第31話 少年ニコラスその14(未来への選択)

14・未来への選択


友をなくした。

師をなくした。

大切な人々をなくした。

守らなければいけない者たちをなくした。

帰る場所をなくした。

多くのモノが両手から零れ落ち、残ったものが何なのか分からない。

ただただ悲しくて、切なくて、恋しくて…

未来を夢見た。


 いつから眠っているんだろう。

夢は見ていないけれど、誰かの気持ちが流れ込んでくる。

ああ、これは西のバカブ神ネメ・クレアスの気持ちだ。

僕より多くの悲しみを抱えているんだろうな…

今の僕は、どこに帰ればいいのか分からない。

誰といればいいのか分からない。

これからどうしたらいいのか、分からない。

明日のことも、数分先のことさえ、予想すらつかない。

あの日までは、帰る家があった。

一緒に生活する母親がいた。

名も無い小さな集落だったけれど、毎日の仕事と役割があって、自分の居場所があった。


『言っただろう?

時間は巻き戻らない。

欲しいモノがあれば躊躇しないこと。

やらなかった後悔を、誰かに押し付けるかい?

諦めきれるかい?

たまには利己的主義になってもいいんだ。

自分の事を優先して、他の人のことを無視すればいい』


この声は… シンさんだ。

姿は見えないけれど、シンさんだ。


『ところで、ニコラス君の欲しいものは何かな?

君はなくしてばかりで、何も得なかったのかい?』


僕の欲しいもの…


「… ここは?」


 風が優しく頬を撫でていった。

微かに鼻先を掠めた緑の香りに、ニコラスはゆっくりと瞼を開けると、視界の下、自分の顔の近くで毛玉が寝ているのがわかった。


「ココット」


 そっと声をかけても、それは丸まったまま規則正しい呼吸を繰り返すだけだった。

あの日から、変わらないのはココットの存在だけだった。

いや、ココットは『得たもの』だ。


僕が得たもの…


「気分はいかがですか?」


 不意に、冷たい手がニコラスの額に触れた。

それに誘われるように視線を上げると、白いローブの一部と、頭上に広がる青々とした葉が見えた。


「特に… 悪くないです」


 体も覚醒し始めたのか、小鳥のさえずりが聞こえ、柔らかな大地を背中に感じた。


「安心なさい。

ここは西の柱の根元です。

貴方にとって、一番安全な場所ですよ」


 引かれた手を追うように顔を向けると、読書をするクレフの横顔があった。

その横顔は、相変わらず女神のように美しかった。


「僕、どのくらい眠っていましたか?」


 起きたばかりだからか、記憶が曖昧だった。

新月の暗闇の中で燃えていく建物とその熱さ、誰の顔も悲しみに溢れていて…

夢の中で感じた西のバカブ神の気持ちも混ざっていた。


「孤児院が燃え尽きたのを見届けて、眠ってしまいました。

戦ったり、西のバカブ神の力を使ったり、燃やされたりしましたからね。

体力の限界でしょう。

私の渡したお守り、きちんと身に着けていたのですね。軽い火傷ですんで良かったです。

睡眠は丸一日ですよ」


 言われて、ニコラスは慌てて体を起こした。

その反動で、ココットがボールの様に体から転がり落ちた。


「火傷… どこですか?」


 さっと、転がったココットをひざの上に置いて、自分の体をまじまじと見始めた。

相変わらず、ココットは眠っていた。


「その服自体、防火に優れた繊維で作られています。

負ってしまった火傷は、ほかの軽症と一緒にレビアの回復呪文で綺麗に直りましたよ」


「あ、怪我は僕よりあの人の方が酷かったですよね?

