第8話

「はい、こちらの女の子が今日から成宮くんの上司になります」


「有栖川ひまり、です。十五歳です。中学三年生です。よろしくお願いします」


 有栖川、とかいうそのセーラー服姿の少女は、頷くような動きで軽く頭を下げて、それから睨むような鋭い目つきで俺を見据えた。


 授業が終わった途端に俺は真姫に腕を引っ張られ、半ば無理矢理駅前まで連れていかれて、昨夜から一度も帰宅しないままにまたこの地下空間へと舞い戻ってきた。その地下空間の応接室のような場所のソファに座り、俺は、真姫とその隣に座る有栖川という女子中学生と対面していた。


「お、おう。よろしく。俺は成宮深夜、だ……です」


「真姫さんから聞いてます」


 有栖川の目つきの鋭さが一層強まる。この女子中学生は俺の姿を一目見た時から今まで終始剣呑な空気を醸していた。ほぼ初対面にもかかわらずなぜここまで敵意を向けられなければならないのか、全く心当たりがない。


「わたしにはタメ語でいいですよ。年下ですし」


「あ、ああ。じゃあ俺にもタメ語でいいぞ」


「それは嫌です」


 なんでだよ……。


「え、えっとね!」真姫がとりなすように明るい声を出す。「成宮くんは高校二年生でわたしと同級生なんだけど、まだ亜魔人になったばかりでわからないことだらけだから、先輩のアリスちゃんが色々教えてあげてほしいんだ。ただでさえ人手不足だし、ね?」


「その話は昨日も聞きましたよ」


 有栖川はため息を吐きながらソファに深く座って、髪の毛先をくるくるいじりながら言う。


「わたしだって仕事がないわけじゃないんですよ。そもそもこの人が亜魔人になったのって、真姫さんとかアスカさんの思慮の浅さによるところが大きいわけじゃないですか。それなのに面倒な部分だけはわたしに押し付けるんですか。なんかおかしいですよね」


 よくこんなクソ生意気な奴と一緒に仕事できるな、真姫は。


「それでも、起きてしまったことは仕方ないでしょう? それに、ねぇアリスちゃん。あのね、成宮くんはあの血液の魔物の能力を持ってるんだよ」


「えっ?」


 有栖川の目の色が明らかに変わった。驚いた表情で真姫と目を合わせた後で、品定めをするような視線を俺に向ける。


「……マジですかそれ。ガチだったらやばくないですか」


「マジのガチだからやばいんだよ。ね、成宮くんは可能性の塊なんだよ。だから、アリスちゃんがしっかり教育してくれないと困るんだ」


「…………」


 有栖川は間にあるテーブルに手をついて身を乗り出して、俺の身体に顔を近づけて目を細める。俺の頭の先から足の先まで、首を上下に動かして舐めるように観察している。


「……真姫さんは、見たんですか? この人の、血液の能力を」


「見たよー。それはもうすごかったよね。あんな大きな傷が一瞬で綺麗に元通りになっちゃうんだから」


「あ、ああ、まあな」


「……こんなクソ弱そうな男が」


 有栖川は俺に聞こえないように小声で言ったつもりなのだろうが俺にはばっちり聞こえてしまっていた。


 なぜ俺をそこまで毛嫌いするんだ。


 有栖川は姿勢を元に戻して、気を取り直すように一度息を吐いた。


「わかりました。それじゃあ成宮さん、とりあえず外に出ましょうか。色々と説明することがあるので」


 有栖川が俺のほうを見ないまま淡々と言って、さっさと部屋を出て行ってしまう。真姫のほうに目をやると「頑張ってきてねー」と笑顔で手を振っていた。


 俺は急ぐでもなく立ち上がって、扉を開いて廊下に出る。真姫と二人で戻ってきたときにも感じたことだが、朝の時間帯とは違って、この地下空間の廊下にはかなり人が多い。様々な年齢層の大人が忙しそうに部屋を行ったり来たりしている。さっき真姫に訊いたら、ここの職員は半数以上が魔人で構成されているらしい。できるだけ魔人の存在を知る人間を増やさないために、魔人を雇うのだという。


