詰められたケモミミの群れは、例えばビルの上から見れば草原にも似るだろう。

「見てくださいエーチさん、あのけんちんボルシチ汁美味しそうですよ。あ、イナゴ焼きもあります。あれ私好きなんですよね。家ではあまり食べられませんけど」

 子供のようにはしゃぎながら祭りを楽しむエーコも、神の視点から見ればそんなありふれたケモミミの一人に違いない。

「イナゴ焼きかぁ。合衆国じゃ、昆虫食ってそんなに無いんだよね」

「そうなんですか?」

「わざわざ虫とか食べなくても、肉あるし」

 合衆国はそのまま民国に置き換えられる。

 畜産業に欠しいケモミミ支配圏の文化は、食事に最も現れるということだ。

「お肉、羨ましいです。私の家だと二日に一食くらいしか食べられません」

 それでも共和国ではかなり裕福な部類だろうに。

「……僕のいた国では、そこらの屋台で肉が売ってる。ハンバーガーとか、ケバブとか、一般庶民が小遣いで食べられる」

 エーコは僕の話を、合衆国のそれだと思って聞き入っている。帽子の中のネコミミは、さぞ愉快なことになっているだろう。

「エーコさんは、そんな国に住みたい?」

 何を訊いているんだろうな、僕は。

 自己分析もままならないうちに、無駄な言葉が勝手に漏れていた。

 エーコは、

「住みたいか住みたくないかで言えば、えーっと……なんて言えばいいんでしょう」

 彼女には難しい質問だっただろうか。とはいえ、西側でアイドルになるなどと壁を越えようとしたエーコならば答えは決まっているようなものだ。

「私、やっぱり共和国が好きなんです。お父様もお母様も、みんな好き。それでも一番好きなのはアイドルだから……うーん……」

 ひとしきり唸ると、エーコはおもむろに壁を指した。桑名からこのネオセキガハラを通り敦賀まで、日本を東西に貫く壁を。

「あの壁をみんな跳び越えて、アイドルもお肉も自由に出入りできるようになればいいんだと思います」

 徳川エーコは馬鹿だ。それでは質問の答えになっていない。その上、完全に荒唐無稽。

 馬鹿なんだろう。馬鹿だから、彼女は僕の思いもよらない世界を、僕の耳に語る。

「いや、いっそ壁が無くなってしまえば……」

「ヒトミミかケモミミか。どっちかがどっちかを滅ぼさないと、あの壁は無くならないよ」

 僕は冷たく、突き放すようにそう言った。散々闇の世界で汚い戦いを見た後だからこそ、僕はエーコの夢想を否定したがっていた。

「……」

 沈黙に、僕はなんとなく言葉を重ねる。否定と同時に、思うところを。

「それでも、同じ歌くらいは聞けるんじゃないかな。いくら禁止したってあのディスコの連中や僕らみたいなのが湧いてくる以上」

「! そうですよね。さすがエーチさん、いいこと言います!」

 白でも黒でもない、グレーの融和。半端な嘘つきの僕にはお似合いの意見に違いない。

 まあ、いいじゃないか。

「けんちんボルシチ汁とイナゴ焼き、両方一個ずつ買って二人で分けよう」

 半端者には半端者のやり方がある。

 AAの出番が近づくまでは、少しくらい楽しんでやろう。せっかくのケモミミ美少女とのデートだし。


 そんな感じでビーツの入ったけんちん汁やらチリソースの掛かったイナゴやら、東側の他民族文化が生んだ変な料理(給食よりは大分マシ)を堪能していると、

「あ、ヴァルヒコだ」

 人ごみの中に同級生を発見した。

 それでもって彼の隣を歩いているのは、

「ランファさんか。……あーあ、手なんて繋いでら」

 意外と隅におけない男である。ランファは相変わらずツンツンしていたが、それも彼女なりのデレデレなのだろう。

 エーコは無遠慮に声でも掛けるのかと思いきや、なんだかいきなり縮こまってしまった。

「あの人たちヴァルヒコさんとランファさんですよね? AAのライブ、見られちゃったりするんでしょうか?」

「ステージ出るときは仮面付けるから、正体はバレないと思うけど」

 ランファはともかく、ヴァルヒコは禁止ソングだろうとあまり気にしないで手を出す。僕たちの出る非合法ライブへ足を運ぶ可能性は大だ。

「……な、なんだかいきなり現実感が押し寄せてきました。クラスメイトの人たちを見てしまったせいでしょうか」

 本当に今更だが、エーコは緊張で震え出した。

 僕は、

「あ、エーチさん……」

 無言で手を繋いでやった。僕個人の愉楽を満たすためにいじり倒すなら、手なんかよりも耳を選ぶ。つまりこれは、下心なしにエーコの緊張をほぐすためだけにやっていること。

「ありがとうございます」

 とはいえ、こんなんで感謝される謂れもない。

 僕は再びヴァルヒコたちを見た。彼らは僕に気づいていない。

 なんの声も掛けずに雲隠れというのは、少し後ろ髪を引かれる……かも。

 泣こうが笑おうが喚こうが、ステージまではもうすぐだ。僕とエーコは会場になっている地下ライブハウスに向かう。

 汚い壁に貼り付けられたいかがわしい店のビラが、妙に東側独特の風情を出していた。



 そしてやってきた地下ライブハウス。

 マタタビ臭い染みが付いていたり、丸めたチリ紙の転がった汚い部屋は、驚いたことに『楽屋』などと呼ばれていた。

 ロバミミモヒカンヘアーのパンク青年がアンプの繋がっていないギターを鳴らしていたり。かと思えばテレビではドンダム(西側の人気アニメゴンダムにそっくりな、東側のロボットアニメ)が空気を読まずに流れていたり。