あの人は、どうしたんですか?」


「ジャガー病感染者ですからね。

感染リスクがあるので、治療行為は誰でもと言うわけにはいきませんので、毎回レビアが回復呪文をかけていますよ。

ああ、噂をすれば…」


 いつの間に近づいたのか、多種の果物を山のように乗せたトレーを持ったレビアと、山のような焼いた肉の塊を乗せたトレーを持ったタイアードが現れた。


「成長期には、物足りないですわね?」


 レビアとタイアードはニコラスの前にそれぞれトレーを置くと、ニコラスの横に座った。


「いえ、十分です」


 少し迷って、中ぐらいの林檎を手にした。


「大丈夫ですわ。

それは普通の林檎ですから」


 林檎を見て、記憶がハッキリとしてきた。

モンスター化してしまったマークと子ども達。

燃え尽きた孤児院。

消えてしまったアンナ。

悪鬼のような青年。


「… 僕は、また何も出来ませんでした。」


ニコラスは、林檎をジッと見つめながら呟いた。


「あら、二人、助かっていますわ」


 膝の上に大きなナプキンを広げ、ナイフで林檎を切り分けながら、レビアが優しく言った。


「貴方を迎えに行く数日前に、仕事である小国の魔道師と戦いましたが、レビアの温情で抹殺はしませんでした」


 クレフは相変わらず本を読んだまま話し出した。

レビアは切った林檎を、タイアードの口元に運んだ。


「抹殺って…」


「実体で乗り込んでくる度胸が無かったようで、老人に憑依していました。

その老人も、魔道師の精神にすっかり飲み込まれてしまいましたが。

器の老人ごと、消してしまえば良かったのですがね、万が一にも転生に支障があったら可哀そうだということで」


「器をなくした魔道師の精神が、マークさんに取り付いたんですか?」


「それと、林檎の木ですね。

見ましたよね。

あの林檎を食べた者が、どのようになるか。

中には汚染されていない林檎もあったようですが」


「… 魔道師の目的は、この国の乗っ取りですか?」


「そんなところです」


 と、クレフは本を読んだまま呟いた。


「それと、魔道師はジャガー病に感染していたようですね。

憑依された林檎の木は、見事にウイルスに感染し、それを食べた者も感染、発病したようです。初めての症例ですよ。

貴方が背負う事ではありませんよ」


「背負うもの…」


リズミカルに踊っていたアンナを思い出す。

子ども達に勉強を教えていたマークを思い出す。

カリフを、子ども達を思い出す。


 カリフと青年の会話で、皆がジャガー病に感染したことは分かった。


「残った二人のお子さんは、今は私が保護していますわ。

今後の事ですが、孤児院はあそこだけでしたので…

どうするのがあの子たちの為になりますかしら?」


 夢の中のシンの言葉と、カリフとの最後の約束がニコラスの胸にあった。


「あの…」


 おずおずとニコラスが話し始めた。


「僕は、全部なくしたと思いました。

住む場所も、母も、友達も…

でも、カリフ君は僕の事を、家事が得意で薬や薬草に詳しいと言ってくれました。

… すみません、言いたいことがちゃんと纏められなくて」


「いいんですのよ。

無理に纏めずとも、言いたい事を言ってくださいな」


 話をまとめられず四苦八苦しているニコラスに、レビアは優しく微笑んだ。


「僕は、故郷の教会でジャガー病の看病の手伝いをしていました。

だから、マークさんが落とした薬がジャガー病のものだと分かった時、マークさんの記憶の混乱にも頷けました。

ただ、気が付くのが遅かったし、その後の行動にも生かせませんでした。

だから… もっと薬や薬草に詳しくなりたいです。

詳しくなって、ジャガー病の治療に役立てたいです。

それと、剣も召喚魔法も強くなりたいです。

弱かったら、誰も守れませんから」


 話しているうちに、ニコラスの中でそれらは揺るぎ無い目標となった。


「良い目だ」


 どこからか聞こえてきた機嫌のいい声に、ニコラスは慌てて辺りを見渡した。


「… 居たんですか」


 今まで余裕が無かったせいか、まったく視界に入っていなかったが、あの青年がクレフの腹側に体を向けて、膝枕で寝てニコラスを見ていた。


「居ましたよ~。

俺様も、一応負傷したからな。

癒してもらってんの。

で、強くなるって、どうすんだよ?

一人で剣の鍛錬に、魔法や薬学を勉強すんのか?」


 その青年の笑みは意地悪で、悪戯小僧の様だった。


「その…」


 ニコラスは、チラチラと申し訳なさそうにタイアードとクレフを見た。


『たまには利己主義になってもいいんだ』


 そう夢で言われたシンの言葉が、ニコラスの背中を押した。


「タイアードさんに剣を、クレフさんに魔法を教えてもらいたいです!」


 ニコラスは大きな声で言い切ると、勢いよく頭を下げた。


「それは、アルジェニアの配下ではなく、私、レビア・メロウの所属となります。

そして… ジャガー病を研究する一員となります。

これまで以上に苦しくて、悔しくて、悲しい思いをするかもしれませんが、よろしいですか?」


これまで以上に…

それは、西のバカブ神の忘れない思いと同じなのだろうか…


 ふと、そんなことを思った。

思って、シンの言葉を思い出した。


『やらなかった後悔を、誰かに押し付けるかい?