「今日は鋏の魔人を倒しに行きます」


 俺がマンホールから顔を出すと、有栖川が俺を見下ろしてそう言った。


「あと、何でも行動はきびきび行うようにしてください。梯子を上ってくるくらいで時間がかかりすぎです。一分一秒が文字通り命取りになる仕事なので」


「……わかったよ。気を付ける」


「絶対わかってませんよね。まあいいですよ。仕事をしている内に、自然と急ぐようになりますので」


 マンホールから地上に乗り出して、蓋を閉める。有栖川が腰に巻いていた黒いバッグからサングラスを二本取り出して、一本を俺に手渡した。


 なぜ急にサングラス?


「これ、とても重要かつ貴重かつ高価なものなので、やむを得ない場合を除いて絶対に壊したり紛失したりしないでくださいね」


「なんだ、これ。ただのサングラスだろ」


「ただのサングラスではないから貴重なんです。いいから早く耳にかけてください」


 恐ろしくサングラスが似合っていない有栖川が俺を急かす。有栖川は体格も顔も幼げだから、そんな女の子が制服姿のままでいかついサングラスをかけていると、水と油が混ざってしまっているような変な矛盾を感じる。


 有栖川に言われた通りサングラスをかけると、視界が少し暗くなる。のは当然のことなのだが、確かにこれはただのサングラスではないと思わせる光景が目に見えるようになった。


 路地裏の景色の中に、青白く光るマリモのような丸い物体が無数に浮いていた。うじゃうじゃと、わらわらと、空気のそこら中に青白いマリモが浮いている。


「な、なんだ、この、気持ち悪いマリモみたいな物体」


「これが魔人の魂です」


「……魔人の魂、多すぎだろ。人間よりも多いんじゃないかこれ」


「魔人は魂の状態であることが普通なんです。その中でちょっとおかしな奴らが実体のある生き物の身体を乗っ取って、その中でももっとイカれた奴らが人間に危害を加えようとするわけです。だからまあ、この浮いている魂の全てと戦わなければならないとかそういうことではないので、大丈夫ですよ」


「そ、そうか。それなら、いいのか。知らんけど」


 言うと、有栖川は歩き出した。路地裏を出るとまあまあ人通りの多い裏通りを歩くことになるのに、その恐ろしくダサいサングラスをかけたままで大丈夫なのだろうか。


「で、なぜわたしたちは魔人の魂を視認する必要があると思いますか?」


 俺たち二人はサングラスをかけたまま、裏通りの青白いマリモの間を縦に二人で並んで歩く。周りの人から夏で浮かれた頭の悪そうなカップルのように見られていそうで恥ずかしかった。


「え? えーっと、なんか、色々と便利なんだろ」


「ものすごく漠然とした答えですね。確かに便利じゃなかったらこんなオシャレでも何でもないサングラスなんかつけませんけど。ずるい答え方ですね」


「いいだろ別に。高校生ってのはそういうずるい生き物なんだよ。覚えとけ」


「まず、魔人の魂が視認できれば、どの生き物が魔人なのかがわかります。このサングラスは魔人以外の魂、例えば私の魂なんかは普通に見えませんから、生き物の身体の中に青白い光が見えたら、それは魔人ってことになりますね」


 このサングラスがあれば、あの黒猫の体内にも青白い光を確認できたのだろうか。真姫やスーツの男が猫と対面したとき、こんなサングラスはかけていなかったけれど。


「じゃあ、亜魔人の魂はどうなるんだ?」


「亜魔人は、ざっくり言えば身体が魔人で魂が人間、という構造になっているので、このサングラスだけじゃ識別できませんね。でも亜魔人と戦う機会なんてこの先一度もないので気にしなくていいですよ」