 中々愉快な空間だ。仮に半日もいたら気が狂ってモヒカンになっていたと思うので、エーコさんとのデートを選んで正解だった。

「上手くいくでしょうか。失敗しないしょうか? でもエーチさんがいれば大丈夫ですよね?」

 帽子を取って、出場用の仮面を付けたエーコ。僕による必死の精神抑制手つなぎ行為にもかかわらず、緊張がぶり返してきたらしい。

 喫ミミを勧めるべきだろうか。僕なら少女が生やしたケモミミの匂いを嗅ぐだけで、邪神遭遇からのファンブル状態でも精神の平衡を取り戻せる。

「ちょっと飲み物買ってきます」

 ついにエーコはコートを羽織り、楽屋を自称する退廃空間から出て行ってしまった。

 まあ、放っておいても大丈夫だろう。

 むしろ僕が付いて行ったら逆効果な説まである。エーコにだって、一人になりたいときもあるさ。

 大丈夫大丈夫。ここのところ偶然とエキセントリックな頭脳がもたらすエーコ由来のハプニングも鳴りを潜めていた。

 スケパン仮面などいろいろあったし“ネイキッド”との音信もとうとう不通になってしまったが、次善の策としては成功しつつある。

 大丈夫大丈夫。このままライブはほどほどに成功し、“跳び越えた少女”をMI3に拉致できる。

 エーコに計画性など皆無で、“跳び越えた少女”がその実ただの馬鹿だと知った上層部は、すぐに彼女を解放してくれるに違いない。

 僕とエーコは二度と会うことなどないだろうが、少なくとも彼女は東側での日常を取り戻す。

 ミサイル墜落も不幸な事故であると知れ渡り、核戦争の危機は回避されるだろう。

 大丈夫大丈夫。大丈夫大丈夫……

 考えられる限り最大の希望的観測。それでも今の僕の運ならば実現できるような気がしないでもない。

 大丈夫大丈夫。大丈夫大丈夫……

 なぜか飲み物を買いに行っただけのエーコがいつまで経っても戻ってこないけど、多分大丈夫……。

 不意に、モヒカン青年がギターをいじくる手を止め、古臭いカラーテレビのチャンネルを回した。

 ドンダムが消え、巨大な門のオブジェと壁、人だかりのできたステージが映る。

 あれは屋外第四ステージだ。国民歌謡のライブをやっている、一番人気のステージ。パレードも本多忠勝門を回り終え、今から始まるところらしい。

「……」

 その屋外第四ステージを見て、僕は絶句した。

 客席からでも見える、出場者控えの席に、徳川エーコがいた。

「大丈夫じゃねええええッ!!」

 僕はライブハウスから駆け出した。

 何があったのか知らないが、第四ステージとこのライブハウスはそこそこ距離がある。僕が待っていたような短時間では、車両の使用が不可欠だ。

 本当に、どうしてエーコがあんな場所で共和国の国選歌手なんかに混ざっている?

 頭の中身を疑問符で満たしつつ、僕はネオセキガハラの街に出た。

「ちょっとジャーマネッ! 迎えのバンがあるっていうから時間ピッタリに来たら、誰もいないじゃないの! 国選歌手であるアタシのスケジュールをなんだと思ってるのよ!」

「はあ、すいません。すいません、ちょっと今から確認してみますんで」

 外に出た途端、性格のキツそうなクロネコミミ女性が、気の弱そうなシロネコミミ男性に怒鳴っていた。クロネコミミは僕らと同じような軍用コートを着ている。

 ああ、まさか……

 糊の質が粗悪なのか、壁に張り付いたいかがわしいビラが風で剥がれていった。下から現れたもう一枚のビラには、軍用コートに仮面を付けたクロネコミミの女性歌手。――仮面は、僕らが使っているのと同じデザインだった。

 ビラには、

『国選歌手 鳥居チガエ

 開府記念日特別公演 仮面舞踏会

 咲かせてみせます、愛國の華』

 などと書いてある。

「この鳥居チガエの檜舞台、万一ワヤにでもなったら、どう落とし前を付けるのよ!」

「すいません。すいません。すいませんけど、今から会場の方に連絡取ってみますんで」

「早く公衆電話を探してきなさいッ!」

 鳥居チガエの怒鳴り声を背後に。

 とにかく僕はスパイクーペ呼び出しスイッチを押しながら、本多忠勝門の方へ走り出した。

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