諦めきれるかい?』


 やれば、もしかしたら変わるかもしれない。

救える命があるかもしれない。


『『大きくなったら、何になりたい?』

っていう夢。

ささやかな夢でもいいから、見させてあげて』


そう、カリフとも約束した。

これは、僕が背負うものだ。


 ニコラスは顔を上げた。


「よろしくお願いします!」


 凛とした顔は、今まで感じさせなかった強さを見せていた。


「ちょっと待ってください。

私は賛同していません」


「目の付け所は良いぜ?」


 パタンと本を閉じて反対したクレフの髪を、青年は一房軽く引っ張った。


「そう言う事ではありません。

私は弟子をとる気はありません」


 クレフは閉じた本を、膝枕している青年の額に勢いよく置き、視線を伏せ気味のままレビアへと顔を向けた。


「あらら~、困りましたわ~。

どうしましょうか?ニコラス」


 鈴を転がしたような声は、困っていると言うよりは、楽しんでいるようだった。


「食事を作りますし、掃除もします!」


「ニコラスの作るご飯は美味いし、掃除は丁寧だぞ!」


「間に合っています」


「クレフさんのお邪魔はしません!」


「オレっちも大人しくしてる!」


「なら、弟子にならないことが一番です」


 頭を下げ、一生懸命頼み込むニコラスと合いの手を入れるココットを、クレフはさらりと流していく。

そんな二人と一匹を、青年は面白そうに見ていた。


「… じゃあ… じゃあ…

お友達からお願いします!!!」


「は?」


 今までで一番大きな声を出したニコラスの言葉に、レビアと青年は大爆笑した。


「とも… 友達… いいじゃねぇか、クレフ。

友達になってやれよ。

やべぇ、腹の傷に響く」


 クレフは腹を押さえ、膝の上で笑い転げる青年の頭を思いっきり叩いた。

青年は叩かれても、まだ笑っていた。


「すみませ~ん。

遅くなりました… あら?

随分、楽しそうですね」


 抗議の声を上げようとしたクレフだったが、珍しく息を上げて走ってきたガイに言葉を飲み込んだ。


「で?」


 青年の一言に、空気が一気に変わったのが、ニコラスにも分かった。

ココットは、空気の緊張感を感じて、またニコラスの胸元に戻った。

ガイはレビアの前に膝まつくと、報告を始めた。


「申し訳ありません。

逃げられました。

場所は押さえましたが、こちらの隠し武器も底をつきましたし、あまりにも不利でしたので、一度戻りました。

サーシャ様は関係していないように思われます」


「では、仕切り直しですわね。

ガイが無事でしたら、それでいいんですのよ。

次がありますもの。

… 今回の後始末もありますから、すぐに動けませんわね」


 チラリとニコラスとクレフを見て、ニッコリと笑った。


「お試し。って、いかが?

次のお仕事まで時間がありますから、とりあえず、その間だけ魔法の使い方や召喚獣との契約の仕方等を教えてあげたらいかがかしら?

クレフのお家には、薬草に詳しい方もいらっしゃいますし。

勿論、タイアードの剣の指導も付けますわ」


「おっ、いいじゃん。

それでいいじゃん。

んじゃあ、これからは仲間だな。

宜しく、ニコラス」


 レビアの提案に、青年はクレフの膝から体を起こし、ニコラスの手を取って強引に握手をした。


「あ、よろしくお願いします。

えっと…」


「『アレル』だ。

俺様の名前、忘れるなよ。

お前の師匠の恋人だ」


 戸惑うニコラスに向かって、青年・アレルはニヤリと笑った。


「誰が、誰の恋人ですか!」


 弾かれたように異議を唱えたクレフに、アレルは意地悪そうな目を向けた。


「いやぁ?

俺はニコラスの師匠のって言ったんだ。

お前、ニコラスの師匠じゃぁ、ねぇんだろう?」


「… 違います!」


「なら、声を荒立てるなよ。

美人の怒った顔もいいけどな」


「はいはいはいはい、後はお二人の時にやってくださいな~。

とりあえず、今日は休暇でよろしいですわ。

また明日から、考えましょう」


 呆れた声でレビアがストップをかけながら、トレーの上からオレンジを取ってむき出した。


「へーへーへー

ニコ、俺の名前、忘れんなよ」


「アレル、さん… はい、アレルさん」


「良し! じゃあ、食おうぜ」


 少年らしい笑顔を浮かべたニコラスを、アレルは胡坐をかいた膝の上に乗せ、料理や果物の乗ったトレーを寄越せと、手で合図した。

ガイがニコニコしながらトレーをアレルに寄せると、アレルはわしづかみで食べだした。

そして、ニコラスにも取って渡した。


「ニコ、我がまま言って、良かったな」


 胸元から出てきたココットが、ニコラスの手元の肉を齧りながら言った。


「… うん」


 嬉しそうに微笑んだニコラスを見て、一同は和やかな笑みを浮かべていたが、ニコラスは気が付かなかった。


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