 と、そこで有栖川が不意に足をとめて、バッグから銀色のナイフを取り出した。その瞬間に今朝の記憶が蘇り、俺は咄嗟に身構える。そうだ、こいつも真姫の手先の一人なのだ。真姫と同じように、いきなり切りつけてくることもあり得る。そしてその後に悪びれもせずに微笑みかけてきたりするのだ。


「これ、渡し忘れてました」


 と、有栖川は俺に振り返って、ちゃんと柄の部分のほうを俺に向けて、ナイフを差し出した。真姫とは大違いの丁寧ぶりに肩透かしをくらいながらも、俺はナイフを受け取ろうとした。


「成宮さ……ん?」と、俺の顔を見上げた瞬間に、有栖川は不思議そうに顔をしかめた。サングラスの奥の瞳が小さく揺れている。


「どうした?」


「あ、い、いえ、なんでもないです」


 気のせいかな、という小声が聞こえた。何が気のせいなのか。


 有栖川は仕切り直すように咳払いをして、またナイフを俺に差し出す。


「えーっと、成宮さんが本当に血液の能力を使えるのなら、これは必須でしょう?」


「え、なんで?」


「あー……なんだ、そこら辺のことはまだ聞いてないんですねー。めんどくさいから一度に説明しておいてほしいですよねー、あの人」


 やれやれと言った風に肩をすくめる有栖川だが、サングラスをつけていると一つ一つの所作がなんだか可笑しく思えてしまう。


「……んー、まあ、まだ時間もあるので、ここで少し練習しましょうか」


 言って、有栖川は踵を返して裏路地に戻り、そこにあったダストボックスの上に尻をのせた。


「じゃあ成宮さん、一回自分の脈を切ってみましょうか」


「はぁ? 馬鹿か、そんなことしたら死ぬだろ」


「亜魔人がそんなことで死ぬわけないですよ。馬鹿はあなたです。いいから、自分の手首の脈を、さっき渡したナイフで切ってみてください」


 俺はいざとなれば猫の肉体をそのまま食べてしまうほどに生存本能の強い人間なので、自分の脈をナイフで切ることに人一倍抵抗感がある。いや抵抗感がない人なんてほとんどいないだろうが、脈を切れと言われて躊躇なくすぐ切れるほど、俺の意識はまだまだ亜魔人になりきれていなかった。


「はーやーくー、切ってくださーい」


 ぱんぱんぱんと急かすように有栖川が手を叩く。俺は一度大きくため息を吐いた。それから肩を上下させながら三度深呼吸をして、覚悟を決めた。


「…………いいいいうううぅっ!」


 奇声をあげながら、きつく目を閉じて一気にナイフを手首の上を滑らせる。ぬるりとした曖昧な手応えがあって、目を開けると、手首から赤い血液が噴水のように噴き出していた。


「よし、それじゃあ成宮さん。……えーっと、なんか、血液で物体を作ってみてください。できれば強そうな武器を」


「あぁ⁉ そ、そんなのどうやってやるんだよ!」


 自分の制服にもびちゃびちゃ血がついて、全く止まる気配のない血液を押さえてほとんどパニック状態になる。みっともなく慌てふためく。


 有栖川が少しにやついているのが見えた。


「ちょっと落ち着いてくださいよ。今の成宮さんの血液量は人間の比にならないくらい多いんですから、出血多量で死ぬことはまずないです。それに、傷の治し方はもうわかってるんですよね。どれだけ血が出ても後から戻せるじゃないですか」有栖川が人をおちょくるような笑いを含みながら言う。


「そういう問題じゃない! お前自分の手首切ったことないだろ!」


「わたしはメンヘラ地雷女じゃないですからねー」


 後で傷が治ると言ってもこの痛みは本物なのだ。人間のときと同じように、身体に傷がつけば相応の痛みを感じる。痛みを感じながら自分の身体からものすごい勢いで血が吹き出している様を見ていれば、パニックにもなる。


「じゃあ、そうだな……刀! 日本刀! 自分の血液で日本刀を作ってみてください」


「だから、そんなことできるわけないだろ! ただの液体がどうやって日本刀になるんだよ!」


「あーあーあー、いちいち声がでかいんですよ。いいですか、成宮さん。傷を治したときと同じような感じで、血液を操作すればいいんです。血液が日本刀を形作るように、自分の血液を操作する。これで、わかりませんかね?」


 つまり、傷を治したときと同じように、頭の中で強くイメージすればいいのか。血液が日本刀になるイメージを、脳内で強く念じればいいのか。


 俺はもう一度きつく目を閉じて、泣き叫ぶように主張してくる痛覚を振り払い、脳内で強く念じた。血液が日本刀へと形を変えるイメージを。


「お、おお?」


 有栖川の声が聞こえて目を開けると、地面に水溜まりを作っていた血液がまるで逆再生の映像のように宙に浮いて俺の手首へと入り込んでいき、そして、その先の俺に手には真っ赤な棒のようなものが握られていた。


「これ、形だけは日本刀っぽいですよ」


 有栖川がダストボックスからひょいと降りて、こちらに近づいてくる。確かに、柄の部分が少し出っ張っていたり、刃の先端に向かって若干反り上がっていたりと、その形だけは日本刀なのだが、いかんせん全体が真っ赤だった。刃は銀色に輝いているわけでもなく、柄に紐や皮が巻かれているわけでもない。全体が均質な血の色で覆われていて、本当に日本刀としての機能が果たせるのか微妙だった。


「じゃ、試しにこれ、切ってみてください」


 有栖川は少し屈んで地面に転がっていた空き缶を手に取ると、それを俺の正面に据え置いて、とてとてと少し距離を取った。


 剣道の竹刀を持つように赤黒い日本刀を両手で握り、ふーっと息を吐く。そして空き缶に狙いすまして、刀を一気に振り下ろした。


 カーン、と虚しい音が鳴り響いた。


 日本刀の先が、空き缶を上で止まっていた。空き缶を両断することができずに、缶と接触したところで止まってしまっていた。


「……切れてないじゃないですか」


「……見りゃわかるわ」


 言うと、有栖川は俺が切れなかった空き缶を蹴飛ばして、俺から赤黒い日本刀を奪い取った。


「んー、成宮さんの能力がその程度ってことなのか、まだ上手くコントロールできていないだけなのか、微妙なところですねー」


「ただの血液がちゃんと固体になったってだけで、十分上出来だと思うんだけど。もし本当に血液だけで色んな武器が作れるなら、ちょっと強すぎるだろ」


「血液の魔物はちょっと強すぎるくらいのこと軽くやってきますよ」


 日本刀の刃の部分を指でなぞるようにしながら、有栖川は言う。


「だから成宮さんもできるのかなーと思ったんですけどねー。成宮さんが武器を作れるようになれば、わたしの仕事がものすごく楽になるんですけどねー」


「……何が言いたい」


「いいえ、別に。成宮さん、この物体を作る練習、自分でもやっておいてくださいね。いきなり日本刀は難しすぎたのかもしれないから、まずは小さなナイフでも作ってみてください。もちろん、しっかり殺傷能力のあるナイフですよ」


 有栖川が俺に日本刀を差し出すと、ぐにゃりと日本刀の形が崩れて、まだ少し開いたままだった俺の手首の傷へと、かつて日本刀だった血液が入っていった。


「ホント便利ですねー、その能力」


「お前は亜魔人になりたいのか」


「なりたくないですよ。仕事が増えるので」


 言いながら歩き出した有栖川は、こちらに振り返らず声の調子もそのままで、こう続けた。


「亜魔人なんて、この世からいなくなればいいと思います」

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